嫦娥の花宴 | ナノ



信じていたもの、信じたいもの

四方から浮かび上がる感情は、自分では制御することが出来なくて

そんな―――…窒息するような想いを抱えていた。







「聞いたかいアンタ」
「ああ、あの話だろう?」
「近くの村で見かけた人が居るらしいよ」
『…?』

太陽が傾き始めた時間帯
立ち寄ったこの村に果たして情報はあるのだろうか
握りしめた似顔絵に視線を落としてため息をつく
手当り次第に尋ねてみても、そう簡単には見つからない

『…今日はもう宿に戻ろうかな…』

荒れ果てた家の中、一枚の置手紙だけが取り残されていた
大好きで、憧れていた人
あの人たちが纏う空気が好きだった
向けられるあの微笑が大好きだったのに

唯一一人と定めた存在を蔑ろにしてまで、あの男が手にしたかったものとは何なのか
私には理解できないし、しようとも思わない
愛なんて所詮は一時の気の迷いなんだ
傷つくのはいつだって女だけ
捨てられた悲しみも怒りも、惨めさも
押し付けられるのは女だけ

『…どこに行ったの―――…お姉ちゃん』

何も言わずに立ち去ってしまったのだ、あの村から。周りの人は口々にかわいそうだと同情したけど、誰も探し出そうとはしなかった
結局は…みんな赤の他人なのだと
軽く人間不信になりそうな気持ちで飛び出したあの日の朝
きっとお姉ちゃんだって出たくて出た訳ではなかったんだ
ただきっと…あんな村の人たちの言葉に耐え切れなかったんだと

そう思い続けて…ひたすらに

彼女の存在を追いかけて飛び出したんだ

『―――…』

人混みを避けて入り込んだ路地裏
目の前に飛び込んできた光景に、思わず息が止まったのは仕方がないと思う
ボロボロのマントに身を包んだ4人の男性達が、裏道のド真ん中無造作に倒れこんでいるなんて
…こんな光景みたの、生まれて初めてかもしれない。
ああどうしよう。出来る事なら今この場から全力で逃げ出したい
思わず引きつった口元と顔のまま後ずさる
見なかったことにしたい全力で。
人見知りに何が出来るって言うのよこんな状況…っ

かといって、ここで本当に見て見ぬふりをするのは人間的にどうなんだと。
自問自答すること1分間

「うぅ…はら、へった…」
『〜〜〜っ、あの!』
「…ほぇ…?」
『パンでよければありますけど…』
「食うッ!!」

ああお姉ちゃん。なんだかヘンな人たちを拾いました。

ガバリと勢い良く上体を起こしたその姿に、思わずもう一歩後ずさった


「いやあすみません、持っていた食料食べつくしてしまって」
『…』
「マジで死ぬかと思ったあ〜〜」
「空腹でかァ?こないだの夜襲の方が死ぬ率高かったろうが」
「あの時は火を放たれましたからねぇ。本当に、周りの迷惑も考えて欲しいですよ」
「そんなまともな思考回路してやがったら夜襲なんざしねェだろ」
「それもそうなんですけど」

謎の4人組み
一人は金髪に鋭い眼光を宿す人…うわあ、怒ったらすごく怖そうこの人
むしろ見てるだけで怖いから絶対話しかけないでおこう
二人目は私の言葉に一目散に食いついた子…見た目は私と同じくらいかな
すごく人懐っこそうだから出来れば近寄らないで欲しい
三人目は瞳も髪も燃えるような色をした人…さっきからずっと口元に笑みを刻んで私を見ているけど、視線が物凄く不愉快だから話しかけないで欲しい
四人目は優しげな笑みを浮かべて御礼を述べた人…多分きっとこの中だと一番まともな会話が出来る人なんだと思う

『…』
「あれ?もしかしなくても、俺らめっちゃ怖がられてね?」
「ある日突然裏道に死にかけの男が4人も生き倒れていたら、当然の反応だと思いますよ」
「にしてもえらく美人だよなあんた。名前なんてーの?」
『…。』
「おーい。そんな物陰に隠れてねえで、コッチ来いって」
『……』
「ぷっ 悟浄めっちゃ警戒されてんじゃん」
「うっせーよ、お前がガツガツ食い意地張ったとこ見せっからだろうがッ」
「フラれたことを人のせいにすんなよなーっ!!」
「2人とも、ここが路地裏だって分かってます?」
「とにかく村の連中に見つかる前に出るぞ」
「ええーっ!?メシ食ってこうぜ!俺もう腹へって動けねえもんっ」
「でも確かに…持っていた食料も底つきましたからね。このまま強行突破をしても、次の村までどのくらいかかるか分かりませんよ?」
「…チッ」

なんなんだこの人たち。私と同じように旅でもしているのか
それにしたって軽装過ぎないか
恐る恐る物陰から顔を出して様子を伺えば、胡座に頬杖ついた真紅の人と目が合った

『…なん、ですか』
「んー?名前なんてーのかなってな」
『…生憎と初対面の人に名乗る名は持ち合わせていません』
「人見知りかと思えば、肝は据わってんのね」
『や、普通に考えて怪しい人物に名前明かさないと思います』
「んー、でもさ?名前分かんないと呼べねーし!ちゃんと御礼も言いたいしさっ」
『………………友香』
「友香かー!俺は悟空!んで、こっちが三蔵と八戒で、赤いのが悟浄!さっきはメシ譲ってくれてありがとな!」
『…どういたしまして』
「残念でしたね悟浄。悟空の方が1枚上手で」
「うっせーよ。そんなもん歳が近いからってだけだろ」
「あなたはガッツキ過ぎるんですよ、いつもいつも」
『…。』

ああもう、ほんとうに
良く分からない。
とりあえず身の危険はなさそうだと判断は出来たから、1番温厚そうでまともそうな八戒と呼ばれた人に近寄ってみた
この人と会話するのが1番効率性が高い気がしたから

