時巡り | ナノ



まず初めに思ったのは、なんで逃げるんだよとか

足速すぎんだろとか

そんな、とりとめのないことだった





「そんな人を犯罪者みたいに…って、あ、ちょっと!」

呆れたような天蓬の声が聞こえたきがしたが生憎コッチはそれどころじゃねえんだよ
"俺達"を見つめたその瞳が凍り付いたんだ
理由なんてそれだけで十分だろ
ずっと探し続けていたんだ。約束をした

…心配しなくても、また、逢えるだろ

そう、伝えもしたんだ

ぜったい見つけてねと震える声で願っていた

その言葉を最期までずっと胸に抱いていたんだ

それこそ…視界がすべて闇に変わる瞬間まで


「はッ…マジで人間かよあいつ…!」

物凄いスピードで走り続ける六花はそれなりに密集する人混みにもぶつかることなくその間をすり抜ける
一瞬だけ重なったその瞳には、それこそ色んな感情が入り乱れていたんだ
抱く必要なんてないような…そんなものまで宿して
…お前がそんな目をする必要なんてどこにもないのに
謝らなくちゃならねぇのは俺達の方だ
男である自分たちが…守らなければならない存在を残してすべてを託してきてしまった
どれほどの悲しみを植え付けてしまうかも、分かっていたのに

優しすぎる彼女はそれでも尚受け止めて前へと進んでくれた

いや、違うよな

進むミチしか…遺してやれなかったんだ

守りたいと、その想いだけで飛び出したあの息苦しくも小さな世界

もっと俺に護れる力があったなら彼女を残すことも悲しませることも無かったのに


行き止まりの廊下。そりゃそうだ
距離なんかたかが知れている
右側に伸びる階段でも下るのだろう
立ち止まる気配を一向にみせないその様子に走るスピードを上げる
開かれたままの窓の近く
親し気に話す二人の男に向けて叫んだ六花の言葉に心臓が止まるかと思った

『二人ともよけてっ』
「オイオイ…マジかよ…!」

止まらない足と落ちないスピード。勢いだってかなりあるってのに、彼女はなんら躊躇うことなく右足で強く床を蹴りやがったんだ
あの頃よりも小柄なその身が、空中に舞いあがる
ぎょっと目を見開いた男たちが同時に視線をその背中へと向けている
ああ本当に。
お前にはいつだって驚かされてばかりだよ
こんな高さから…しかも女の身で飛び降りてケガでもしたらどうすんだ
お前の身にもしもの事があったら自慢じゃねぇが俺はこの先を生き続けられる自信なんざこれっぽっちもねえんだぞ

「ッのバカ!ケガでもしたらどーすんだってのっ」

慌てて窓枠に両手をついて見下ろせば震えているであろうその身を己で抱きしめる六花が見上げている
再び視線が重なったのだって一瞬だけ
不安定に揺れ続ける双眸が来ないでと訴えているように見えた
逃がすものかと、そう強く思う
やっと見つけた存在なんだ

いまなら声も腕も届く距離に居るのだ

「誰が…ッ、逃がすかよ!」

大きく肩で息をする彼女の呼吸は乱れている

同じように飛び降りた俺に再びその足を動かし始めるけど、初めのようなスピードも勢いもなくて

中庭を全速力で走り続ける俺達を見て通り過ぎた誰かが驚いて目を見開く


なあ…お前、いま

泣いてんのか

謝ったって許して貰えねぇかもしれない

抱く想いだって受け入れてもらえるかも分からないと思っていたが…


僅かに重なっただけの視線で、分かってしまったんだ

抱く想いも後悔も…そして痛みも

同じだということが


荒く繰り返される呼吸が聞こえてくる
それほどまでに必死に逃げようとする小さな背中
スピードを上げて、縮める距離
まるで映画のようなシーンだと笑っちまうけど、俺達はそれでも必死だった
もう二度と手放すことなどないように
またもう一度…その笑顔の傍に居られるように

そして今度こそ、最期の瞬間まで共に生き続けていけるように

「…ッ!」

ただただ…それだけしか望まないから

当たり前のことだと人は言うかもしれねぇが、俺達にはそれを叶えてやることすら出来なかったんだ

たった一つ、無欲なあの彼女が望んだ未來だって

俺は守ることが出来なかった

だからこそ、今世では絶対に

彼女の幸せだけを願って生き続けようと決めていた

もう一度俺の傍で笑っていてくれるんだったら…なんだってしてやる

もう二度と悲しませることなどないように、全力で護りぬこうと決めたんだ


だから…


「六花ッ!!」
『っ!?』


なあ…頼むよ

抱く想いが、痛みが…悲しみが

同じだというのなら

もう一度、この腕の中に戻ってきて欲しいと切に願った



『はぁはぁはぁ…っ』
「…はっ…は…ッ!」

掴みとった細い手首
走り続けた勢いのまま近くの壁へと華奢な体を押し付けては即座にその逃げ道をなくす
あの頃よりも大分小柄になったその身は、俺が小さな顔の両サイドへ腕を伸ばして囲い込めば、難なく覆い隠せてしまうほどで
じっとりと汗が額を伝う。過呼吸に近いいんじゃねぇかってくらいに乱れるその呼吸で、ほっそい肩が大きく上下している
至近距離で見下ろしてみれば…案の定
小さな瞳からはたくさんの泪が溢れ続けていて
顔色なんか青をすっ飛ばして真っ白だ

