時巡り | ナノ



古くから伝わる習わしや文化は、近年。

時代を経るごとに失われてゆく


せっかくだからと。

古の想いに耳を傾けるのもまた…一つの繋がり方なのだろう。








二十四節気の一つ、冬至。
年の瀬が近づく師走の下旬にあてがわれるこの日は、昔人が無病息災を願って行ってきた慣わしである。

「六花ー、柚ってこのまま湯船に浮かべんのか?」
『目が細かいネットを買ってあるから、半分に切ってから浮かべようかなって思ってる』
「なあるほど。すんげえ香り良さそうだよな」
『やったことないの、柚子湯』
「ガキの頃に何度かお袋がやってたような気もするが…なんせガキだったからな。オモチャにして遊んだ記憶しかねえわ」
『ふふ…なんか想像つく』
「だろ?男なんざそんなモンだって。六花んとこはやってたのか?」
『家はそういうのに煩かったからね。古のしきたりとか慣わしとか』
「へえ。初めて聞いたなそれ」
『そうかもね。うちは色々と面倒だったんだよ』
「?」

鍋で煮込んだいとこ煮が、良い色合いに味が染みている。
早めに煮付けといて良かった。
けどかぼちゃと小豆の煮物なんて、普段の日なら食べないよね絶対。

そういえば、私も捲簾や天蓬の家族の話というものを聞いたことが無かったなって。お互い興味がなかった理由でもないのだが、如何せん。
まえがまえだったこともありそう言った話題に今まで辿り着かなかったのだ
唯一知ってるのはユキくらいなものだろう

『冬至にはかぼちゃと柚子湯っていうのは、昔から続く慣わしなんだよね』
「ニュースなんかでも言ってるくらいだからな。その理由までは知らねえケド」
『じゃあ、ここで解りやすく説明でもしましょうか』
「ご教示の程よろしくお願いします」
『ではいきます。』

古来よりこの冬至の日は、1年で最も夜の時間が長いとされることから、"死に一番近い日"と考えられていて
人々は早くから広がる暗闇に怯え、厄とされるそれを払うべくかぼちゃや柚子湯を使い無病息災を祈願したのだという

今日迄伝わるかぼちゃや柚子湯にも、それなりにきちんとした由来があるのだ。冬至は日照時間が一番短い。
即ち、天照大御神の力が弱まるということで
日の本では天照大御神を祀る神社が多いのだ
太陽神として崇められている習慣が今でもずっと続いている
そしてこの日を境に再び日照時間が徐々に長くなることから、太陽の力が弱まりそしてそこから新たに生まれ変わる日とし、運気が回復するといった縁起のいい日としても信じられてきた

そんな日に口にいれるものが代表的なかぼちゃだ。漢字で書くと南に瓜と書き「なんきん」と読む。
運盛りという言葉から「ん」がつくものを食べると縁起がいいとされており、なんきんは夏の食物で保存が効き、栄養価も高いことから選ばれたのだろう

夏の気を表すと「陽」
冬の気を表すと「陰」

夏に採れたかぼちゃを食べる事で陽の気を体内へ取り込み、無病息災や厄落としの意味もあったんだとか。

「それでかぼちゃなのか。なんきんって読むのは初めて知ったぜ」
『要するに、んがつく食べ物は縁起がいいってことみたい』
「にんじんか」
『あとはれんこん』
「んー、ぎんなんとかか」
『きんかんもだよね』
「となると…かんてんもそうなのか?」
『んが2つつくから当たり。因みに昔は饂飩をうんどんって呼んでたから、これらとなんきんを合わせて、冬至の七種って呼ぶんだよ』
「そう考えると昔のやつって意外と単純だよな」
『語呂合わせも多いし。肖ることも多かったんじゃないかな』
「なるほどな」

かぼちゃと小豆を一緒に煮るのは、小豆の色が古くから厄除けや魔除けに効くとされているからなんだとか。
今のものよりも甘味の少ないかぼちゃに甘味をつける為とも言われている

『うちは冬至のあさは必ず小豆粥を食べてたの。体を温めて病気になりませんようにって』
「…すんげぇ甘そうな粥だなそりゃあ」
『ん。私は甘いものが好きだったから特に何とも思わなかったけど、捲簾からすれば論外なものかもね』
「六花が作ったもんなら残さず食うけどな」
『各個人の好みも大事だよ』
「そうは言ってもな。俺からしちゃ味の好みっつうのは六花の味付けの仕方で変わるぞ」
『それは…責任重大だね。味覚を1手に引き受けた気分』
「そーゆーこった。んで?柚子湯はやっぱビタミン多いからとかそんなトコか?」
『ん。柚は香りが強いでしょう。そういうものは邪気祓いの力が強いとされてるから、禊の意味で冬至に柚子湯に入るんだって』
「この日はフルパワーで厄落としってコトか」
『使えるものは何でも使う勢い。今の世の中みたく医療技術も発展してないし、冬を越せなければ待っているのは死しかなかったんだよ』
「暖房も食いもんもねェとくりゃ、凌ぐのも大変だったろうな」
『今がどれほど恵まれた時代なのかを痛感するね』

