嫦娥の花宴 | ナノ



齎されたその事実に、少しだけ。

ホッとした自分がいた。






『…おかしい』

軍の全体朝礼を終えた時分
見慣れ切った廊下を足早に突き進む。あの二人が黎明のいない状況で自発的に朝礼に参加するとは思ってもないが、各自室にも居ないとはどういう事か
あの三人は殆どの確率で天蓬の部屋にいる事が多い
それなのにノックした先は無音のみで
試しに捲簾の部屋にも行ってみたがやはり気配は一つも感じ取れなかった

…嫌な予感しかしないんだけど

彼らに渡した情報と言えば黎明が特別任務で一時脱退することと、現状の生活面に関するその二つだけ
捲簾が知り得た情報は天蓬にも伝わっているだろうから。けれど竜玉の話しもネズミ共の話しも一切していないのに。たまたま揃って部屋を空けているだけとは残念なことに思えなくて

『敖潤』
「…輝か。どうした、珍しく難しい顔をしているな」
「そのうち眉間のシワが取れなくなっても知らんぞ」
『…』

どうしたはこっちのセリフだ
先ずは敖潤に報告しようと向かった執務室…見えてきた扉を断りもなしに歩くスピードのまま明け放てば、そこには敖炎の姿もあって
確かに情報の伝達は敖炎からとは聞いてたけど、まさか自ら敖潤に会いに来るとは思わなかった。今までの中で彼がこの西方軍に足を運んだことは無い
少しはこの二人の間にあるしこりもほぐれたと言う事だろうか

ある意味予報通りな出来事と珍しい出来事が重なったからか。無意識に刻まれただろう眉間のシワの深さは自覚した

「輝、お前も入れ。小龍が解読した情報について話がある」
『…分かった。それで?黎明はなんて言ってんの』
「どうやら緋秀と共にネズミ共との接触に成功したらしい」
『…どういうこと』
「投獄されていた緋秀に会いに行ったらしいな。お前たちの隊長はどうも可笑しな発想の持ち主だ」
『…』

敖炎に促されて閉ざした扉
机上に置かれた一枚の洋紙には上から下までビッシリと小龍の直筆で事の詳細が細部に渡って書かれている。良かった。ちゃんと解読できたんだ。
二人の視線を受け止めてから手に取った

脱退した黎明の隠れ場所があの観音菩薩の所だとは知っていた。どうやら彼女は先ず自発的に緋秀に会いに行ったらしい。そこで観音菩薩と敖欽が偶然にも接触し、緋秀の身柄も一時的に観音菩薩の元に移されたようだ。そして二人は最初に話を持ちかけてきた存在…吟馬との接触に成功した
黎明が流した嘘の情報のことや、掴んだネズミ共の拠点についてと、ヤツらの背後に構える虎皇一族の存在

…緋秀も一緒にいるのか

黎明からの情報の中に、彼が関与した理由も明記されていた

『…』
「今回の件に緋秀を加えた事についてはどう思う」
「敖欽が許可をしたなら、あいつにとって必要だと判断したからだろう…動機も含めてな。黎明隊長はそれを理解して進めた筈だ」
「…誓った者に大して、抱く思いがあるのは分からなくもない」
「! …そうか。ならば、敖欽と緋秀のその意志を我々が邪魔をする必要はないという事だ」
「良いだろう」

黎明が緋秀の元に会いに行っていたとは少し驚いた
私の感情の揺れに気が付いてたんだろうか
…そう言えば、妙な間を置いて"いんや。まだいいや"と言われたんだっけ
本当に。変なところで気を遣う人だと思う
私情を挟む必要なんで無いはずなのに

「問題は虎皇だな」
「…身内の一族から謀反者が出るなど、我ら竜王族にとって最大の恥だ」
『…? 虎皇一族って、確か同じ闘神族でしょう。関わりがあるとは思えないけど』
「輝、この天界軍を統括する者の存在は知っているだろう」
『天界軍総帥、龍覇…敖潤たちの父にあたる人でしょう。それがなに?』
「その父に嫁いだのが、虎皇一族の出身であった母…瑞后だ」
『!、…へえ』
「今回の件…母の一族が関与しているとなれば、我々だけでは事は済まぬぞ。敖潤よ」
「…敖広の事だ。何か考えがあっての事だとは思うが」
「ネズミ共を泳がせると告げた敖広にか」
「…」

