嫦娥の花宴 | ナノ



この世界には、1つだけ

覆してはならないものがあるのだと言う

それは、不殺ずの掟

無駄に歳だけを喰うヒヒ共が定めた、バカバカしい縛り






そして、その被害を食らうのは主に西方軍だ。

「私さ。そろそろあの人の角をへし折っても許されると思うの」
『何か突然真顔で末恐ろしいこと言いだしたよこの人。輝が言うとシャレになんないからやめて』
「割と本気だった」
『余計にマズいわ』
「ついでに言うと黎明、さっきから顔が死んでる」
『お互い様だからねそれ。今なら立ったまま寝れそうだわ』
「人間3徹しても倒れないんだって初めて知ったよね」
『同感。』

朝霧に桜の香りが混ざるド早朝、欠伸を噛み殺しながら天蓬の部屋へと続く長い廊下を歩く。下界への遠征回数がやけに増えている最近では、出現する妖獣の数も、そしてその凶暴性も悪化の一途を辿っている。幸いにも未だ死人は出ていないけど…それもいったいいつまでもつ事か
大前提なのは仲間を死なせないことだよなあなんて。3徹の脳みそが導き出した最低限の答えに、凝り固まった肩を回しながら吐き出したため息は長い

毎夜のように開かれる綿密な作戦会議
天蓬も捲簾も寝る間も惜しんで何度もシュミレーションを繰り返してきた
もちろん隊長を任されている私や、すぐ隣で盛大な皺を眉間に刻む輝も例外ではない。彼女は竜王敖潤の補佐官と言う立場に就いているから、本来であれば私たちのように遠征に参加する事はないんだけど…
今回のように急を要する時は応援として参加してくれる。ありがたい話だ。
しかもあの竜王に直接直談判して参加許可をもぎ取ったってんだから、何とも頼もしい限りである

「どう考えても今回の捕獲レベル、十数人で対応出来るものじゃない」
『それでも竜王は出来ると判断したんでしょ。帝が下した命令に従ったってことは、そういう事なんじゃない。ヒヒ共の思考回路はよく分らんけど』
「あれは単に命令を疑わないだけ。…確かに第一小隊の捕獲成績はトップだから、引き受けるに足りると判断するのは分かるけど。今回のは焼け石に水だ」
『まあ仕方ないんじゃない。やれと言われれば応と答えるしかないしね』
「黎明はおかしいと思わないの」
『残念なことに、軍に入隊したあの日からヒヒ共の判断に疑問を持たなかった日はないよ』
「だろうね。あの人の"命令は忠実に"の思考回路、どうにかならないの」
『いやあ。一番付き合いが長い輝が無理なら、多分誰が言っても不可能かと』

一族きってのエリート軍人、四海竜王。
各自東西南北の軍隊を束ねるだけあってその実力は申し分ない
確か4人は兄弟だと聞いたことがあるけど、そうなるとあの人は西だから次男にあたるのか
まあこの広い天帝城では東西南北の軍は完全に宿舎も分かれているから、顔を合わせる事はほぼないに等しいけどね
そう言えば輝は他の竜王にも会ったことあるって言ってたっけ。当時はまだ敖潤の方が割と融通がきくって嘆息してた気がする
エリート様はみんな頭の固さがステータス何だろうか。そんな標準装備なんて粗大ごみと一緒に捨ててしまえばいいのに

『あー、そう言えば輝』
「ん」
『前回の南西区域に遠征いった時の報告書、どっかの元帥がもれなく白紙のまま寄越しやがりましたんで、今書き上げてんだけどさ』
「…黎明も捲簾も良く付き合うよね、毎度」
『悲しいことに人間は順応能力が高い生き物なんだよ。明日中には上げるわ』
「二人の場合は飛びぬけて高そうだ。良いよ。期限なんてどうせ過ぎてるし、あの人にはうまく言っておく」
『うわーい。さすが補佐官、頼りになるー』
「とりあえず黎明。目は開けて歩いて」
『善処する』
「開けてってば」

