時巡り | ナノ



たった一つ…色が加わっただけなのに

世界はこうも彩られる





「あれ…次、どこやったっけなぁ」
「テーブルの右側。山積みにした一番上ね」
「…流石ですねえユキは」
「呑気に笑ってないで出したらしまう!子供でも出来るからね!?」
「あはははは」
「人の話し聞きなさーいっ」

呆れたような叫び声が誰もいない図書館に木霊した
大学に入ってから数か月
どうせヒマなんだから図書館の本でも読み漁ろうかって…思い立ったのが一週間くらい前のことでしょうか
当時と変わらないねって、確か六花が笑っていたような気がします
…そのすぐ後ろで呆れ顔全開な捲簾が目を眇めていましたけど
本を読むのは私も好きだからって、図書館制覇をぼやいた時にたまたま傍にいたユキがね、笑ったんですよ

そこからです。二人で朝早くに大学にやってきては本を読み漁るようになったのは
文学が好きらしいユキは、それこそ多ジャンルなものに手を出している
ファンタジー、推理小説、神話、古典、時代劇
哲学や歴史といった一般的な書物は恐らくだいたいは読破しているでしょうね
初めはただ本当に本を読むだけだったんですけど…

「あ、そういえば」
「はい?」
「こないだ天蓬が勧めてくれたヤツ、けっこー面白かったよ」
「それはそれは…気に入ってもらえたようでなによりです」
「前から思ってたけど、天蓬って人間臭い話とか好きだよね」
「えぇ。なにぶん自分が変人なものでして」
「なんだ、自覚はあったんだ」
「貴女もたいがい失礼な人ですねぇ、だいぶあの二人に感化されてません?」
「あははっ、そこは否定できないかも」

太陽のように笑う人だと思った
静かにそこに在り続けるのではなく、まるで…見る者すべてを照らし出すような
己が持つ光を誰かに分け与える…与えて、生きる術を教えていくような
六花が持つ光とはまた違ったソレは
この僕を強く引き付けるのにそう時間はかからなかったんですよ
それこそ…あの日初めて彼女と出逢ったその瞬間から、ね

傍に居ることが出来なかった数十年間、ずっと六花の傍に寄り添い続けてくれた存在。

六花の傍に居て、脆く壊れそうなあの心をずっと守り続けてくれた人

…初めはね、正直そんな感情だったんです

「……最近になって」
「えー?なんか言ったー?」
「…いえね、最近になって僕も捲簾の気持ちが分かるようになったなぁと」
「はい?」
「僕もまだまだ人間だったということでしょうか」
「天蓬って時たま意味深発言連発するよね」
「それに律儀に応えてくれるのはどこの誰ですか」
「こーんなただっぴろい場所で返事が返ってこなかったら、ただの寂しい人でしょうが」
「ユキのお蔭です。」
「ハイハイどーも。それよりもさっさと片付け手伝いなさい」
「えぇー、まだ時間ありますよ?僕ら今日は2限からですし」
「そう言って前回遅刻ギリギリになったの忘れたのかな!?危うく私まで遅刻しそうになったわっ」
「ちゃんと間に合ったじゃないですか」
「あの時はたまたま!第一どーしたらこんなにも惨状を生み出せるのかソッチの方が不思議だ!」
「なにぶん僕のステータスらしいですから」
「六花も捲簾も甘やかし過ぎるっ!」
「だから僕は、これからユキは大変ですねって言ったじゃありませんか」
「それってこういう事だったの!?」

コロコロと変わるその表情を、見ていたとも思った

素直で、裏が無くて…まるで純粋そのもののような性格に、僕にはない何かを見つけたような気がして

欲深くも…傍に居たいなんて、想ってしまったんですよ

「ユキが手伝ってくれるからとっても助かります」
「…言っとくけど、私はお手伝いさんじゃないからね」
「はい。僕にとっても大切な友人です」
「はいはい、ありがとね。いいからさっさとお片付けする!」
「捲簾たち何時ごろ来ますかねぇ」
「てーんぽーっ!!」
「あははっ、分かってますよ」
「ほっとくとずっとそうやって椅子に座ってるつもりでしょ」
「いつも思いますけど、ユキって僕のことよく分かってますよね」
「こんだけほぼ毎日いれば嫌でも性格くらい分かります」
「あれ、嫌なんですか?」
「誰も嫌だとは言ってませんよーだ」
「言われたら確実に引きこもりますねぇ、僕」
「いやいやいや、そんなことで引きこもらないでよ」
「僕にとっては一大事です」
「…?」

