だからあなたも


「あたしね、記憶喪失なの」
 そう、シェイアが言った。
 ミスターメリーの店、カウンターを挟んで、店番のグリーン(ミスターメリーの弟子)と雑談していた中で、のことだった。
「え?」
 話し相手のグリーンも、さすがにどう返せばいいのか一瞬戸惑ってしまう。
「ライエに拾われて、みんなと一緒に暮らし始めてからの、ここ何年か分の記憶しかないの。だから、例えば小さい頃のこととか、もともとの家族のこととか、全然覚えてない。そうそう、シェイアっていうこの名前もね、ミスターメリーがつけてくれたのよ。あんたとおんなじね」
 シェイアはグリーンのそんな反応に、大げさだというようにちょっと笑って、雑談の続きのように話を続けた。
「記憶がないから、聞いた話なんだけどね」
 その日、『異物』の出現に、ライエが現場へ処理に向かった。しかし、彼が到着した時には、すでにその場に『異物』の存在は確認されず、ただ、『異物』が存在していた痕跡と、その中でぽつんと佇む一人の少女の姿だけがあった。しかし、話を聞こうにも、彼女はその時の状況どころか一切の記憶をなくしてしまっていて何も分からない。ただ、『異物』が出現したことは確かだということ、そして『異物』に遭遇しながらも彼女だけは無事だったということから、彼女には『ハンター』としての能力があるのだろうということになり、検査の結果実際その通りだった。そこで(いや、たとえそうじゃなかったとしても)ライエがそんな彼女を引き取り、一緒に暮らすことになったのだった。
「まあつまり、『ハンター』にはよくある話よ。記憶喪失まではあまりないのかもしれないけれど」
 確かに、よくある話だった。『ハンター』が『ハンター』になるきっかけ、自らの能力に気付くきっかけなど、結局は、運悪く『異物』に遭遇してしまうこと、なのだ。
「だから、記憶がないこと自体は別につらくないし、もう今更取り戻したいとも思わないわ。ちょっと不便なこともなくはないけど、きっとそれ以上に、忘れてしまいたいことだったんだろうし」
 シェイアの声はずっと明るかった。表情もいつもと変わらなかった。これは何でもないただの雑談、ずっとそんな様子だった。けれど。
「どうして急に……、僕に、そんな話を?」
 それだけのことが、何でもない話、なわけがないのだった。
「やだ、別に本当にたいしたことじゃないのよ」
 そこでシェイアは少しきまり悪そうに苦笑いした。
「ただ……そうね、たとえあたしが隠していたとしても、いずれは誰かから聞くことになる話だろうと思ったから、かな。だったらもう、先に本人から直接話しておいた方がいいんじゃないかと思っただけ」
 そしてふと、シェイアは真顔になってグリーンを見た。
「だからあなたも。もしまだ何か言えないでいるようなことがあるんだったら、さっさと話しておいたはうがいいとあたしは思うわ。誤解や憶測で、誰かに適当なことを言われてしまう前に、本当のことを」
「…………」
 そういうことか、とグリーンは思った。どうやら彼女は自分にも何かがあると思って、それで自分のことを心配してくれているらしい。
「ありがとうございます、シェイアさん。けど」
 けれども。
「僕には、別に何もありませんよ」
 きっとどんな憶測も想像も、自分のこの現実には、とても及ばないだろう。



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