目元に一番デカいクマが住んでるのは誰かな。捲簾も天蓬も私や輝には散々寝ろ言うくせに、自分たちはちっとも寝ようとしないんだから困った男たちだ。後ろから首元ぶっ叩けば気絶くらいするだろうか。ああでもダメだ。今は寝不足で加減が効くか分からない
見えてきた扉、やれやれと首の関節を鳴らしながら押し開ければ
そこには一時間前と何も変わらない二人の姿があった

「お待たせ」
「おや、早かったですねぇ。ちゃんと温まって来ましたか?」
「お陰様でね」
「なんだよ、もっとゆっくり入ってくりゃいーのに」
『充分時間は貰ったよ。むしろ貰いすぎたわ』
「慌てて戻って来なくても、状況は変わんねーから安心しろー」
『うわあ嬉しくない』
「とりあえず珈琲いれてくるよ」
「すんげえ苦くて熱いのを所望する」
「はいはい。天蓬はいつも通り砂糖とミルクでいいの」
「とびっきり甘いのにして下さい」
「イエッサー。黎明は」
『カフェインたっぷりで苦けりゃこの際何でも』
「ブラック2とカフェオレ1ね」

開け放たれたままの窓から滑りむ生暖かい風が、同時に昇る3つの白を掻き消した。窓枠に頬杖ついてぼんやりと朝の空気を吸い込んでは霧がかる桜林を見下ろす。…確かデカい遠征まであと2日だっけ
完徹続きで日付感覚が曖昧だ
輝が珈琲をいれてくれる間、束の間の休息
とりあえずこの停止気味の脳みそをどうにかしないと、今の私は小難しい話なんて何1つ入って来ないぞ

ああでも。麻酔弾は用意出来たんだろうか。
昨日の時点ではまだ手配中だって言ってた気がする。確か。
捕獲しろとか殺すなとか宣うならそれなりのモノは寄越せってんだ
ストックはあった筈なんだけどな。後で輝に確認しとかないと

「おら、今は休憩だ休憩」
『うお!? …いきなり膝カックンとは何すんだ』
「どっかの真面目バカが脳みそ切り替えねーから?」
『切り替え時間ならさっき風呂入った時に貰ったよ』
「どーだかな。どうせお前らの事だ、あーだこーだ話し合いながら入ってたんだろ」
『ほお。覗いてたって事かな。セクハラで訴えるぞー』
「プライバシーは守ります、ってな。考えなくたって分かんだろこんぐらい」
『…シレッと言い切るあたり捲簾らしいよね』

窓枠に背を預ける捲簾が天井を見上げて吐き出したハイライト
「輝も黎明も真面目すぎるんですよ」って、電池の切れたオモチャの如くソファに沈んだ天蓬が苦笑している。
ちょっと待て。あの人このままほっとくと寝るんじゃないの
輝、ブラック3つでいいよ3つで

「珈琲お待たせ」
「ありがとうございます」
「おー、サンキュ」
『ありがとう輝』
「ん。熱いからみんな気を付けな」
「猫舌なのは天蓬だけだろ」
「捲簾と黎明のもだいぶ熱いよ」
『私今まで1度も舌の火傷ってした事ないんだよね』
「そう言われると、ココアとかコンスープとかをグツグツに温めたやつ飲ませたくなる」
「同感。今度飲ませてみようぜ」
『この人たちなんなの怖い』
「どうせなら液体の沸点限界突破でも試してみます?」
「ああ、いいねそれ。試す価値はありそう」
『私このまま寝落ちようかな。』
「んな事してみろー、デコに油性ペンで"肉"って書いてやるからなー」
『よりによってそのチョイスか人でなし』

ダメだ。容赦なく書きそうだよこの人
隣で楽しげに笑う姿を半眼で見上げて、黒い液体を流し込む
眠気との戦いに人間が勝てる方法なんてたかが知れてるって言うのに

「―――…さて。全員脳みそはリセット出来たかな」
「お陰様で。冴え渡ってますよ、今ならね」
「んじゃ、元帥サマの脳みそが生きてる間にちゃっちゃと済ますとすっか」
『今夜は寝たいよなあ』
「この際だからどこまで完徹出来るか試してみる?」
『あー。んじゃ、あと3日なら』
「ん。妥当な判断だと思う」
「バカなこと言ってねえで、お前らはこの最終チェック終わったら寝てこい」
「目元に大きなクマつくる人に言われたくないよ」
「男はいーんだよ男は」
『女もいーんだよ軍人何だから』
「いくら二人でもこれ以上は身体に支障をきたしますよ。元帥命令なのできちんと寝て来て下さい」
「こんな所で職権乱用」
「ええ、なんとでも」
『うあー。おっだやかな笑み何か浮べちゃってまぁ…』
「この際なんでもアリだろ」

