林檎売り


 林檎売りが来ている。
 物悲しいメロディが聞こえる。林檎売りはいつもこのメロディとともにやって来る。
 ゆめとうつつの狭間で、そのメロディに意識をゆだねた。


 ここは日の光が明るくて暖かいねえ。
 私の故郷はこことは比べものにならないほど暗くて寒いんだ。
 つまり、それほど遠いってことなんだろうね。
 おかしなものだよ。昔はあんな暗くて寒いところなんか大っ嫌いだった。早く、明るくて暖かいところへ出て行きたいと思っていたのに。
 寒い寒いところで育った私には、ここの暑さは逆につらい。
 帰りたいなあ。
 たとえ暗くて寒くても。
 故郷へ、帰りたいなあ。


 ドアを開けると、林檎売りが立っていた。左手には林檎、右手にはナイフ。
 要らないよ、とドアを閉めた。


 物悲しいメロディが聞こえる。
 ゆめとうつつの狭間に。
 林檎売りが来ている。



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