先を思うと


 コンコン。
「はい、どうぞー」
 研究所、隠された所長室。ノックの音に所長の夢積は声をかけながらドアの方を振り返った。
「失礼します」
「おや」
 ドアを開けて入ってきた姿は確かに彼の見知ったものだった。
「桂木君だったんですか」
 けれどもその様子はいつもとずいぶん違っていた。ノックの音にも、ドアの開け方にもいつもの元気さがない。うつむき加減に入って来て、夢積の目の前に立った。
「ずいぶん静かですねえ。どうしたんですか?」
「ねえせんせー」
「はい」
 なんでしょう、と夢積は首をかしげた。その様子に桂木はやっと少し笑みをみせた。
「せんせーはさ……」
「まあ、とりあえず座りませんか?」
 夢積はそう椅子をすすめた。ここは彼の個室だが、時々入り浸る桂木や桐島のために椅子と机がもう一つづつ置いてあるのだった。
「うん」
 桂木はうなずいて椅子に腰掛けると、また夢積と向かい合うように移動させた。
「で、なんですって?」
「うん……」
 そしてやはりうつむいたまま、
「なんていうか、うまく言えないんだけど」
 呟いて、黙りこんだ。言葉を探すように。
「もう、ここできてさ、十年以上になるよね」
 やがて、桂木はそう言って夢積を見た。
「そうですね。本当に時のたつのはあっという間です」
 夢積はいつものように穏やかな調子でうなずいた。桂木は少し驚いたように目を丸くする。
「せんせーでもそう思うの?」
「ええ、もちろんですよ」
 彼らが出会い、この研究所ができてから、すでに十年以上が過ぎていた。彼らは確かに大きな野望を持って動いていたが、ここでの日々はそういったこととは大きくかけ離れた、いっそ穏やかとも呼べるものだった。あせらずにゆっくりやればいい、時間ならいくらでもあるのだから。それが夢積の方針だった。けれど。
「ねえせんせー」
 それでも、時折ふと不安になることがあった。
「はい」
「俺、いつまでここにいられるかな。いつまで、せんせーの役に立てるかな」
「何を言っているんですか」
「だって」
「まだまだ時間はありますよ。もちろん、あなたにだって」
「別にせんせーのやり方に疑問があるわけじゃないよ、ただ」
「ただ?」
「……いや、なんでもない」
 ただ、それでもいつか自分は彼を置いていってしまわなければならないのだ。いや、今だってもうすでに自分は彼を追い越してしまっているというのに。
「ごめんねせんせー」
「なにがですか」
「変なこと言って」
「いいですよ、べつに」
 穏やかに笑う夢積に桂木も笑みを返した。
 出会ったころと全く変わらないその姿に、この先自分とこの人との差は広がっていく一方なのだと、あらためて思った。



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