嫦娥の花宴 | ナノ



入口は異なっていたとしても、

内に秘めた思いは同じなんだって知っているから。







『ほらほら、上半身に集中し過ぎて足元が疎かになってるよ』
「! うわっ」

ドサリと乾いた音が響き渡った
今日は補佐官同士で行う基礎訓練日。天帝城の一角にある此処は軍人も使用が許可されている。現に今も遠くの方から西方軍の奇妙な掛け声が聞こえていた

眼前にて体制を崩し倒れ込んだ小龍
訓練用の木刀を片手に佇む輝は、そんな彼を見つめながら一つ小さく頷いた

『うん。でも前と比べたら身体の動きは柔軟になってきてる。小龍は長物が得意なんだから、もっと全体のバランスを考えて動けば有利に持っていけるよ』
「…さすが輝殿。剣筋が全く見えませんでした」
『その割にはきちんと対処出来てたと思うけどね。小龍は基礎がしっかりしてるからあとは応用だけ』
「む…応用ですか…」
『実戦じゃ臨機応変さが重要なんだ』
「確かに…」

手にした竹刀を肩に預けて立ち上がる小龍を見上げる
彼が持つ黒刀の得物は普通の刀よりやや長めの物
片刃である分、手首の柔軟さを磨けば幅も今以上に広がるだろう
地道な努力を重ねる彼のこと
ほんの少しのアドバイスで確実に伸びるから

さてあの二人はどうなったかなとやや離れた場所で同じように手合わせをする彼らに視線を飛ばす。そこには格闘術にて汗を流す緋秀と勾丹さんがいた
…勾丹さんの動きは私にとっても勉強になる
あの人には未だに勝てないんだよね。
得意分野が異なる分、相性の問題は多少あるにしろ、あの人は根本から強い。
年齢を感じさせない気迫とその実力は素直に尊敬する

「流石は緋秀殿。やはり若い方はパワーがありますなぁ」
「良く言うぜ勾丹さん。俺なんかよりスピードも力も上じゃないですか」
「ほっほ…この爺とて、まだまだ引退するつもりはありませんよ」
「勾丹さんは竜王様の師範でもあられる御方だ。俺たちが束になったとしても、適う御方ではない」
「だよなあ。なんたってこの輝ですら勾丹さんには一度も勝てた試しが無いらしいしな」
『そこは素直に悔しいなって思うよ。私もまだまだだよね』
「そんな事はありませんぞ。輝殿の体捌きは目を見張る物があります。動きその物は敖潤坊っちゃまと似通っていますし」
「そういえば…輝殿は敖潤様と手合わせなどしているのですか」
『たまにね。気分転換も兼ねて付き合って貰う事はあるよ。あの方は剣技が得意だから』
「竜王様を相手に手合わせとか…ほんっと凄いよなあ輝は」
『緋秀もやって貰えば良いじゃない』
「あー、まぁな」

そう言って苦笑する緋秀だけど、敖欽ならそれこそ楽しんでやりそうだけどね
あれでいて彼も緋秀のことはかなり気に入ってるんだし
勿体無いなあと思いつつも緋秀自身が相手役に適してないと判断するなら、私があれこれ口出す必要は無いだろう。

「でも敖欽様は格闘技だけでなくて、槍術にも特化されてるからなあ。俺だと役不足になりそうでさ」
『? そんなに遠慮する事でもないと思うけど』
「しかし竜王様を相手に躊躇うその気持ちは、分からなくもない」
「だろ?」
「私も敖炎様に手合わせを頼むなど、そんな恐れ多い事は出来ませんね」
『ふぅん』

二人の似たような反応にそういうものなのかと内心で首を傾げる。確かに着任時期にばらつきはあるけど、各自それなりに長い間竜王達に仕えているのだ。今更変な遠慮は要らないんじゃないかと…単純にそう思ったりもする訳で。

「ほっほっほっ。緋秀殿も小龍殿も、もっとご自分に自信を持ちなされ」
「自信…ですか」
「そうですとも。敖欽坊っちゃまや敖炎坊っちゃまが認める程の実力を持ち、尚且つ信を置けるものだと判断されたのですぞ。余計な遠慮など必要ありません」
「はは…勾丹さんが言うと妙に説得力ありますね」
「しかしそれでは敖炎様の手を煩わせるだけなのでは…」
『小龍はして欲しくないの。手合わせ』
「そんな事はありません!もし、本当にもしも…そんな機会に恵まれたなら…」
『ならそのまま伝えたら良いと思うけどね。その方があの人も嬉しいんじゃない』
「…」