少しだけ、怪訝そうに首を傾げる姿に微笑んで目を閉じる
開けたままの窓から吹き込む風は水分を含んで重たく感じるけれど、彼女の短めな髪を穏やかに揺らしていて
光に当たると微かに見える色は、地毛なのだという
人よりも明るめなソレはまるで彼女の性格を表わしているようだった
僕が散らかした沢山の本を何冊も積み上げて、その細い腕で持ち上げる
…六花もそうですが、ユキも意外と力持ちですよね
その細い腕でそれなりにある本を軽々と持ってしまうんですから

「なあに?」
「いえ…力持ちだなぁと」
「あー、まぁ、確かに。他の女の子と比べたらそうかもね。私も六花も小さい頃から色々習って鍛えてたし」
「そんなに細いのに良く持てますね。折れちゃいそうじゃないですか」
「その辺の男子に負けないくらいには鍛えてあります」
「そういえば…その話はあまり聞いたことがありませんけど、なにを習ってたんです?」
「んー。二人で共通なのって言えば…空手と合気道、あとは剣道かな?六花は弓道とかもやってたけど、私は弓道やらなかったし」
「なんでです?」
「んー、なんて言うか…剣道の方がしっくりくる。六花はまえの経験上、どっちもイケたみたいだけどねー」
「…ユキは剣道の方が好きだったんですね」
「うん。遠くの的を狙うよりも、目の前の対象を相手にする方が性に合ってんだよね、きっと」
「なるほど。それは嬉しいです」
「はい?」
「僕もどちらかと言えば剣道でしょうね、今の時代なら」
「…?」
「捲簾は弓道の方が向いているでしょうけど。あ、でも射撃をやらせたらピカ一ですよきっと」
「あ…なるほど。そっかそっか、前世―まえ―の話ね」
「はい。まえの話です」
「六花はどっちでもイケたって言ってた」
「器用でしたからねぇ六花は」
「ふふ。今でもそれは変わらないかな」
「器用貧乏なんですよ、きっと」
「根がすっごく優しい子なんです」
「それはもうめいいっぱい愛でてきましたから、捲簾が」

誰かを想う気持ちというのを、正直僕は体験したことがない

六花に対する想いは捲簾が抱くような類のものではないのだ

とても大切なものだということに違いはありませんが…

それでも、どこか…いや

"何か"が欠けていた

たった一人に向けることの出来る…その感情が、今までの僕には存在しなかったんです

「天蓬ー、コレもどうせ読み終えたんでしょ?」
「はい。読んじゃいました」
「すんごい集中力だよねぇ…こんな分厚いの読みながら平然と私とも会話成立してたし」
「ユキの声は何処に居ても聞こえるんですよ」
「え、それってなに?煩いってこと?」
「悲観的な解釈しないでくださいよ」
「いや…昔から声が大きいって言われてたからつい」
「例え遠く離れていたって聞こえます、ユキの声は絶対にね」
「…それは物理的に無理がないかい」
「意識の問題なのでその辺は特に」
「…でた、天蓬の意味深発言」
「そのうち分からせてあげます」
「いーみしーん」
「!、あっ、ちょっと待ってくださいユキ!そんな重いものは僕がやりますからっ」
「天蓬に任せても一向に片付け終わらないでしょーが」
「だからってそんなにたくさん…って、脚立まで使うんですか」
「…あのね、天蓬も捲簾もいい加減自分たちの身長が規格外だって本気で自覚すべきだと思うんだ」
「そうですか?」
「出来れば二人とは並びたくない」
「ユキは確かに小さいですけど」
「小さい言うなっ」
「女性は小さい方が可愛いじゃないですか。六花だって小さいですよ?」
「私は更に小さいけどね。六花の身長は女性の平均と同じなの」
「じゃあユキは?」
「私は…、それより7センチ低いよ。言いたくないけど絶対に天蓬と30センチは差がある」
「可愛らしいので問題ありません」
「ハイハイ、ハイハイ」

諦めたように息を吐き出す姿に苦笑する
この気持ちを自覚してから、ずっと
彼女に打ち明けたことはただの一度もない
この手の話題にはとことん疎いのだろう…言葉遊びの中に少しづつ混ぜ込んだ想いのカケラにも気づいている素振りはない
まぁ、今はまだそれでもいいんです
こうして彼女と過ごせる時間が今の僕にはなによりも充実したものとなっているのだから
じっくり、ゆっくりと。外堀から埋めていくように
内側から染め上げて…気づいたその瞬間には、僕から逃げられる術など残らない程には閉じ込めるつもしですし?

