その男の子はニコニコと笑っていた。
人を惹き付けるような顔で、いつも、優しく、笑っていた。
誰にでも優しく笑いかけていて、あたしにも変わらず笑いかけてくれる、その子に一度だけ酷く起こられた事がある。
いつもとは違う悲しい顔で泣きながらあたしの頬を打ったその子の名前は、不破雷蔵と言う。
これって多分、運命の出会い。
静かに音を立てないように、扉を開けるとすぐに出迎えてくる笑顔。
初めはそれが凄く苦手だった。
いつもヘラヘラ笑って、馬鹿みたいだと思ってた。
持っていた本を渡して、返却処理をしてもらう。
話し掛けられる声には曖昧に返事をして、終わればすぐに図書室の奥に引っ込む。
そんなあたしの態度にも、その男の子は気を悪くするわけでもなく、ただ笑うのだった。
何だかどうしようもなく苛々した。
関口叶で初めて嫌いだと認識した人間だったと思う。
嫌だったんだ、凛を見ているようで。
とりあえず笑って、人とのいざこざを回避しようとしていた凛と同じみたいで嫌だった。
弱い自分を守るのに必死だった、凛と同じ。
凛が嫌で、叶で居る事を選んだあたしには、酷く目障りだった。
図書室に行くたびに、同じことを繰り返す者だから、苛々とした感情は募り、ついに爆発した。
あたしじゃなくて、不破雷蔵の。
「いい加減にして!!」
それは、長屋の廊下を歩いていて、声をかけられたときの事だった。
両手に本を抱えた不破に声をかけられたあたしが、いつもと同じく曖昧に頷けば、不破の顔がクシャリと歪んで、持っていた本をぶつけられた。
鼻にぶつかってジンジン痛む其処を押さえながら、不破を見れば、目に一杯に涙をためて此方を睨んでいて、嗚呼、不破も終にあたしが嫌になったのか、と思いつつ床に散らばった本を拾い集めた。
「関口は酷いよ。」
ぼたぼたと涙を零しながらも、不破は、本を拾い始めた。
あたしはどうすればいいのかなんて分からずに、ただ黙々と本を拾いつづけた。
「僕の事が嫌いだっていうのは仕方ないよ。けど、僕は君に嫌われるような事をした覚えは無い。理由も無く嫌われて、避けられるのは不愉快だ。僕だって、何度も何度も無視されつづけたら、傷つく。」
制服で顔を拭って不破は強くあたしを射抜いた。
そんな目で睨まれたら心が揺らぐ。
「君は、悪くない。ただ、人と重ねて勝手に嫌になっただけ。凛に似てるんだ。」
もごもごとはっきりしない声で言えば、唇を噛み締めた不破に殴られた。
手のひらで頬を思いっきり。
痛いか痛くないかといえば、痛くない部類に入るんだけど、不破に殴られたと言う事実が何だか痛かった。
「きちんと今目の前にいる僕を見ろよ!!僕は凛っていう子じゃない、不破雷蔵だ!!」
不破雷蔵は、そうしたたかな強さをあたしに見せた。
凛とは全然違う。
自分の弱さを隠すために必死だった凛とは程遠い。
彼はしっかりと自分の足で立っていて、だからこそ、周りに気を配る余裕があるんだ。
凛とは違う、強い男の子。
「ごめん、不破。」
「分かってくれたのなら良いよ。ねぇ、僕と友達になってくれる?ずっと君と話をしたかったんだ。」
「・・・俺で、良いのなら。」
「君じゃないと嫌だよ、叶。」
さっきまで泣いていた事なんて忘れたのか、またいつものように、彼は優しく笑っていた。
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