アリバイ


「昨夜10時頃、あなたはどこで何をしていましたか?」
 突然、彼女にそう尋ねられた。
「え?」
 僕はぽかんと彼女を見た。彼女は頬杖をついて、視線はテレビに向けられたままだ。画面に映し出されているのはコマーシャル。二時間サスペンスの途中、思わせぶりなシーンで画面が切り替わったところだった。
「なに、いきなり」
「だってさー」
 僕が目をぱちくりさせていると、彼女はテレビを見たままぼんやりと言った。
「こうやってサスペンスなんかでアリバイとか訊いてるの見るけど、みんなよく昨日のこととか何日も前のこととかちゃんと覚えてるよねー。不思議ていうかすごいなあっていつも思うんだけど」
「あー、そう?」
 僕は曖昧に頷いた。そういえばさっきもそんなシーンがあった気がする。確かに何日も前のことを訊かれてちゃんと答えてたみたいだけど。
「しかも相手は警察よ?事情聴取よ?そんな機会なんてそうそうあるもんじゃないじゃない。普通だったらそれだけで何でもなくてもテンパっちゃって、思い出せるものも思い出せなくなっちゃうと思わない?」
「んー、まあ……」
 でもドラマだし。こういっちゃなんだけど答えられなきゃ話も進まないんじゃないかな。
「たとえばよ?」
 ふと彼女は僕を見てまた尋ねた。
「一昨日の夕ご飯何だった?とかいきなり訊かれて、あなたちゃんと答えられる?」
「あー、どうだろう」
 僕は首をひねった。一昨日の夕ご飯。そういえばなんだったかなあ。
「私は自信がないなあ。つまりはそういうのと一緒だと思うのよね。よっぽど何か印象に残ることがあったとか、よっぽど意識して覚えようとしていなければ、普通そんな日常の些細なことまでいちいち覚えてなんかいないんじゃない?」
「うーん。確かに、そんなふうに言われてみればそうかもしれないね」
 まあ彼女の言うことも一理あるのかもしれない。確かに、日常の些細なことひとつひとつ、そんなに事細かに覚えているわけじゃない。人は忘れることで生きていけるだとか、あまり関係ないことをちらりと思い出した。
「でしょ?」
 彼女はちょっと得意げに笑ってテレビに視線を戻した。いつの間にかコマーシャルは終わっていて、またサスペンスの続きが始まっている。
「あるいは、全部作られた嘘だからあんなにきっちり答えられるのかもしれない。つじつまを合わせるために細かいところまできっちり作りこんだ嘘を頭にたたき込んでいるからここまで冷静かつスラスラと答えられるのかもしれない。つまり、一見完璧なアリバイのあるこいつが犯人なのよ!間違いないわ!」
「あれ?なに、そういう話?」
 僕は思わず彼女の方に身を乗り出した。彼女は画面に映る登場人物の一人を、びしっと得意げに指差している。えーと。なんか途中から違う話になっちゃったような気がするんだけど。
 けれども彼女は戸惑う僕にもお構いなしでサスペンスに釘付けのまま一人頷いている。まったくしょうがないな、とマイペースな彼女に僕はただ顔をほころばせた。
「ところで、さっき君が言ってた、昨夜10時頃どこで何をしてたかって話なんだけど」
「え?」
「昨日の10時だったらたぶん、やっぱりこうやって一緒にテレビをみてたんじゃないかな。ほら、毎週見てる連続ドラマあったじゃない」
「あー、ほんとだ。そういえばそうだわ」
「でしょ?」



その他小説/小説トップ
- ナノ -