嫦娥の花宴 | ナノ




いつかの俺は、黒い服に金色の銃を片手に構えて佇んでいて。


またあとでな


だれかの声に、そんなふうに告げたんだ



夢の内容は詳しくは思い出せないけれど、それがとても大事なヤツだったって事だけは覚えていた。



―――…ま た な



ここでいつも、視界が暗転する。

なにも視えなくなって、なにも感じなくなる


それでも、胸に走るのは誰かを想って生まれる鈍い痛み





誰かの名前を、呼んでいた気がしてたんだ。ずっと。ずーっと、永い間。



そんな不思議な夢を、ガキの頃からずっと見続けていた
あの日、あの場所で彼女と出逢うその日までは…





「っし、帰るとすっかな」


駐車場に止めた黒の愛車。
エンジンを止めて見上げた我が家の近くには丸く輝く黄金色。
大学を出るときに連絡はしておいたから、今頃彼女は俺の帰りを待ちながら夕飯の支度をしているのだろう

そんな姿が容易に想像できてしまう自分に苦笑するけど、大切な彼女が自分の帰りを待っていてくれるというものは素直に嬉しく思う。俺は鼻歌まじりに開かれたエレベータに乗り込んだ



「ただいま」
『捲簾! おかえりなさい』
「おう。いいこにしてたか?」
『子供じゃありません』
「ハハッ、そーかい」
『珍しいね、定時で上がれるなんて』
「企画案件の会議すっぽかして来た」
『ええっ!?…それって良くないんじゃ…』
「ま、たまたますれ違った悟浄に企画書押し付けてきたし、問題ねぇだろ」
『…(今度なにか御詫びに持っていこう)』
「それに仕方ねぇだろ?俺の中で一番大事な成分が底尽きたんだからな」
『?』


扉を開ければ音に気づいて駆けてくる音がすぐに聞こえる。
出迎えてくれた笑顔に笑って返して、差し出された手に肩にかけていた上着を手渡した。一緒に廊下を進んでリビングへ向かえば漂ってくる空腹を誘う香り
着ていたスーツは立場上仕方ねえっちゃそうなんだが、どうも息苦しくて好きになれねえんだよな。窮屈なネクタイを緩めれば漸く目的が果たせる


『捲簾?』
「なんだと思うよ、俺の一番重要な成分」
『んー…お酒?』
「残念。確かに友香と飲む酒は好きだけどな」
『えー?じゃあ、なんだろうね』
「オネーサン、いつのまに焦らしプレイなんて覚えたのよ」
『…なんか捲簾がいうと変態っぽい』
「友香限定ってコトで。」
『ふふ。それなら許しましょう』
「んじゃ、はい」
『スーツの上着は置くべきかな』
「だな。今の俺ならしわくちゃにする自信がある」
『じゃあちょっとだけ待ってもらおうか』
「…どっちを?」
『ハンガーさんの元に帰るのを?』
「おっしゃっ」


椅子の背凭れに預けられたのを見届けて、振り向いた彼女を漸くこの腕で力いっぱい抱きしめた。クスクスと肩を揺らす友香の細い腕がしっかりと背中に回されたのを確認してから俺は知らず張っていた肩の力を抜いく

仕事をしようにも、考えてしまうのは家で俺の帰りを待つ彼女のことばかり。向き合っていたパソコンにすら名前を打ってしまう始末だ
重症ですねとたまたま背後を通りかかった天蓬の言葉に同意して、やり途中だった仕事ぜーんぶ放り出して気がついたら車を走らせてたんだよ

仕方がない。俺の中で友香が不足してると脳が緊急信号を出したんだ。
それを無視してまで仕事を続けられる俺じゃあない


「あー…生き返った。マジ干からびるかと思った」
『大げさだなぁ』
「いやいや、ホントだって。頭ン中お前一色」
『あ、それは嬉しいかも』
「だろ?まぁいつものコトだけどな」
『でも私も捲簾一色だから、あまり人のこと言えないね』
「お。そんなこと言ってるとこのまま喰っちまうぞ」
『だめでーす。今夜は特別メニューなんだから』
「特別メニュー?」
『うん、そうだよ』
「…なんかあったけか」
『ありまーす』
「なんでしょう」
『食べるときのお楽しみです。先にお風呂入っておいで』
「友香が背中流してくれんなら喜んで」
『そんなサービスはありません』
「なら後で一緒に入ろうぜ。いまの俺はちょっとでもお前と離れたら灰になるぞ」
『え…わたし、もうお風呂入っちゃったよ?』
「だから俺ともっかい入んの」
『…今日は珍しく甘えん坊だね』
「ここ最近残業ずくしだったもんで」


