潜入


 大事な話がありますと、ぼくは倉沢くんに突然呼び出された。
「例の研究所が所員の募集をするそうです」
 ぼくらはファミレスで向かい合わせに座り、倉沢くんは紙をテーブルの上に広げながらそう切り出した。覗き込むとそれは簡単な張り紙のようだった。白い紙に黒い文字だけのシンプルというか殺風景なものだ。四つ折にされていたらしき線が入っている。内容は倉沢くんの言ったとおりだ。あの研究所が所員の募集をするらしい。
「どうしたの、これ」
「先日、見るからにうさん臭い女の人から渡されました。決して損な話ではないから見てみろと」
「ふーん……」
 ぼくは張り紙を手に取るともう一度読み返した。紙は綺麗だ。その辺に貼られていたものを剥がしてきたのではなく、貼る前のものを一枚取ってきたかのようだ。
「これ、本当かなあ」
「さあ。けれども行ってみる価値はあるかと思います」
 ぼくは驚いて顔を上げた。
「倉沢くん、行く気なの?」
「ええ」
 倉沢くんはこともなげにうなずいた。
「研究所に潜り込むならまたとない機会だと思われますが。恐らくあのうさん臭い女の人も、それを我々に伝えるつもりでこれを私に渡したのでしょうし。私なら一見あなたがたとは無関係ですから、向こうもまさかつながってるとは思わないでしょう」
 本気で言ってるんだろうか。ぼくはまじまじと倉沢くんを見た。
「けどさ、これを渡した人はそれを知ってたってことだよね」
「そうですね」
「これ、その辺に貼られてたものでもないみたいだけど……、こういうのって普通研究所の関係者じゃないと手に入んないものなんじゃない?」
「そうでしょうね」
「あのさあ倉沢くん、これって」
 さっきから平然としている倉沢くんの様子が不思議だった。これまでの話の流れから考えられる可能性、それに倉沢くんは気付いているのだろうか。
「罠、なんじゃないの?」
 倉沢くんがぼくらの仲間だってことなんか向こうにはとっくにバレバレで、これは倉沢くんをおびき寄せる罠なのではないだろうか。
「そうかもしれませんね」
 けれども倉沢くんはやっぱり平然とそう言った。
「私もその可能性は考えました。けれども、そうじゃないかもしれない。もしかしたら研究所内部にも、研究所の崩壊を望む者がいるのかもしれない。どちらにしても私は、こうして目の前に差し出されたチャンスをみすみす逃したくはありません」
「そっか……」
 ぼくは溜め息をついた。分かっていてそれでもと言うのならもうぼくには何も言えなかった。それに、ぼく自身にも確かにこれはチャンスなのかもしれないという思いがあった。
「分かった。でも充分に気をつけてね」
「大丈夫です」
「もしかしたら例の女の人、倉沢くんのストーカーなのかもしれないし」
「何を言ってるんですか」
 何か食べませんかと倉沢くんはメニューをぼくに差し出した。ぼくはメニューを広げながら、曖昧にちょっと笑った。
「ああそうだ、ちょっともう一つ確認しておきたいんだけど」
「なんですか?」
「倉沢くんにこれ渡した人、本当に女の人だった?」
「ええ。私にはそう見えましたけど……何かひっかかるんですか?」
「うん。確か、今のところ研究所には女性はいないはずなんだ」
「そうですか……。そう言われてみれば、女性にしては背が高いようにも見えた気がしますし、女性じゃなくて女装だったんでしょうか」
「もしかしたらすでに増員してるのかもしれないけどね。誰だったか分かったら教えてね」
「そうですね。分かりました、気をつけておきます」



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