肩を竦めて苦笑いするユキ
ゆっくりと歩きだしたその小さな背中を目で追って行けばなんと。その細い腕に持っている本の在処は並ぶ本棚の一番上
僕、あんな場所から取り出しましたっけ
自分で言うのもアレですが、どこから引っ張り出したのかも分からないほど散らばったたくさんの本
それを迷うことなく元在った位置へ戻していくユキには…記憶力というかなんというか、良く見ているなと素直に関心してしまう
ひょいひょいと身軽に脚立へと登っていく痩躯

「手あたり次第とは言ってたけど…こんな西洋学まで読んでたとは」
「あの、ユキ?もう降りてください後は僕がやりますから」
「天蓬はそっちの本片付けておいて。戻しやすいよーにシリーズごとに纏めてあるから」
「…、」

大学の図書館ともなればその本棚の高さもそれなりで
この僕や捲簾ですら一番上のものは手を伸ばす程だというのに、小柄なその身では確かに脚立を使わなければ届きはしないのだろう
それも、脚立の一番上にまで登らない限りは
危なげなく辿り着いた最上段。高さだってユキからすれば相当なものだろう
胸に抱えた数冊の分厚い本をラベルを見ながら的確に元の位置へと戻していく
ビシリと指さされた机上の本ですが…それどころじゃないですよ、もしもなんてあったらどうするつもりですか

こちらに視線を向けることなく、あろうことか脚立に登ったまま身を乗り出すように右側へと重心をずらして本をしまい込む
ああもう、そんな体制なんかとって落ちでもしたらケガじゃすみませんよ…っ

「ユキっ、危ないですから体制戻しなさい」

堪らずに立ち上がって足早に歩みだした刹那、この耳に届いたのは二つの音

「!、わっ!?」
「ユキッ!」

ガチャンと嫌な音を立てたのは細い彼女の体を支えていた脚立からで

次いで響いたその声と重力に従って崩れ落ちる姿に…

一瞬、本気で心臓が止まるかと思った

「―――…ッ」

全速力で駆け出した足
飛び込むようにその落下地点へと踏み出せば背中から落ちてくる痩躯と倒れる脚立
この胸深くに抱き込むと同時に落下の勢いのまま右腕で抱えたまましゃがみこむ。床へと膝をついた刹那に襲ってきた脚立は、左腕で受け止めることでどうにか彼女に当たることは防げたようで
…一瞬左腕に痛みが走ったような気もしましたがそんなことはどうでも良いんです
この腕のなか、抱きしめた細いその身が無事ならば、それで

「…?…!、天蓬っ!?」
「はい。無事ですか、ユキ」
「ちょっ、ま、えっ!ごめんっ!!」
「大丈夫ですか?」
「いや割とそれ私のセリフッ!!」
「ケガ、してませんか?」
「いやだから、」
「ユキ」
「…っ、うん、うん。天蓬が助けてくれたからどこも痛いところないよっ」
「そうですか…それなら良いんです」

見上げて来る漆が焦り一色だ
慌てて身を離そうとするのを右腕で抱き留めれば困惑したような色で見つめられる
とりあえず一瞬で止まった呼吸を再開させれば大きく鳴り響く鼓動に、思わず苦笑した
本当に…もう少しであなたにケガをさせてしまうところでした
一緒に居られる時間に浮かれて、大切な存在にケガなんかさせてしまったら…
それこそ引きこもるどころの騒ぎじゃなくなります
長く息を吐き出してから見下ろせばいろんな感情が混ざり合ったかのような色と出逢えた

「て、ててて天蓬!腕!うでっ、バキッて言った!!」
「大げさですよ…っと、倒れなくて良かったですね、脚立。結構重いですし」
「いやいやいやいや!見せてっ!うで!うでっ」
「とりあえず落ち着きましょうか、ユキ」
「はい黙って腕見せるっ!」
「あ、ちょっと」

一瞬で泣きそうなまでに歪んだ表情と、伸びてきた細い腕
…これは、ちょっと困りましたねぇ。まさかこんな顔をさせてしまうなんて
左腕で押し返した脚立は、どうやらネジが外れてしまったのが今回の原因だったようで
備品の管理くらいきちんとして欲しいものです
おかげで彼女がケガするところだったじゃないですか
慌てて袖を捲られたそこは…まぁ、予想通りといいますか
腕の真ん中辺りが赤く熱を孕んで腫れていた
みるみるうちに膜を張る大きな瞳
さて困りました。彼女を守ることは出来ましたがコレは流石に予想外です