渋面をつくる敖炎の気持ちも分からなくもない。そして以前にも言ったが、彼らが身内の話をする機会など限りなくゼロに近いというのに。総帥である龍覇はこの天界に生きる者は確実に一度はその名を耳にする程の人物だ。けれども彼らの母親についてはこの間開かれた天竜会まで私ですら知らない事実…
しかしあの竜王一族に嫁いだとなれば、それ相応の地位がなければほぼ不可能に近いだろうとは思っていたが
まさか武神と謳われる一族の出身だったなんてね

『その瑞后様の一族が今回の件に絡んでるってこと』
「ああ。どうやらその可能性については否定出来ない状況であろう」
『どうするの。敖潤』
「…」

幸いにもネズミ共の拠点は突き止めた
今夜にでも黎明がニセの竜玉の在処を告げに記された拠点へと乗り込めば、恐らくはある程度纏まったネズミ狩りは成功するんだろう。問題は虎皇一族が関与していたと知れた際の対応だ
虎皇一族との衝突が起こる可能性は高くなり、元より竜王一族に不満を抱く連中が嬉々として彼らを糾弾しようと動きかねない

『(直接的に彼らが関与していないとしても、どうせここぞとばかりに失脚させようと喚き出すんだろうしね)』

そうなった時…彼の立場も状況によっては危ういものとなるだろう


それでも、私は


「敖炎。これを告げた際、敖広はなんと言っていた」
「…"各自の判断で動け"」
「そうか。敖広らしいな。」
「…」
「ならば輝」
『なに』
「黎明隊長の居場所は知っているな」
『…』
「どう接触するかの判断はお前に任せよう。観音菩薩の所に行き、月が昇ると共に我らも拠点へと向かう旨を伝えろ」
『…それは"身内だろうと捕獲する"と捉えていいんだね』
「ああ。」
『分かった。敖潤、あなたが言うなら従うよ』

唯一ただ一人と定めた者が決める覚悟を、その意志を

護り通す事こそが…私に与えてくれた彼の信頼に応えることだから

向けられた視線を正面から受け止めた

「…正気か」
「母の一族であるとは言え、事を企てた奴らを野放しにする事は規律に反する」
「保身ではなく規律を重んじる、か。お前らしいな」
「敖広からの伝達を知り得た以上、泳がす状況は終えた」
「…良いだろう。ならば、私は父へとこの事実を報告する。我ら竜王の名にとっての恥を見過ごすつもりは無い」

敖広と敖欽がどう判断して動くのかは分からないが、目の前の彼らの意思は定まったらしい。総帥である彼らの父がこの出来事に関しての情報を知り得ているか否かで恐らく今後の展開も大きく変わってくる筈だ
キッパリと自らの意志を告げた敖炎が背を向けて部屋を後にしたのを見届けて、ロウソクの火で届いた洋紙を燃やす敖潤に視線を戻す

「輝。お前の話しは後ほど聞こう…見せておきたいものがある」
『分かった』
「お前は私にその生命を預けると誓ったな」
『私が仕えると決めたのは敖潤だけだからね。どんな状況下になろうと、それは変わらない』
「輝のような補佐官が傍に在ること…恵まれた状況だとは自覚している」

執務室の一角、横に連なる沢山の本棚が並ぶ壁
向かい合うよう佇んだ敖潤が視線を投げる様子に、私も同じ様にして彼の隣へと立ち並んだ

「お前の生命は私が預かった…ならば、私のこの生命もお前に託そう」
『…どういうこと』
「手を翳してみるといい」
『…!』

促されるがままに右手を壁へと翳した刹那、私の手のひらを囲うようにして赤い線が正方形を描くように浮かび上がる。自動で開いたその先には…厳重な造りで安置されている小さな金庫があった

「私以外の者をこのセキュリティの情報に登録したことはない。隠していた訳ではないが、敢えて輝に背負わせる機会と言うのもなかったからな」
『…これって』
「この一件が露見してより、万が一を考慮して情報の上書きが出来るよう設定しておいた」
『…』
「持ち手に小さな竜紋が記されているだろう。そこに指先を押し当ててみろ」

