無秩序な世界 | ナノ




太陽と、月と

光と、闇。







あれから寺院へと辿り着いた私たちを出迎えたのは、いつにも増して険しい顔の三蔵と。

「結香姉ぇ…」

どこか不安そうに眸を揺らす悟空の二人だった。



「なんだなんだァ?揃いも揃って辛気臭えカオしやがって」
「三蔵、なにかあったんですか?」
「おお有りだ。…めんどくせェ」
『なに。なんなの、どうしたの、悟空』
「…」

いつもと変わらない風景。だけどいつもと様子の違うふたりに八戒と悟浄は顔を見合わせる。どこか苛立ったように、そして諦めたように。長く息を吐き出した三蔵はなぜか私を見つめたまま一言も話さない。
俯く悟空が、ぎゅっと掌を握りしめた
この数カ月で悟空の成長はとても大きな変化を齎していて。背丈はもうほとんど私と変わらない。500年間成長が止まっていただけあって、外の世界に来て一気に進んでいたから。
それでも、隠しきれない子供っぽさはいまだ健在だ

それは別にいい。どれほど大きく成長してもこの子が私にとって愛おしい子であることに変わりはないのだから
そんな悟空がいつになく深刻そうな顔で俯くから、なにかあったのかと心がザワついた。
どうしたの、なんでそんなに

『…悲しそうな顔してるの』
「結香姉ぇは俺たちのこと好き?」
『…、好きだよ。』
「傍に、いてくれる?」
『今までずっと一緒にいたよ』
「…じゃあ…なにがあっても…?」 
『―――…』


そうか。だからか。
言葉の真意を読み取れて、向けられる紫暗色の視線を正面から受け止めた。雰囲気の違いを感じ取った悟浄と八戒もまた、何を問うでもなく黙って私たちを見つめている

選ぶのはきっと、私自身なのだろう。

三蔵の長い指が、真っ直ぐに視線をよこしたままとある方角を指し示す。
あの方角にあるのは、三仏神が顕現する間。下界と天界を繋ぐ、唯一の場所。
きっと彼は既に呼び出されたのだろう
そして己のこれからを見据えている

長く続く、旅の始まりを確信しながら。

「…一人で来いだとよ」
『そう。…悟空には話したんだ』
「コイツ等は強制的だから仕方ねェだろ」
『そうだね。うん、そうだった』
「…」
「話しがぜんっぜん見えねえンだけど」
「お前らにも話す。だが一つだけ覚えておけ…俺がこれから話すことは既に決定事項だ」
「そこまで深刻な話なんですか?」
「さぁな。その捉え方は個人個人だろう」
『とりあえず私は呼ばれているらしいから、行ってくる』
「行くってどこにだよ」
『私たちが初めてご対面した場所』
「三仏神の処ですか」
『当たり。二人もきっとすぐにわかるよ、今の三蔵と悟空の様子の意味が』

怪訝な顔で視線を向ける二人に片手を振って背を向ける。決められたことと、決めること。
広がる異変に揺らぐ桃源郷と、彼らの旅路を看たあの人の夢。
それを継いだ私が選ぶのは…

いまを生きる彼らとの未来だ。

部屋の扉を開けた先には、見知った人物が不敵な笑みで笑っていた


「よォ」
『でた…観音、』
「随分なご挨拶じゃねぇか。わざわざこの俺が直々に会いに来てやったってのに」
『御足労痛み入ります』
「んな淡々とした労いがあって堪るか」
『名一杯感謝の気持ちを込めた』
「可愛さのカケラもねえのは相変わらずだな」
『…』
「"同じ"だっただろ?…今も、過去も」
『あの人と似ている、っていうのは…そうかも』

あの人と同じ魂を持った私という存在。
過去に夢看たこれからの軌跡を選ぶのは、今を生きる私の自由だ。
きっとそれを伝えにこの人は降りてきたのだろう
向かい合って、澄んだ色の眸を見つめる。
現世で読んだあの物語は、未だ未完成だった
天界で生きた私が看た夢ならば、どうして結末は記されていないのか
見透かしたように、双眸がゆうらりと細められる