「…っ、腫れてる…!!」
「大丈夫ですよ。ユキがケガしてないなら問題ありません」
「これのどこが問題ないのよっ」
「…、泣かないでください、ユキ」
「…ッ」

困った。さて、どうしたらいいのでしょう
頬を伝う一筋の泪はみるみるうちにその数を増やしていって
ああほら、泣かないでください
貴女にそんなものは似合いませんよ
いつだって楽しそうに笑う姿がとても愛しく思えたのに
オロオロと狼狽える様子に腕のケガよりも胸が酷く痛む

その時

「おーい、朝めし買ってきてやったぞ…って、オイ!?どうしたんだよ!」
『ユキ、天蓬!?』
「おや。意外と早かったですね二人とも」
『ユキッ』
「六花…っ」
「お前ら大丈夫か!?なにがあったんだよこんな図書館で!」
「わたしが…、私がっ…あんな体制とったから…!」
「ユキはただ僕が散らかした本を片付けようとしてくれただけですよ。そうしたらこの脚立のネジが一つ外れちゃったみたいで」
『…そのままユキが落ちちゃったんだね』
「はい。もー心臓止まるかと思いました」
「それでそのケガか…赤く腫れてんじゃねえかよお前」
「骨は折れてませんよ。折れたらもっと鈍い音しますし?」
「…っ」
『とにかく、念のため病院行こう天蓬』
「え。」
『え、じゃないの。ユキをこれ以上泣かせたくなかったら、言う事聞いて』
「…」
『お願い、天蓬』
「分かりました」

タイミングよく開かれたドアの向こう
捲簾と六花が慌てて駆け寄ってきてくれた
どうしようと何度も繰り返すユキの手を握りしめて、六花が僕の腕を見つめて真剣に言葉を紡ぐから
ぽろぽろと雫が止まらないユキに一つまた苦笑してからすみませんとその小さな頭を撫でた
もっと僕がうまく避けられたら貴女を泣かせることもなかったんですけど…頭の中はユキのことだけでいっぱいだったんですよ
結果的に泣かせてしまった事実に申し訳なくなる

「利き腕じゃねえだけまだマシだな」
「そうですねぇ。そこは不幸中の幸いとでもいいますか…」
「…っ」
『捲簾』
「おう。ちょっとコイツ病院に連れてっとくわ。六花はユキのこと頼むな」
『うん。ここでユキと待ってるから、気を付けてね。先生には伝えとく』
「すみません、迷惑かけます」
『そう思うんならきちんと診てもらってきてね。…心配だから』
「はい。」
「…ッ、天蓬…ごめん、ごめんね」
「なんでユキが謝るんですか、貴女はちっとも悪くなんてありませんよ?」
「でも…!でも、ごめんなさい…っ」

罪悪感でいっぱいな泣き顔にどうしたらいいのか分からない。
俯いたまま両手で顔を覆ってしまった姿に僕まで泣きたくなった
泣かせたかった訳じゃないのに。そんな顔をさせたかったわけじゃないのに
どうしましょうと助けを乞うように六花を見下ろせば、苦笑した六花が"あとは任せて"と物語る

「ユキが気にすることでもねえよ。第一、元をただせば散らかしっぱなしのコイツが悪いんだろ」
「あ。それ遠まわしに自業自得だって言ってません?」
「自覚あんならそれでよし」
「相変わらず容赦ないですねぇ」
「女泣かせるヤツに容赦なんざするか」
「…御説ごもっとも」
「ほれ、さっさと行くぞ」
「お手数をおかけします」
「これで一つ借りだからな」
「ええー。あなたに借りると高くつくんですよねぇ」
「つべこべ言うなっての」
『二人とも気を付けてね』
「はい。じゃあユキのこと、よろしくお願いします」
「診断分かり次第連絡入れるわ」
『分かった』