何となく、予想はできたんだ
人差し指を押し当てると同時に鳴り響いた微かな音…それは、開錠した時のそれと似ている。ゆっくりと重厚感の強い持ち手を引き寄せた先には、8つの小さな白銀玉で造られた首飾りが静かに鎮座していた

「我らは勾丹の武術指導を受けると同時に、生まれ持った竜玉を一族の玉守へと預ける習わしがある。一人前と認められ、竜王の名を語ることを許された際、このように形を変えた竜玉を管理するようになる」
『…やっぱりこれが敖潤の竜玉なんだ』
「ああ。」
『いいの。私なんかに教えちゃっても』
「輝以外の者に告げるつもりなど、この先の生涯を懸けてもない」
『それは有難いね。これを私に持っていろと?』
「虎皇一族と我らを取り巻く者達との衝突が考えられる以上、万が一私の生命に危機が生じた際は…輝、お前がこの竜玉を砕け」
『…謂れのない事実に生命を絶たれるくらいなら、ってこと』
「お前の手によって砕かれる方が悔いなど残らんからな」
『私が"同じ道"を辿るとは思わないの』
「それをすると確信しているからこそ、お前に託す」
『…』

ああきっと、この人は

自分にもしもの事が起きた時、私を盾に生き残る事なんて

初めから考えてもいないんだろう

生涯でただ一人…彼に仕えると決めた、護り通すと決めたこの私を

「それは私の"意思"だ」

万が一己の生命を絶った後も、私にその彼の思いを引き継げと

『―――…私は西海竜王敖潤の補佐官。…あなたの言葉を尊重する』
「それでいい」


守るとは、護りたいとは

たった一つの事実だけが正解ではないんだと


そう、告げられたような気がした


「それで。何かあったのか」
『天蓬と捲簾が部屋に居ないんだよ。ご丁寧に鍵までかかってる』
「…」
『顰めっ面したくなる気持ちは良くわかるね』
「あの二人には言葉が通じないのか」
『"大人しくしてて"とは言ったけど、捲簾にしろそれを聞いた天蓬にしろ、聞き分けの良い人物じゃないって事だよ』
「…居場所に心当たりはあるか」
『多少ならね。観音菩薩の所に行くついでに当たってみる』
「毎度の事ながら、頭の痛い話しだな」
『黎明が絡んでると知った以上、ある意味予想通りではあると思うんだ』
「ならば二人への対応は任せよう。私は敖広の元へ向かう」
『分かった。私も必要な手配を済ませるから、日没までには戻る』
「ああ。頼んだぞ」
『了解。あと、コレは責任もって預かっておくよ』
「あの金庫よりも安全性は高いだろうな」
『任せなよ。傷一つたりともつけずに終えてあげるから』

僅かにだが口許に刻まれた微笑みに私も同じように返して、首から下げた竜玉を服の下に仕舞い込む。さあ。私も動き出そうか


竜に逆らうネズミも虎も


誰一人として、彼に手を出す事など許しはしない








『先ずは観音菩薩の所か…起きてると良いんだけど』

ネズミ狩りが決まった以上各竜王と補佐官も動き出す筈だ。敖広は各自の判断で動けと言っていた…敖炎も恐らくはネズミ狩りに躊躇は無いだろう。小龍もそれに続くとして、敖広や勾丹さん…敖欽がどう考えるかは予想でしか無いが、彼らとて放置しておく事はしない筈だ
西方軍の動きは決まっている。後はそれを黎明にも伝えられたらいい
この時間ならまだ観音菩薩の元に居る筈だ
…きっと、緋秀も一緒に居るんだろうから

『ふあぁー…緋秀さん真面目過ぎ…何も観音の仕事まで手伝わなくてもいーのに』
「黎明隊長は寝てていいと言っただろ?昨日も遅くまで観音菩薩様とこの先の話をしていたんだからな」
『あー…まぁ、酒飲みながらだから。あれば別に良いんだよ、付き合ってたのもあったから』
「そうか。俺はあの御方に今回の件でお世話になっている身だ…手伝える事があるならやりたいんだ」
『…さすがあの敖欽殿についてける人だわ…真面目過ぎて眩しい』
「あはは。黎明隊長だってなんだかんだ真面目だろ」
『私は基本的なベースは物臭のお気楽モードだよ』

