川辺さんとホワイトデー


「川辺さん!」
 弾むような声に、おれは顔を上げて声の方を見た。声と同じくやはり弾むようにこちらへ駆けてくる女の子の姿があった。最近よくここで顔を合わせる子だ。おれのことを『川辺さん』と呼び、なぜだか妙に懐いてくれている。
「こんにちは」
 彼女はおれの前まで駆けてくると、にこにこと満面の笑顔で挨拶した。
「こんにちは。どうしたの、何かいいことあった?」
 その笑顔におれも思わず笑顔になりながら尋ねた。すると彼女は待ってましたとばかりに、
「うん、あのね川辺さん、見て見て!」
 と、鞄からひとつの包みを取り出した。
「じゃーん!彼からもらったの!ホワイトデーのお返しだってー!」
 きゃー!と彼女は飛び跳ねてはしゃいでいる。きっとはしゃぎまわりたいのを我慢しながらここまで走ってきたのだろう。それがここにきて押さえきれずに噴き出しているようだ。
「……ああ、もしかしてあの時の本命の彼か」
 つぶやくと、彼女は大きくうなずいた。
「うん!」
「そうか、渡せたんだな」
「うん!」
「そうか、よかったな」
「川辺さんのおかげよ。ありがとう」
 ひとしきり飛び跳ねて落ち着いてきたのか、彼女はそう言っておれの隣に腰をおろした。
「いや、おれは何もしてないよ」
 おれはただそう言って、視線を遠くへそらした。
 全力で喜ぶ彼女がまぶしかった。こうして全力で喜べる彼女を、少しうらやましく思った。

   ◇

「そんなことないわ」
 あたしは首をふった。そんな、何もしてないだなんて。川辺さんが背中を押してくれたから、一歩踏み出すことができたのに。
 結局一日遅れで渡したチョコレートを、彼はちょっと驚きつつも笑顔で受け取ってくれた。そしてこのお返しも、洒落たことにわざと一日遅れで渡してくれたりした。
 もっとも、だからどうこうということはなく、結局はまだ友達でしかないのかもしれない。それでもやっぱり少しは近付けたような気がして嬉しかった。思わず飛び跳ねてしまうくらい。
「あのね」
 あたしは抱えた包みを少し掲げた。
「実はさっきちょっと覗いてみたら、これお菓子だったの。だからお礼といっちゃなんだけど、川辺さんにもおすそわけしようと思って」
「え?そういうわけにはいかないよ」
 川辺さんは驚いたような困ったような顔であたしを見た。いいのいいの、とあたしは丁寧に包みを開いた。クッキーの詰め合わせだ。このお菓子屋さんの美味しいんだよね。嬉しいなあ。
「どれにする?あ、一枚だけね」
 言いながら差し出すと、川辺さんは少し笑った。



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