不足してんだって言っただろ。これはかなりの死活問題だぞ。使い物にならなくなる一歩手前まできてんだぞ。これ以上離れたら本気でヤバイっての。
眸を瞬かせる友香に不満な顔を隠さず見つめ返せば、案の定かわいいなんて言いながら胸元に顔を埋めていた

そりゃこっちのセリフだ。誰だこんな愛らしい生物を生み出したのは。俺は彼女の両親に心底感謝しなきゃならないと改めて思う今日このごろ


『ふふふ。じゃあいいよ、あとで一緒に入ろう?』
「安心しろ。風呂じゃナニもしねーから」
『それ、結局一緒…』
「明日休みだろ?」
『うー…で、でも捲簾は仕事!』
「俺は充電式なの。こんなんじゃ仕事どころか、家から一歩も出らンねえよ」
『…』
「が、無理やりってのは性に合わねぇ。友香が"本当に"イヤなら大人しく寝るさ」
『…………捲簾は性格歪んでると思うの』
「ほー。そんな男に惚れたのは誰だろうな」
『うう…』


いま、眼下で真っ赤になってるであろう顔を両手で覆う友香は、俺の誘いを断ったことなんて一度もない。そりゃ俺だって彼女の体調が優れないときや何か理由があるときにこんなふうに誘うなんてことはしないが。
未だに慣れないと情事中に必死に訴えてきた行為に生じる羞恥に関することなら遠慮なくいただいてしまいたい。

強請るように頬や額に口づけていれば、暫く逡巡するように押し黙っていた彼女が再び背中に腕を回してくる。暗黙の了解を得た俺はやっぱり彼女は俺に甘いと密かに苦笑したんだ。ちゃっかり夜の約束までこじつければ尚の事離れがたくなるのが男の性というもので

ダイニングにある4人用のテーブルに置かれた食事を見つめて、向かい合って座るのも絶対ムリだと告げれば分かってますと苦笑した友香はすぐ近くのローテーブルを指さした


「お。今夜は栗ご飯か」
『うん。それと秋刀魚が安かったからサッパリと塩焼にしてみたの。お味噌汁はしじみね。捲簾は最近たくさんお酒飲むから』
「あー…ちと飲み過ぎたか」
『肝臓も労ってあげなくちゃね』
「だな。気をつける」
『って…人に忠告しておきながら、今夜はお酒も飲んでもらわなきゃならないんだけど』
「なんかあんのか?」
『ほら、今日って重陽の節句でしょ?だから菊酒を用意したの』
「ちょうようのせっく…? なんだそれ」
『え、捲簾知らないの?』
「初耳。」
『じゃあ調べてみましょう』
「便利な世の中になったもんだ……えー、なになに。"別名菊の節句。邪気を払い長寿を願う元は宮中行事"…と」
『昔は旧暦だから10月だったの。だから菊の節句なんだよ』
「さすが博識。で、菊酒なのは分かるんだが、なんだって栗なんだ?」
『収穫の時期でもあったから、秋の旬な食べ物である栗を使った料理を食べるんだって』
「なーるほどね。」


ソファの前のローテブルに料理たちを移動させて、カーペットに座った俺の足の間に#友香#を座らせてガッチリホールド。
ちょうどいい高さにくる彼女の頭に顎を乗せて手元のスマホを覗き込めば、今夜の特別メニューの意味が理解できた
確か五節句っていったっけか。5月の端午の節句の時は男である俺が主役とかなんとかで、偉く気合入れていたことを思い出した。そうか、あれの仲間か。


