時巡り | ナノ



ありえないと、おそらく100人に聞けば全員がそう答えるだろう事実を

"俺達は"抱えて生きている―――…






「あー…ダリィ」
「右に一票。というか、僕らいつまで此処にいればいいんでしょうかねぇ」
「さあな。この歳になって入学式とかやってられねえっつーの」
「あそこで先生に見つかったのが不味かったと思うんです」
「それはお前が腹減ったとかいうからだろうが!でなけりゃ見つからずに済んだってのに」

窓から覗く桜を眺めながら、吐き出した煙
揃いも揃って初っ端から呼び出し喰らうなんざ思ってもみなかったぜ
隣では退屈そうに欠伸を噛み殺す能天気が一匹
仕方なしに登校してみたはいいが、腹減ったと場違いな言葉に半ば投げやりに賛同し、面白くもねェ教授の話なんかすっぽかして帰ろうと踵を返した時
巡回していた教師に見つかってそのまま応接間まで連行。散々注意をされたあげく、事が終わるまで待機だとかで今に至るワケなんだが…

「…」
「綺麗ですね、今年も」
「…そうだな」
「今が盛りでしょうか…今年の桜も」
「そーなんじゃねぇの」
「なんですか、その気のない返事は」
「べっつにー?そんなんじゃねぇよ」
「…」
「…」
「……まだ、見つかりませんか」
「…」

答えはなくとも、応えている
生き様が違うんだと、あの時答えたように
目の前を精一杯に咲き誇る桜は、終わりを知っているからこそ今を必死に咲いているんだ
終わりを目指して…力強く
またいつか…芽吹く時を信じて

ソファの背もたれに頭を乗せれば何の変哲もない天井が視界に映り込んだ
その言葉の意味を…理解出来てしまうから
当時の記憶を宿してこの世に生を受けたことにも天地がひっくり返る程驚いたモンだが、あの頃となんら変わらない自分の容姿にもビビった
そして…いま、まるで当然のように俺の隣に居るコイツにも心底驚きだ
まさか同じ記憶を持つヤツが、同じ容姿で転生していただなんて
どこの漫画の世界だよと笑いたくなるけど、それが出来ないのは…

「きっと見つかりますよ」
「…あぁ」
「だって貴方、約束したんでしょう?」
「それはもーガッツリ」
「だったらきっと…彼女だって待ってるはずです。嘘が嫌いなこと、僕らが一番良く知ってるじゃないですか」
「…だよな」

俺もコイツも…大きな心残りがあるからだ
託してしまった。残してきてしまったから
あの…不器用で優しすぎる、無欲な彼女の存在を

"初めて"再会したあの時に、柄にもなく泣いちまったのもお互いさまで

生きて居たのか

また出会えたのか

覚えているのか

彼女は…まだ、見つけられていないのか

共に駆け抜けた大切な朋友の姿もまだ、今はみえない


「ぜってー見つけてやる」
「…ええ」
「約束、したんだよ」
「分かってますよ」
「…」
「ちゃんと待っててくれますって。あなたの事、あんなにも想っていたんですから」

俺が傍に居られなくなったそのすぐ後、コイツも彼女の傍を離れたんだと聞かされた

僕も託してきてしまったんですよ…泣くのを必死に耐えているような目をした、彼女に

「…っ」

胸が苦しい程に恋い焦がれるのに、今まで彼女の存在を示すような手掛かりは何一つ掴むことが出来ないでいる
なぁ…お前、いま何処に居るんだよ
俺達がこうして生きてンだ…
絶対にお前だって同じなんだろ
それだけは分かる。
この世に再び、生を授かったことだけは

それなのに…その姿だけが見つからない

遠い遠い空の下、いったいどこで待っているのか

今の世の中じゃ便利な連絡手段もあるっつうのに、相手が分からなければ意味なんか一つもねえ

「…あ。鐘の音」
「やあっと終わったか。待ちくたびれたっての」
「行きますか?」
「ココにいたって仕方ねえだろ。かといってこのままバッくれても後々めんどーそうだし?」
「それは言えてますねぇ…」
「つかよ」
「はい?」
「思ってたんだが…なんでお前までココの大学受けようなんざ思ったのよ」
「ああそのことですか。いやあ、受かればどこでもいいかなって」
「世の中の受験者バカにしてんだろ、ソレ」
「では逆に聞きますけど、あなたはどうしてここを選んだんです?」
「あー…なんでだろな。なんとなくでしか決めなかった気もする」
「似たようなものじゃないですか」
「ははッ、違いねーや」

