メモ
◇中央のド(そこ物)

 グランドピアノの、ちょうど鍵穴の上にあるのが、中央のド。
 楽譜では丸を横切るように一本線の入った形であらわすことができる。いわゆる音符といわれたときに思い浮かべられることも多いだろう形だ。
 私は人差し指をのばしてその鍵盤を押した。ボーン、と、ドーナツのドでお馴染みの音がした。
 本当は人差し指で押すもんじゃないんだよな、と思い直して、私は中央のドの上に親指を置き直した。そこから人差し指、中指、薬指、小指の順でレ、ミ、ファ、ソ。さらに左手は一オクターブ下のドの上に小指、そこから薬指、中指、人差し指、親指でレ、ミ、ファ、ソ。
 ピアノを始めて最初のころに習う、基本の指の置き方だ。
 指を置いてはみたものの、音楽を奏でることはできなかった。楽譜を見なくても弾けるような曲なんて私にはなかったし、たとえ楽譜があったところで弾くことなどできやしないだろう。
「遙、ピアノやってたの?」
 ふと顔を上げると、ちょうどグランドピアノのへこんだカーブのところに桐島くんがもたれかかっていて、私を見ていた。
「大昔、ちょっとだけね」
 私は少し笑ってピアノから指を下ろした。
「でも練習が嫌いですぐやめちゃった。だから全然何もできないの」
 私にできることといったらせいぜいこうして指を置くことと少し楽譜を読むことぐらいだ。そしてその程度なら、
「私よりちゃんと音楽の授業を受けてる桐島くんの方がよっぽどできると思うわ」
「僕だって何もできないよ」
 桐島くんは困ったように笑った。それはちょっと勿体ないなと思った。もし彼がピアノを弾いたら、きっと素敵だろうにと思う。そういえば昔、小学生かそこらのころ、クラスでもそんなに目立たないようなタイプの男子が実はピアノを習っていて、合唱か何かの時にその腕を披露したときはそれは驚いたし、確かに格好いいと思った、そんなことを思い出した。
「それって佐倉の話?」
「違うわ」
 いつだって佐倉のことばかりな桐島くんに私は苦笑いしてかぶりを振りながらふと疑問に思った。今私は小学生の時のことを声に出して話していただろうか。
 そういえば、と考えてみればおかしいことは他にもあった。グランドピアノと黒板と机と椅子があるこの部屋は音楽室のようだが、これは中学校の音楽室じゃないだろうか。それならどうしてここに、高校の同級生であるはずの桐島くんがいるのだろう?
 そもそも、私はいつから、どうしてここにいたのだろう?
「ねえ桐島くん、弾いてみてよ」
 私は目を閉じた。すると急に何もかもがとろけて消え去ってしまったような気がした。
「ここに来てこうして指を置いてみるだけでもいいわ」
 そうだ、桐島くんなんてここにはいない。ここは音楽室でもない。どこでもない、何もない、ただ私と私のぼんやりとした記憶ばかりが絡み合ってゆらゆらと漂っているだけなのだ。


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一応ちゃんとした(?)話なのですが、ちょっとどこに置いたらいいのか分からない感じなのでここに持ってきました(汗)。ピアノとかに関するあれこれについては何となくこんな感じだったなーていう曖昧な記憶をもとに書いておりますので、もし何か変なところがあってもそれはもう遙ちゃんの記憶違いだということで勘弁してやってください(酷)。
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