西方軍の塔から朱色の橋を渡り終えた頃
聞こえてきた声に相変わらずだなと苦笑したくなった。身柄を預けられたと言っていたけど、どうやらそれなりに自由に動けているらしい

『緋秀のソレは昔からなんだよ』
「っ!?」
『あー。気配はするなと思ってたけど…輝、コレってルール違反のうちに入んの?』
『黎明がくれた情報のおかげで状況が変わったんだ。敖広殿が言ったんだよ…各自の判断で動け、ってね』
『へえ。そりゃ楽しそうだ』
「…!!…!?」
『青くなるか慌てるか、どっちかにしたら?緋秀』
「っ、輝…」
『久しぶりだね』

物陰から顔を出せば、罪悪感や気まずさからか
私の姿を見るなり青くなって固まる緋秀に苦笑した。暫く眺めていれば何かを思い出したのか。慌てたように黎明を自分の背に隠そうとしている。西方軍との接触は原則禁止だと聞かされてるだろうからね
傍から見るとかなり面白い動きになっていた
案の定、咥えタバコの黎明が『完全に変人だ』と笑っている

『緋秀に会いに行ってくれてありがとう』
『えー?私が個人的に会ってみたかっただけだよ。礼を言われるような事はしてないと思いまーす』
『…そういう所、変わらないよね。黎明は昔から』
『そ?』

ヘンな所で勘の鋭い彼女のこと。緋秀に対する私の僅かな感情の揺れを感じ取ったことは事実だろうから
折角貰えた機会を、私も素直に有効活用させて貰う事にするよ

『あなたが戻りたいと強く思うなら…好きに動けば良い』
「!」
『私は緋秀のこの先の考えを、動きを。否定も肯定もしない…でも』

彼が家族を常に気にかけていたことも知っている
与えられる休暇の殆どを緋秀は帰省へと当てていたから。その家族を理由に持ちかけられた竜玉の件…私には彼を否定する権利もなければ立場でもない
すべては主君である敖欽が決めること

それでもね

『あの人は絶対緋秀のその理由を知っていたと思うんだ』
「…っ」
『生涯ただ一人と定め仕えることを決めたなら、与えられたチャンスは逃しては駄目』
「輝…」
『サボってた間の兼任。一つ借しだから』
「!、ああっ、もちろんだ。メシでもなんでも奢ってやる。やって欲しいことがあるなら何でもやってやる…だから」
『うん。緋秀の行動次第じゃ、私も協力するよ』
「すまん、輝。ありがとう!」
『どーいたしまして』

私はね、緋秀のことだって嫌いじゃないんだ

私よりもやや遅れて就任したあの頃

歳は離れていたけれど、同じ補佐官として関わる事が多かったから

『話しは纏まったのかな』
「ああ。輝らしいなって、そう思ったよ」
『でしょ。こう見えて仲間思いなんだよ。無表情レベルが高いから勿体無いんだよねぇ』
『別に無関係な人間はどうでもいいからね。それより黎明』
『ん?』
『此処だから話すけど…今夜、私と竜王も拠点に乗り込む』
『そう来ると思ってた。他はどうなってんの?』
『敖炎殿は天界軍総帥にこの事を話すと言ってたね。あの人の性格上、野放しにはしないよ』
「そうか…敖炎様はとても真面目な御方だからな。どうせ小龍もそのつもりだろう」
『だろうね。―――…それと、虎皇一族の事についてだけど』
『観音から昨日聞いたわ。さすがに私達もびっくりだよ。まさか母方の一族が関わってたなんて』
『今後の展開によっては彼ら竜王たちの立場も危うくなるだろうね』
「かといって放置することも出来ないとなると、竜王様たちだって動かなきゃならなくなる」
『敖広殿と敖欽殿がどう考えているかは分からないけど、相手は武神と謳われる一族だ…気を抜かない方が身のためだと思う』
『へえ。なんか面白くなりそうだわ』
『…、言うと思った』
『んじゃ、緋秀さん。悪いんだけどその書類観音に渡してくれません?』
「!、そうだったな。判を貰わなきゃならないんだったか」
『そーそ。私は少し輝と話したら戻るんで』
「承知した。輝、また必ず会おう」
『うん』