一歩、一歩。
観音が近づいてくる。
私は動かない。距離が、近づく
手を伸ばせば届くところで止まった観音は、とても愉しそうだ
…なんか遊ばれてるみたいで腹立つなぁ
いわゆる無表情と呼ぶべきなんだろう表情のまま見上げれば、言葉が降る
やさしく、まるで遠い天から降り注ぐ六花のように
決して急ぐことはなく、ゆっくりと。

「アイツが看た夢に"終わり"がなかったのは、それは所詮夢に過ぎないからだ」
『…』
「死に際に強く望んだことは来世に影響を及ぼす」
『それは、聞いたことがある』
「輪廻転生が実際に在るかねえかを決めるのは生きている人間だ。アイツは余程あのチビの元へ還りたかったんだろうさ」
『何百年かかっても…か』
「お前が受け継いだのは、天界の過去とこれからの未来…じゃあその未来を創る人間は誰だと思う」
『…"今"を生きる者』
「ふ…それだけ分かってりゃ充分だ」
『夢の続きを、今度は私が創れってことか』
「"自分"で看た夢だ、最期までぜんぶ分かってちゃつまんねえだろ?」
『……過去も今も未来もぜんぶひっくるめて"私"だってことが、かなり複雑なんだって気づいて欲しいよ』
「はっ。そんなもん諦めろ…それを願って散ってったんだろ?」
『…』

笑って言われたその言葉には、ちゃんと頷けた。
終わりがなかったのはきっと私がこの世界に戻ってくるため。
そして、終わりを看届ける旅をはじめる為なのだろう
知っていること、識らないこと。
この桃源郷に広がる異変を突き止める旅に出ろとは、一言も言われていない。
それを選ぶのは私だからと
ずるい人だ。観音も、そしてわたしも。

逃げるミチを残すことが先へと繋がるミチを選ばせる。
自由だと言うわりには選び取るものが何かなんて分かっているのに

「この桃源郷で自我を失っていない妖怪はあの三匹だけだ」
『うん』
「西を目指せ…天竺へな」
『空の空路が一番早いってことも、知ってるんだからね』
「ああ。でもそれじゃあ、」
『つまらない』
「…だろ?」
『観音は本当にいい性格してると思うよ。なんでそんなんで仏になれたの』
「減らず口はお前の方が顕著だな」
『褒められている気がしないよ』
「褒めてねーよ」

少しだけ乱暴に撫でまわされた頭に眉根を寄せれば、口元を緩くつり上げた観音が、笑う。
この人もまた、看届けるために

「ああ、それともう一つ」
『なに?』
「コレを使うか使わないかは、お前が決めろ」
『!…銀、花』
「…選べばいい。継ぐか継がないかは」

観音が手を翳した先。やわらかな光と共に現れたのは、大きさ1m程の銀色をした鉄扇。
閉じれば刀、最大限に広げれば防御。そして振るえば仕込んだいくつもの鉄針が飛び出す仕組みになっている…あの人が使っていた、武器だった
手に取れば、重さは感じない。
不思議…こんなに大きな鉄扇なのに

「武器だって持ち主ぐらい選ぶさ」
『…だから私は重みを感じないんだ』
「ああ。癒焔の時から続く…曰くつきの代物さ」
『それでもいい』
「…」
『"私"が使うには相応しい武器だと思わない?』
「フ…そうかもしれねえな」
『壊さないように気をつけよう』
「心配いらねえよ」
『え?』
「お前の気を流せばどんなに木端微塵になろうと直すことは出来る」
『…、便利な世の中だね』
「その代わり、消費する気は絶大だがな。気ってのは己の体内に流れる生命力の源だ…使い過ぎると死ぬぞ」
『肝に銘じておくよ』
「邪魔な時はその勾玉の中にでも仕舞っとけ」
『そんなこともできるの』
「少しだけ細工しといただけだ」

この勾玉も、銀花も。もとは天界で生きた天乙貴人の物…媒体である私自身が彼女たちと繋がりがあればそれも可能らしい
銀花に触れて一言。観音が呟いた

「いいか、俺の後に唱えろ…arma」
『…アルマ』

刹那。まるで霧のように銀花が空中へと溶け出していく。
銀色の粒子となった銀花が、揺蕩うように胸元へ下がる漆色の勾玉へと吸い込まれていった
なんだ、これは。いつから観音はマジシャンになったのだろう
驚いて瞬いたままの私に笑う声。
いきなりこんな場面目撃したら誰だって驚くと思うんだ。

