「やさしすぎるんだ、カイは」
 眠ってしまったカイをそっと横にして、ヤトは呟いた。
「あんなもの、いちいち構ってないで見て見ぬふりしてればいいのに」
 一方で、ひそかに空間に仕掛けを施す。余計な邪魔が入らないように、そして、ユマに逃げられないように。
「じゃあ、どうして最後まで見て見ぬふりしててくれなかったんだ」
 ユマの声にヤトは顔を上げた。自分をにらみ付けてくるユマと確かに目を合わせる。
「友達が連れていかれるのを、黙って見ているわけにはいかないからな」
 なにも見えていない、とカイに言ったのは嘘だった。本当はヤトにも見えていた。ユマの姿も、裂けた地面も。そして、
「別の世界からの侵入者――越境者よ」
 それが本当は何であるのかも分かっていた。
「故意であればもちろんのこと、たとえ不幸な事故であっても、世を護る壁を傷つけ、その境を越えることは、あまたの世の理を乱す行い。そうやって別の世界に行ったところで、いずれはその世界を護る存在によって排除されてしまうだろう。俺は俺の大事な友達をそんな目に遭わせたくない」
「カイは、やっと見つけた友達だったのに」
「越境者は見つかり次第排除されてもおかしくない中、しばらく好きにさせてやったんだ、もう十分だろう」
「そうだ、君も一緒に行けばいい。そうすればカイもきっと喜んでくれる」
「…………」
 ヤトはひとつため息をついた。それぞれが独り言を呟いているだけのような、噛み合わないやりとり。もはや――いや、最初から、自分の言葉は届いていないのだろう。
 そもそもヤトは越境者の強制的な排除には消極的だった。こちらに害がないのであれば、それこそ、あのまま見て見ぬふりをし続けていても構わなかったのだ。だが、こうなってしまってはもう、見逃すわけにはいかない。
「――世と、世の狭間を司りし、狭間の王よ」
「!?」
 それまでとは違う響きのヤトの声に、ぎょっとユマが顔をひきつらせた。その言葉の意味するところを――ヤトが何をしようとしているのかを、悟ったのだ。
「何してるんだ、やめろ!」
「越境者を、そのあるべき元の世へ。世の裂け目を、そのあるべき元の姿へ」
 がくん、とユマの動きが不自然に止まる。裂けた地面の向こうの闇が、抵抗するように火花を散らす。
「嫌だ、やめてくれ、どうしてまたあんなところに戻らなきゃいけないんだ」
「…………」
 やっと見つけた友達。どうしてあんなところに。
 ユマの言葉の端々にその事情が透けて見える。何もかもすべてから逃げ出してしまいたくなるような気持ちも分からなくはない。だが、
(どんなに嫌な世界でも、俺は俺の世界で生きていくしかないし)
「……戻らせたまえ」
(君は、君の世界で生きていくしかないんだ)
「ひっ――」
 悲鳴をあげる間もなく、ユマの姿は吸い込まれるように消えてゆき、裂けていた地面も、瞬く間に塞がり元通りになってゆく。
 そして後には、いつもと変わらない、図書館の裏庭の風景があった。



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