『…旅、してるんだ?』
「はい。ちょっと野暮用で。見たところ貴女もそう見えるんですが…」
『うん…半年前に村から出てっちゃったお姉ちゃんを探してるの』
「お姉さん、ですか?」
『血の繋がりはないけど、私が子どもの頃から大好きな人だから。色々あって…飛び出してっちゃった』
「ふーん…それで友香も一人で旅してんだ?でもさ、女の子一人じゃ危なくね?」
『護身術なら使えるし、コレがあるからある程度の妖怪からは逃げられるんだよ』
「それは…?」
「棍棒か」
『!……お、折りたたみ式ですが…』
「ぶはっ お前完っ全にビビられてんじゃね?」
「別に俺はなんもしてねェ」
「三蔵ってカオが怖いんだよなー。目付き悪ィし!」
「普段から不機嫌そうな顔ばかりしているからですよ」
「そんなんじゃいつまで経っても女が近寄ってこねーぞ」
「節操なしのてめェと一緒にすんじゃねえよ」
「さて。煩くなってきましたし、そろそろこの路地裏からも動かないと。今夜は泊まりますよ、三蔵」
「フン。好きにしろ」
「でもこんな時間に宿とかとれんのかな?ケッコー遅いよなもう」
「そこは日頃の行いに懸けるしか無いんじゃないでしょうか」
「一週間も野宿とか流石にキツイわ」
『…宿、まだ探してないの?』
「数時間前には着いていたんですけどね。全員睡魔に負けてしまったんです」
『…。』

睡魔に負けて路地裏に倒れこむってどうなんだろう。
見たところ食事も睡眠もまともにとっていなかったみたいだし…
困ったように微笑む八戒さんに暫く悩む事数分
あまり赤の他人と関わりたくはないのだけど、既にこうして見ず知らずの人たちと会話を成立させてしまった時点でアウトだろう
関わるのはここまでと決めて顔を上げた

『私が泊まってる宿ならまだ空きがあるよ』
「えっマジ!?」
『うん。今日の朝に団体さんがやっと出て行ったって、宿の女将さんが言ってたから』
「八戒八戒っ!」
「では今夜はその宿にしましょう。申し訳ありませんが、案内をお願いしてもよろしいでしょうか…?」
『…いいよ』


損はしたくないから。







『―――…それで』
「んー?」
『…私になんの用でしょうか』
「やっぱ風呂上がりも色っぽいわ」
『……、用がないなら退いて下さい。部屋に戻りたいんです』
「ちょーっと付き合わねぇ?」
『…』

大浴場から部屋へと続く廊下の途中
壁に寄りかかる紅い人
とんでもなくこの人に対して苦手意識が強い私の眉間には、それはもう沢山の皺が刻まれてると思うの。
何でよりによってこの人なんだろう
警戒心剥き出しのまま1歩後退りながら見上げれば

「そんな警戒すんなって。別になんもしねーから」
『…付き合ってって…何にですか』
「そーね。雑談とか?」
『…。』

思った以上に優しげな笑みで見下ろすから
…この手のタイプは確実に女の扱いに長けてるんだろう
違和感を持たせずに流れるような雰囲気がある
待合室に向けて歩き出した背中を暫し見つめて、深く長くため息を吐き出した

「姉ちゃん探してンだろ」
『そうですよ。もう半年間探しまくりです』
「行きそうな場所とかねぇの?」
『粗方探しましたけど、お姉ちゃん方向音痴だから、まともに辿り着けてないと思います』
「あー、そりゃ難しいな」
『私たちの村から一直線上にある村を回ってみてるんですけど、目撃情報もないんですよ』
「方向音痴じゃ予測も着かねえからなァ」
『…』
「ん?」
『タバコ、吸うんですね』
「あ、悪ィ。うっかりしてたわ」
『別にいいですよ。煙とか気にしないんで』

待合室の大きなソファに凭れながら見上げた天井
人見知りの私が赤の他人とまともに会話を続けてるって知ったら、お姉ちゃん絶対に驚くんだろうなぁ。子どもの頃からお姉ちゃんの背中に隠れていたから

探しても探しても目撃情報一つ見つからない
私たちの村から大通りに出るまでは迷いようがないはずなのに。なんたって森を抜けた目と鼻の先だもん
…考えたくないけど、今の時代
女の一人旅は妖怪に襲われる確率が高くなる
お姉ちゃんは私のように護身術は習っていなかったから

『はあ…何処にいるんだろ…お姉ちゃん』
「…」

もし、本当に。妖怪に襲われていたとしたら

きっと今はもう…

『…っ』
「偉く慕ってたンだな」
『…え?』
「その姉ちゃんのこと」
『はい。本当のお姉ちゃんじゃないけど、私が子供の頃から良くしてくれた人だから』
「へえ。優しいんだ?」
『とっても。穏やかなんだけどお人好し過ぎるし、天然だから心配になるくらいです』
「何だって村から飛び出したりしたんだよ。聞く限りじゃ、んなことするよーには思えねえんだケド」
『…結婚した人に裏切られたんですよ』
「…」
『あの人…お姉ちゃんの事好きだったくせにっ…浮気してたって』


ふふ―――…仕方ないよ


そう言って微笑んだ顔がずっと頭に焼き付いている
最後に見たあの哀しげな微笑み
その翌朝には…もうお姉ちゃんは家にいなかった
幸せだよって笑ってたのに。あの男はお姉ちゃんのすべてを裏切ったんだ

『男なんて結局は自分勝手なんです。手を伸ばすだけ伸ばして手元に置いたら満足なんて…残された人の気持ちなんてこれっぽっちも考えてない…っ』

休みの日は二人でいつも散歩していた

ああ本当にお姉ちゃんの事が好きなんだなあって

ずっと、そう信じていたのに。

「…ブン殴ってやりてぇな」
『棍棒で思いっきり殴りたいですよっ…本当に…本当にお姉ちゃんはあの人のこと好きだったのに』
「その野郎はいまどうしてンだよ」
『知りませんよあんな人っ…浮気相手と暮らしてるんじゃないですか』
「…」

信じていた人に裏切られた悲しみは、痛みは
きっとお姉ちゃんにしか分からない
悔しくて悔しくて、お姉ちゃんを傷つけたことが許せなくて
出来ることなら思いっきり殴りたかった
叫びたかった

『誰かを本気で愛したって…最終的には傷つくだけじゃない、こんなの…』
「…ま、俺も否定は出来ねえな」

私に何も言わずにたった一人で村を去ってしまったお姉ちゃん
その時の気持ちを考えると今だってこんなにも胸が痛くなるのに
きっとお姉ちゃんはもっと痛かったんだ
堪えきれずに流れた涙は誤魔化せない
すぐ隣のソファが僅かに軋む。嗅ぎなれない香りが広がったのは、悟浄さんが私の傍に座った証拠で

泣いた顔なんて人に見られたくはないから
慌てて顔を背けて袖口で想いを拭い取る
そうだ。私はこれ以上関わるつもりなんてないんだから

『…なんで近寄ってくるんですか』
「イイ女が泣いてりゃ、寄りたくもなンだろ」
『……あなたみたいな人は苦手です』
「だろーな。警戒心剥き出しだわ目は合わねェわで…人見知りに加え男嫌いもプラスされてんのね」
『知ってて絡んでくるとかなんなんですか…っ』
「仕方ねぇだろ。ほっとけねえんだから」
『…イヤです』
「?」
『宿まで案内しましたっ…私に関わらないで下さい…!男の人なんて信用できない…っ!』

