天河石


 私は扉を開けた。
 中はそれほど広くなく、小ぢんまりとした印象だった。ちょうど正面の突き当たりにカウンターがあって人がいる。私に気付いているのかいないのか、こちらを見ようとはしない。どうやら何か作業をしているようで、なんだろう、ごりごりと音がしている。
 私はそっとカウンターに近づいた。目の前まで来て初めてカウンターの人がちらりと顔を上げた。性別も年齢も判然としない、不思議な雰囲気の人だった。
 覗き込めば、その人は何かをすりつぶしているようだった。白くて丸っこいすり鉢――いや、こういう形のものは乳鉢というんだったか――がごりごりと音を立てていた。
「それ、何ですか?」
 何だろう、と思うと同時に私はそう問いかけていた。いきなりの私の問いにカウンターの人は手を止めることもなくぶっきらぼうに答えた。
「テンガセキだよ」
 少しかすれたその声も、やはり年齢性別ともに不詳な感じだった。もしかしたらそんなものなど超越した存在なのかもしれない。
「てんがせき?」
「天の河の石だ」
「あまのがわ」
 ああ、あの川のと納得しかけて、いや、あれは川だっただろうかと疑問に思い、けれどもどちらもすぐに消えた。私はもう一度カウンターの人の手元を覗き込んでみる。乳鉢の中には一見白い、よく見ると薄青い粉が入っている。それはかすかに光を反射してきらめいているように見えた。
「これをどうするんですか?」
「薬だよ」
「薬なんですか?」
「ああ」
 作業は一段落ついたようで、カウンターの人は手を止めた。ごりごりという音が止んで急に静かになったところでその人はふと顔を上げて確かに私を見た。
「気の沈みに効く」
「え?」
 気の沈み?
 突然、目の前でぱんと手を叩かれたように私ははっとした。何もかもがどこかぼんやりとしていたのが急にはっきりとして、そうだ、と何かが分かったような気がした。けれどもそれは一瞬の、まさに手を叩かれた一拍ほどの間のことでしかなく、またすぐにすべてはぼんやりとしてくるのだった。
 カウンターの人は慣れた手つきで粉をさらさらと紙に落とし折りたたんで包んでいた。光がこぼれていくようなその様と手際のよさに知らずぼうっと見とれていると、
「ほら」
 カウンターの人はその小さな包みを私に差し出した。
「え? でも」
 ここはお店ではないのだろうか。確かそう思って私は扉を開けた気がする。そしてお店ならたぶんお金が必要で、けれども私は自分がお金を持っているのかどうか分からなかった。
「ああ」
 そんな私の戸惑いが伝わったのか、カウンターの人はうなずいて、
「あげるよ。お守りみたいにいつも持ち歩いて、本当にどうしようもなくなったときにのむんだ」
 と、私の手にそれを握らせた。
「ほんとうに、どうしようもなくなったとき」
 それってどんな時なんだろう。今がその時のような気もしたし、そんな時など来ないような気もした。
「さあ、もうここに用はないはずだ。帰んな」
 やがてぼんやりしている私を追い払うようにカウンターの人はそう言いながらがたがたと辺りを片付け始めた。
「帰る?」
 私は振り返った。まっすぐ行った突き当たりに扉がある。
「そう。まずはあの扉を開けてごらん」
 ほら、と促され、私は扉に向かった。手をかけて、また一度振り返ってみる。カウンターに人はいたけれども、もう私を見ずに何か別の作業をしている。
 そして、私は扉を開けた。


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※この話はフィクションです。天河石と呼ばれる石は実際にありますが飲まないようにしてください。
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