謝りたいと想う。
もし、彼女に出逢えたその時は
記憶があっても無くても、たった一言…伝えたい想いがあるんだということを
これでもし他の野郎と付き合ってたりとかしたら…それこそ奪い取るしかねえよな
彼女の存在ナシで生きていけるほど、俺も強くねえ
目的地へと続く階段を登りながら考える
記憶を持ち続けることに意味があるというのなら
俺達を引き合わせるためだと信じたい

登り切った先、長く続く廊下に…

彼女と初めて出逢ったあの日を思い出す


開け放たれたままの窓から、桜の花びらが舞い込んでいた




色んなヤツらで賑わう廊下
ザワザワと騒がしい様子は何処に行っても変わんねえんだなって
さっそく親し気に会話を繰り広げる女たちを見かけては、どうしても探してしまう。まぁあいつの性格上、不特定多数の誰かと親しくするなんて考えられねえケド

笑っていてくれているだろうか

永く、長い時を常闇で過ごしたあの頃の分まで
幸せだと思ってくれているだろうか
自分にも人と同じ未來が与えられているということを

もう…血に塗れる必要もないということも、すべて

「いやぁ、それにしても」
「なによ」
「何処に行ってもモテますよねぇあなたって」
「あ?」
「女性人の視線独り占めじゃないですか」
「はッ。そんなモンお前も同じじゃねえか」
「いえいえ。僕なんか足元にも及びませんよ」
「…とか言いつつ振りかえしてるその手はなんだ」
「挨拶ぐらい返してあげないと失礼でしょう?」
「…ホント、お前ってイイ性格してるよな」
「褒め言葉として受け取っておいてあげます」
「それはドーモ」

ポケットに両手を突っ込んで
流石に校内で歩きタバコなんかしようもんなら、絶対ぇ教師がすっ飛んでくるから
仕方なしに捨ててきたけど、やっぱり
口寂しいモンがある
きゃあきゃあと騒がしい甲高い声は女特有なものだ
…けど、あいつがこんな風にはしゃいでいた記憶はない

比べてしまうのは、もう
仕方ないことだと思う


けれども、いま


「うわっ…なにこの黄色い歓声!芸能人でもいんの?」
『さあ。煩いのって好きじゃないんだよね』
「六花六花、カオが死んでるから」
『本当に…なんなのこの賑やかさ』
「イケメンでもいるんじゃない?」
『へえ』
「興味無いですよねー。知ってたけど」
「―――…」

並んで歩く、2人の女
人混みに紛れながらも、彼女たちの存在はハッキリとこの目に映りこんできたんだ
周りの音が一気に聞こえなくなる
首につくかつかないかの黒いくせっ毛なのは活発そうなイメージを抱かせる小柄の女
そして…その、隣

胸元まで伸びた黒糸に…あの抑揚に欠けたような声音
レンズ越しに眇られた双眸は当時と同じ漆色で

「あっ、ほら見て!騒ぎの原因、どうやらあの二人みたいだよ!確かにどっちもイケメンだわー…騒がれんのも分かるよね…って、六花?」
『―――…』
「ちょっと、え?どうしたの?六花ってば!」

見間違えるハズなんて、ないんだ
焦がれて焦がれて…探し続けて、それでも見つけられなかった存在
ごめんなと一言伝えたくて、それ以上に積もるこの想いを伝えたくて

「…ッ」

目を見開いて、一瞬にして青ざめた彼女の表情が答えを示す
肩にかけていたバッグまで落としても微動だにしない、その様子が。慌てて隣の女が拾い上げるけど…恐らく今の彼女には届いていないだろう
すぐ隣で同じように息を呑む気配が伝わる
時間にしたって、ほんの数秒間の出来事だ

「あっ、ちょっと六花っ!!何処行くのっ!?」

名前を叫ぶ直前。
彼女はまるで風のように踵を返して駆け出していた
物凄い速さで遠ざかるその小さな背中に、女の叫ぶ声が飛んでいくけれど
もうきっと聞こえてなんかいないんだろうなって
やけに冷静な頭がそう判断する

