必要最低限の会話しか交わさず舗装された道を並んで歩く男女がいた。前方からやってくる帽子を被って銃を担いだアイヌの大男と、同じく銃を担いだ洋装の女という組み合わせに見覚えのあった杉元は迷いなく大声をだして呼び止めた。

「鳥立さん!」

呼び声に気づいた伊代里は杉元さん。と満面の笑みを振り撒きながら駆け寄った。杉元の横には相棒であるアイヌの少女、アシリパに白石、そして尾形がいた。
尾形とヴァシリを省いた杉元達は息災か、調子はどうかと和気藹々に偶然の再会を果たし、アシリパの腹が特大に鳴ったところで会話を中断すると昼食を済ませに飯屋の暖簾をくぐった。

座敷に座り、光沢を放つ長四角の机に置かれた海鮮丼を頬張りながら積もる話の最中に、違和感を覚えた白石がおずおずと指摘した。

「あのさ…俺の気のせいかも知んないけど、二人共…なんかあった…?」

正面からの八つの目が一斉に伊代里とヴァシリを襲う。それに伊代里は刺身を飲み込みやや間を空け瞳を揺らした。

「……色々あって…」
「何があったんだ?」

アシリパは海老を箸で掴んだまま尋ねた。意を決して伊代里はアイヌの老人から肉を貰って食べたことを説明した。無論、ヴァシリから口吸いされたことを省いてである。

「それはラッコの肉だ。ラッコの煮える匂いは欲情を刺激する。二人を夫婦だと勘違いしたんだろうな」
「あ、あの、鳥立さん大丈夫だった?相撲した?」
「えっ?相撲?相撲はしてないけど…」

ヴァシリを省く男達は酷く動揺し、裏返る声で伊代里の身を心配した。先程から口を噤んで会話に参加していなかった尾形が痺れを切らせたのか前髪を撫で付けながら一石を投じる。

「お前らがさっきからずっとおかしいのはラッコ鍋を食って一線越えたからか?」

空気が凍った。息遣いすら空気を揺らさない空間を杉元は打開するため先陣を切って挑んだ。壁際に座っている尾形に怒鳴ったのだ。

「オイ尾形!てめぇなに言ってやがる!鳥立さんに限ってそんなことあるわけねぇだろ!」
「そ、そうだぜ尾形ちゃん。鳥立ちゃんがそんなことするわけねぇって」
「じゃあなんでこいつらは様子がおかしいんだ?何かしらあったとしか思えねぇだろ」
「ウコチャ…」
「アシリパさんだめぇ!」

杉元は隣に座るアシリパの口を押さえその先を封じる。杉元達はチラッと目玉だけを動かし伊代里とヴァシリに答えを促した。ヴァシリは会話はあまり聞き取れなかったが、話題がなんであるか、何を問うているのかは察せたのではっきりと事実を述べた。

「Поцелуйした」
「え?」

ロシア語だったので理解できなかった杉元と白石、アシリパは腑抜けた一文字を発音する。

「伊代里とПоцелуйした」
「ははぁ、同衾し―――」
「口吸いしました」

またもや石化する空間を叩き壊したのは杉元であった。すぐさま同意の上での行為だったのか伊代里に鳥の羽で肌を優しく撫でるように尋ねた。だが伊代里は俯いてしまいそれきり返事が返ってくることはなかった。

複数の青筋の亀裂を走らせ、なんの前兆もなく杉元はヴァシリの胸倉を掴み激しい音を鳴らして自分の方へ引き寄せる。血管が浮き彫りになった手の甲が本気を表していた。身を乗り出した杉元の海鮮丼はアシリパが支えて転げなかったが、机の縁に腹をぶつけたヴァシリの海鮮丼は転げた。まだ残っていた刺身や白米が机の上に雪崩を起こした。

「覚悟はできてんだろうな露助野郎」

不死身と謳われた彼がそこにいた。眼光鋭く凄む杉元に微動だにせず仏頂面を貼り付けたままのヴァシリを掴む腕を伊代里は剥がそうと慌てて太い手首に縋る。

「待って杉元さん!私はなんとも思ってないからヴァシリを離して」
「同意の上じゃなかったって事は、こいつは鳥立さんに無理矢理口吸いしたんだろ。またするかも知れない」
「落ち着け杉元!」
「アシリパさん、俺達はこいつを送り出す時鳥立さんを傷つけるなと約束をした。それを破ったんだ」

二人が旅に出る間際まで力添えをしたのは他ならぬ杉元達だった。身に纏っているヴァシリの樹皮衣はアシリパを経由して用意した物である。殺意を全身から滲ませる杉元に、ヴァシリも顔つきが変わる。獲物を狩る際の表情だ。

「鳥立さんが傷ついてないって思ってても、やっちゃいけないことをこいつはした。だから一発殴る」
「…つ、つうかさぁ!二人ってまだ恋仲じゃなかったの?てっきりそうなのかと」
「恋仲っつうより、過剰に子供を守る親に見えるがな」

軽く馬鹿にしたような溜息をついた後、光の刺さない井戸の底のような目で伊代里を誘惑する。この冷酷な男が伊代里に歪な感情を抱いたまま関係を維持させているのを尾形は知っていたのである。よく離れていかないものだと感心させられる。それとも離れないのではなく洗脳されているのか。定かではないが巣立ちは必ずやってくる。

「いつか巣立たなきゃならなくなる。その時は俺が手を貸してやろうか?」

口の両端を吊り上げ不気味に笑う。親に大人しく従順なままの子供で終われるわけがないのだ。

「Не говори ненужных вещей(余計なことを言うな)」

よく理解はできないにせよ伊代里を誑かしていると悟ったヴァシリが標的を杉元から尾形へと変えた。それに顎を上げ、上から目線で挑発する。

「鳥立…てめぇ、こいつに洗脳されてんのか?まだお前は俺がいないと生きていけねぇなんて言われてんじゃないだろうな?」
「…それは…でも、実際に私はヴァシリがいないと死んでしまうから」
「そいつの隣にいる方がよっぽど死に近いと思うぞ?」
「そんなことありません。前も熊からヴァシリに助けて貰いました。その前も、何度も…」

重症だと、よくここまで離れぬよう手懐けたと心底から感心し直すと同時にヴァシリから伊代里を巣立たせたならばどうなるのであろうか興味が湧き始めた。
雲行きが怪しくなる会話に白石は戯け、明るくなるように舵をとる。

「二人共さ、恋仲になっちまえよ。案外お似合いだと思うぜ?」

茶目っ気たっぷりに片目を閉じて両手人差し指を二人に刺す。恋仲の意味がわからなかったヴァシリは胸ぐらを掴んだままの杉元を振り払い伊代里に説明を求めた。そして照れ臭そうに意味を説明した伊代里の言葉を噛み砕いたヴァシリは宣言する。

「こいなか?になる」
「…え?」
「こいなかになる」

己に従順な男が下した判決であるからこれは決定事項なのだ。それに幾度も命を救って貰っている。だから伊代里は頷いた。
急な展開に置いてけぼりにされる四人を放って了承を得たヴァシリは転がりっぱなしの海鮮丼を起こし、溢れた中身を丼に戻し食事を再開したのだった。

置いてけぼり食らわせちゃった



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