真剣な顔で悩み出した小龍に苦笑する。
彼に至ってはあの敖炎に憧れを抱き北方軍に入隊したくらいだ。崇拝対象である人物に手合わせを頼むというのはハードルが高いんだろうか

「そう言えば…勾丹さんは竜王様の師範でもあるじゃないですか」
「ええ、そうですな」
「いつ頃から仕えてたんですか?竜王様たちのことも坊ちゃんと呼んでますし、敖欽様も勾丹さんには敵わないと仰ってました」
「おやおや。敖欽坊っちゃまがそのようなことをですか」
「はい。敖欽様はよく昔話をして下さるので…」
『へえ。それはなんか意外だね。みんな総じて過去の話とかはしないものだと思ってた』
「敖潤様はされないのか?」
『無いね。聞いたことないからなのかもしれないけど』
「そうなのか…敖欽様は割と世間話的なノリでされるんだよなぁ。そういえばさ、みたいな」
『ああ…想像にかたくないよ』
「だろ? 因みに小龍、敖炎様はどうだ?」
「輝殿と同じく、だな。あの御方は寡黙で聡明な方…御自身に関する事や御家族の話題を出す事はない」
「まあ坊っちゃま達の性格からするに、話す程の事でもないと判断しているのでしょうな」
「しかし敖炎様の幼少期…恐れ多いながら、少し興味があります…」
『でた。敖炎崇拝者』
「む。憧れの御方を敬うのは当然の事です」
「小龍のソレは入隊した頃から変わらないからな」
「お前とて対して変わらないだろ、緋秀」
「そうか?」

勾丹さんが言うように、十中八九敖潤の中では語る必要も無い事として認識されているんだろう。実際に私も母親の名前を知ったのも先日起きた竜玉事件の時だ。総帥である父、龍覇様は天界に生きる者なら誰しも一度は耳にする名だから知っているけど。自分の幼少期の話をされたのもその時だ。それも竜玉に関する事だったけどね。

「ほっほっほっ。では少しばかり、昔の話しでもしてみましょうかな」
『勾丹さんなら色々知ってそうだもんね』
「はい。坊っちゃま達のことでしたら、ある程度のことは…ではまず、緋秀殿の質問にお答えしましょう。私は元々龍覇様に仕える側近としてお世話になっていた身でしてね」
「あの総帥様にですか。流石は勾丹さんです…龍覇様といえばお若い頃より厳格な方だったと聞き及んでおります」
「ええ。母君であられる瑞后様が嫁いで来られ、敖広坊っちゃまが御生まれになられた際に世話係へとなりました」
「じゃあ竜王様の一族にかなり長く仕えていたって事なんですね」
「そうなりますなぁ…いやあ、懐かしい話です」
『でも待って。あの四人の世話係って明らかに大変だと思うんだけど…勾丹さん一人でこなしてたの』
「いいえ。教育係や食事の世話につきましては、他の者とこなしておりましたよ」

そう朗らかに笑う勾丹さんだけど、聞けば基本的な世話と武術に関してはほぼ一人で担っていたらしい。なんだその胃痛と親友にでもなれそうな状況は。今の彼らを見ると幼少期なんてそれこそ手に負えない人物達だったような気がする
四海竜王の兄弟は敖広から順に3つずつ歳が離れているらしい。この天界において年齢など殆ど意味をなすものでは無いが、彼らの場合は意外にもそれを重んじている。それを証拠に、有事の際には長子である敖広の意見を尊重しそれに従っているからだ
…見た感じではそれほど離れているようには見えなかった

「意外に思う方もおられますが、幼少期の坊っちゃま達は今ほどご自身の性格が顕著に出ていた訳では無いのです。」
「…と、言いますと?」
「そうですなぁ…例えば、これは輝殿や小龍殿は驚くでしょうが、敖潤坊っちゃまは末子である敖炎坊っちゃまのお世話を良く率先して見ておられました。それ故か、敖炎坊っちゃまも大層懐いておられましたんですぞ」
『…』
「…」
「へえ…確かにいまの御二人からはちょっと想像つきませんね」
「ほっほ。そうでしょう」