蓮とにんじんのキンピラ、いとこ煮、大根と金柑サラダと茶碗蒸し。
斯く言う私も今夜はそれに肖ってる訳なんだけど
口を開けたまま手元を覗き込む彼に笑って、菜箸で摘んだいとこ煮を差し出せば満足そうに口の中へと消えていく
美味い、なんて言われれば自然と零れてしまう笑みに…私も単純だななんて。

『甘すぎてない?』
「こんくらいなら問題ねぇよ。味しみてて美味え」
『それなら良かった。金柑の皮の煮汁があるから、それに生姜と蜂蜜いれてスープにしようね』
「めちゃくちゃ健康料理だな」
『折角だから無病息災を、ってね』
「風邪予防にゃピッタリだよ。六花といるとジジイまで病気知らずで生きていけそう」
『目指すは老衰。』
「そりゃあイイわ」
『でも勝つのは私』
「言っただろ、今度こそ譲らねえってな」
『ふふ…終わりが少し、楽しみだね』
「安心しろ。旅はのんびり往くのが基本だからな」
『そのためにも健康には気を付けなくちゃ』

柚子を半分に切ってから網目の細かいネットに入れる。
皮ごと入れるのがポイントだから、少し湯船につけておこうか
ビタミンがたっぷり溶けだしたお湯につかって肌からその効果を吸収する
冬至=湯治とかけてあるあたり、昔の人っぽさが残ってるよね
香りもいいのでリラックス効果も期待できそうだ

粗方夕飯の準備も終え、後はお風呂が沸くのを待つだけ
菜箸を置いた時点でそういえばと彼が首を傾げて見つめてきた

「六花は一人っ子だっけか」
『そうだよ』
「意外だよな。ゼッテー長女っぽい」
『捲簾は長男だよね、確実に』
「まーな。双子の弟と妹がいるが…アイツらマジでうるせぇ」
『双子なんだ…賑やかそうでいいな』
「毎日が戦場だぞ。ケンカなんざしょっちゅうしてたからな」
『歳は離れてるの』
「あー、確か3つか4つ離れてた気がする」
『お兄ちゃんしっかり』
「いちいち覚えてらんねえーのよ」
『天蓬は末っ子のイメージ』
「当たり。3つ上の兄貴がいるんだよ」
『捲簾も会ったことある?』
「アイツとは高校の時からの付き合いだからな。何度か会ったことはあるぜ」
『似てるのかな』
「いんや全くの正反対。兄貴は時間に厳しいし生活面でもヒジョーに常識ある男だな」
『ふふ…そうなんだ』
「ああみえても医者の息子なんだぜ、あいつ」
『……、それは…意外性NO.1だね。じゃあ、天蓬も将来は医者になるのかな』
「本人は嫌がってっけどな。それで家を出たようなモンだし?」
『なるほど。』

なんだか、変な感じ。
今を生きる私たちなら家族がいて、親がいるのは当たり前のことなのに。
どうしてこうも…胸の奥がくすぐったくなるんだろう

天蓬も、ユキも、金蝉も、悟空も…そして、捲簾も。

幸せだと言えるようなぬくもりに、出逢えていたこと。

なんの不自由もなく…元気に生きてこれたこと


『…』


そして、私にも。
無条件で愛してくれる存在がいてくれたこと
感謝してもしたりない程に。
時が巡り続けた先がいまなのだとすれば
私をこの世に産んでくれた二人には、返しきれない程の愛情を貰った
そして再び結ばれた縁の先には、愛しいと思える大切な人たちと出逢うことが出来た

本当に…奇跡。

「けど、ユキも六花も一人っ子とはなァ…」
『…?』
「俺も天蓬もお前らの親父さんに泣かれそうだわ」
『ああ、一人娘だから』
「そーそ。反対なんかされたら、納得してくれるまで説得し続けるしかねえよな」
『ふふふ…どうだろうね。あれでいて物わかりはいい方だと思うけど』
「六花んとこは3人家族か?」
『うちは母方のおじいちゃんと一緒に暮らしてるの。父さんの親戚はもう皆さん眠りについたから』
「そっか。さてはじいさんっ子だろ」
『分かる?』
「何となくな。昔の知識やらそーいうの詳しいから」
『そうね。そういうのは祖父や母に子供のころから叩き込まれたよ』
「古典的な女ってものなかなかイイよな」
『今の時代には合わない気もするけどね』
「消しちゃなんねえモンだってあるだろ。今の時代じゃ猶更な」