ポンポンと優しく頭に乗せられた大きな手のひら
逃げるように立ち上がっては後ずさって、瞠目するその人を睨み付ける
その場だけなのだ、どうせ男の人なんて
愛した人への気持ちは続かないものなのだと…私は痛感させられたから

『―――…っ』

向けられた真紅の瞳
滲んだ視界じゃそれもハッキリとは映らなくて
意外にも落とされる声が優しかった、から

半ば逃げるように私はその場から駆け出したんだ


「…"信用できない"ねェ。ま、そーなるわな」


姉と慕っていた存在と、間近で見てきたであろう二人の存在
きっと彼女にとっての恋愛観はその二人がすべてだ
漆の瞳に僅かに張った涙が…その想いを語る
悔しさと怒りが混ざる漆
そして、男は信用できないと
そう叫んだ中にも揺れる想いがあるような気がして

「…」

人見知り、男嫌い、けれど臆病なくせに妙に肝は座ってるあの瞳
この超短時間でも分かる彼女の大体の人物像
今まで俺の周りにいた女たちとはまったく異なるタイプだ

だからこそ。

「そんなふざけた野郎ばっかじゃねーぞ―――…友香」

必死に泣くまいと耐え抜くような表情が

揺らいだ漆のあの瞳が

脳裏に焼き付いて離れなかった








『―――…それで。いったい何でこんな事になってるんですか』
「だって友香って姉ちゃん探してんだろ?それだったらジープで移動したほーが色んな村回れるし!」
「餓死寸前を助けて頂いた大恩もありますしね。せめてこのくらいはさせて下さい」
『…』

流れる景色と響くエンジン音
次の村に向おうとこっそり裏口から出たのに、そこには既にこの人達が待ってましたと言わんばかりに待機していて

関わりたくない、のに

彼らは1度の恩に拘る。
私を挟むように座る二つの色のうちの一つ、真紅を纏う彼が悪戯が成功した子供のようにその瞳で笑っていた

『…あなたの差し金ですか』
「人聞きの悪ィこと言うなっての。一人で探すよか5人で探した方が効率イイだろ」
『私は一人で大丈夫です。ほっといて下さい』
「あの村から先は妖怪の出現率も格段と上がる。てめェみたいなガキが一人で歩いてたら、その場で殺されんのが関の山だろうが」
『…』
「すみません友香さん。この人見ての通り、見た目も態度も口も性格も悪いんですが、貰った恩を仇で返すほど落ちてはいないんです」
「一応こんなんでもお坊さんだもんな、三蔵」
「ええ。一応は。」
「てめぇらそんなに殺されてぇのか」

この人本当に怖い
釣り目なのは遺伝とかできっと仕方ないかもしれないけど、それ以外は本当に近寄りたくないくらいには怖い。話しかけようものならその鋭いオーラで一瞬のうちに切り裂かれてしまいそうだ
思わずぎゅっと口を閉ざして俯けば、追うように聞こえた小さな舌打ち
…そんなに嫌なら関わらなければいいのに

「ホラみろ!三蔵のせいで怖がってんじゃんか!」
「女相手でもソレとかある意味すげぇよな。どういう神経してンだよお前」
「…うるせぇ。こんなモンてめぇの得意分野だろうが」
「男嫌いにムダに絡むほど無神経じぇねえよエセ坊主」
『…言ってる傍からこの手はなんですか』
「ん?すげぇキレイな黒髪だよな」
『勝手に触らないでください…っ』
「しかもめっちゃストレート」
『人の話聞いてます…!? 女性の髪を勝手に触るとか信じられませんっ!』
「なんか手入れとかやってんの?」
『……お願いだからまず会話を成立させて下さいよ…』

ダメだ。この人は何を言っても全く聞く耳を持ってくれない
必要以上にペースを乱されている気がする
伸びてきた武骨で大きい掌が胸元まで伸びた髪を掬う
向けられる真紅はどこか楽しげで、悪びれなんかちっとも感じられないから
淵に頬杖をついて笑う様子に何を言っても無駄なんだと諦めた
風に靡く黒糸を視界の隅で一瞥しながらもう絶対無視しようと心に決める

…この人が持つこの独特な雰囲気は苦手だ。

女性が好きならもっとそういう人たちに視線を向けて欲しい
指先で遊ばれる髪を掴み戻して笑うこの人を軽く睨む。人懐っこさと言うか馴れ馴れしさというのか…
そして助手席に座っている三蔵と呼ばれる人物も苦手だ
八戒さんの言う通りもう見た目からして怖いから、出来れば関わりたくない

『…』
「大丈夫だって。この近辺の村は密集してっからな、徒歩なら尚更行動範囲も限られてくンだろ」
「それに俺らと一緒なら妖怪からも守ってあげられるしな!」
「三蔵の言うとおり、ここから先での一人旅は危険を伴います。お姉さんも何処かの村に滞在してくれていると良いのですが…」
「フン。余程のバカでもねェ限り、女一人で出歩いたりはしねえだろ」

あれよこれよと言う間にどんどんと話が進んでしまう
楽しげな色を宿す真紅を眉間に盛大なシワを刻みながら受け止めれば、美人が台無しだぜ?と笑われてしまった。宥めるように頭を撫でるからムッとした顔のままその手を払い除けた
完全に子供扱いされているような気がして、この状況含め理不尽さに僅かな怒りすら覚えるというのに

『子供扱いしないでくださいっ!そもそも貴方は馴れ馴れしすぎるんです!』
「おー、怒った顔もカワイイじゃん」
『八戒さん!私この人嫌い!!』
「あはは。すみません、悟浄のソレはもはやステータスみたいなものなんですよ。うざったかったら棍棒で殴っておいて下さい」
「あ。んじゃ俺がやってやろっか?」
「お呼びじゃねえんだよこのバカ猿!!」
「悟浄が友香にちょっかいばっか出すからだろー!」
「オイ」
『!?…は、はい…』
「探し人の特徴とかはねえのか」
『え、え…っと…似顔絵なら、ありますけど…』
「見せろ」
『こっ、これです…!』

飛んできた声に慌ててバックから似顔絵を取り出した
私を挟んで言い争う二人はこの際無視しようと決めて
三蔵さんに手渡すのと同時に昇る白煙
…この人もタバコ吸うんだ。着てるものからしてもお坊さんなのに
まず第一に剃髪じゃないって時点で罷り通るんだろうか
怖くて口が裂けても聞けないけど。