懐かしそうに目元を緩めて語られた事実には、思わず小龍と顔を見合わせてしまった。敖炎が敖潤に抱いていた思いの本質は敖欽によって理解する事は出来たが、あの二人は根本から反りが合わないんだろうと思っていたんだ。天竜会でもそれとなく意見がぶつかり合う事も多々ある
だからこそ、竜玉の件で敖炎が自ら西方軍へと足を運んだ時はかなり驚いたんだけどね

『仲、良かったの』
「ええ。御二人が今のような関係を築いているのは、一重に竜王としての誇りと、龍覇様の名に泥を塗らぬようにと定めているからなんでしょうなぁ」
「流石敖炎様…軍に対する思いだけでなく、総帥様への尊敬の思いまで秘めていらしたとは…!」
「敖炎坊っちゃまは龍覇様と見目も考え方も良く似ておられます。瑞后様を思いやる様子を間近で見てきましたので、軍事や女性に対する思いも自然とそうなったのでしょう」
『…』

そういえば…前に天竜会で言っていたっけ
敖炎は龍覇様の影響を受けすぎていると。
女には当たり前に手に入る幸せがある、守られて当然の立場にあるのに何故それを捨てるのか…そして何故それを受け入れたのかと
その思考に至る理由は龍覇様を見てきたからなのか。なるほど。どうやら夫婦の仲と言うのも悪くはないらしい。聞くこと一つ一つが新鮮で意外だった

「敖欽坊っちゃまは好奇心旺盛な方でしたので、良く大人でも驚くような仕掛けを考え悪戯に勤しんでおりました」
「あ、それは聞いたことがあります。龍覇様にだけは通用しなくて何度も悪戯をしかけてたとか…」
「終ぞ成功した事はございませんでしたが、龍覇様は多忙な生活の中でもきちんと対応されていたんですよ」
『…こう言ったらなんだけど、龍覇様も瑞后様も子育てに関わるようなイメージは無いんだけど。そうでは無かったって事なの』
「はい。御二人とも、とても良く坊っちゃま達の成長を喜んでおりましたから。私の目からはそのように映ったことはございません」
『へぇ…なんか色々意外すぎる』
「確かにな。でもしっかり愛されてたんだなって思うと、なんか俺まで嬉しくなる」
『うん…それは、私にもわかるよ』

大切な人が愛されてきた事実。
私たちには関係の無い事だと言われればそれまでだけど、それでも。
ただ一人と定めた人の今も、過去も、そして未来も
何を憂うことも無く過ごせてこれたなら…過ごせていけるのなら
そう思わずには居られないから。

「敖炎様は龍覇様、そして敖欽様は瑞后様に似ているとお聞きしますが、では敖広様や敖潤様は如何なのでしょうか?」
「そうですなぁ…敖広坊っちゃまは昔から些細な事は気にしない性分な方なので、学問にも武術にも程よく息抜きをされながらこなされておりました。自由に憧れていた部分も多くありますため、敢えて申し上げるなら敖欽坊っちゃまと同じく瑞后様の考え方に近しいかと」
『ああ…それは私も何となく分かるよ。あの二人はよく言えばおおらかだけど、裏を返せば大雑把が過ぎる毛来があるからね』
「そういえば…竜玉事件の天竜会でも楽しそうな雰囲気がありました…」
「あー…敖広様が俺に会いに来て下さった時も、確かに面白がってはいたな…」
『あの二人は揃うと厄介なんだよ』

各自がそれぞれ思い出しながら顔を見合わせる
あの二人には似通った所がある、と言うのは満場一致だ。
そう考えると敖潤はどうなるのか。敖炎のように堅苦しい訳でも敖欽のように自由奔放な訳でもない気がするし

「敖潤坊っちゃまは軍政や規律に対する考え方は龍覇様に近しき物がございますが、幼少期より様々な書物を読んできた故か…物事に対して様々な角度から見る事が出来る方なのですよ」
『そうだね。じゃなければ私も六花も此処に居なかっただろうし。ある程度の柔軟性は持ち得てるとは思ってる。基本的には堅物だけど』
「ほっほっほっ。輝殿も苦労されておりますなあ」
『まあね。けど半世紀も経てば嫌でも慣れるよ』
「また輝殿はそのようなことを…もっと主君を敬うべきだと何度も、」
「あーほらほら、そんなに食いつくなよ小龍。輝には輝のやり方ってのがあるんだって。俺らなんかより竜王様達と付き合い長いんだぜ?」
「それは、そうだが…」
「現に誰も輝を咎めた事だって無いし、寧ろ楽しんで会話されてるじゃないか」
「む…」

