嫦娥の花宴 | ナノ



ああ。誰に言われたんだっけ









あんたってさぁ、自分も他人もどうでもいいんだな




バシャン




『…湧き水があって良かった』

朝霧立ち込める森の中。
野宿だった昨夜は広大なこの森の中に休み場を設けた
こんな場所だからか、少しの肌寒さが吹き抜ける
透明度の高い冷水で顔を洗えば少しだけ脳みそがクリアになった気がして。
久しぶりに夢なんか看たなとタオル片手に見つめた森の奥深くは、濃い霧が立ち込めていて殆どが隠されている
鉛色の空は今にも泣きだしそうに思えて仕方がない。雨だとジープで走るのは大変なんだけどな

『誰に言われたんだっけ』

夢に看たのはこの世界に戻ってくる一つ前の現世
人として生きる事が当たり前だと思っていた、数年前の自分。周りの大人に迷惑がかからない程度にはそれなりに異性と関係をもって生きては来たけれど
残念ながら自分でも自覚をしているくらいにはそういった事に対しては限りなく興味関心が低かったから
ああそうだ。あの人は、確か

「んー…結香姉ぇ…?」
『…、びっくりした。どうしたの、こんな朝早くに』
「ん…結香姉ぇ戻ってこなかったから」
『迎えに来てくれたんだ。ごめん、起こしたね』
「…?」

いつの間にか、霧が深くなっていた
僅かに舌っ足らずな声に振り返ればそこには眠い眼を擦りながら佇む悟空が居て。早朝にこの子が起き出すのは本当に珍しい。だいたいは奇襲にでも遭わない限りぐっすりなのに。とぼとぼとゆっくりとした足取りで近寄ってきた悟空は、ぼんやりとした表情のまま僅かに首を傾げて見つめてくる
はて何だろうと映りこんだ自分の姿に瞬く事数秒間
「イヤな夢看た?」と緩慢な動作で両手を広げ問われた言葉に瞠目した

『…、』
「なんか結香姉ぇ、元気ない」
『…寝起きだからじゃないかな』
「ん。そっか。じゃあおはようのハグしよ」
『おや懐かしい』
「俺がガキだった頃、よくこーして朝起きた時抱きしめてくれたじゃん?あれ、めっちゃ元気出るんだよな」
『ふふ。悟空はいつもあったかいね』
「結香姉ぇが冷たすぎんのー。悟浄にまた怒られちゃうよ。冷えきってんじゃん」
『今朝は割と涼しいからかなぁと』
「女のコが身体冷やしちゃダメだって」
『子って呼んでもらえるような歳かな、私』
「大丈夫。結香姉ぇは幾つになっても女のコだよ」
『悟空は私に甘いね』
「結香姉ぇが俺に甘いから、おかえし」
『そっか』
「ん」

あの人は、確か。
新入社員として働き出した当時、不思議にも執拗に関わってきた幾らか歳上の先輩だった。初めて一般的に使う"恋人同士"という表現が当てはまった人。
そんなあの人との別れ際に落とされた言葉だったんだ
どうして今になってこんなにも近すぎる夢を看たのか。昨日過ごした日常の中でも切欠があったようには思えないのに

ぽんぽんと宥めるように背を撫で摩る悟空に苦笑したんだ

「イヤな夢看た時ってさ」
『うん』
「なんかどうしようもなく胸んとこがザワザワするんだよな」
『ああ…それは、解るかも』

キミが看たその夢は、きっと。

きっとそう

魂が、おぼえてるから

いつの間にか大きくなったその背中を、少しだけ強く抱きしめた


「悟浄呼んでくる?起きてたし」
『大丈夫だよ。コレは"私自身"の夢だから』
「難しい感じのやつ?」
『どちらかと言うと単純。結局私にとって大事な存在が、この世界に居たからなんだって実感するような感じ』

執着も出来ず、大切なものがなんなのかも判らなかったあの世界では
きっと生きてたところで心が先に死んでいただろうから
そう考えるとあの人の言葉は私の本質を捉えていたという事になる。不思議な話ではあるけれど。

『…ああ』
「ん?」
『霧が晴れてきたね』
「うわっ、太陽眩しい」
『好かれてるんだねぇ、本当に』
「え?」
『私にとって太陽はキミと同義だよ』
「??」
『だから、今はどうでもよくなんてない』
「結香姉ぇ?」
『…いつか、伝えられるかな』

私より高い体温を持つその手を握りしめて、想うよ

あの人が落とした言葉の答えを


呼吸をやめたそのあとで 集う場所が同じなら


あの日に返せなかったその答えを、今度は伝えてみようか















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