小刻みに震え続けるその身は一体なにに怯えているのだろうか
お前はこれっぽっちも悪くなんかねえのに
謝らなければならないのは俺の方だっていうのに
暫くの間、互いの荒い呼吸だけが響き渡っていた
見上げたままだった視線が、歪んだ表情と共に大地に移る
落ちる雫が…土へと滲んでいった

「…っ、ホントに、人間かっての」
『っ』
「二階から飛び降りるとか…スタントマンでもあるめぇし…」

逃がさない、逃がしてなんかやれない
少しでも飛び出そうとするのなら、この身で抱き捕まえる勢いで
ただずっと…耐えるように震え続ける痩躯を見下ろしていた
返答はない
体が酷く重たく感じる
俺以上にその身を襲う疲労や困惑は大きいだろう。その小さくも脆い身体に吐き出せない想いがあるというのなら、抱え込まないでぶつけちまえ
その優しすぎる心が俺達のことだけを考えて、お前が抱く望みを諦めちまう前に
今はもう、変えられない大きな絶望に苦しむ必要なんてねえんだ

だから早く…手を伸ばせ
求めてくれるのであれば俺たちは…俺は、なんだってしてやるから
恨み言だって聞いてやる。怒りだって受け止める
拒絶は…受け入れてやれそうもねぇけど

「…六花」
『っ!』
「六花」

あの頃と同じ名を紡ぐ。それこそ、色んな想いを詰め込んで
今世の彼女の名を知っている訳ではない
けれど俺達ならコレで合ってるハズだ
俺も…そして天蓬も
なにもかも変わらないままで生きて居るのだから

俺達のすぐ近くに佇む一本の桜の樹

ザァザァと吹き抜ける風があの頃より短くなった黒糸を靡かせる

花びらが、舞い踊る

『―――…て…』
「…?」
『…っ、はなし、て…っ』
「嫌だね」
『っ』

風に紛れて聞こえたのは震えるか細くも小さな声
突っ張るように俺の胸へと伸びてきた両手は同じように震えていて、力なんざこれっぽっちも入っちゃいねえ
心の底から望んだ言葉じゃないことくらい分かんだよ
何を考えてる。優しすぎるその心で、今度はなにを願ってんだよ
いい加減お前は自分の気持ちに素直になったっていいんだ
これ以上…悲しむ必要も泣く必要もねえんだ

コッチが泣けてくるだろうが

惚れた女の前で、みっともねぇ姿なんか見せられるかっての

「俺はまだお前に何も伝えられちゃいねえんだぞ」
『…っ』
「漸く見つけたんだ…もう、これ以上離れてるのなんざ御免だ…ッ」

震え続けていた痩躯が限界だとでもいうようにズルズルと壁伝いに崩れ落ちるのを、俺は力強く抱き留めることしか出来なかったんだ

つよく、強く

それこそ潰しちまうんじゃねえかってくらいの力で

胸元深く抱き込んで閉じ込めた

六花の世界すべてが…俺だけになるように祈り続けながら


『…ど、して…っ』
「…ん」
『なん、で…見つけちゃったのっ』
「そりゃお前…約束したからだろ」
『―――…っ! なんで…っ、覚えて、るの…!』
「そんなモン…お前だって同じだろーが」
『…っ、はな、して…』
「断る。いまここで離したりなんかしてみろ、お前はもう二度と俺達の前に現れなくなるだろ」
『はなし、て…っ』

お願いだからって
抱きしめた腕のなか、己の顔の傍で固く握りしめられた拳
そんなに力入れて握りしめてたら爪の後が残っちまうぞ
血が滲んだりでもしたらどうすんだ
小さな背中に回した左腕
同じように小さな頭に掌を添えて抱きしめる

その願いはきいてやらないと
全身でそう示す俺の耳に、堰を切ったように泣き出す声が届いた

「…」

それは…あの頃にだって聞いたことがないような悲痛な声

子供のように声を上げて泣き続ける愛おしい存在を、ただ、ただ、ひたすらに

黙って抱きしめ続けていたんだ


「ちゃんと吐き出せよ…お前が想ってる事、ぜんぶ」
『…っ』
「六花はなにも悪くねえんだ…謝んなきゃならねえのは俺達の方だろ」
『ちが…だって、わたし…っ』
「ん?」
『置いてちゃったじゃない…』
「…」
『あそこでたった一人…っ、適うハズなんてなかったのに!』
「…」
『私にもっと力があったら!!…っ、あんな…あんな、こと…っ』
「六花」
『天蓬も金蝉も悟空も…ッ…あなただって…護れたかもしれないのにっ』
「…」