分厚い書類の束を大事そうに抱えて歩き出す姿を見送って、彼の背が見えなくなった刹那。黎明の纏う雰囲気が少しだけ鋭利なものへ変わっていた

『…黎明が殺気立つのも珍しいね。緋秀に聞かせたくない話でもあるの』
『土壌汚染の話って、輝知ってたっけ』
『知ってる』
『その原因とかも?』
『この前の天竜会では原因までの話しは出なかった』
『…どうもその原因に、ネズミ共が一枚噛んでたらしくってさ』
『…どういうこと』

土壌汚染の深刻化は地方に存在するすべての村に影響しているものでは無いらしい。現に黎明の故郷はそれほど被害は多くないという
そして今回のターゲットとされた緋秀の故郷は、その影響を大きく受けた区域
数年前から露見しているこの問題にネズミ共がどう絡んでいたのか
先を促すように視線を飛ばせば、感情をやり過ごすかのようにフィルターを噛み切った黎明が天井を睨んだ

『元々の原因は城下町の汚染水が流れ出した事が主なんだろうけど…竜玉の話しがヤツらの中で上がった当時から、どうやら狙われてたらしいよ』
『…緋秀が?』
『そ。敖欽殿の竜玉を狙い易くするためにね。まずは元から割と被害が多かった村の出身者を割り出したらしい。たまたま緋秀さんが出身者だった事を知ってからは、半年前くらいからわざと毒素をその村に通じる水路に流したんだとさ』
『…』
『偶然が重なった部分もあるにしろ、緋秀さんの村はヤツらの勝手な理由でめちゃくちゃにされたんだ。そしてそこを利用したってこと』

地方に存在する村にとって水路は命綱と同じだ
飲水から畑、生活に直結する水源をそこから汲み取って利用している
それを知った上での行動と言うことか
村には幼子やお年寄り、乳飲み子だっているというのに

『…(これは、黎明がキレるのも無理はないね)』

彼女だって故郷がある。残してきた家族の中にはまだ幼子だって居た筈だ
くだらない連中のせいで生命の危機に晒された緋秀の家族と、きっと自分の家族を重ねたんだろう。だからこそ緋秀には聞かせたく無かったのか

『相変わらず腐ってるね。知ってたけど』
『なに?ココって上に行けば行くほど脳みそって腐ってくワケ?』
『そうなんじゃない?』
『バッカバカしい』
『…ノアール、もう一本吸っといたら。そのまま戻ったら緋秀も気が付くんじゃない』

吐き捨てるように言葉を投げた黎明が新しく火を灯して咥える姿に物珍しさが勝る。飄々としている分彼女も感情の起伏は大きくない。今回の件はそれなりに腹が立ったらしい

『…んで、そっちはなんかあった?』
『捲簾と天蓬が部屋に居ない』
『あー…』
『ご丁寧に鍵までかかってたんだよ。黎明への報告済んだら探すつもりだった』
『ま、何かしら動くんだろうなとは思ったけど。あの二人のことだからネズミ共を突き止めてたりしてね』
『…有り得なくもないね。まあいいよ。探してみる』
『私は日中あんま動けないからなあ…とりあえずは観音の部屋に籠っとくよ』
『敖広からの指示がでた以上、この先の判断は各自に委ねられてる。好きに動いて良いと思うよ。常識の範囲内でなら、ね』
『んー。考えてみる』
『因みに第一小隊の彼らにはそれとなくフォローしてあるから』
『さっすが輝、頼りになるね。袁世辺りが騒ぎそうだもん』
『"あのお気楽至上主義の黎明が竜王に不満を持ったぐらいで脱退なんかしない"』
『ほう』
『だってさ。鯉昇も似たようなこと言ってたよ。"極度の物臭がそんな面倒なことはしねェだろ"って』
『信頼されてんだかバカにされてんだか、わっかんないねソレ』
『的は得てるんじゃない』
『うわあ』