「取り出したい時はriberaと唱えろ。お前の言霊にだけ反応する仕組みだ」
『…、』
「便利にしてやっただろ。感謝しやがれ」
『…物質上の問題はどこにいったの』
「んなもん気にしてたらこの世界でやってけねぇよ」
『…』

納得。
細かいコトを気にして生きていけるほど、この世界は私の世界とは丸っきり違うのだから無理な話しだ。そうだった。常識があるようでないこの世界。
秩序があるようで無秩序な世界。気にした方の負けだ
揺れる勾玉を指先で持ち上げて、覗き込む。
そこに映るのは私自身と、微かに揺らぐ銀色の光
そうか。これで出したい時に出せるのか
悟浄や悟空のように召喚出来るのは便利だと思っていた。八戒は気功術だからそもそも武器は必要ない。三蔵は小さな銃だから袖に入れておけば持ち運びも便利だ

なるほど。私の場合は言霊を使い実現させるのか。なんていうか…本当に漫画のような世界だなと改めて実感させられる

『…リベラ』

試しに唱えてみればすんなり。
勾玉に溶け込んだ銀花が今度は光の粒子から徐々に物体へと変わっていく。
その間およそ5秒弱。
あっという間の出来事だ。再び間の前に現れたそれを手にして、射し込む光へ翳してみる
あの人たちの想いがこもった…たった一つの武器。

これで私は、彼女たちが看れなかったこれからの先を創り上げていくのか


満足気に一瞥した観音が、ゆっくり背を向けて歩き出したのを見つめる


その背中に、一言。


『しっかり看ててよね』


"あの日"と同じように、最期まで。



「―――…じゃあな。せいぜい好きに生きるんだな、お前らも」



光の柱に消えていく最中、答えの代わりに愉しげな背中で片手を振る。





『…イエッサー』




懐かしい言葉と共に、右手を額へとあてがった。









「あぁ、戻ってきましたよ」
「…!!」
「落ち着けっつーの悟空」
「終わったのか」
『ん。まさかの観音御登場』
「観音って…あの観世音菩薩ですか?」
『そうそう。あの性別不明な唯我独尊仏』
「結香、お前その武器どーしたんだよ」
『…』
「結香…?」
『"これ"も、私が受け継いだものの一つ』
「…鉄扇か」
『開けばね。閉じたままの今の状態だと切れ味抜群の刀、大きさが1mあるから広げれば盾にもなる』
「すっげ…使い方次第じゃお前のが一番使いやすいんじゃね?」
『どうだろうね。…ほら、広げた時の扇面に鉄針を仕込めば』
「銃代わりにもなるってことですね…万能じゃないですか」
「お前が"銃と刀が一番身近だった"といったのは、こういうことか」
『…間違いでは、ないかな』


三蔵の部屋へ戻れば、落ち着かない様子の悟空が不安気な表情を隠さないまま視線を飛ばしてくる。例えるなら、捨てられる寸前の子犬といったとろこだろうか。もし尻尾と耳がついていたなら、完全に垂れ下がっていたことだろう
これはこれで可愛いんだけどな。でも、やっぱり。悟空のそんな顔は見ていたくないから

笑っていて欲しいんだよ。ずっと。
あの人たちも、きっとそれを望んでいる

『聞いた?』
「おーよ。バッチリな」
「西へと向かう旅…ジープが活躍してくれそうですね」
『いま、この桃源郷で自我を保っている妖怪は悟空と悟浄と八戒だけだって』
「フン。こいつらだっていつ自我を無くすかもわかんねェだろ」
「バァーカ。俺らをその辺の低レベルな妖怪と一緒にすんじゃねーよ」
「かわんねぇだろ。特にお前は」
「なんか言ったか生臭坊主」
「まあ否定は出来ませんねぇ」
『大丈夫だよ』
「…」
『三人なら、大丈夫』

