嫦娥の花宴 | ナノ



今のご時勢、別に珍しくもなんともない。







「この時間帯いっつもこんななのかよ」
『今日は比較的空いてる方だよ』
「これでかァ?」
『雨の日とかもっと凄い』
「あー」

すし司詰め状態の車内に肩にかけたバックをかけ直す。隣でうんざりとした様子で景色に視線を飛ばす彼に物珍しさがどうしても勝った。普段は通勤にも車を使うこの人がどうしてわざわざ電車通勤なんてしてるのか。お世辞にも慣れてるとは思えないし、人混みとか嫌いそうなのに。
目立つその色合いを乱雑に括っただけの姿に、こうも長髪と奇抜な色に違和感がないのは彼くらいなものだろうとなんとはなしに考えて

『それにしても何で今日は電車なの』
「んー?」
『車での通勤許可貰ってるんでしょ。なにもこんな満員電車使う事もないと思うけど』
「美人なオンナ守るのも男の役目ってな」
『はい?』
「お前ね、昨日自分が言ったこと忘れてンだろ」
『え。なんか言ったっけ私』
「痴漢」
『あー。そう言えばそんな話ししたっけ』
「マジで忘れてたのかよ」
『女は日常茶飯事』
「いらねーわそんなモン」

昨日の昼時だった気がする。珍しく時間通りに休憩に入れたと思ったらオフィスを出た辺りで彼と出会したんだっけ。その流れでその辺の店でご飯を食べた際、話のネタ感覚で話したような気がする。本人も忘れてるような内容なのに良く覚えてるなこの人。記憶力は確かに良さそうだ。見た目に似合わず。
朝の通勤ラッシュと痴漢なんて今の世の中そう珍しいものじゃないと思うんだよね。むしろセットなんじゃないだろうか。女性専用車両なんてのもあるくらいなんだから。私服通勤が適用されるこの職場なら被害に合う確率もそれなりに高くなる

「やけに平然としてたよなお前」
『残念なことに何年も電車通勤してると慣れるんだよ』
「マジでいらねェわその慣れ。駅員に突き出すとかしとけっつの」
『あのねえ、簡単に言うけどそれが出来たら女はもっと生きやすいよ』
「…」

自分の勘違いかもしれないと思う心境や突き出した時の周りの目、自分のせいで遅延が発生したあとの無関係な人への影響とかもろもろ。考えたらキリがないしそれを考えると憂鬱になるのも事実な世の中で。痴漢に遭いましたこの人ですとなんの躊躇いもなく言える女はきっと限りなくゼロに近い気がするから
言えるような環境を望むよりもまずはそんなバカげたことを仕出かす男を何とかして欲しいと思ったりもする。まあ無理だろうけど。
自己防衛の為にも女性専用車両があると言うならその車両数を増やしてくれたらいいのに

『!、あ。ここの駅すんごい人が乗って来るんだよね』
「…」
『荷物上に乗せた方がいいかなって、うわ』
「はあ」
『すごいすごい潰される』
「お前、明日から車通勤な。毎朝迎えにいってやるよ」
『はい?』
「んでもってコッチ寄っとけ」
『…この体制はなにかな』
「俺がお前の後ろに立ってりゃ、わざわざ手ェ出してくる野郎も居ねえだろ」
『…』
「痴漢防止策っつうコトで」
『…別に、気にしてないよ』
「俺がイヤなんだよ」
『どーいうこと』
「そーゆーコト」
『日本語通じませんか』
「友香がニブいだけじゃね?」
『うわあ軽く喧嘩売られた気配を察知』
「んなコトねーって」

イケメンは何をやっても様になるからどうしようもない
体の位置をズラして、わざわざ私を包むような体制までとって。背後に佇む彼が私の荷物を上の荷台に置いてくれた。そのまま楽々とつり革の手すりを掴む姿に実感する身長差。そう言えばいくつあるんだこの人。出来れば並びたくないぞ。

「7時にアパートの下な」
『いやいやいや。なんで急にそんな話しになってんの。大丈夫だって、別に毎日じゃないし』
「ハイ決定ー」
『人の話し聞いて』
「寝坊すんなよ」
『おーい』

トントン拍子に話しがいつの間にか完結している事に肩を竦めつつ一瞥すれば。そこには思いの外真剣な色を宿す真紅があって。ああこれは決定事項なのかと頭の片隅で浮かべた諦めの2文字。1ヶ月分の定期買ったばかりなんだけどな。せめてもったいないから使い切ってからとかにしてくれないだろうか

あーだこーだと考えていればポンと撫でられた頭の上
至極満足そうに笑う男の様子に、結局は流されるように苦笑したんだ











今のご時勢、別に珍しくもなんともない。

ただ、すこしだけ

呼吸がしずらい世の中何だと痛感するだけで


窒息気味だった灰色の世界の中

飛び込んできた鮮やかな色に、その想いに


なんだか久しぶりに 呼吸ができるような気がした













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