彼らには特別任務だとは告げていないけど、普段から上3人を見ているだけあってそれなりに頭の回転が速いからね。真意は別にある事実にある程度は勘づくんだろう
ネズミ狩りに巻き込んだのは一応竜王含めた私達側だ。それなりにフォローくらいはしてあげないとさすがに申し訳ないから
複雑そうな顔で肩を竦める様子にそろそろ行くかと声をかければ、黎明が思い出したように手を打ち鳴らした

『そうそう。どーやら私、輝のこと妬んでるらしいよ』
『へえ。それは初めて聞いた』
『竜玉の入口の話しをフッた時、吟馬が面白い勘違いしてくれてさ』
『どうせ私から情報を得たとか言ったんでしょ』
『そーそ。一人だけ出世した同期を妬んだのもあって、竜玉の情報を悪用したんだと思ってるらしい』
『それは笑えるね。妬まれてたんだ、私』
『さすが腐ってるだけあるなあって思った』
『潜り込んだだけだと知った時の顔が見物』
『同感』

くだらない事を思いつく連中は想像範囲も極端に狭い。勝手に人の関係を自分の物差しで計らないで欲しい。そんな浅はかな感情を抱くような相手とつるむほど、私も黎明もバカではない
所詮はネズミ。ヤツらの思考を理解しようなんて土台無理な話なんだ
もちろん理解しようとも思わないけど

『そろそろ行くよ』
『はーい。私も戻るわ』
『じゃあ、またあとで』
『うん。あとでね』


チャンスは一度きり

迎え撃つのであれば、全てを以て挑むだけ










『あれ。観音と次郎神は?』
「お、戻ってきたな。なんでも招集がかかったとかでさっき出て行ったぞ」
『…それで緋秀さんが仕事押し付けられた、と』
「いや、そう言う訳じゃないんだが…次郎神様もやむなしと言った様子だったしな」
『ああ。次郎神が言うんじゃ問題ないね』
「そうなのか?」
『観音に回ってくる書類の内容は把握してる人だから、大丈夫ですよ。たぶん』

輝と別れて開いた扉…丁寧な動きで黙々と判を押す姿に苦笑して、さあてどうするかなと窓枠に寄りかかる。吟馬達にはまあ適当な情報をでっち上げれば済む話しだけど、嘘だと分かった時点で恐らくその場にいる虎皇との衝突は必須だろう

『(あ。銀花貰っとけば良かったかな)』

たとえ一人だとしてもネズミ共相手に手を焼くつもりは毛頭ないが、武神と謳われる存在相手には流石に素手で挑むという訳にもいかない。そう言えば緋秀さんは戦えるんだろうか。仮にも補佐官を務める程だから実力者であることは間違いないんだろうけど、南方軍は戦いの場に参加するイメージはない
仕事内容も宴の進行や企画、天帝城内の備品管理が主だと聞いている

「…よし、と。こっちは乾いたな…もうそろそろ重ねても大丈夫か」
『…』

吐き出した煙を追って見上げた天井
観音と次郎神が招集を受けるってのも珍しい話だ。あの二人を呼び付ける人物となると、噂の釈迦如来だろうか。敖炎殿が総帥に報告をするなんて言っていたから何かしらの動きがあっても不思議じゃない
敖欽殿はどう動くつもりなんだろう

"好きに使え"

そう言っていたけれど。

「黎明隊長?どうした、ボーッとして」
『…いんや。判を押した書類に一枚一枚半紙を被せんの面倒そうだなぁと』
「ああ、これか。判を押した後すぐに重ねてはインクで汚れるだろう?だからな。ある程度乾かしてからの方が見た目も良い」
『観音がそんな事してんの見たことないですねー』
「まぁ…あの御方だとそうだろうな。ところで、一つ気になっていたんだが…」
『なんでしょな』
「黎明隊長と観音菩薩様はどんな関係なんだ?なんだかとても付き合いの永そうな関係に見えるんだが」
『ああ、それですか。私も輝も軍に受かったと同時に物珍しさからか、観音に呼び出しくらったんですよ』
「…、なるほど。」
『輝はすぐに敖潤殿に引き抜かれたからあんま関わっては無かったけど、私はちょいちょい顔だしてたってだけ』
「それでか…あの時突然現れた観音菩薩様にも驚いたが、普通に接した黎明隊長にもど肝を抜かれたんだぞ」
『あははっ。観音に気を遣うだけこっちが疲れるだけだって』
「そうは言ってもな、相手はあの五大菩薩の一人だ。竜王様たちとはまた違った緊張感がある」
『緊張なんて観音相手に一度も感じた事ないわ』
「黎明隊長なら誰に対してもそうだろ、見るからに」
『強いて言うなら捕獲レベルの高い討伐時くらいかなあ』
「肝が据わってて羨ましいよ」
『神経図太過ぎってよく上二人に言われんだけどね』

