PM 1:35


 ぴー、とヤカンが笛を吹いたので、のそりとイスから立ち上がってそれに近付いた。
 ぴー。
 しばらくぼうっとヤカンを見つめてどこまで耐えられるか実験してみる。だがおそらく10秒ともたなかった。
 コンロの火を消してヤカンを黙らせる。と、その時、ピンポーンが聞こえた。
 ピンポーン。
 足を引きずって玄関まで歩いていってドアを開けて見ると、リヤカーを引いたおばあさんが狭苦しいアパートの通路にいた。
「ああ」
 野菜かなんか売りにきたのかなと思ってリヤカーに目をやった。
「なんですか?」
 おばあさんはニコニコとこちらを見上げている。リヤカーに積んであったのは野菜でも果物でも魚でもなかった。
 ガラクタだった。
「いかがですか?」
 おばあさんは言った。ガラクタは廃品ではなく売り物だった。主に電化製品だ。テレビが特に目を引く。
「……では、これを」
 リヤカーの隅にへばりつくように置いてあったラジカセをつかんだ。黒くて細長いダブルデッキの。昔このタイプのものがとても欲しかったことを思い出した。友達からカセットテープを借りても自分のシングルデッキのものではダビングができなかったのがとても口惜しかったのを思い出した。
「ありがとうございます」
 おばあさんはまたリヤカーを引いて動き出した。隣の部屋のピンポーンを聞いたところで玄関のドアを閉めた。
 棚にラジカセを置いた。
 カセットテープの在処について思い巡らしながら、遅めの昼食のため、ヤカンのお湯をインスタント焼きそばに注いだ。
 ダビングはできるようになったものの、テープを貸してくれる友人はいないという余計なことにまで気付いてしまった。
 そういえば、人がすれちがうのがやっとの細い階段しかないこのアパートの三階にあるこの部屋の前まで、あのおばあさんはどうやってリヤカーを引いてきたのだろう。
 そのことに思い至ったのは、5分後、焼きそばのお湯を切っている時だった。



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