「おや。とても絵が上手なんですね」
『…子どもの頃からスケッチばかりしてたから、私』
「ホントだー!めっちゃ上手いじゃん!ってかこの人すっげえ優しそう」
『お姉ちゃんは優しいよ。お人好し過ぎるくらい』
「へえー。早く見つかるといいなっ、この姉ちゃん!」
『…うん』
「ああほら、村が見えて来ましたよ。さっきの村からだと徒歩で向かえば1時間程度の距離でしょう」
『えっ、もう着くんですか!?』
「車だと時間も距離も短縮出来ますから」

一緒に探しましょうと笑う八戒さんに、驚きを隠せないまま前方を見つめる。
徒歩と乗り物じゃこうも違うのかと思わず目を瞬いた
…この分だと本当にいくつかの村は今日で回れてしまいそう

「んじゃ、ちゃっちゃと目撃情報でも確認してみっか」
「姉ちゃんの名前って何ていうの?」
『…夕鈴』
「ユーリンか!よっし!」
「歳はいくつくらいだ」
『わ、私より5つ上です』
「それだと僕らと余り変わらない年齢ですね。似顔絵で特徴も掴めた事ですし、先ずは手分けして情報を集めましょう」
「集合場所何処にすんの?」
「村の入口だ。昼時になったら集まれ」
「ん!分かった!」
「ヘーイ。迷子になんなよ悟空」
「ならねーって!ここそんなに大きな村じゃなさそうだしっ」
『…』
「旅は道連れ世は情けって言いますからね」
『…ありがとうございます』

そうすればもしかしたらお姉ちゃんにも会えるかも
見ず知らずの人たちに手伝って貰うのは若干の抵抗はあるけど、それでもお姉ちゃんに会える確率が上がるなら背に腹は変えられない
こうしている間にもいつ妖怪に襲われるか分からないんだし
停車した車から降りてきちんと御辞儀する
四方に散開して探しましょうと言ってくれた八戒さんの言葉に、全員で動き出したまでは良かったんだけど…

『…どうして当然のようにつついて来るんですかあなたは』
「んー?女一人じゃ危ねぇだろ」
『こんな村の中にまで妖怪なんていないと思いますし私は一人でも大丈夫ですっ!』
「まァそう固いこと言うなって。二人で探した方が早ェよ?」
『ほっておいてください!もうっ』
「お。ちょーっとココで待ってろ」
『私の話し聞いてますか!?』
「スグ戻るからよ」
『〜〜〜っ、何なのよあの人は…!』

人だかりが絶えない大通り
雑踏の中に消えていく背中を見送って半ばヤケになりながら叫べば、思わず力の入った手が似顔絵を歪ませる
どうしてあんな軽そうな人に目をつけられなければならないの
何かと理由をつけては私の傍にいるあの人が苦手で仕方がないのに
平然と絡んでくる言動は、男の人なんて信用出来ないと叫んだ私の神経を過敏にさせる
中途半端な気持ちでしか手を出さないのであれば、いっそ男の人となんて関わらないのが一番いい筈なのに

待ってろと言われた言葉通り、何故かこの場から動けずにいる自分自身に呆れと苛立ちが混ざり合う。あんな人の言葉なんて気にしなくてもいいって分かってるのに

「お。マジで待ってた」
『……あなたが待ってろって言ったんじゃないですか』
「あんたの事だから先に探しに行ってるかと思ったぜ。ホラよ」
『…?』
「どーせ朝からなんも食ってねぇんだろ?必死こいて探したい気持ちは分かるが、それでブッ倒れちゃ本末転倒だろうが」
『……にくまん、と…お焼き…』
「昨日から顔色悪すぎ」
『…』

ああ嫌だ。だから関わりたくなんてなかったのに
向けられる視線の中に好奇以外の何かを感じ取った時があった
自分で言うのもあれだけど、常に人の視線と顔色を伺いながら生きてきた幼少期故に、自分に向けられる敵意と人の機微にはそれなりに聡い自信がある
おちゃらけているようでいて…この人はその眼を持ちえているとでも言うのか
…半分以上はただの女性好きで片付くんだろうけれど

紙袋に入れられたあたたかさに、ずっと胸につかえていた不安や焦燥が溶けていくような気がして

「クックック…すげぇフクザツそーな顔してんぞあんた」
『…………ありがとうございます』
「ドーイタシマシテ?」
『…』
「ソレ食いながら探そうぜ。こんだけ賑やかな村なら、情報もその辺に転がってっかもしんねえし」

豪快ににくまんを口へと放り込む彼が歩き出す
歩くペースだってコンパスだって違うはずなのに、違和感を抱かせないそのさりげなさは…私が女だからだろうか
あんたと呼ばれた言葉にそう言えばとにくまんを齧る
名前を教えて欲しいような旨を出会いがしらで言っていたくせに、私の名前を知ってからは一度も呼んではこない
そりゃ呼ばれても困るんだけど、なんていうか

要所要所で"無理強い"をしてこないのか。この人は
苦手意識が強いのは今も相変わらずだけど、ふとした瞬間に見えるそれに思わず寄る眉間の皺
恐らく他の女性なら評価するんだろうなと。
けれど素直にそれが出来なくて、でも受けた気遣いは紛れもない事実
それを蔑ろに出来るほど私も腐ってはいない

『…なんで私に拘るんですか。私言いましたよね、あなたのこと苦手だって』
「おー。ついでに男嫌いともな」
『知った上で無駄に絡んできてるなら今度こそ棍棒で殴りますけど』
「言っただろ。ほっとけねぇんだよ、なんでか」
『そこをなんとかほっておいて下さいよ』
「偉い斬新な頼み方だな」
『男の人と関わりたくないんです』
「信用できねェから、か」
『…誰かを愛したところで傷つく結果しかないんです。所詮赤の他人同士…本当の愛なんて存在しないんだって良く分かりました』
「んー。どっかのバカみたく一途な野郎も存在すンだけどな」
『その人だっていつかは冷めるんですよ。そうやって壊れていくだけなら、私は愛なんて要らない』
「…」
『お姉ちゃんさえ無事で居てくれれば、それでいいです』

誰か一人を愛することは、自ら爆弾を抱えるようなものだ
その場だけ…数年だけそれが続いたとしても、いつかきっと牙を向く
幸せだと笑っていたあのお姉ちゃんでさえ届かなかったのに
憧れていた、大好きだった。いつか私もお姉ちゃんみたいな幸せと出会えるかなって…思っていたけれど

