覚悟


「おはようございます」
 研究室に入ると、桂木さんは眩しそうに窓の外を見ていた。移転に伴ってこっちが東向きになったらしく、朝の光が眩しく差し込んできている。窓の外の景色はやっぱり海だ。島、と吉岡さんは言っていたけれども、いったいどんなところなんだろう。
「あ、おはよー」
 桂木さんは振り向いた。逆光ではっきりとは見えないが明らかに満面の笑顔だ。
「…………」
「…………」
「……なんですか」
「……あれ?」
 桂木さんがじーっと見つめてくるもんだからついつい見つめ合ってしまった。いつもとたいして変わらない俺の様子に桂木さんは首をかしげる。
「何か気付かない?ほら」
「何にですか」
「あれ?」
 桂木さんは俺と窓の外をきょろきょろと見比べている。俺はとうとう吹き出した。
「何やってるんですか。移転のことでしょう?聞きましたよ吉岡さんから」
「えー」
 すると桂木さんはあからさまにがっかりした顔になった。
「なんだよもー、吉岡くんめー」
「さすがに朝起きた時は驚きましたよ。なんで黙ってたんですか」
「そりゃー、りょーちゃんを驚かそうと思って」
 ぶー、とふくれて桂木さんは言った。予想通りの答えがますます可笑しかった。
「なんか島に移転したって聞きましたけど」
「うん、そうだよ。ちっちゃな島のねー、しかも断崖絶壁の上。かっこいいでしょ、俺のリクエストなんだよ」
「はあ、なるほど」
 それでどこから外を見ても海なのか、と外を眺めて妙に納得する。断崖絶壁のどのへんがかっこいいのか俺にはいまいち分からないが。
「騒ぎになってませんか?いきなりこんな建物が出現して」
「大丈夫大丈夫。ついでに結界も強化してあるから外から見えないどころか出入りも簡単じゃなくなってるよ」
「出入りって……」
 ああそうですかと思いつつもふとその言葉が引っ掛かった。
「ひょっとして出る方もままならないんですか?」
「うん」
「そんな」
 まさかと思いつつ訊くと桂木さんはあっさりとうなずいた。出られないって、そんな。
「じゃあどうやって帰ればいいんですか」
 思わず俺は呟いていた。冗談ではない。これではまるで軟禁状態だ。
「りょーちゃん帰るつもりだったの?どこに?」
 すると桂木さんはそんな俺の言葉を耳ざとく聞きつけて、なぜかにやりと笑った。
「どこって……実家ですよ。みなさん帰らないんですか?たとえば年末とか」
 内心しまったと思う。けれども変に否定するわけにもいかずそんなふうに答えてみる。桂木さんは笑顔のまま、
「帰らないよ。ていうかもう俺なんかにとってはここが家みたいなもんかな」
「そうなんですか」
「たぶんみんなそうだと思うよ。みんな全てを捨ててこっちに来てるんだもの。りょーちゃんはだめだねえ、覚悟が足りないよ覚悟が」
「すみません」
 俺はとりあえず謝っておいた。



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