「行儀悪ィのは分かっちゃいるが、今夜だけ見逃せな」
『仕方がないなぁ』
「顔が笑ってますよオネーサン」
『見間違いですよお兄さん。でも、この体制じゃ食べにくくない?』
「問題ナシ。お、栗ご飯うめぇ」
『お粗末様です』
「お前も食ってみ、ほら、あーん」
『器用だね捲簾……ん…良かった、ちゃんと味も染みてる』
「いい色してんなぁこの栗」
『一度下茹でしたの。そう方が綺麗な黄色になる』
「いつも思うけど、丁寧だよな友香の料理って」
『捲簾がいつも美味しいって食べてくれるからだよ』
「旨いモンは旨い。」
『ありがとう』

食べやすいようにと解してくれた秋刀魚を大根おろしにつけて食べて、時々ちゃんと食べているか#友香#の手元を確認する。9月といえどもまだまだ残暑の続く気候な為、もともと暑さに弱い故に食欲が限界まで落ちる友香は気をつけていないとまともにメシをとらないのだ

箸を持って満足そうに栗を口元に運ぶのを見届けて、カラになった皿を前に両手を合わせ目をとじる


「ごちそうさま。旨かったぜ」
『ごちそうさまでした。そう言って貰えるのが何より嬉しいよ』
「絶対イイ嫁さんになるよなお前って」
『でも八百鼡ちゃんには負ける気がする…』
「あの紅孩児の女か?いーや、お前の方が絶対イイ」
『そうかな?』
「なんたって俺が選んだ女だしな」
『ふふ…それって関係あるんだ』
「大アリっしょ」
『期待に応えられるように精進しなくっちゃ』
「今のままでもいいぞ」
『それじゃ飽きちゃうよ』
「んじゃあ、友香は俺に飽きるのか?」
『飽きない!』
「それと一緒だよ」


ほんとだって破顔する友香の顎に指を駆けて仰がせれば、なあにと瞬く漆黒の宝石。それにしっかりと自分が映し出されているのを確認して、引き寄せられるように顔を近づけた


『ん…、っ……ぷはっ…!』
「もっかい」
『ま、まって、長いよ捲簾っ』
「それは友香の鍛えが足りないの」
『ふっ、ぁ……っ、も、まってっ』
「…あーぁ。顔真っ赤になってら」
『はあはあ…っ』


カーペットにそのまま押し倒したものの、ココじゃ友香が痛いよななんて考える。押さえつけたほっせぇ手首なんて力加減を間違えたら折れてしまいそうだっていうのに。肩で必死に息をする様子をジッと見つめれば、目尻に泪を浮かべながらまだだめだと首を振る
因みに、細い両足は俺が跨っちまってるせいで思うように動かせないだろう

服から覗く白い肌にわざと目立つように口付けていけば、震えながらも身を捩る#友香#の止める声。ローテブルとソファとの狭い隙間じゃどう頑張ったって逃げらンねぇもんな


『んっ…け、んれんっ』
「片付けなら後で俺がやっとく」
『そ、っちじゃなくて、』
「風呂はどうせ汗かくンだから、後で入った方がイイだろ?」
『そうでもないのっ、だから、ちょっと待ってってば…!』
「んー?」
『あっ…!、ね、ほんとあとすこし待ってよ捲簾』
「この期に及んでお預けって…なかなかレベル高ぇな友香」
『菊酒飲んだら好きにしていいからっ』
「お。自分で言ったな?」
『〜〜〜っ』
「んじゃ、一旦ストップってコトで。ほら、どうすんだ?」
『て、テーブルの横に日本酒と菊の花があるでしょ』
「ああ、これか。それと杯が二つ」
『その日本酒はね、三日間菊を漬け込んでおいたものなの』
「へえ…まさしく菊酒、だな」
『…捲簾、手、離して』
「ダーメ」
『ふ、服が…』
「どうせすぐ脱ぐだろ?」
『…っ』
「で?どうすりゃイイのよ。言わなきゃこのまま初めちまうぞー?」
『………食用の菊の花びらを一枚杯に置いたら、そのお酒を注いで花びらと一緒に飲み干すの』
「そりゃあ風流な習慣だな。この菊酒が邪気払いか」


片手だけ離して細い両手首を一つに纏めて抑えこむ。あ、ちゃんと痛くないように手加減はしてるからな。だけども、女の力じゃどう足掻いても外れないような強さになっちゃいるけど。逃がすつもりもないから今回はスルーした
乱れた裾がきになるのか、頻りに身をよじろうと頑張る友香を見ながら言われたように酒を注ぐ

