迷子になろう
迷子になろう。
住み慣れた街の真ん中で。
「たとえば帰り道、少しだけ違う道を通ってみる」
一つ手前で曲がる、それだけのことでまるで知らない土地へ紛れ込んだ気分になるのは不思議なものだ。このまま直進していれば、見慣れた道に辿り着くのは分かっていても。
「そういえば小さい頃、近道だとか言って山の中とか突っ切って帰ったりしなかった?」
「思い出すなあ、近道のつもりがかえって遠回りだったり」
「本当に迷子になったこともあったよ。いっしょに帰ってた友達ともちょっとした隙にはぐれちゃってさあ。今でも覚えてる、傾いた日の光、林の中で泣いたなあ」
「でもその後どうやって帰ったのかは覚えてないんだよね」
ぽつりぽつりと話す声を聞く。傾いた日の光、見知らぬ、慣れ親しんだはずの街。
そういえばこの声は誰の声だろう。私は誰かと一緒だったろうか。ずっと一人ではなかったろうか。
そういえばどうして私はこの道を歩いているのだろう。どうして一つ手前で曲がろうだなんて思ったのだろう。
迷子になろう。
そうささやいたのはいったい誰だったのだろう。
見慣れた道は、まだ見えてこない。
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