私が信じたところで結果は火を見るより明らかだから

分かりきった結果に手を伸ばせる勇気なんて、

私には無かったんだよ。


「…俺も似たよーなこと考えてたからな」
『え…?』
「けどよ。バカみてぇに真っ直ぐ生きてるヤツらを見てっと、案外"ソレ"もありなんじゃねえかって思うワケよ」
『…どういう意味ですか』
「なァ―――…オレと勝負しねえ?」
『……、はい?』
「負けた方が勝った方の言う事を聞く。あんたが勝ったら、俺は今後一切絡んだりしねぇから」
『…』
「その代わり…俺が勝ったら、」



俺のモンになれよ



『―――…』

立ち止まり、振り返って…重なった視線
真紅の瞳がいつになく真剣な色で私を射抜く
冗談を言ってるようにも、ふざけているようにも見えなかったんだ

それぐらい真っ直ぐに向けられた視線に

思わず一瞬だけ…呼吸が止まったような気がして

『…私、こう見えて勝負運強いんですよね』
「そォこなくっちゃな」
『私が勝ったら…さっきの絶対守ってくださいよ』
「あんたが勝ったら、な。その代わり俺が勝ったら―――…教えてやるよ。誰か一人に向ける"本当の愛"ってヤツ」
『…存在しませんよ、そんなもの』
「それを証明する為の勝負だろ?」
『……何の勝負をするんですか』
「お。意外とヤル気じゃん」
『これ以上あなたが私に絡んでこなくなるなら、喜んでやります』
「んじゃ、決まりだな」

愛なんて信じない
私は1人でだって生きていける
他人と関わる事が嫌なのも、うつむき加減で歩くクセも

…お姉ちゃんみたく傷付けられるのが、怖いから

これ以上私の中に入ってこないで

『…』

どうせあなただって、こんなものは一時の気の迷い
興味本位でしかないんでしょう
適当な店の暖簾を潜る背中を見詰めながら、そっと小さく唇を噛み締めて
"迷い"を打ち消すように頭を振った

「やったことあるか?コレ」
『チェスくらいありますよ。』
「なら話しは早ぇか。特別ルール追加な」
『…ハンデ何か要りません』
「ちげーよ。キングとクイーンの役割、交換しようぜ」
『…?』
「通常ならコイツを追い込んだらチェックメイトだろ」
『…クイーンを追い込んだら勝ちって事ですか』
「そ。理解力高くて助かるわ」
『何でそんなルールにするんです。普通でいいじゃないですか』
「俺は野郎を追い込むシュミはねぇからな」
『!』

ニヤリとイタズラに笑う口元とその言葉で意図を掴んだ
要するに、今回のクイーンは私と同じだと言いたいんだろう。この人は
最奥に鎮座する2つの駒
役割が入れ替わった今回はクイーンを追い込んだら勝ち

今の私とリンクしているかのようなルールは…暗に負けるつもりは無いと言う彼の意思表示

『…宣戦布告ですね』
「男に二言はねェよ?」
『受けて立ちます。…絶対に負けないんだから』
「上等。」

目の前でどこか楽しそうに笑う彼を見据えて、駒に手を伸ばした










「―――チェックメイト」
『うそ…!! な、んで…っ』


落とされた事実に驚愕しながら盤上を見つめても、そこには文字通り追い込まれたクイーン。どうして…作戦に不備はなかった筈なのに
それでも後一歩のところで私の一枚上手を行く目の前の彼に、まるで一心同体とでも言うように動き続けた駒に逃げ道を断たれた

「俺の勝ち、っつうことで」
『…っ』
「こんだけ複雑な作戦張れんなら大したモンだろ。あんた強ぇな」
『…』

楽しかったわと笑う姿に唇を噛み締める
負けるつもりなんてこれっぽっちも無かった
全力で神経を集中させて挑んだのに
その場その場で変わり続ける戦況を見据えて、その時の最善策を打ってきたつもりだった

それなのに

『…私が…負けるなんて…』
「友香」
『っ!』
「否定し続けてたって、お前がしんどくなるだけだろ」
『…どういう意味ですか』
「逃げた所でなんも変わんねぇコト…俺もアイツらに会って知ったからな」
『…?』
「ま、んなことよりもだ。とりあえず―――…」
『っ! な…!』

掴まれた腕が、思い切り引き寄せられる

一瞬だけ触れた唇の熱は…思った以上に熱かった、から

…動けなかった

「約束は破んなよ?」
『―――…ッ、なにするの…!』
「言っただろーが。俺のモンになれってな…勝負を受けたンだ、聞いてませんとは言わせねえぜ?」
『だっ、だからって…だからって何でこんな…!!』
「もーいっかいする?」
『〜〜〜っ、しません!!』


至近距離で覗き込んでくる真紅に、そりゃ残念と笑う楽しげな姿に

覆せない現実を受け入れることしか出来なかったの




「「「…」」」
「なーんだよお前ら。揃いも揃って間抜けたツラしやがって」
『…っ』
「…えー、っと…?」
「はぁ…悟空、お願いですからそこで僕を見ないでください」
「バカだとは思っちゃいたがここまでとはな」
「俺、如意棒出そっか?」
「ンだよ。まだ何もしてねェだろうが」
「聞きたいことも言いたい事も沢山ありますが…とりあえず。何がどうなってそうなったんですか、2人とも」

店から出た瞬間、タイミング良く前を通りかかった彼らは集合場所まで向かう途中だったらしく。私たちの姿を見るなり様々な反応を見せていた
舌打ちと共に呆れ返った紫暗の瞳が痛い
私だって予想外だったんですよ。こんな状況
因みに今は彼に背後から腕を回され抱き込まれている状態だ
頭の上に彼の顎が乗せられている
目の前から飛んでくる3色の視線がとっても痛い