不満そうに押し黙ってしまった小龍に苦笑しながらも、今さら彼らに対する態度を変えようとは思わないなと内心呟く。緋秀とは差程大きく差は無いが、それでもこの二人よりかは彼らと過ごした時間は確かに長い。加えて筆頭である敖広があの性格だ。変に型にハマらない方が接しやすかったのもある
…という事はだ、もし今後万が一瑞后様に謁見する機会があった時は、あの二人をいっぺんに相手にするようなものということか
なんだそれは。出来れば半永久的に遠慮したい。

『私自身がこういう性格だからね。堅苦しいのは性にあわないんだよ』
「輝殿と出会ってからは、坊っちゃま達も大変楽しそうにすごされておりますからね。この爺としては嬉しく思っておりますぞ」
『勾丹さんがそう思ってくれてるなら、良かった。お互い好き勝手言ってるだけだけどね』
「でも俺は羨ましいなと思うよ。竜王様たちも確り信頼してるのが分かるしな」
「…敖炎様も輝殿に関してはとても高く評価されているのは、私も存じております」
『別に信頼されたかった訳でも、評価されたかった訳でも無いんだよ。補佐官になったのは口だけ達者な連中を黙らせる為だったし』
「あー、うん。輝らしいと言えばらしいなその動機」
『上り詰めた先に彼らからの信頼と評価がくっ付いてきたってだけ。でも信頼って意味では緋秀も小龍も誓いを立てた位だし、私と同じじゃない』

誰でも補佐官になれる訳では無い。そして補佐官だからと言ってそう簡単に誓いを立てられる訳でもないんだ
二人は二人なりに私の知らないやり方で彼らからの信を得てここにいる。
並大抵の努力では到底出来ない事だ。勾丹さんが言うようにもっと自信もっても良いと思うんだよね。度が過ぎる謙遜は相手を落胆させる事にも繋がりかねないから

そんな私たちを柔らかな眼差しで見つめていた勾丹さんが、ふいに「正に僥倖」と小さな声で呟いた

『…勾丹さん?』
「坊っちゃま方は竜王という立場から孤立する事も多くございます…皆様には、どうか最後の最期まで坊っちゃま達に仕えて下さりますよう…この場をお借りして心からお願い申し上げます」
「なっ! お、おやめ下さい勾丹さんっ」
「そうですよ!頭上げてくださいって…!」
『…』

礼儀正しく腰元から折られ言われた言葉に、この人の中で彼らがどれほど大切な存在なのかを改めて痛感する。仕えているのは敖広ではあるが、きっと皆等しく生命すら当然のように捧げられる存在なんだろう。

そんな彼からの言葉を、その思いを

託して貰える立場にあれること

実行出来る今の自分を、とても誇りに思うよ


慌てふためく二人を片手で制して、その思いに応えるように踵を揃えて敬礼する

『勾丹さんが大切に守り通してきた一人の生命は、この私が生涯をかけて仕えると決めている…だから、安心して』
「…はい。敖潤坊っちゃまのこと、よろしく頼みますぞ」
『うん。大丈夫、任せて』
「わ、私も…! 未だ至らない事も多くありますが、誠心誠意、敖炎様に付き従うと誓っております…!!」
「俺もです、勾丹さん。今度こそ…必ず敖欽様の思いに応えられるよう全てを捧げてお仕えします」

私の言葉に居住まいを正した二人も、敬意と決意を込めて敬礼をする

そう…私たちだからこそお互いに言いきれる

何が起ころうとも主君の傍で、最期の瞬間まで付き従うと

離れることなど有り得ないのだと。


「…ありがとうございます」


安心したように そして嬉しそうに微笑んだ勾丹さんに

私もそっと小さく微笑い返した。










幸せであって欲しいと思う

何を憂うことも無く、ただただ、そっと

半永久的に続くこの世界で 貴方らしく生きていけるように



そう…ずっと、願っている―――…













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