隠された事実を掬いあげるのは、確かに昔から好きだった。
昔人が創り上げた習わしや伝統…民間から貴族に至るまでその種類は多種多様なものばかり。
それにくわえて、昔は人間と神との繋がりが今よりももっと強かった時代だ
まえの事もありどうしてかそういうものに強く興味をひかれた幼少期
嘗ては自分もまた天界という場所に生きて居ただけあって、その手の話題にはいくつかの共感すら覚えたほどだ

そしてこの日ノ本の歴史には様々な異国の文化も混じっている。
神仏混合の国と称されるのがいい例だろう

「その一つがこうしたモンだと思うワケですよ」
『まあ今の時代、節季を日常生活に取り入れてる家庭は殆どないね』
「知ってたとしても意味や由来なんかまでは知識の範囲外だろうしな」
『改めて習うようなものでもないから』
「けど、良い経験になるぜ」
『そう思ってもらえてなにより』

立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至。

今ではカレンダーにも記載されるようになったこの8つは、たびたびニュースにもとりあげられるようになっているから耳にした人も多いだろう
二十四節気というだけあり、他にも16個の呼び名や意味がある
昔人は季節の移り変わりを肌で感じる事に長けていたのだろう

「お…」
『捲簾?』
「六花、外見てみ」
『!…あ、雪…』
「どーりで冷え込むワケだよな」
『冬本番だもんね。明日には積もっててくれるかな』
「そーなったらアレだな。雪遊びでもやるか」
『雪だるま作りたい』
「かまくらもいいぞ」
『そしたら中でお餅焼けるね』
「あいつらも誘って雪見酒」
『雪合戦は悟空が圧勝しそう』
「運動神経バツグンだからなァ」
『それは捲簾も天蓬も同じだと思うの』
「さすがに猿にはなれねーって」
『あ、悟空が拗ねる』
「愛情表現ってヤツ?」
『ふふ。曲がってるね』
「なにぶん性格が歪んでるモンで」
『自覚があった事に驚きです』
「六花ほどじゃねーケドな」
『それは…うん。納得』

音のない世界
シンシンと降り続けるこれは、その結晶の形から六花とも呼ばれるらしい。
同じ形がないことから…唯一無二の存在という意味を込められて

あの日…彼がくれた、大切な宝物。

「六花」
『…なに』
「六花。」
『ふふ…なんでしょう』
「いんや。呼んでみただけ」
『さいでしたか』
「さいなんです」
『今でもずっと大好きなの』
「俺がか?」
『捲簾は大好きだけじゃおさまらない』
「冗談にもこーして律儀に答えてくれる六花が好きだよ俺は」
『私にとってはどっちも愛おしいものだから。』
「因みに俺の愛は山より高く海より深いから覚悟しとけな」
『飽和状態になりそうだね。』

外界を隔てる1枚のガラス越しに見える景色は、共に見る人は。
どれ程の時が経とうとも変わらずにいてくれる
たったそれだけの事がどれほどこの心を満たしてくれただろう

流れる季節を共に生きてこれた

出逢いの春、縁が齎し新たに結ばれた梅雨

願ってやまなかった太陽と邂逅した夏

そして…想いが深まった秋。

『輝いてる』
「ん?」
『みんなと過ごした想い出も、今のこの景色も…泣きたくなるくらい』
「…来年もそのまた次の年も続くだろ」
『贅沢だよね』
「ははッ…そーかもな」
『来年の今頃は、私たちどうしてるのかな』
「変わんねぇよ…俺らはな。どこいったって何があったって、毎日バカみたく平和に過ごしてる」
『…』
「同じ時が平等に与えられるこの世界じゃ、生き続けてる限り無くならねえ」
『…ん』
「だが強いて言うなら…アレだな」
『…?』
「来年の今頃には同じ苗字を名乗りたい」
『!、それは…幸せ過ぎて泣きそう』
「だろ?」

同じ時は流れても、その時に抱く想いはまた違うものになっているんだろう
今日、2人で過ごしすこの冬至も…
きっと来年は同じじゃないから

そこに宿る願いも想いの類いも、きっと。



『―――…捲簾』
「おう」
『天蓬、ユキ、金蝉、悟空…同じ世界で出逢えたこと、いつかまた同じ場所で眠れること』

訪れる季節を、時間を。
共有する事が出来るこの奇跡を、忘れないように

『感謝しなくちゃね』
「やーっぱそこは観音のバァさんにだな」
『いつか会いに行かなくちゃ。たくさんのありがとうを携えて』
「年の瀬にでも行ってみるか」
『それもいいかもしれないね』



繋がりが強かったんだ。

あの人とは、とくに


だからこそ。





この1年で出会えた数々の想いと共に、あなたに会いにいくよ。

最後の時…あなたは好きに生きろと言ってくれたから




その結果が今に繋がったんだよって

敬意を込めて報告をしようか―――…














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