石田ちゃん


「あ、石田ちゃんだ!」
「石田ちゃんおはよう!」
 朝、職員室に向かう廊下を歩いていると、後ろからばたばたと走ってきた男子生徒たちが追い抜きざま私の背中を叩いて挨拶してくる。
「ちょっと」
 石田ちゃんじゃなくて石田先生でしょ、とか、廊下を走るんじゃないの、とか言おうとした時には、すでに彼らの姿は遠くなってしまっていた。
 やれやれ。
 まあ元気なのはいいことなのかな。そんなことを思いながら私は職員室のドアをがらがらと開けた。
「おはようございます」
 私はこの春から教師としてここでお世話になっている。まだまだ新人だ。生徒たちから石田ちゃん呼ばわりされるのも仕方ないのかもしれない。
「おはよー石田ちゃん」
 自分の席についたところでまたそんなふうに挨拶された。私は向かい側の机を見やった。声の主はやはりどことなく眠そうに、けれども笑顔でこちらを見ている。
「波多野先生。おはようございます」
 そういえば最初に石田ちゃんて呼び始めたのは確かこの人だったような気がする。この人が石田ちゃん石田ちゃん言うからそれが生徒たちにも伝染したというか。
「あの」
 私は仕切りのように立ててある本立ての隙間から波多野先生を見た。
「ん?」
 彼も同じようにこちらを見て小首をかしげている。
「……いえ、なんでもないです」
 石田ちゃんて呼ぶのやめてくれませんか?
 そんなようなことを言おうと思ったのに、結局言い出せなかった。そのままストレートに言うのもどうだろうと思うけれども、だからといってうまい言い方も見つからない。
「眠そうですね」
「うん。最近どうも寝坊続きでねー」
 いや。そうではなくて本当は、この人からなら石田ちゃんて呼ばれるのも悪くないかもしれないと、心のどこかで思っているのかもしれない。



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