傷付けばいい


 がらりとドアの開く音に、桐島は顔を上げてそちらを振り向いた。
「あ、」
 窓辺に腰掛けてぼんやりとしていた桐島の姿に驚いた様子の佐倉の姿があった。
「……おはよう」
 佐倉は気まずそうに挨拶した。桐島は黙って視線をそらし、また窓の外を見た。
 休みに入った今、彼らは午前中からこうして部活に来ていた。特に今朝は、桐島は朝早くからここに来て、だが何もせずぼうっとしていた。
 まだ他には来ていないのか、と佐倉はつぶやいた。いや、もしかしたら桐島への問い掛けなのかも知れなかったが桐島はそれを無視した。
 桐島の、佐倉へのそんな態度はもうずいぶん前からだった。他のクラスメイトや後輩たちなどへの態度は変わらない。ただ、佐倉に対してだけは、まるでその存在が見えていないかのように振る舞っていたのだった。
 何が原因なのか、佐倉には何一つ心当たりはなかった。桐島は何かひどく苛立ち、腹を立てているように見えたが、何をそんなに怒っているのか全く見当がつかなかった。だから佐倉は悲しかった。一番の友人だと思っていたのに。
 一方の桐島本人も、なぜと尋ねられてもはっきりとした答えを出すことはできずにいた。ただ、佐倉の姿を見るとイライラした。後ろめたいことなどないだろうに、申し訳なさそうにしているように見えて余計腹が立った。その繰り返しで、いつの間にか顔も見たくないほどになってしまっていた。
 どうしてこんなにも苛立つのか。桐島は今朝もずっとそのことを考えていた。そしてひとつのきっかけとなる出来事があったことに気付いたのだ。
「佐倉」
 窓の外を見たまま、桐島は声をかけた。
「え?」
 佐倉は驚いて桐島を振り返った。桐島は佐倉に背を向けたまま、
「君は立花とつきあっていたのか」
 それは休みに入る前あたりから流れていた噂だった。同じクラスで同じ部活の立花遙。彼女と、佐倉と、自分と、よく三人でつるんでいた。楽しかった。居心地がよかった。ずっとそんな時間が続いていくものと勝手に信じていた。
 男二人に女一人。ならばいつかは有り得る展開だろうことぐらい、少し考えれば分かるはずなのに。
 裏切られたような気がして、けれども暖かく見守ってやろうと思って、だがどうしてもそれが出来ない自分に気付いた。
 自分の内でずっともやもやと渦巻き続けるものがある。それは黒いものだ。吐き気がするほど、胸を締め付けるものだ。
「僕は」
 何も言わない佐倉に桐島は続けた。
「立花に告白しようと思う」
 考え続けて、気が付いたのだ。結局はそういうことだったのではないかと。
 そうすれば、この胸に渦巻き続けるもやもやにも、けりがつけられるのではないかと。
 桐島はちらりと振り返った。言葉を失っている様子の佐倉に気付き、自分が笑みを浮かべるのが分かった。
 傷付けばいい、佐倉。
 居心地のよかった、三人の関係。そんなもの壊れてしまえばよかった。いや違う。きっともう、とっくに壊れてしまっているのだ。



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