良い時代になったもんだと会社の休憩時間に尾形はスマートフォンの画面を親指で右へスクロールする。代わる代わる画面に映し出される写真は、幼い愛娘が生え揃った乳歯を覗かせてレンズに手を伸ばしている姿から両頬を膨らませおやつを噛んでいる姿、公園で鳩を興味深々に立ち竦み見つめている姿など様々であった。

食堂で昼飯を食べ終わった直後にその場で愛娘の写真を眺めるのは日課であり杉元や白石、キロランケ、鯉登に月島おまけに谷垣に茶化されるのもまた普段通りである。
金塊争奪戦の渦で戦った明治時代から現代へと全ての記憶を引き継いで転生した尾形は、今度は間違えない。今世では祝福された道があったのか云々なんぞより、可愛い名前が親を殺しかけることの無いように、寂しい思いをさせぬように目一杯可愛がってやろう。
そう人知れず固く決意した尾形は隠れ親馬鹿と会社で名が知られている。

「尾形ちゃんまた名前ちゃんの写真見てんの?」
「うるせぇ」

尾形同様に転生した白石が横から首を伸ばし画面を覗き込んできた。これまた尾形と同じく、皆記憶を引き継いでいる。ひとときの至福の時間を邪魔する白石を手で蝿を追い払うようにしっしっとあしらう。机を挟んで座ったキロランケがうどんを啜るのを一旦止めた。

「そういやお前、休日出勤だが名前ちゃん一人で留守番してんのか?」
「…弟に預けた」

写真から視線を逸らさず尾形は返答した。小さく篭った声は不服さがありありと伺えた。娘と家でゆっくりできるはずであったというのに、枕元に置いていた携帯による電子音の襲来によってそれを完膚なきまで粉々に壊された尾形の虫の居所は最高に悪かった。

「そうか、なら良かった。一人で留守番するのはまだ心細いだろうしよ…しかし災難だったなぁ。谷垣の代わりに出勤とは」
「谷垣は許さん。風邪なんざひきやがって」

じわじわかかる握力にスマートフォンがか細い悲鳴をあげる。
寝転んだまま電話に対応する父親の声に腕枕をされていた名前は眠りから覚めてしまった。耳をすませて内容を聞いていたらしく、電話が済んだと同時に横向きになり、お父さんお仕事行くの? と尾形のスウェットを握りしめた。
それに電話を済ませた尾形はすべすべの、柔らかくふっくらした林檎色の頬を親指で撫でながら謝り、弟に急いで連絡を取ると後ろ髪を引かれる思いで会社に出勤した。これが今朝一連の出来事である。

「尾形ちゃんすっかり親馬鹿ね」
「前からずっとこうだろこいつは」

下瞼をしならせニヤける白石を挟んで隣に座る杉元は定食を食べ終え茶々を入れた。キロランケの隣、杉元の対面に座る月島も乗った。

「前は娘が可愛いことに気づくのが遅かったが今世は違うからな」
「記憶引き継いで良かったな」
「杉元に同じく」
「キロちゃんと同じ意見」
「てめぇら言いたい放題言いやがって」

スマートフォンに映る娘から目を離して文句を垂れた。今度は動画を見ていたようだ。一時停止ボタンを押して杉元に食ってかかる。

「杉元、お前は名前に合わせてやらねぇ」
「はぁ?!なんでだふざけんなクソ尾形」
「あー杉元が行くと尾形そっちのけだもんな」
「そうなのかキロランケ」
「そうそう。前から特に杉元には懐いてるんだよな」
「それが気に食わないと…」

月島の哀れんだ表情を受け止めた尾形は一刻も早く帰宅して娘を抱き上げたい気持ちで溢れ返ったのだった。

■■■

定時で帰宅することに成功した尾形は家の窓からカーテン越しに白い明かりが漏れてるのを車から確認した。カーテンは蛍の光のように輝き、それはあの部屋に名前がいるのだという目印になった。逸る気持ちを抑えつけ底に沈める。ここで事故を起こしては堪らない。
車を駐車し、冷たい玄関の取っ手を引いて扉を開ける。

「ただいま」
「お帰りなさい兄様!名前は良い子でお留守番なさっていました!今はテレビでポコモンを視聴してらっしゃいます。今回は話が大変面白いらしく大はしゃぎしておられます」

出迎えたのは名前でなく爽やかな満面の笑みの弟だったので少しテンションが下がった。弟の笑顔は後光を放っているのかと錯覚するが、今回は玄関の明かりを背負いより一層発光しているように思えた。特大の溜息をつきたいが今日一日娘の面倒を見て貰った貸しがあるので肺に押し戻した。

「ネズミの癖に名前を喜ばせるとはやるじゃねぇか」
「兄様、ネズミではありませんよ!あれはピ…」

踵を使って靴を脱ぎ、喋り続ける弟の横を通り過ぎ名前の元へ足音を立て早足で歩く。リビングに通じる扉を開けると立ったままテレビから目を離さない名前がいた。小さな背中に頼りない手足に比例して大きな頭に加護欲を刺激される。

「名前、父ちゃんが帰ったぞ」
「お父さん!」

漸く父親に反応し振り返った名前に屈んで腕を広げる。そうすると名前は兎のように尾形に飛びついた。すっぽりと腕に収まる娘の体温に思わず仏頂面が崩れた。仏頂面を崩したまま手触りの良い髪を撫でる。

「寂しかったか」
「おじちゃんいたから寂しくなかった!」
「そうか」

寂しいと答えたならば谷垣に仕事を倍にしてプレゼントするつもりであったがしなくていいようだ。玄関に放置した勇作が追いかけて来たので名前を抱き締めたまま勇作を見ることなく話の続きを再開した。

「兄様、あれはネズミではなくピカ」
「勇作さん。今日はありがとうございました。礼はまた後日しますからお帰りください」
「このスマートフォンに猫の着ぐるみパジャマを着てお昼寝をしている名前の写真があります」
「夕食を食べてから帰りますか?」
「はい!」

家から追い出されることを見越した勇作は姪に買って着せた猫の着ぐるみパジャマの写真を取引に兄と姪との夕食にありついた。勇作の笑顔は今日一番の幸せそうな笑みだったと勇作が帰った後に名前は尾形に語った。

(まぁ、こんな日があってもいいか)

祝福された道は自分にもあったのだと、食卓に着いた尾形は横に座った娘の頬を人差し指でつつきながら頬を緩め、勇作と似た幸せな笑みを浮かべたのであった。