窓から吹き込む風に、ベッドに座る悟浄の深紅が揺れる。窓枠に寄りかかって全員を見つめれば、考えてることは同じなのだろう。
似たような色を宿す四色の眸が真っ直ぐに私を射抜く
この旅に着いていくかいかないか…それを決めるのは私自身だと。それも聞いて知っているのだろう。だからこんなにも、悟空の眸が揺らいでいるのだ

同じように、悟浄もまた…


『選ぶのは私なんだって』
「それはお前がこれからの先を知っているからだろう」
『…夢の終わりを看届けるのも、私の役目だって』
「…」
『だから、みんな聞いて』


いつのまにか、夕陽が沈んでいた。
沈まない太陽などないと、人は言う。
それはそうだ
昇る光があれば沈む光だってある
太陽が沈めば月が昇る

沈んだままの光はこの世界に存在しないんだ


『私はあなた達が生きるこの先を知っている』


いつだったか、彼らは。

次に昇る太陽を賭けていた


月のような人だと言われていた人。

闇のような人だと言われていた人。


『…それでも、最期はまだ、知らない』


呑み込まれるのはどちらだろうと

そう、嘯いていた。


『だから私は、その先を自分の目で確かめたい』


沈まずに天に居続ける太陽は、いつか。

その身を焦がすというのなら

黒点に住まう大鴉が哭く前に


『連れてってくれますか、私も』


この手に掴むのは己の未来。




三蔵が、鼻で笑った。




「一人だけ平和に生きられると思うなよ」
「結香が居てくれないと、僕一人では問題児をまとめられません」
「だァれが問題児だ、そりゃ悟空とタレ目だけだろ……ま、結香なら"選ぶ"って分かってたケドな」
『あーぁ、さよなら私の平穏』
「みんなで居れば、きっとそれも平穏です」
「ははッ…違いねーや」
「…悟空、いつまで呆けてんだ」
「え…だって、…え…?」
『"約束"したから。ずっと傍にいるって』
「結香姉ぇ…」
『守るよ、最期まで』

この広い世界で、やっと出会えたキミだから。
これから先、まだ。
たくさんの事が立ちはだかる未来を、少しでも傍で見届けるために

『おいで、悟空』
「…っ」

笑って両手を広げれば、泣きそうに顔を歪ませた悟空が走りこんでくる。走るんじゃねえよなんて悪態つくくせに、気づいてるのかな。三蔵は。
自分の目元が柔らかく緩んでいることに
飛び込んできた大きな体。しっかりと抱きしめれば嬉しそうに笑ってくれる。すべてのものを照らし出すような、そんな笑顔で
八戒と悟浄も、笑っていた。

「決まり、ですね」
「西への旅…こりゃまた、偉く長丁場になりそーな予感だな」
「フン。せいぜい途中で死なねえように気を付けるんだな」
「それを言うならあなたもですよ三蔵」
「あ?」
「だってあなた達、野宿にでもなったら自分たちで食事の支度なんて出来ないでしょう?」
「…」
「それはごもっともデス」
「調理担当はいつも僕と結香でしたから」

死活問題ですね。
そういわれたらそうだ。いくら缶詰など非常食を買っておくにしても、彼らだけじゃまともに生きていけるかとても不安だ。悟空なんてその辺に生えてるキノコとか平気で食べてしまいそうな気がする
食っても死にやしねえだろ、とかいって三人で食べたらそのまま毒に侵されておしまい。…想像できてしまうあたりが怖いよ

「結香姉ぇも…」
『ん。』
「一緒っ」
『そうだよ』
「ずっと一緒!!」
『傍に居るよ、悟空の傍にずっと』

託された記憶と夢と共に、歩みだすのはこれからの続き。
見渡せば、4人がいる。ああでも、ジープに5人も乗れるかな。あれは4人でちょうどよさそうに見えたんだけど
あとは手荷物の選別か。あ、何か小さなバッグでも用意しないと。さすがに私も女だから、何も持たずに長く出歩くことは避けたい。金銭面では三仏神のカードがあるから問題ないとして、治療に関しても八戒と私が気功術を駆使すればそんなに問題ないかな
後は各自の服装か