「は…ははッ…オイ見たかよ今の!!」
「……え、えぇ…見ました…まさか、本当に…?」
「どう見たって黒だろーが!」
「そんな人を犯罪者みたいに…って、あ、ちょっと!」
「逃がすかよ…っ」

震える声を必死に隠して、俺は全速力で駆け出した





視界の隅を…桜の花びらが舞い踊る

それは、あの頃と変わらない枚数だったんだ―――…




その存在を探していたのは、確かな事実だ
それでも…自分達と同じように彼女がその記憶を持ち続けているのかまでは分からない
謝りたいとも思った。伝えたい想いだって沢山あった
いざその本人を見つけてみたら…なんとまぁ
反応が僕達とまるっきり一緒だったんです

風のように逃げ出した彼女を追いかけて、彼もまた
飛ぶように床を蹴って駆け出していた

「な、なに…、一体どうしたっていうのよ…」

いろんな感情が入り乱れて呆然とする僕の耳に、同じように困惑一色な女性の声が届く。
落とされた彼女のカバンを両手で抱きかかえながら今はもう見えないその背中に唖然と立ち尽くしていて
…友人、なのだろう
親しげに会話をしていた様子を見る限りでは

「あの…貴女はいったい、」
「!、あなた達…六花に何をしたのッ!?」
「え…?」
「あの子のあんな取り乱した姿なんて初めて見た!私の知らないところで…あの子に何をしたのよっ!!」
「…」

その大きな瞳を最大限に釣り上げて、物凄い剣幕で詰め寄ってくる彼女。
投げつけられたその言葉に…どう返していいかが分からない
何もしていないと、果たして僕らは言えるんでしょうか

人の事ばかりを考える不器用で優しすぎたあの頃の彼女に全てを託してしまった
泣くのを必死に堪えていたんです

捲簾の時も…そして、僕の時も

置いてきてしまった事実は変わらない

「……託して来てしまったんです」
「…?」
「守りたかった人だったのに…僕らは、最期まで傍にいることが出来なかった…」
「!、え…」
「置いてきてしまったんですよ…彼女の存在を」

もしもあの時…自分にもっと力があったなら

辿る未来は違ったかもしれませんね…って

ずっと…ずっと、彼とそう話していた

目の前の女性にこんなことを言ったところで通用なんてするはずもないんですけど


そう、思っていたのに


「え…じゃあ…まさか、あなたがてんぽう…?」
「!?」


落とされた言葉に瞠目した

この人は…いま、なんて

2度目の衝撃に声も出せずに瞠目のまま見下ろしていれば、答えを掴んだ女性の頬が興奮で彩られていく
詰め寄って、その瞳を輝かせていたんだ

「あなたが天蓬なのねっ!?」
「え、えぇ…でも、どうしてそれを、」
「じゃあ今さっき!六花を追いかけたあの黒髪短髪の三白眼がけんれん!?」
「……、あ、はい。そうですけど…あの、貴女は一体…」
「六花から聞いていたのっ、あなた達の存在を!」
「!、それは…」
「あの子が生きてきた出来事も想いも悲しみも後悔も…っ、全部、ぜんぶ…っ」
「それでは…彼女にもあるんですね、その記憶が」
「当たり前でしょ!じゃなきゃあんな全速力で逃げ出したりなんかしないってば!」
「…っ」
「ずっとずっと…待ってたんだよ。あなた達が戻ってくるのを、ずっと!ムダなんかじゃなかった…本当にこんなことが起きるなんて…っ」

みるみるうちにその瞳に膜が張る。
零れ落ちそうな程に溜められた透明な想い
頬を伝った一筋のそれに言葉を呑み込んだ
もし…もしもこの世に神と言う存在があるのだとしたら
一度くらいは感謝してもいいと思ったんです
同じ記憶と痛みを宿した僕らを…また再び、巡りあわせてくれたことを