私だって受け入れたくないこんな事実
けれど勝負を挑まれて私はそれを受けた
その結果が今なのであれば…私に残された手段なんてあるんだろうか

『……この人、おかしいです』
「ええ。僕らも心の底からそう思っていますよ。申し訳ありません、友香さん」
「悟浄の頭がおかしいのは昔っからだかんなー。俺らでも治せねえし」
「目障りなら殺してやるぞ。その方が俺らもせいせいする」
「うるっせェんだよエセ坊主。話しをややこしくしてんじゃねーっての」
「それ、あなたが言いますか」
「俺も思った。」
「っるせーぞソコ。ちゃあんと本人の許可も取った正真正銘真っ当な勝負だっての」
「真っ当な勝負?あのペテン師な悟浄が?…イカサマ無しで!?」
「俺がイカサマすんのはカモる時と猿相手にする時だけだろ」
「だァれがサルだエロ河童!!」
「その悟浄の言う真っ当な勝負とやらは、何なんです?」
「チェスだよ。しっかも友香のヤツ相当強ぇぞ」
「おや…懐かしいですねぇチェスなんて」
「昔散々誰かさんに付き合わされたお陰で、ある程度は理解出来ちまったよ」
「友香さんも経験者だったんですか?」
『…それなりに自信あったんですよ』
「ええ、今の様子を見る限り、そのようですね」
『負ける気なんてこれっぽっちも無かったのに…何でこんな不真面目そうな人が頭脳ゲームに強いんですか』
「器用貧乏なんですよ、この人も」
『…』
「オイ。いつまでも店の前で突っ立ってる訳にもいかねえだろうが。さっさと戻るぞ」
「なあなあ三蔵ー、俺腹減った」
「てめぇは…さっきにくまん食わせてやったじゃねェか」
「あんなんじゃ足りねえって!」
『…』

教えてやると そう差し伸べられた手を

私は握り返すことが出来ない

向けられる想いには限りがあるのだと知ってしまった

だから、いつかその時を迎えたら…

私はきっと…もう二度と、一人で立つ事が出来なくなる

「ま、とりあえず。これから覚悟しろよ?」
『…はあ…』

負けた事実と今後の展開に、うんざりしながら空を見上げた






『…一番まともそうな人って、やっぱり八戒さんだよね…』

宿屋の全体地図を眺めながら、八戒さんの部屋は何処だろうと視線を飛ばす。あの後に1度村の入り口に戻れば、やはりというか何というか
目撃情報は無かったと告げられたのだ
お姉ちゃんの足でそこまで遠くの村へと移動できるとは思えないのに…
再度地図を頼りに辿り着いた今の町は、それなりに栄えた大きな町

私たちが暮らしていた村からは既に大分離れてしまっている。それなのに目撃情報1つ入手出来ない事実に…だんだんと生まれる焦り
他の事に気を割いてる余裕なんてとっくになかったのに

『…やっぱり相談してみよう。八戒さんの言葉なら…聞いてくれるかもしれない』

あの人と関わるようになって、奥底に沈めた感情が揺らぎ出すんだ
私が言っても本人は聞いてくれるどころか更に拘りを強くする
第3者の意見を聞くかどうかは別の話だけど、何もしないよりはマシかもしれない。八戒さんにあの人を説得して貰おう

じゃないと、ずっと。息苦しさにも似た感情の波がおさまらないからって…そう思っていたのに

『確か…こっちの部屋だった気がするんだけど…』
「そこの別嬪さんは、今度はだァれを探してんの」
『!?』

背後から飛んできた声に思わず呼吸と歩みが止まる
…ずるい。お風呂に入りに行ったばかりだったハズなのに
振り向けば予想通り。口元に笑みを刻んだまま佇んでいて

『…』
「そんな拗ねたカオすんなって。約束は約束だろ」
『拗ねてません。なんでこうも強引に事が運んでるのか、納得出来ないだけですっ』
「ま。油断するとスグ飛び出して行きそうだからな、お前は」
『!、ちょっと…何処に行くんですか!』
「明日の朝は早いって八戒も言ってたろ。昼間あんま顔色良くなかったしな」
『だったら自分の部屋に戻って寝ます!私の部屋は向こうですっ!』
「そ。コッチは俺の部屋」
『だからっ、どうして私があなたと同じ部屋で寝る事になってるんですか!?』
「そりゃあ俺が勝負に勝ったからじゃね?」
『っ、だからってこんな展開ありえませんって!』
「お。すげえ満月」
『私の話し聞いてます!?』

手を引かれて連れてこられた宿屋の1室
当然の様に鍵まで閉められた事に意を唱えてみても、目の前でベッドの淵に座る彼はどこか楽しげに笑ったままで
何をどう考えたらこんな思考回路に辿り着くのか、甚だ疑問だ
伸びてきた指先がおもむろにこの髪を撫で付ける
真紅の瞳に僅かに宿るのは、羨望何だろうか

「キレイだよな、やっぱ」
『………はぁ…お願いだから会話を成立させて下さい』

どうしてこうも私に拘るんだろう
愛なんて信じないと叫んだ私に、どうしてそれを向けようとするんだろう
この人の真意が読めなくて…見えなくて
知らずと寄った眉間の皺。そんな私を見上げて、この人はまた笑うんだ

少しだけ、嬉しそうに

「今度は触るなって言わねェんだ?」
『…言ったところで聞かないじゃないですか、あなた』
「そりゃこんだけ綺麗な髪してんだ、触りたくなるってのが男だろ。特にオトすと決めた女なら尚更じゃねぇ?」
『…もうやだこの人』

月明かりが差し込む窓辺
なるべく関わらないでいたいのに。挑まれた勝負に負けた時点で残された手段も限られてる。もちろん…受けたのは私自身なんだけど

俺のものになれと
誰か1人に向ける愛を教えてやると

私がずっと否定し続けてきたそれは、確かに存在するんだと言外で言われたような気がした。ぼんやりと照らす光を見つめて考えていた時
不意に呼ばれた名前と引力に瞠目する

「友香」
『!、きゃっ』
「とりあえず寝んぞー」
『〜〜〜っ、だから!どうしてそう突然なんですかあなたはっ!』
「…つか、お前ちゃんと飯食ってんのかよ。いくら何でも細すぎンだろ」
『食べてます!って、そうじゃなくて離してくださいっ!何で当たり前のように抱き枕にされてるんですか私!』
「眉間にシワばっか寄せてっと、どっかのエセ坊主みたくなんぞ」
『誰のせいですかっ』
「スグに信じろとは言わねーよ。お前の場合、口で言ったって通じねえだろ」
『…』
「俺なりの愛情表現ってやつ?」

端正な顔立ちが目の前にある
抱き込まれた状態で転がったベッドの上、この人はそう言葉を落とす
わからない。この人だったら自分から求めなくても寄ってくる女の人なんて、きっと沢山居るはずなのに
目には見えないそれを…いったい世の中の女性は何を以て信用出来るんだろう。傷付いた大切な人を間近で見てしまった私には…どう考えても理解なんて出来ないのに

「…独りで生きたって、もったいねぇだろうが。美人な女は特にな」
『…ほっといて下さい』
「女は笑ってナンボだろ。お前が信じれるようになるまで、素直に"それ"を受け入れられるまで…何度だって絡んでやるよ」