各自が集まったのは天蓬の机
散らばる書類の1枚を手に取って、灯火の消えたソレをお馴染みのカエルに放り込む。もしこの灰皿が喋れたら「お前らが揃うとすぐに腹がキツくなる!」って文句の1つでも言われるよなあ、絶対
後で吸い殻捨てておこう。針山状態だこれ

「今回は幸いにも輝が参戦してくれるので、人数は18まで増えました」
「それだって捕獲対象が10体もいれば意味ないじゃない」
「一人でも人数が増えてくれるだけで、この際万々歳ですよ」
「言えてるわ。しかもそれが補佐官殿だってんだからな。ツイてるだろ俺ら」
『何たって実力は竜王のお墨付きだからね』
「はあ…勿論、参加するからには死人なんて絶対に出させやしないけど」
「ええ。頼りにしてますよ」
「今回の作戦は完全に武器で分けてあるからな。銃を使う連中と刀使い、役割もキッパリ分けた」
『遠距離からとりあえず対象の目をひたすら潰す第一陣と、視界を塞いだヤツから止め刺してく第二陣って事ね。他にも案はあったけど、結局これにしたんだ』
「でもこれで行くなら私と捲簾じゃなくて、黎明と捲簾の方が効率良いんじゃないの。黎明の武器は麻酔針仕込み撃ちが出来るでしょう」
「先遣隊の情報によれば、今回のは大きさも桁違いらしいですからね。麻酔針じゃいくつあっても効きませんよ」
「そうなった時、銀花は一刀一扇型だからな。至近距離で止め刺して貰った方が確実だろ」
「なるほど。まあ私の場合は気功だから、遠距離の方が範囲も広くとれるしね」
「そういう事です。第一陣は仕留めようと思わなくていいので、ひたすら目潰しで動きを鈍らせて下さい」
「イエッサー」
「指揮は主に俺と輝だな」
「お手柔らかに」
「ははッ、そりゃこっちのセリフだっつうの」
「第二陣は僕と黎明で指揮をとりましょう。ですが、くれぐれも無茶だけはしにように」
『肝に銘じておくよ』
「言っとくが輝もだからな」
「死なない事を最低条件にして欲しいな。今回のなんて正直それが限度でしょ」
『せーろーん』
「お前らなぁ…」
「肝を冷やす僕らの身にもなってください、お願いですから」

二人そろってため息をつく様子に輝と視線を交えた
ケガはするなとか無茶はするなとか危ないと思ったら逃げろとか
この二人は何かと過保護すぎるのだ、昔から
例えこの身が女のものであったとしても、自ら進んで軍へと身を置いたんだ。死という明確な終わりと隣り合わせな事は百も承知なのに

彼らはどうもそれが納得できないらしい。
同じ軍人だったとしても、分かってはいても
彼らの中では女は守るべき対象内として位置づいている
それが嬉しくもあり、時にはもどかしくも思うんだから…私も大概単純な脳みそをしているとつくづく思う

「この人数で出来る範囲までは、善処する」
『まあ確実に二人の前では無様な死に方はしないよ』
「勝手に一人で死なれても困るんだよ。いーか!とにかく死ぬな、這い蹲ってでも生き残れ」
『大丈夫だよ捲簾。私今週末は輝と温泉行くんだから。死んでる暇ないし?ね、輝』
「ん。お土産に温泉卵でも買って来るよ」
「ああ…いいですね。一つ食べると7年寿命が伸びるってやつですか」
「そう。皆で2つは食べよう」
「それは楽しみです」

薄っすらと苦笑しながらも合わせてくれる天蓬と、これまた深いため息で葛藤を吐き出す捲簾
そんな二人を見つめて、輝が笑うんだ。「そんな簡単に死ぬような人、ここにはいないでしょう」ってね