まるで自分のことのように興奮する女性の表情が輝きだす。

未だ呑み込めない事実の方が大きいですが、

それでもたった一つだけ分かること

それは…もう一度、彼女の傍に居られるかもしれないということだ

「だったら急がなくちゃっ」
「急ぐ…?」
「今の六花はあなた達から逃げることしか頭にないんだよ。謝っても謝り切れない…悔やんだって遅いんだってずっと言ってたんだから」
「…」
「教えてあげなくちゃ…あの子がずっと心のどこかで望んでいた未來が、今こうして現実に起こってるってこと!」
「…ええ、そうですね」
「何もかも投げ出しちゃう前に、早く…!」
「大丈夫ですよ。彼女を追いかけた捲簾は昔から似たような身体能力を持っています。今世では同じ人間なので、いつか絶対捲簾が追いつくハズです」
「体力ではどうしたって男の人に適わないもんね。それが嫌で私たちもいろいろ鍛えてきたけど…今回ばかりは負けて欲しい!」
「心配いりませんよ。捲簾の抱く想いの強さは尋常ではありませんから」
「私たちも急ごうっ、あなたも早く六花にちゃんと会ってよね!」
「もちろんです。逃げられても捕まえます」
「ていうか!二人とも迎えにくるのが遅すぎるっ!」
「そこは全力で謝ります」
「無駄に六花を泣かせて!ほんとにっ、もう!」
「すみませんでした」
「…。言っとくけど!あの子ほど私は優しくなんてないからねっ」
「ええ。ちゃんと…伝わっていますよ」
「…」
「貴女が彼女を想う気持ちは…ちゃんと」

同じように、駆けだした僕たち。
まるで自分のことのように泣いて喜んで、泣いて怒ってくれたこの女性が、きっと…
傍に居られなかった僕らの代わりに、彼女の心を守り支え続けてくれていたんだと
諦めないでって呟いた必死の横顔を盗み見ながら、そっと一言。
心から感謝の気持ちを紡いだ








なんで、どうして。

『…っ』

一瞬で停止した思考回路は浮かんでは消える感情に答えなんて見いだせるハズもなくて。
どうしてあの頃となにも変わらない姿かたちでそこに居るのとか、どうして私を見つめたまま驚いたように目を見開いていたのとか
ぐるぐると回り続ける疑問も一瞬で。一つの答えに辿り着いた頭が判断するよりも前、この身は一目散にその場から逃げだしていた

…覚えて、いるのだ

彼らもまた私と同じように


でなければあんな風にこの私を見て驚くはずがない

約束だってした。謝らなくちゃとも思った

それでもいざ本人たちを目の前にしたらそんな大切なことまで吹っ飛んでしまったよ

私にはあなた達に合わせる顔なんてなかったんだ


置いてきてしまった命…私たちの為に散らせてしまった命

人ではない当時の私にもっと守るだけの力があったなら、きっと誰一人その命を散らせることも無かったのに

ぶっきらぼうでも優しい友人の事だって、守れたかもしれない

あの幼子が願ったたった一つの未來だって…


叶えてあげることが出来たかもしれないのに。


『ごめんなさい、どいて…!』


それなりに密集する人混みのなか、縫うようにその間を駆け抜ける
驚いた表情がいくつか見えたけど…それに構ってる余裕なんて初めから皆無だ
長く続く廊下を全速力で走りづつける

ああ嫌だ

こんな時だというのに、思い出してしまう
あの日…彼と初めて出逢った日のことを

新しく配属されたから認印が欲しいのだと。直ぐ横を走りすぎた私に声をかけてきた…あの頃のことを

バタバタと足音が聞こえてくる

元より身体能力がずば抜けて高かった彼らの事
絶対に追いかけてきているに違いない
もしもこのまま捕まってしまったら…そう考えるだけで震える胸の奥深く

伝えたい想いがあるのも事実だ
けれども、それ以上に抱くこの後悔は彼らにぶつけていいものではない
私には謝る資格も向き合う資格だって残されていないんだ
ごめんね、ごめんなさい
見つけて欲しいと心のどこかで願ってしまっていたけれど、でもね
いざあなた達を見つけてしまったら…逃げ出すしか私には出来なかったよ

『―――…っ』

流れ落ちる泪が止まらない
どうしよう、どうしたら良かったんだろう
向き合う勇気もないこんな私では、彼らを困らせるだけだというのに

走り続けて息が上がる。体力の限界なんて人間であれば…況してや女の身であればなおさら限られている
足を止めてしまったら確実に追いつかれてしまうだろう。どのくらいの距離が開いているかも分からない中、どこかに身を隠そうにも出来るはずもなくて
歪む視界のなか、長く続いた廊下に終わりを見た
行き止まりの場所に佇む二人の男性
大きく開け放たれたままの窓は確か中庭へと面していたハズだ