回された腕があやすように背中を叩く
嗅ぎなれない香りも、触れ合う熱も…全部が全部、初めてなのに
初めてのはずなのに。1度揺すられた感情は良くも悪くも正直だ
否定したいのにそれができない
振りほどきたいのにそれが出来ない

『…嫌いです……あなたなんて…』
「はッ 残念だったな。俺はその真逆だわ」

いーからもう寝ろって
そっと頭上に押し当てられた熱に、回されたぬくもりに
言い様のない焦燥と安堵が入り乱れた
信じたい気持ちと、信じたくない気持ち

差し伸べられた手を握り返すことが出来ないのは、

自分の気持ちに素直になれないのは


私が臆病者だからだろうか。










この人にとって、本当の愛というのは
いったいどんなカタチをしているんだろう

『…黙ってればそれなりだったんだ…』

天頂で輝く満月
差し込む光が眼科で眠る彼を照らし出す
向けられる想いに応えられるだけの勇気は、やっぱり私には持てない
傷つくのはいや。裏切るのも裏切られるのも、誰かを愛したが故に起きる悲しみなら
初めから手に入れない方がいいに決まっている

『…いつか、なんて』

もしもなんて

期待するだけ自分が損するだけなんだ

『今から出れば、朝には次の村に着けるかな…』

誰かが私の中に入ってくる。笑って、手を差し伸べるから
私を益々臆病にさせるの
友達も、恋人も、信じた先が裏切りの結果なら心は預けない方がいい
そうすれば少なくとも辛い想いをする必要はないのだから

『…』

僅かに上下する様子を暫く見おろして、1度だけ
そっと指先で触れた長い髪。まるで秋に咲くあの花のように、鮮やかな色

『…また会う日を楽しみに、だっけ』


ありがとうと さよならを。


そっと窓を開け放って飛び降りた先は、闇が漂う深い森。どうやらこの宿屋の裏は森と隣接していたようだ。でも、夜闇に紛れれば妖怪に見つかる確率も低くなるだろう

『…ごめんなさい、悟浄さん』

ゲームをうけたのに。勝負をしたのに。
自分に向けられる"ソレ"が怖いから

愛なんて信じない

いつかは終わるものなんだって

そう無理矢理にでも言い聞かせていないと

臆病な私は独りで生きると決めた意思ですら、貫けないから

『ええと、地図だと…ここの森を抜けた方が近道なのかな…』

月明かりを頼りに確認した方角
念の為棍棒を片手に森の中へと踏み入れれば、闇が1層その濃さを増していく
自分の足音が響き渡ってとても不気味だ
恐怖に唇を噛み締めながらも、意を決して闇を睨み付ける

『…っ、妖怪に見つかりませんように…』

足も声も震えるけれど、あの人の傍にいたら、きっと。

「こんな時間に女が1人でフラついてるとはなァ?」
『ッ!?』
「へえ?なにお前、旅でもしてやがんのか」
『…最悪…っ』
「ヒマならちょーっとオレらと遊ばねぇ?」

典型的な王道パターンだ。目の前には5人の妖怪
闇が深すぎて姿を察知するのが難しい
ニヤリと妖しげな笑みを刻んだことは、月明かりが教えてくれた
慌てて棍棒を握りしめる

どうしよう…っ
相手は5人…いつもの様に逃げ切れるような数じゃない

『な、何ですか…私は暇じゃありません…っ』
「ぶっ なんだよこの女、声も手も震えてんじゃん」
「どーするよ。ヤる?」
「武器なんか持っちゃってさァ…たかが女1人で俺ら相手に出来んの?」
『…っ』
「しかもこんな時間に1人で出歩いてんのが悪いんだろ。襲って下さいって言ってるよーなモンじゃん」
『そっ、んなんじゃ、ないっ』
「よく見るとそれなりに顔立ちイイからな。仕方ねぇ、今夜はお前で"我慢"してやるよ」
『っ!?』
「恨むなら自分の行動を恨むんだな」
『こ、こないで…!!』

吐き気がする。卑しい笑みを向けながら近付いてくる妖怪が、私との距離を詰める。慌てて棍棒を振り回しても当たる訳が無かった
逃げ道を経つように囲い込んでくる様子に、怖くなって走り出した

どうしようどうしよう…っ
夜目が効くという妖怪ならすぐに追い付かれちゃう
自業自得だって分かっていても、ぐちゃぐちゃな感情のままあの人から逃げる事しか出来なかった
そして今も…私は結局逃げる事しか出来ない

「つーかまえた」
『きゃあっ』

これは…罰、なのかな
あの人と交わした約束を破ってしまった
向けられる想いが怖くて、信じたいのに信じたくなくて
愛なんてまやかしだと。男の人なんて嫌いなんだと

自分が傷つきたく無くて叫んだ言葉は、きっと誰かを傷付ける言葉

「さァて…悪く思うなよ」

強引に腕を掴まれて押し倒された大地の上
乱暴に手のひらで口を抑えられてしまえば、もう、声すら出せない

こわい…っ、こわい…!

『…っ!…ッ!!』

ああ何でだろう。こんな時になって、昼間…

あの人に口付けられた時を思い出すなんて

いきなり腕を掴まれて引き寄せられたけど、それでも

確かな"優しさ"は存在していたんだって


目の前で手を伸ばす妖怪を滲む視界で見上げながら、痛感していた



―――…ごめんなさい、悟浄さん



臆病な私で 嘘ばかりな私で



ごめんなさい。






「―――なァにやってんのよ、友香」
「!」
「誰だッ!?」
『―――…』
「ったく…マジで逃げ出すとは思わなかったぜ。寒くて起きてみりゃ窓は全開だしお前は居ねぇし…どんだけ俺の寿命縮めりゃ気が済むんだっての」
「てめェ…無視してんじゃねえぞコラッ!!」
「いきなり現れて何言ってやがんだ!」

飛んできたのは間延びしたような呆れた声
妖怪達の視線を一身に浴びながら、その人は月明かりに照らされていた

なんで…あなた、が

私を助けに来てくれるの

…私は貴方を裏切ったのに

『っ…!!…!』
「―――ま、とりあえずは」
「!?」
「ぐはッ」
「人の女に馬乗りしてんじゃねェよ。ザコ共が」
「〜〜〜っ、テメェ何しやがる!」
「気をつけろよ…いまの俺は手加減なんざしてやれる余裕ねェからな」
「ふざけんなッ!!殺せ!!」

私に覆いかぶさった妖怪が彼の強烈な蹴りで吹き飛ばされる。呆然と視界に捉える事しか出来なくて、庇うように私を背に佇む彼の姿を見上げていた
なんで。どうして
助けに来てくれたんですか…悟浄さん

