走りたい


「あー、久し振りに走りてーなー」
 床に座って体を前に曲げながら桂木さんが言った。軽々と爪先に手が届くその様子に俺は少し驚いた。
「体柔らかいですね」
「そう?」
「俺たぶんそんなに曲がりません」
「へー。りょーちゃん固いんだ?どれ、やってみてよ」
「はあ」
 俺は立った状態から体を前に曲げてみた。どうにかこうにか指先が床につくかつかないかといったところだ。
「ほんとだー。固いねえ」
 俺は体を起こした。俺はこれで精一杯なんだから確かに固い。
「ところで走りたいってなんですか。マラソンですか」
「うん。ていうかジョギング」
 桂木さんは今度は手を上に伸ばして体を横に曲げている。
「たまにさ、なんかうずうずしてくるんだよねー。やたらテンションが上がるていうか」
「へえ。なんだか意外ですね」
「そう?」
「だっていつも引きこもってるじゃないですか」
「引きこもりって言うなよー」
 ちょっと俺をにらむとひょいと桂木さんは立ち上がった。
「まさか今からちょっと走ってくるとか言わないですよね」
「どうしようかなー。最近走ってないからなあ。いきなり走るとあちこち痛くなりそう」
「だったら走る代わりに部屋の片付けでもしませんか?」
「えー。なんでそうなるんだよ。やだよ」
 桂木さんはぶーと頬をふくらませた。



戻る
- ナノ -