嫦娥の花宴 | ナノ



だってそれこそ、不毛じゃないか








「おーう。いま帰ったぞー」
『ああ、おかえ、ぐえ』
「女の出す声じゃねえな」
『…誰のせいだ誰の』
「人が生きるか死ぬかの瀬戸際だったっつうのに昼寝たァイイご身分ですコト」
『いやいやいや。私昨日まで1ヶ月ぶっ通し遠征だったからね。泥のように眠ったわ』
「あ。そーいや、天蓬置いてきたわ」
『…後で呪い殺されるんじゃないのソレ』
「そん時は友香を生贄にでもして逃げ切ってやるよ」
『あんたは鬼か!ってか、重い苦しい肺が潰れる』
「んー」
『いたたたたたたッ、ちょっ、息止まる息止まるっ』

血と汗と土の匂いが鼻をついた。代わり映えのない風景に飽き飽きしながらもうたた寝決め込んだ昼下がり。
ノックも無しに壊さんばかりの勢いで開かれた扉が悲鳴をあげたと思ったら、規格外な巨体が覆い被さるように倒れ込んできた。たぶんゲートから直行してきたんだろう。所々痛々しい傷跡が見え隠れしている
…また医療班の制止振り切ってきたな
デカい任務がある度に、長期遠征がある度に
飽きもせず毎度直行してくる男に漏れたため息一つ
蝋で固められた毛先も同じようにヘタレてる。

「あいっ変わらず、やァらけぇよなお前って」
『はいそれセクシャルハラスメントォ』
「セクハラは女に対して使う言葉だろ」
『殴っていいかな。殴っていいよね』
「倍返し希望ならご自由に、ってな」
『なんだこいつ』

訳は聞かない。言われたこともないから。
普段は頭もキレるしとっさの判断力だって舌を巻くレベルだけれど、それでもね。
完璧な人間なんていないんだと。ふとした瞬間に何かが途切れる事なんて、きっと誰にだってあることだから。
窒息寸前に酸素を求められるのは…別に嫌ではない。
正直いまはこっちが窒息しそうだけど。早く退かないかなこの人

180超えの巨体を受け止めるには面積が足りなさ過ぎて死にそうだ。
ゴソゴソと動く両腕がベッドとお腹の間に潜り込む。
あ。昼に食べた冷やし中華が出そう。
自分のベッドでそんなグロッキーな事態は死んでも避けたい

『何食べたい』
「すっげえ高級な海鮮」
『作れるものでお願いしまーす』
「んじゃ筑前煮」
『一気に庶民じみたね』
「美味いんだよ。おまえの煮物」
『んじゃあヘタレてる大将サマのため、腕を振るうとしますかねぇ』
「あと一時間後にな」
『…』
「いいだろ、少しくらい」
『…』

大将という地位は、この笑っちゃうほど優し過ぎる男にとって枷ではないのかと。思わないことも無かったから。普遍を約束された世界で唯一終わりと隣り合わせな私たち。誰かのぬくもりを、声を、想いを。それだけをひたすらに求めて這い上がってくる時がある

呼吸がしたくて、生きたくて。

たまにこうして打ち上げられた魚のようにもがき苦しむことがある

『…目覚まし時計、セットしとこうかなあ』
「そーしてそーして」

そんな無意識なSOSに手を伸ばしてくれるなら
私の元に、帰ってきてくれるなら。



『寝過ごしたら捲簾のせいだからね』



呼吸の仕方を忘れないでくれる、なら。
この息苦しさすらも愛おしい。













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