初めて聞いた地を這うような低い声
起こした身体で見つめた先で、月明かりに照らされた彼が次々と妖怪達を蹴散らしていた。武器も持たずに素手だけで
そう言えば…彼も旅をしてるって言ってたっけ
状況に追い付けない頭は軽く麻痺してるのか
ただ呆然と目の前の光景を映像として処理する事しか出来ずに、瞬きすらも忘れて座り込んでいた

「―――そこで魂飛ばしてる別嬪さん」
『…』
「とりあえずケガしてねえ?」
『……』
「? おーい、友香?…大丈夫か」
『………っ』
「!」

目線を合わせるかのようにしゃがみ込んだ真紅
真っ直ぐに向けられたその瞳の中には、きちんと私が映し出されていたんだ。助かったんだと…守られたんだと
漸く脳がその事実を受け入れた途端

無意識に流れ落ちた涙に僅かに瞳を見開いて、伸びてきた指先が優しくそれを拭うから

せり上がってくる恐怖と安堵に涙が止まらなくなっていた

『な、んで…っ』
「ん?」
『私はあなたに守られる価値なんてないのに…っ』
「てめぇの女が行方不明になって慌てねェ野郎がドコにいんだよ」
『っ、約束破っちゃったじゃないですか…っ』
「…」
『それに私はあなたの傍に居ることは出来ませんっ、応えることだって出来ないのに何でそこまで私に拘るんですか…!!』
「…」
『誰か一人に向ける想いがあるなら他に人に向ければいい…!! 私は…わたし、は…っ、』
「愛なんか信じないから、か?」
『―――…っ、あなただっていつか今の気持ちに終わりがくる!!ずっと続く想いなんてないんですっ、男の人なんていつか絶対離れてく…!!』
「…」
『傷付くくらいなら…初めから求めたりなんかしない…っ!』


本当は…幸せそうだった頃の事も 覚えていたんだ

お姉ちゃんと旦那さんはいつも二人で一緒だったから

食事に誘われてお邪魔した食卓で

二人はずっと幸せそうに笑いあっていた


ああ、いつか。こんな臆病な私にも好きな人が出来るのかなって


二人のように幸せそうな毎日がくるのかなって

思いも、理想も、期待も…無かった訳じゃない


『…っ』
「それで全部か」
『―――…?』
「言いてぇこと、溜め込んでたこと…それで全部かってきーてんの」
『…っ、そう、ですよ…』
「んじゃ次は俺の番な―――…黙って聞いとけよ」
『っ!?』

首の後ろに添えられた手のひらとと背中に回された

言葉を発する暇もなく塞がれた唇に、至近距離で向けられたその真紅に…宿されていたのは、少しの怒り

「…お前が見てきた野郎と一緒にすんなっつうの。こちとら生半可な想いで手ェ出してる訳じゃねえんだよ」
『…っ』
「手放す気も無けりゃ逃がすつもりだってねェ。愛も男も信用出来ねえってんなら、俺が証明してやる。言ったろ…別に今スグ信じろって言ってるわけじゃねえんだよ」

ああ、どうして

あなたはそうまでして 私を受け入れてくれるの

信じる事も手を伸ばす事も出来ずにいた

こんな…臆病な私を

「ただそうやって自分の気持ち否定してまで貫く必要はねェだろ」
『…どうして…』
「ん?」
『……どうして、私に拘るんですか…』
「…言ったろ。ほっとけねぇのよ、何でか知んねえけど」
『…?』
「自分の気持ち誤魔化して嘘ついて、それでも必死に独りで生きようとしてるお前を見てるとな」
『…そうやって…』
「おう」
『そうやって…生きていけるって…生きていけばいいんだって…思ってました…』
「そりゃアレだな。俺と出会っちまったからには諦めろ」
『……こわい、から』
「裏切られんのがか」
『お姉ちゃんみたい、に…あんなふうに傷付けられるのは嫌…』
「安心しろ。友香が嫌がろうが何しようが、俺は死ぬまで離れねぇよ」
『…っ』
「だから…」
『!、きゃ…っ』

視界がふわりと持ち上がる
抱き上げられたんだと理解してから、いつもよりも近くに在る真紅を見つめてみる。無意識のうちに、きっと
本当は求めていたのかもしれない

いつか私も、誰かを好きなれる日がくればいいのにと

「自分の目で確かめてみろよ。俺がその辺の野郎共と同じかどうかをな。ガンガン絡んでやっから覚悟しとけ」
『…なんでそんなに自信満々なんですか』
「そりゃあ決まってンだろ。こんな美人な女をほったらかしにする程、俺は腐ってねーの」
『…』

真っ直ぐに向けられる視線も、想いも
今までの私には無縁だったから
けれどこの人はそんな私を見て笑ってくれる

笑って、手を…伸ばしてくれる


『物好き』
「おー。なんとでも言いやがれ」
『でも―――…ごめんなさい、ありがとう。悟浄さん』
「…初めて名前呼ばれたわ」
『ふふ。気のせいじゃないですか?』
「!、やァっと笑いやがったな。折角の美人顔なんだ、もっと笑っとけ」
『何もないのに笑えませんよ』

信じたら最後だと思ってた

自分が傷付くことが怖くて、きっと

拒絶をして…否定し続ける事でしか自分を守れなかった


ねえ、お姉ちゃん


『…私にも、出来るのかな』
「んー?」
『お姉ちゃんみたいに』
「…」
『なれるかな』
「…別に真似る必要はねェだろ。友香は友香が思うように生きてきゃそれでいーんでね?」
『…悟浄さんて意外と単純思考ですよね』
「難しいコトばっか考えて生きンのがめんどくせーだけよ。俺は俺のやりてえように生きてるからな」
『ふふ…だからこんなにも強引なんですか』
「そーそ。オトすって決めたし?」
『本当に…物好きだなぁもう』

私は私のままでいいのだと、焦る必要はないんだと

落とされた言葉の裏に込められたこの人の想いを

…信じてみたいと思っちゃったの


誰かに愛されるということ 誰かを愛するということ

その奇跡も、幸せも、喜びも

本当はね…お姉ちゃん

私はあなた達を見て知ったから


…まだ少し、怖いけど。


『……友達以上からなら、いいですよ』
「上等。スグに惚れさせてやるよ」
『…そうですね。少し、だけ…期待しておくことにします』
「任せとけって」


向けられる真紅が 驚くほど優しいから

抱き上げてくれたぬくもりに

包み込んでくれるその想いに

寄り添うよう 応えることが出来るよう

そっと小さく…祈りを込めた
















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