結局最後まで視線が合わさることはなくて
しゅんと眦下げる天蓬の襟首を引っ掴んだ捲簾がそのままずるずると連行していくのを、六花が微苦笑を浮かべながら見送っていた








どうしよう、どうしよう
ただそれだけがずっと頭の中でぐるぐると回っていた

『ユキ』
「…っ」
『ユキ。大丈夫、骨は折れてないよ』
「で、も…!腫れてた…っ」
『打撲だと思う。ユキに怪我がなくて良かった』
「天蓬が、守ってくれたから…っ」
『うん』
「でも…でもっ…ケガ、させちゃったの…!」
『うん』
「物凄い音したもん…絶対、絶対痛かったハズなのにっ」
『うん』
「天蓬…私の心配しかしないから…っ!」
『うん…そうだろうね』
「どうしよう…っ、わたしのせいだ…」

床に座り込んだまま、後悔だけが残される。
すぐ近くに同じように座り込んだ六花の顔すらも見ることが出来なくて
ただただ泣くことしか出来ない自分が酷く恨めしい。私が面倒がらずにきちんと脚立の位置をずらして本をしまってれば
あんな風に身を乗り出して無茶な体制なんてとらなかったら…ネジだって外れなかったかもしれないし、彼に不必要なケガだって負わせることもなかったのに

数分前の自分を思いきり蹴飛ばしてやりたい
ごめん、ごめんね六花
あなたの大切な友達なのに…私が傷付けてしまったよ
せっかく傍にいることを許してくれたのに

『ねえ、ユキ』
「…」
『なんで、そんなに泣いてるの?』
「…、え…?」
『どうしてそんなに悲しいの』
「だって…だって、私のせいで天蓬がケガしたんだよ…っ、六花だって捲簾がケガしたら絶対に泣くでしょ」
『ん。私のせいで捲簾がケガしたら…きっと確実に泣く』
「ほら…」
『でもそれは、きっと私と捲簾だから』
「…?」
『考えて。もし、これが捲簾だったら…ユキは泣いてた?』
「六花…?」
『考えて。どうして、そんなにも苦しいのか』

理解出来ない唐突な問いかけに思わず上げた視線の先
どこか真剣な面持ちで見つめてくる六花は、まるで"何か"を訴えているようにも見えた
思考回路なんてまともに機能してるはずもないのに…それでも、どうしてか
言われた言葉の意味を…私は無意識の内に感じ取っていたような気もして
どこかに埋れたままの感情…気付かないようにフタをしてきた、それに

…わたしが、泣く理由

「…」

捲簾だったらって六花がいうから、ちゃんと想像なんかしてみたりして
確かに捲簾のことだって大切な友人だからそれなりに心配だって罪悪感だって抱くだろう
でも、それじゃあ今と同じようにこんな胸が痛くなるまで泣き出すかと問われたら
たぶんきっと、"何か"が違う気がした

その"何か"を…無意識の内に、私は避けていたんだ

「―――…っ」

浮かんだ一つの不相応な答えに全力で思いきり首を振る
烏滸がましい、過ぎた願いだってことくらい分かりきってた
こんな感情…きっと私には必要ない。抱いてはならないモノだ
六花と、捲簾と、天蓬
遠き過去を共に生き抜いた、駆け抜けた互いにとって大切な存在。結ばれたその絆は時空を超えて、永き時を経てもなおこうして深く結ばれているというのに。
何も持たない私が…大切な彼女から奪っていい存在なんかじゃないのだ。

ずっと見てきた…六花が彼らを想って泣く姿を

切なくて、苦しくて…でもそれと同じように愛しさを抱いて泣き続ける姿を、ずっと

ようやく巡り逢えたんだ…もう、泣かなくても済むのだ

沢山たくさん辛い想いをしてきたからこそ、今度こそ彼女たちには笑っていて欲しい

「…べつ、に…捲簾だったとしても、変わらないよ」
『ユキは嘘をつくのが下手だって自覚、ある?』
「…っ」
『私のことを誰よりも知ってくれているのと同じように、私だって…ユキのことなら誰にも負けない自信あるよ』
「…六花のことなら、捲簾が一番でしょ」
『出逢う前の長い時間は私とユキのものだよ。捲簾だって知らない』
「…」
『私だから、ユキだから。互いのことがよく分かるの』
「……嘘じゃ、ないよ」
『私には嘘だよって聞こえる』
「…っ」
『目、反らすの禁止』
「だって…だっ、て…」
『前にも言ったよね、わたし』
「…え?」
『ユキは特別だって』

真っ直ぐに射抜かれて、思わず反らした視線
それさえも目の前の友人は許してくれるはずもなくて
強く強く握りしめられた両手と言われたその言葉に、もう一度って…見つめ返した
確かに言われた…あの日、六花が彼らと再会した春の日に

