裏切らないで


「仲良さげだっんだよ、桂木さんとあの人」
 ぼんやりと窓の外を眺めたまま、吉岡さんがぽつりと言った。あの人、というのは俺の前任者――スパイだった、倉沢さんのことだ。
「いいコンビだった、少なくとも僕にはそう見えたなあ。ほら、桂木さんてあんなじゃない?それをあの人がいつも面倒みてる感じで」
 俺も桂木さんとのあれこれを思い返してみた。確かにあの人の相手というか世話は大変だ。きっと倉沢さんも大変だったろうなと思う。
「桂木さん絶対あの人のことすごく気に入ってたはずなんだ。だからとてもショックだったと思うな」
 裏切られて。
「…………」
 実際、彼がいなくなった後、しばらくの間、桂木さんはひどく落ち込んでいたらしい。
「だから今君がやたらスパイ扱いされちゃってるのはそんなことが原因だと思うよ?たとえ根拠はなくてもはじめから疑ってかかっていれば、もし万が一そうだったとしても傷つかなくてすむっていうか」
 そういえば初日から桂木さんは俺をは疑ってかかっていた。そうなのだろうか。桂木さんが俺を疑ってかかっているのは、単にそういうことなのだろうか。
「だから、これは僕が勝手に思ってるだけなんだけど」
 ふと、吉岡さんが俺を見た。
「君は、裏切らないでやってほしいな。桂木さんのこと」
 笑顔で、でも真剣に、俺に言った。
「…………」
 裏切らないで、だなんて。
 俺は何も言えなかった。うなずくべきなのに、それすらできずにいた。



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