川辺さんの朝顔
「何してるの?」
声をかけると、川辺さんは少しびくっとしてこちらを振り向いた。
「ああ、きみか」
声をかけたのがあたしだと分かると、少しほっとしたように微笑んだ。
帰り道、いつものように川辺さんのいる川沿いの遊歩道に行くと、川辺さんはいつものベンチじゃなく少し川の方に下りた土手のところにいて、あたりに何かをばらまいていた。
「土手にゴミ捨てちゃだめだよ」
「ゴミなんか捨ててないよ」
「隠れてコソコソ悪さしてるとこ見つかっちゃったみたいな顔してたくせに」
「……参ったな」
「じゃあ何してたの?」
あたしも土手に下りていった。あたしが近付くと川辺さんは手の中のそれを見せてくれた。
「これだよ」
「何それ」
「種」
言って、また川辺さんはそれをあたりにばらまいた。
「よかったら少しあげよう。ほら、手をだしてごらん」
何となく言われたとおりに広げたあたしの手のひらに、川辺さんは持っていた封筒の中身をざらざらとこぼした。さっきちらりとだけ見た時にはよく分からなかったけれど、あらためて見るとそのちょっと独特な形はあたしも知っているものだった。
「朝顔?」
「ああ」
「え?こんな所にてきとうにばらまいちゃって大丈夫なの?ちゃんと植木鉢とかにまいた方がいいんじゃない?」
あたしは小学生のとき学校で朝顔を育てたのを思い出しながら言った。確か朝顔といえば、植木鉢に種をまいて、毎日水をやって、つるが伸びてきたら棒を立ててと、ちゃんと世話をしなければいけないような気がするんだけど。
「大丈夫だよ。朝顔は結構しぶといんだ」
ところが川辺さんは簡単にそう言って笑って、残りの種も一気にばらまいてしまった。小さな種が弧を描いて散らばる様が夕暮れの逆光で何だかやたら綺麗に見えた。
「この辺りずっと蒔いたからな。花が咲いたらすごいぞ、きっと」
遠くを見やる川辺さんは何だか楽しそうだった。このあたりずっと、ていったいどのくらいばらまいたんだろう。
「じゃあ、花が咲くころになったら、朝にも来てみようかな」
「ああ、そうするといい」
「うん」
余裕を持って早く起きれば朝だって寄り道できるはずだった。なんだかあたしまでちょっとわくわくしてきた。
あたしは川辺さんにもらった朝顔の種をポケットに入れた。これはちゃんと持って帰って、家でも育ててみようと思った。
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