…人の身で耐えきれるだろうか

ここは二階。高さだってそれなりにあるけれど、混乱で極限状態の脳が叩き出すミチは足を止めてはいけないという事だけで
これを過ぎればもう追ってくることはないだろう
同じ大学を選んでいたことも、いま、こうして
再び巡り会えてしまったということも…無かったことには出来ないけれど

身を潜め息を殺して

彼らの幸せを願うことくらいは、私にも許されるだろうか

「…っ、この…じゃじゃ馬めっ」
『…!』

少し遠くの方で、彼の声が聞こえた
体が強張る。けれども止められない足
走る速度を精一杯上げて、談笑する見知らぬ二人組に叫ぶ

ごめんなさい。ごめんなさい。

『二人とも避けてっ』
「「!?」」

片足で踏み込んだ次の瞬間
私の体は開け放たれた窓の外を飛んでいた

一瞬だけ視界に映り込んだ空は…キレイな浅葱色

あの頃…私たちが焦がれ続けたそのものだった


重力に従ってぐんぐんと大地が迫りくる
息を詰めて体制を整えれば襲い来る大きな衝撃
…池とかじゃなくて本当に良かった
着地すると同時に走るジンとした鈍い痛みと振動
ヒールのない靴で本当に良かったと思う
厚みのないコレは衝撃こそリアルに伝えてしまうけど、少しでも高さのあるものを履いていたらまずこんな事は出来なかっただろう
それこそ裸足で逃げ出すしかない

『はぁはぁ…っ』

息が上がる。心臓が鳴り響く。体が…震える
辛うじて立ち上がれた体で振り仰げば、飛び降りた高さが結構なものだったと認識する
流石にもう追ってくることはないだろう。自分で言うのもアレだけど…二階から身一つで飛び降りるなんて非常識すぎる
どこぞのスタントマンでもあるまいし
焦りと不安、不相応な微かな期待が入り混じる感情
微かに震え続けるこの体は…もう、一体なにに対してなのかも分からなくなる
必死に止まれと念じて己の身を抱きしめても意味なんてない

緊張と焦りゆえにいつもより大きな体力を消耗している
乱れる呼吸で酸欠になる脳が眩暈だって引き起こすけど、それどころじゃなかった
見上げた先。窓付近にいた男性たちの驚く声が聞こえてくる

そして…

「ッのバカ!怪我でもしたらどーすんだってのっ」
『っ!?』

窓枠に両手をついて顔を出した彼が焦りを含んだ声でそう叫ぶ

なんで、どうして。

さも当然だと言うかのように足をかけて、その身を空へと踊らせていた



『―――…っ』
「誰が…ッ、逃がすかよ!」


逃げなくちゃ
お願いだから…もう、来ないで…っ


視線が重なったのはほんの一瞬
力強い視線も向けられるその想いも、あの頃となにも変わらないのだとたった一瞬で分かってしまった
無意識に動き出した両足
一度止まってしまえばその勢いだって半減してしまうけど…でも
だめなんだ。私にはあなたと向き合う勇気も資格もないんだよ


見つけて欲しかった 見つけて欲しくなかった

やっとまた逢えた 逢いたくなんてなかった

約束を守ってくれてありがとう 忘れたままでも良かったのに


矛盾する感情はずっと胸の中で渦巻いているだけで、吐き出す術を知らないからこんなにも苦しいのに

大きく乱れる息で余計に苦しくなる
止めどなく溢れ出る雫で視界なんて最悪だ
メガネが邪魔くさい
何処へ逃げているのかも分からない
中庭を突っ切って見えたのは白い大きな校舎一つ

視界に映った開かれたままのドアに逃げ込もうとした、刹那

「六花ッ!!」
『ッ!?』

すぐ耳元で聞こえた強い言霊
ビクリと震えた全身がそれを認識するよりも速くに繋ぎ止められた手首。振り向く間もなくこの身は近くの真白き壁へと押し付けられていたんだ



視線が、重なる



ああ…もう、逃げられない―――…













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