「三蔵、出発は?」
「明日の昼間には発つ」
「んじゃ、今夜はここに泊まって、明日になったら各自必要な物揃えて出るとすっか」
「なあなあ!おやつっ、おやつ持ってこーぜ!!」
「バカかてめぇは。遠足じゃねえンだぞ」
「だって移動中腹減るじゃんか!」
「砂でも食ってろ」
「食えねえって!」
「僕らは…特に必要な物とかありませんね」
「だな。荷物なんて邪魔なだけだし」
『男の子は身軽でいいよね、ほんと』
「結香、何か必要な物があったら言ってくださいね?僕らで買える物なら手伝いますから」
『ありがとう、八戒』
「言っとくけど、お前ちゃんと着替えろよ?間違ってもその恰好で行くなよ?」
『流石に着替えるよ』
「スカートじゃ戦闘になった時大変ですもんね」
『短パンはくならいいと思わない?』
「却下!!」

必要な買い物は明日の午前中に済ませることにして、今日はみんなで外にごはんを食べにいくことになった。これからもみんなと一緒に居れると知って、悟空は終始嬉しそうにはしゃいでいる。からかって遊ぶ悟浄の二人をうるさいと叱りながらも満更ではない様子の三蔵
並んで歩く八戒と私はそんな二人を眺めては賑やかだなぁと苦笑したんだ











雪みたいな女だと、そう思った。

『あれ。もう上がったの』
「アイツ等と風呂なんざゆっくり入れるかよ」
『あはは、確かに。でもみんなで入るのは楽しそう』
「…お前、それ河童の前で絶対に言うんじゃねえぞ」
『ん。私も我が身は惜しい』
「めんどくせえ事にしかならん」
『確かにー』

風呂上り。
騒ぐバカどもに構わずさっさと出てきてみれば、縁側に座って酒を飲む姿を見つけた。
漆を流し込んだかのような眸の先には、漆黒の空に浮かぶ光。
いつもならすぐに自室へと足を向けるのに、なんでか。
この日だけは自然と彼女の隣へ腰掛けていた。
意外だったのだろう。軽く目を見開いた結香が言葉なく瓢箪の口を傾ける。
ああ、自分でも意外だ。

柱に背を預けて片足を立てる結香は、それでも次にはどこか愉しげにその双眸を細めて俺を見る。なんだよ。

『眠らないの』
「別に。眠くなったら勝手に寝る」
『低血圧なんだから、ゆっくり寝ればいいのに』
「…」
『あ、そんなこと教えた覚えはねえぞってカオしてる』
「人の心を勝手に読むな」
『読心術』
「ぬかせ」
『まあまあ、そんなに目くじら立てないでよ。月がこんなにもキレイなんだから』
「…関係あんのか」
『月のような人だって』
「あ?」
『そう言われていたらしい』
「だれが」
『光明三蔵法師』
「っ!」

久しぶりに聞いたその名前に、一瞬。
心臓を握られたかのような痛みが走った気がした
睨むように視線を飛ばせば少しだけ笑う声。ごめんねと口にしたのはいったい何に対しての謝罪のつもりだ。俺の睨みなど意にも介していないような様子に、こいつも大概神経図太いなと嘆息する

俺の知りえないなにかを、コイツは知っているのだろうか。
あの日の事も…俺が探している経文のことも。

『聖天経文の在りかは私にも分からない』
「…てめぇはそんなに鉛玉が欲しいのか」
『三蔵が分かりやすすぎるんだと思う』
「…」
『牛魔王に悪用されているかもしれないっていうのは、本当』
「あれは…お師匠様の形見だ」
『うん』
「その辺のバカがむやみやたらに触れていいもんじゃねェんだよ」
『うん』
「見つけ出して…必ず奪い返すッ」
『その為に西へ行くんだから、ちゃんと取り返さないとね』
「当たり前だ」
『その魔天経文盗られないよーにね』
「そんなヘマ誰がするか」
『そうでした。天下の三蔵法師様』
「やっぱりお前は死ね」

飲む?と手渡されたそれを奪い取るようにひったくれば、目元だけで笑う。
八戒がいっていたように…コイツは最近になって良く笑うようになった
声を上げて笑うことは少ないが、それでも。
目元で、口元で、雰囲気で。
柔らかく。それでいて、どこか冷たささえ抱かせるような。
この先を知るコイツにとって、西への旅は拷問なんじゃないかと思った時もあった。先を知ってるが故の惑いや辛さもあるんだろうな、と