震える声を必死に絞り出したような、そんな悲痛な声だった。刻んでしまった悲しみのデカさに後悔なんざし尽せねぇ
こんなにも、こんなにも…自責の念だけが残されていたなんて
「悪かった」
『…!、え…?』
「お前は何も悪くねぇんだ」

傍に居ることも支えてやることも出来なかった俺を、まだ、許してくれるだろうか

泣き腫れた瞼。濡れる頬
レンズ越しに見上げられればこれもまた変わったことの一つだ
今世の彼女は視力が悪いのだろうか
それは…すくなからず、あの永い時を常闇の中で過ごしてきた事と関係があるのなら
猶の事、傍に居続けたいと願う
驚いたように向けられた漆の中に、やっと
俺の姿が映り込んだ
…なさけねえツラしてる自覚はある

でも…それでも、伝えなきゃいけねえ言葉も想いもあるんだ

プライドなんてそんなもの彼女の前では意味もない

ぶつけてくれたその想いに応えてやれるだけの、そんな強い感情

指先で未だ溢れる雫を拭えば、瞬いた拍子にまた溢れ落ちる

苦笑して、それを真っ直ぐに見下ろした

「俺や天蓬も同じことを思ってた…もしもあの時、俺達にもっと力があればってな」
『…』
「そうすりゃ…お前にぜんぶ託しちまうことも、悲しませることもなかったのに」
『それは、違う…! だって、あの中で一番力を持っていたハズなのは私だった…!』
「お前は女だろ?」
『そうだけどっ、でも…!』
「惚れた女一人守れねえ方が問題だろ」
『ちがう…ちがう、よ…っ』
「なあ、六花」
『…っ』

首を振り続ける、優しい彼女は。
いつだって自分を責めることしかしないから。
俺に怒りをぶつける権利だってあるってのに、彼女は絶対にそれをしないから
…だからこそ、こんなにも愛おしい。

「名前、呼んでくれねえの?」
『…!』
「さっきからずっと待ってんだけど」
『…ぁ…だ、って…』
「ん?」
『…』
「優しすぎるのは才能かもなって」
『…?』
「お前、あの時俺に言ったよな。今ならあの時のお前の気持ち、分かる気がするんだよ」
『…わたし、は…優しくなんかないよ』
「ソレ、天蓬の前でも言ってみ?ぜってーあの満面の笑顔で全否定されっから」
『…』
「お前がそうやってずっと後悔してきたのと同じように、俺達だってずっと後悔し続けてきたんだ」
『…託して、しまったから…?』
「最期のその瞬間まで…傍に居てやれなかったから」

祈るように、乞うように。
分けられた前髪から覗く額に想いを寄せる
きゅっと閉じられる双眸に抱くのは、本当に、ただ…深い愛おしさだけで。
唇を離して見下ろせば、再びゆっくりと開かれた漆
…やっぱり邪魔だよなぁなんて
場違いなことを思いながら、それでも指先でそっと抜き取ったソレ
ああやっぱり。
外してみれば、当時の面影が見え隠れする。
あの頃よりも感情的なのはとてもいい変化だ
あんな風に声を上げて泣き出すなんてこと…昔の六花には出来なかっただろうから

嬉しい、嬉しい、一つの大きな変化。

ゆっくりと一つ、瞬いて。

見上げて来る瞳に微かな色が滲みだす

それでいいんだ。

もう二度と…悲しませることはないと約束するから

「名前」
『…、』
「変な罪悪感なんざ抱えてねえで、ちゃんと…呼べよ」
『………ん、』
「求めろ。俺を…俺達を、また」

いつか必ず見つけるからと。闇に沈む刹那に強く願った。

痛みを感じることすらも出来なかった俺が…最期の最期まで願った想い

通じて、くれるだろうか

また再び…傍にいることが許されるのなら。


『…っ、けん…れん…』
「っ」
『捲簾…っ』


今度こそ、絶対に

手放してなんかやるものか

漸く見つけたんだ…願って望んで止まなかった、俺だけの大切な光

縋るように音となった己の名に、堪え切れずに。


小さくも儚げなその身を覆い隠すように…柔らかな唇ごと息を奪い取った


抱きしめて、抱きしめて。

すべてを閉じ込めるように、逢えなかった時を埋め尽くすように





背中に回された細い腕が、小さな指先が

キツク俺の服を握りしめるのを確かに感じ取りながら―――…












← | →
 
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -