追憶
もう一度、行ってみたい場所がある。
普段行くこともない土地の、古ぼけた無人駅。汽車の本数も少なく、降り立てばとても静かで、君と、ふたりきりだった。
どこか遠くへ行きたいと、君が言ったのだった。私は君が好きだったから、君とならどこへでも行きたかった。
汽車で始発から終点まで。気が向いたところで降りながら。
ふたり、ずっと寄り添って座って、揺られながら。
私は確かにあの時、君のことが好きだった。抱き締めてくちづけたい程好きだった。からだじゅうに触れて、ひとつになりたい程好きだった。
君も。
けれどもそれはかなわなかった。思いはじりじりとくすぶるばかりで、決して爆発することは無かった。寄り添うだけで精一杯だった。手をつなぐだけで精一杯だった。結局、私は何もできなかった。
やがて君は私を置いて、大きく羽ばたいて行ってしまった。私が未だ辿り着けずにいる、その場所へ。
様変わりした君のうつくしさ、何も変われない、私。
私はまだ、ひとりで右往左往している。遠い君を、見上げ続けている。
なんのことはない、単純な話だ。
私は今でも君のことが好きなのだ。君と手をつなぎたい、寄り添いたい、抱き締めたい、くちづけたい、ひとつになりたいと、思っているのだ。
ああ、あの時、もう少し私に、何もかも吹き飛ばしてしまうほどの熱があったなら。
私と君は、わたしたち、でいられ続けたかも、しれなかったのに。君を、縛り付け続けていられたかも、しれなかったのに。
君を捕らえて、君とふたりで、ずっと、どこまでも、ずっと、いつまでも。
けれどもそれは、そう、とっくに叶わなくなってしまったから、私はせめて、君との記憶に、縋るのだ。
もう一度、行ってみたい場所がある。
記憶をなぞりながら、汽車で始発から終点まで、記憶をなぞりながら、気の向いたところで降りて、記憶をなぞりながら、その中の君と、ふたりで、揺られて。
とても静かで、君とふたりきりで、めまいがするほど、甘かった、あの場所へ。
「……さん?」
呼ばれ、私はゆっくりと窓から視線を外し、病室の入口を振り返った。いつもの看護師が、いつものように、食事を運んで来てくれていた。
「何ぼんやりされてたんですか?」
私はただほほ笑んで、なんでもないよ、と答えた。年老いてもなお、見苦しく悩み迷い続けているだなんて。
とても、言えなかった。
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