新しく補佐官を定めるつもりは無いにしろ、あの人がこの後の展開を大人しく眺めてるだけとも残念ながら思えなくて。虎皇が関わってると分かった今ですら"面白そうじゃねぇか"と笑ってる気がしてならない。見るからにハデなこと好きそうだもんねあの人。まあそれを言ったら私らも似たようなものだけど

「…なあ、黎明隊長」
『はーい』
「吟馬達の拠点に今夜襲撃するだろう」
『まあそうなるね。輝やウチの敖潤殿も参戦するらしいから』
「…」
『真面目な緋秀さんは何をそんなに悩んでるのかな』
「……本当に俺がその作戦に加わっても良いんだろうか」
『と、言うと?』
「吟馬達には俺の顔はバレてる…投獄された筈の俺が居ると分かったら、敖欽様に今以上の迷惑がかかるんじゃないか…ってな」
『…』

何度も思うが、真面目過ぎか
短くなりつつあるノアールを咥えながら視線を飛ばした先、まるで親とはぐれた子供のような顔に思わず笑いたくなった。迷惑だと感じているなら初めからあの人は緋秀さんを切り捨てていたと思うんだけどな

『部外者からの客観的意見で良いなら答えるけど』
「是非ともご教示いただきたい」
『あの人は観音にあなたの身を一時的にも預けてるし、直接的じゃないにしろ指示だって出したよね。"好きに使え。腕は確かだ"って』
「…」
『それって緋秀さんの理由も知った上で出したんじゃないの?輝も言ってたし。自分の蒔いた種は自分で狩り取れ、ってね』
「…敖欽様の言葉を疑うつもりはないんだ…けど、それに俺自身が答えられるか自信が無い…」
『真面目過ぎる性格ってのも難儀だねえ。別に嫌なら降りても良いと思うけど』
「それはしない!!」
『…じゃあ、あなたも覚悟決めなよ。戻りたいと思うならね』
「…」

そんな力を入れて"それ"を否定する気持ちがあるなら、なにもそこまで余計な事を考える必要性はない。自分からみすみすチャンスを逃すことは愚行に等しい選択肢だとは思うけどね
なんせ周りに彼のような真面目一本を極めたような人物なんていないから、私にはその葛藤を理解することはそもそも無理な話なんだ。
輝とはまた違った方向性の真面目さだから余計に

『動く理由なんてシンプルでいいんだよ。戻りたいとかあの人の補佐官は自分じゃなきゃ嫌だとか、離れたくないとかその他諸々。あるんでしょ?』
「…ある」
『なら良いじゃん。少なくとも私のソレよりかは全然まともなんだから。私なんて"ゆっくりタバコ吸いたいから死ぬ気で帰るか"とか"天蓬から勧められた即席ラーメン食べたいから帰ろ"とか、そんな理由だし?』
「…、それで今までの任務を完遂してこれたのか…」
『まあ後は私が死んだら死体処理とか面倒そうだから、輝の仕事増えるよなあとか?』
「……、」
『緋秀さんの行動次第じゃ協力してくれる頼もしい仲間だっているんだから。悩むだけ時間の無駄』


全身全霊で出したその答えを、真っ向から否定するような人はいない

それは本人にとって悩んで出した結果だって知ってるから

『シンプルイズベスト、ってね』

真剣な顔で考え込み出した様子に薄く笑って、時間潰しに昼寝でもするかと窓を開け放つ。どうせ今後は各自の判断で動けだし
それに観音の部屋から近いんだ。私のお気に入りの場所
あそこは静かで昼寝にはもってこいなんだよねぇ
日没には戻るとだけ告げて、二階の窓から飛び降りた





無くしたくないものがあるなら、手を伸ばせばいいだけのことだよ












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