私を見て、何故かすごく優しい目をしていた六花と捲簾

懐かしむかにも見えたそれに、霞がかった向こう側で

見たことのない景色を垣間見た気がしたんだ

『ユキは特別。…まえにも、居たから』
「それは…天界にも、ってこと?」
『ん。私が名前をつけた"ユキ"は…すごく綺麗な純白の霊鳥。スパルナっていうの』
「スパルナ…?」
『美しい翼を持つものって意味。私と捲簾にとても懐いてくれてたの…結局、置いてきてしまったけど。天蓬とは会うことはなかったけど、きっと会ってたら絶対に懐いてた』
「…まさかそれが、私だって?」
『神代雪。神の代わりに、この世に舞い降りた白。きっとその綺麗な翼で飛んで探しに来てくれたんだね』
「…」
『私の傍にまるで当たり前のようにずっと居てくれた存在だから。まえも、今も。だから特別』
「…なんだか、すごい無理矢理感ない…?」
『私の直感と確信だから間違いないよ』
「…すっごい真顔で言い切ったよこの子」
『天蓬も特別、ユキも特別。だからこそ2人には傷ついて欲しくない』
「…」
『見えない、ううん。見ようとしなかったソレが私たちを想ってのことなら余計に』
「…っ!」
『ユキは優し過ぎるから。いい機会だと思うの』
「…なにが、よ」
『私の幸せを願ってくれたから。今度は私が願う番』

無自覚だった当の本人よりも先にこの感情に気付いていた六花に、言い訳なんてもはや通用しないんだろう
周知の事実になっていたことにも驚きだ
なに、そんなに分かりやすい反応してたのか、私

『私が捲簾に抱くものと、絶対同じだから』
「…」
『誰かを想うことに、悪いことなんてないよ。ユキが天蓬に抱くその想いは…間違ってなんかないんだ』
「…なんか、すごい、肯定的だけど…」
『…?』
「もし、もしもだよ。仮に私の気持ちが六花の言う通りだったとしても…こんなことがあって…天蓬も同じ気持ちだとは限らないじゃん」
『…、』
「………こんな時に言うのもあれだけど…六花の呆れたような顔って、けっこーレアだと思うんだよね」
『私も人のこと言えないけど、うん。ユキが気付いていなかっただけ。天蓬はあれでいて捲簾と同じくらい子供っぽいよ』
「…どういう意味よ」
『ユキがほかの人と、特に男の人と話してる時。後ろでものすごい満面の笑みで佇んでたり』
「…、」
『いつもいつも、傍にいる時はユキの右側に居たりとかね』
「あ…」
『まえの世界では天蓬の武器は刀だったの。右手で抜刀するから、何があっても守れるようにって。たぶん天蓬も無意識なんだろうね。捲簾が笑ってたよ』
「…」
『好きな人が自分を守って怪我をしたら、悲しいでしょ?』
「…う、ん」
『傍にいたかったから、毎朝ずっと、天蓬の図書館襲撃に付き合ってたんだよね。片付けだってしなくちゃならないこと、分かってたのに』
「うん…」

一つ一つ、ゆっくりと。柔らかく解かれていく…まるで、降り積もった雪をそっと手のひらで掬い上げていくかのように
ああ…だからあんたも、その名に真白き結晶の意味があるのかな
ふわりふわりと。その存在そのものが、優しいから

間違ってないよって、悪いことじゃないんだよって

六花が伝えてくれたその想いに、願いに

「…すき、だよ…っ」
『…うん』
「わたし…天蓬のこと、すきだよ…っ!」
『うん。知ってたよ、知ってるよ』
「六花…っ」
『天蓬のこともユキのことも…私、大好きだよ。だからね、ありがとう』
「…?」
『天蓬のこと、好きになってくれてありがとう…私たちと出逢ってくれて、ありがとう…ユキ』

泣き笑うかのように…嬉しそうな顔で流した一筋の雫

大切な人が大切な人と結ばれるのが嬉しいんだよって、真っ直ぐに伝えられた想いに

握られた両手を握り返して、想いを流して、目を閉じる



何も持たない私だけれど…もし、本当に、少しだけ…許されるのなら

愛してしまった優しいあの人の傍で笑う未来を…望む事が叶うだろうか




大丈夫だよって、六花が、笑ってくれた―――…









何も持たない私だから、この腕に抱えるものは

あなたの存在でありたいと…心から、強く願った











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