月明かりに照らされた肌が、やけに白く見える。
幽玄さを感じさせるほどに。

『そういえば』
「今度はなんだ」
『二人っきりで話すのって、初めてじゃない?』
「…そういえばそうかもな」
『いつもみんなで居るからね』
「騒がしいれ連中がいねえ方が清々する」
『はいはい』
「なんだ今の受け流しは」
『素直じゃないなって』
「誰がだ」
『あの子たちがいないと寂しいくせに』

本気で頭を撃ち抜いてやろうかと思った。
これがあのゴキブリ河童や悟空だったら確実に頭を狙ってただろう
絶対ぇに引き金を引いていた。かろうじて思いとどまれたのはひとえにコイツが女だからということだけだ
八戒や悟浄から聞かされた事実
彼女はその身に負ったケガを忽ち癒してしまうのだと。
…己の命を削りながら。

それもあの日に記憶と共に受け継いだとなれば、コイツにとって良いことなのかどうかは分からない。ただ…初めて会った時に感じた不可解な感情だけは…どうやら間違いではないようだから

「…チッ」
『あ。私も一本…って、三蔵。お酒全部飲んだの』
「脳天ブチ抜かれなかっただけマシだと思え」
『あはは、それはそうだ』
「…フー……お前は」
『んー?』
「後悔しねえのか」
『…旅への同行のことかな』
「それ以外に何がある」
『三蔵が実は物凄く歌が上手いんだって悟浄と悟空に教えたこと?』
「なんだそれは」
『あの二人、似合わないーって大爆笑してたから』
「てめぇやっぱり頭貸せッ」
『あーほらほら、煙草の火が危ないから暴れないの三ちゃん』
「誰が三ちゃんだッ!!」
『かわいいと思わない?』
「次言ったら問答無用で撃ち殺す」

漂う煙が二つ。漆黒の夜空へと立ち昇る
微かに香る花の匂いは、もはや嗅ぎ慣れてしまったものだ
女のクセに酒もたばこもイケんのかと鼻で笑えば、お坊さんが酒もたばこも吸ってるよりかは一般的だと返される
口の減らねえ女だ。
それでも、どうして。コイツとのくだらないこんなやり取りを、どこか懐かしく思うてめぇの感情が人生最大の謎だ。

『後悔はしないよ。自分で決めたミチだから』
「…」
『だから三蔵も、悟空も、悟浄も、八戒も。自分が正しいって思うミチを選んで突き進めばいいんだよ。それは決して間違いではないから』
「その上から目線がうぜえ」
『そりゃそうでしょう。あなた達より年上ですから』
「対して違わねえだろうが」
『二年と三年は大きいんだよ』
「言ってろ」
『先を知っている私が、あなた達との旅についていくのは…』

立ち上がった彼女が、光を見上げる。
夜と同じ色の眸で、透明な空を見上げていた
白い白い、月を。

春を知らせるようなあたたかい風が一陣、この寺院を吹き抜ける。
風に揺らぐ黒糸が首元を晒す。そこに見えた華は…恐らくコイツ気づいてねえな
あのゴキブリと良く付き合ってられるな。今世紀最大の謎だ。


『約束を叶えようと散っていった"彼ら"に示すため』


眼鏡の奥で、一つ。
確かな想いを以て何かが煌めいた。
それは強く、鋭く、それでいて…脆さと不安定さを兼ね備えながら
小さな唇から吐き出される白煙。それと同じように白い肌。どっかの物語じゃこのまま月に帰ってしまいそうだな
まあコイツなら、大人しく帰るタマでもねェか

『それと、もう一つ』
「勿体ぶらねえでとっとと吐け」
『今を生きる三蔵たちと生きてみたいから』
「…」
『あーでも、平穏とはかけ離れるけどねーっ』
「よくもまァそんなセリフ素面で言えるなお前」
『事実は事実として受け入れることも大事だよ』
「…」
『三蔵があの3人との旅で不安要素を持ったことも、大事』
「…お前、あのバカどもが暴れだしたら全力で止めろよ」
『悟空は三蔵に任せても大丈夫じゃないかなぁ』
「あんな狂暴な猿願い下げだ」
『かわいいよ。みんな』
「野郎にその形容詞は要らねェ」
『悟浄も言ってた』
「…」
『あ、眉間の皺が二割増し』