確か中国じゃ菊は長寿の象徴とされているんだっけか。
それが日本に伝わってきて、この重陽の節句には邪を祓う意味と長寿を願って菊酒を飲むんだとか。


『私も、捲簾も…長生きできるように』
「…長生き、ね」
『うん。おじいちゃんとおばあちゃんになっても一緒にいたいから』






いま、彼女が口にした願いは…

あの日、あの時、大切な誰かに向けてまたなと告げた俺には、きっと叶えてやる事ができなかった願い。



それを…今度は二人で一緒に叶えよう。



純度の高い透明なソレに浮かぶのは、いつか見た薄桃色ではなく鮮やかな色を放つ黄色。沈むことなく浮かぶ様子を静かに見つめていれば、雰囲気に気がついた友香がそっと俺の名前を呼ぶ。再び視線を下ろせば柔らかく微笑む彼女は遠い記憶の中に在るものと何一つ変わってはいないような気がした

俺を呼ぶ声も、俺を見て微笑むその笑顔も、見つめる視線の温かさも。



そして、向けてくれる確かな想いも、ぜんぶ。




「…そーだな。ジジィになっても離してやんねぇから、今のうちに覚悟しとけよ?」
『離れるつもりなんてないから、それは必要ないなぁ』
「言うねぇ…そういう事ばっか言ってっから次の日立てなくなるンだよ」
『もうこの際何を言っても結果は同じかと思います』
「ハハッ、真っ赤な顔してよく言うぜ」
『…』
「ん、どした?」





『…もう、おいて逝かないでね…?』





一瞬、息が止まった。


どこか遠くを見つめているような、眸に映っているのは"俺"なのにそれすらも飛び越えた誰かを見つめているような眸が、声が、静まり返った部屋に余韻を残す。なんだって?いま、彼女はなんといった。纏う雰囲気も少しだけ違うように感じられるのは、俺が見る夢に似ていて

視界の隅で、桜の花びらが舞ったような気がした



『捲簾?…飲まないの?』


目を見開いて瞠目する俺に構わず、何事もなかったように首を微かに傾げる友香はもういつもと同じ。
偶然だったのだろうか。記憶が重なりあったのは


ああそれでも、例えそうだったとしても。




「…置いてかねぇよ。もう、二度と」
『?』
「寿命全うしてちゃんとお前を看取ってやる」
『いきなりどうしたの?』
「"約束"したもんな、またなって」
『わたし、そんな約束したっけ?』
「おう。覚えてねーとは酷いやつだな」
『え、え、うそ…ちょっと待って、思い出すっ』
「ハイ時間切れ。イタダキマス」
『やっ、まだ5秒もたってないっ』
「菊酒はいま飲んだし…あ、そーだ。友香、お前も口開けろ」
『え…?あ、まさか…んぅっ!?』
「…っ、どーよ。御利益上がっただろ」
『ケホッケホッ…!…な、なんで、口移し…っ』
「いやー、だってお前いま起き上がれる状況じゃねえし」
『だからってそんな…!』
「友香」
『っ!?』
「無駄口禁止、な?」


耳元で囁けば、瞬時に震える痩躯はすっかり俺の色に染まっている。
乱れたままの裾から手を差し込めば更にビクつく体に思わず浮かんでしまう笑顔に、どう頑張ったって漏れる声にどうしようもなく煽られる


手に入れることができなかった、何よりも望んだ大切な未来。
それでも、きっとあの時の俺には、そして彼女には…

共通する"守りたいもの"があったんだと思う。



だからきっと


見られなかった夢の続きを、だれかにそっと託したまま散ったんだ






『ぉ、ねがい…せめて部屋に…っ』
「ココまで堪えただけでもけっこー頑張ったと思うケド」
『あ、明かり…っ』
「もう限界今すぐ抱きたい」
『―――…っ』
「たまには全部見せろよ…な?」
『ふあ…っ』




撫でた白い肌と、纏わりつく白いもの。
大きな快楽に泪を散らせる彼女は、震える痩躯を仰け反らせる姿は。



とても、とても。




尊いものに思えて仕方がなかった―――…












最期にまたなと告げた俺の耳には、涙の落ちる音なんて聞こえなかった

ただ一言…



『また会おうね』って笑った、お前の声が聞こえたんだ












〜重なる想いに揺れる菊の酒〜







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