夏といえば


 セミの声がする。
 俺はタタミに寝っ転がって、せんぷうきの風に吹かれていた。
 まだ昼前だ。ていうか朝だ。なのにもう暑い。せんぷうきが向こうを向いている間にもう汗がじわーっとにじんでくる。せんぷうきの生暖かい風も少しは涼しく感じるのはそのおかげか。はたしてそれはいいことなのか。
 セミの声がする。セミの声しかしない。頭がぼうっとしてくる。暑いけど、もう一眠り、できるか。
 ああ暑い……。
「たのもーっ!」
 と、突然、大声とともにスパーンとふすまが開いた。何事だ。ていうか、
「何やってんだ……」
 やっぱり。隣の家のバカだった。もう長い付き合いのバカだった。そうだ、こんなバカな真似をするやつが、こいつ以外にいるもんか。
「何やってんだぁ?それはこっちのセリフだ!若いもんが朝っぱらからごろごろしやがって!」
「そっちこそ朝っぱらから大声出しやがって。ていうかお前なに人の家に勝手に入ってんだ、この不審者め」
「不審者とはなんだ不審者とは!人聞きの悪い!ちゃんと玄関から挨拶して入ってきたっつの!」
 はー、と俺は溜め息をついて背を向けた。ただでさえ暑いのにこんなの相手にしてたら余計暑苦しくなる。
「コラ!なにそっぽ向いてんだ!こっち向け!ひとの話を聞け!」
「うるさい」
「うるさくない!まったく!そもそも夏といえば何だ!」
「は?夏といえば?夏バテ」
「違うだろ!」
「じゃあ、夏休み……の宿題とか」
「なんでわざわざ宿題って言うかなあ!違う違う!」
「じゃあなんだってんだ」
「夏といえば!海だろ!山だろ!水着にキャンプに祭りに浴衣に花火だろ!そして!こらなに笑ってんだ」
 俺は思わず吹き出した。やっぱりバカだこいつ。
「ここからが重要なんだぞ。いいか?そして夏をより満喫するために何より欠かせないのが!」
「欠かせないのが?」
 俺は笑いながらも先を促してやった。どうせまたバカなこと考えてるんだろうな。
「ズバリ!可愛い女の子!彼女だろ!」
「くだらねー」
 あまりのバカバカしさに俺はタタミを叩いて笑い転げた。
「笑うな!」
「笑うっての。で?彼女もいないくせにどうすんの?」
「決まってるだろ?ナンパだよ!ナ・ン・パ!」
「へー。まあ頑張ってね。行ってらっしゃい」
「なに言ってんだ!お前も一緒に行くんだよ!だからこうやって迎えに来てんだろー?」
「は?やだよ」
「やだよじゃねーよ」
「なんだ、ひとりでナンパもできねーのかよ」
「お前彼女ほしくねーの?」
「べつに。どっかのバカと違って俺は彼女なんかいなくても夏ぐらい満喫できるし」
 するとこのバカは急に情けない顔になり、俺の腕をつかむと揺さぶってきた。
「なーたのむよー。いっしょに来てくれよー。お前口はともかく顔はいいからさ、お前がいるとナンパの成功率も上がると思うんだよー」
「バカか」
 俺はだんだんイライラしてきた。
「だいたいなあ。そもそも俺の顔目当てで寄ってきたような女がお前の彼女になってくれると思ってんのか?お前本当にバカだな」
 まったく。ただでさえ暑いのに余計暑くなってくる。こいつのせいだ。
 背中が暑くなってきたので、俺は起き上がった。あいつは今まで騒いでいたのが嘘のように、むうっと黙り込んでいる。
「あのなあ」
 俺は溜め息をついた。
「お前はさっきから彼女彼女言ってるけど、俺は」
 彼女なんかいなくても。
「俺は、お前といっしょだったら、春だろうが夏だろうが秋だろうが冬だろうが充分満喫できると思うぞ」
 …………暑い。なんでこんなに暑いんだ。ああそうか、このバカがそのでかい図体で、せっかくのせんぷうきの風をさえぎってやがるんだ。
「ぶふっ」
 先に吹き出したのは向こうの方だった。
「なんだよー!ヤロー二人で夏を満喫かよー!」
 俺もつられて笑い出した。
「うるせー!ていうかお前さっきからせんぷうきの風さえぎってんだよ!どけよ!」
 俺は大笑いするあいつを力いっぱい押しのけた。あいつはタタミに転がっても、まだげらげらと笑い続けていた。



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