近づいてきた影が、すぐ目の前で揺れる。
ゆっくりと降る柔らかな掌は…懐かしい記憶を思い出させた。
何を言うでもなく、そっと。
まるで静かに降りしきる六花のように、あたたかく
数回撫でられたそこに思わず瞠目した。

いつも悟空に、やっているソレ
嬉しそうに笑う悟空の気持ちも、確かに分からなくもねえかもな

「…ガキ扱いしてんじゃねえよ」
『ほら、ここまで大きくなると回数も減るでしょ?』
「必要性は皆無だと思うがな」
『口元緩めて言うセリフじゃあないね』
「うるせぇよ」
『ハイハイ』
「腹立つ女だな」
『ありがとう』
「豆腐の角に頭ぶつけて死ね」
『ちゃんと弔ってね。じゃないと化けて出てやる』
「お前が幽霊になっても怖くもなんともねーな」
『じゃあ三蔵の枕元に毎晩のように猫をおいてあげるね』
「…」

どっから仕入れやがったその情報。
自分たちの過去も未来も知っているというのは、ある意味旅の先を知っていることよりも厄介なのかもしれない。愉しげに細められた眸が非常に腹が立つ。
誰かこの女をそこにある池に沈めろ。今すぐに。
地面で消し潰した吸殻に、携帯灰皿を無言で差し出すコイツを一瞥してから仕方なくソコへ放り投げた
偉い偉いと笑われれば、埋まらない歳の差を突き付けられた気がした

「お前と話してると頭が痛くなる」
『そう?私は愉しいよ』
「てめぇは遊んでるだけだろうが」
『失礼だな。そんなことないって』
「笑いながら言うセリフじぇねえよ。バカか」
『そうかもね』
「…」
『自分で言っといてなにその意外そうな顔は』
「自覚はあったのかとな」
『三蔵も負けじ劣らずいい性格してるよ』
「お前に言われても嬉しくもない」
『昔はもっと色んなことがどうでもよかったハズなんだけどなぁ』
「脈絡が全く以て皆無だなお前」
『こんなに話すとは思わなかった』
「誰かコイツの言語を解読しろ」
『もっと無口なイメージだったよ』

意外な一面を知れてラッキーだと笑う様子に鼻で笑ってやった。
ああそうだよ、自分でも驚いてんだ。
こうも躊躇いもなく話せることなんか久しくなかったんだ
それほどまでに、どこか。
結香という存在は懐かしさを抱かせる
…いけ好かない女でもあるがな
そろそろあのバカどもも出てくるだろう。
そう思って立ち上がれば、同じことを思ったのか。
風呂場の方へ視線を飛ばす結香は聞こえてくる声に笑みを浮かべる

身長なんか小せえクセに、その存在感は恐らく俺たちの中じゃ一番大きいんだろう。
コイツが居ると居ないとじゃ、どいつもこいつも…揺れ動いてしまうから。
腹立たしいことに、この俺自身でさえも。

『あ。みんな出てきた』
「今日はとっとと寝かすぞ。明日の昼には出るんだ」
『トランプとか始めそうなテンションだけど、彼ら』
「殴り飛ばして寝かす」
『それ気絶の間違い』
「うるせえ」

乱暴だなあと肩を揺らしやがるから、その首元で見え隠れする隠しきれていない印に指先を押し付けてやった。フン。せいぜい猿にでも質問攻めにされりゃあいい。お前なんて

「首筋のコレは、デケェ虫にでも噛まれた痕か?」
『…っ!?』

慌てたように片手で覆い隠したところで、もう遅えんだよ。
微かに色付いた耳が見たことのない顔をさせる
やっと一つだけ彼女に勝てたような気がして、俺は満足気に笑ってやった








懐かしい、守りたいと。

あの日確かにこの胸の奥に湧きあがった感情は

もう、否定するのはめんどくせぇ


最期まで道連れにしてやるよ、仕方ねーから…な。









役者は揃った、時も満ちた。


"あの日"に眠るのは彼らの夢

それは壊れゆく物語…

そして、

いまへと繋がる伝説となる




行こう、西へ―――…








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