仲間を守るために死ぬんじゃないよ
仲間を守るために生きるんだ。

『この任務が終わったら、みんなで焼き肉でも行こうよ』
「いいねそれ。元帥と大将の奢りで」
「おーおー。お前らが揃って無茶せず無事に生還したらな。焼き肉だろうが何だろうが奢ってやるよ」
「大怪我もしなかったら特上にしてあげます」
『特上だってよ輝。これは気ィ抜けないね』
「オイコラ!抜くつもりだったのかお前は!」
『言葉の綾だよ。細かい事気にしすぎるとハゲるって知ってた?』
「俺がハゲた時は主に黎明が原因だろ、ゼッテー」
『そんな事ないよ。報告書を溜め込む天蓬のせいだ!』
「…。それもそうだわ」
『でしょ?』
「じゃあこの作戦書、あの人に渡してくる」
「宜しくお願いします。まあコレで万が一却下されても変える気無いんですけどねぇ」
「いいよそれで。却下したら自分で作戦考えてって丸投げするから。参考程度にはなるんじゃない?腐っても軍人だし、あの人」
「本当に…あの竜王相手にそんな事言えるのって、絶対に輝くらいですよ」
「無駄に付き合いが長いだけだよ」
「僕も捲簾もどうにもああいうのは苦手でして」
「だろうね。黎明の方がまだスルースキルは高いと思う」
『だぁれが天然だと』
「自覚があるようで何より。あの人じゃなくても、嫌み言われたって気が付かないじゃない」
『くだらない些細な事に神経を使わないだけですー』
「その方が利口だね」
「んっとに…時たま見習いたくなるよ、お前のその天然さ」
『ある程度猫かぶって使い分ければ誰でも出来るでしょ』
「そういう器用さは、男には出来ないんですよ。面倒なことにね」
「じゃあそんな元帥と大将のために、私が行って来よう」
「お願いします」
「イエッサー」
『あ。じゃあ私もついてくわ』
「黎明、お前もきちんと適当に休めよ」
『いえっさー』

飲み終えたカップをシンクにつけて、書類を纏める輝を眺める
もうこの際だから補佐官なんて辞めてガッツリ第一小隊に来ればいいのに
初めはそんな事を考えていた時もあったらしいのだ
けれども未だにそれをしないと言うことは、やはり
彼女にとってはあの場所が心地いいんだろう
私が西方軍隊長としてこの身を置いているのと同じように
大丈夫。まだ、終わらせないから

桜林のどこかで、時鳥の鳴き声が木霊した。






「折角なんだから寝ておけばいいのに」
『コーヒー飲んだら目が覚めた。それにどうせ輝のことだから、あの人の所に行ったらそのまま仕事しそうだし?』
「…思考回路が似てるとバレるよね」
『バレますな。だから見張り役って事で』
「なるほど。…それで?本心は」
『見てて楽しいからっていうのもある』
「?」
『輝とあの人のやりとり』
「ああ…閲覧料でも取ろうかな」
『高くつきそうだなあそれ』

捲簾と天蓬は知らないだろう。輝とあの人のやりとりを
私も初めて見たときは、あの人に対するイメージがかなり大きく変わった
後はやっぱり二人の関係性だ

「失礼します」
『失礼しまーす』
「…酷い顔だな」
「開口一番にそれって、大概失礼だと思うけど」
「そうか。思ったことを言ったまでなんだが」
「デリカシーって言葉を辞書で引けばいいと思う。…まぁ今さら敖潤にそれを求めても無理か」
「? デリカシーとはなんだ」
「はい作戦報告書。突き返すなら自分で考えて」
『(いま完全にスルーしたよこの子)』

あの二人がいない場所では、輝は竜王を名前で呼んでいる
しかもその事に関してこの人が意を唱えたことは、私が見てきた中でただの一度もない
ほんと凄いと思うんだよね。上司と部下って言うよりも、何というか
古い友人同士みたいに見えなくもない

「…」
「? なに、その意外そうな顔」
『え。いま表情変わったの?同じ顔してない?』
「幾つかパターンがあるんだよ」
『分からんわそんなの』
「他にもあるよ。例えばお茶請けで甘い物出した時とか、目尻が5度下がる」
『うん。もっかい言うね。分からんわ』
「?」

無表情に近いそれを見分ける何てそんなハイレベルな特技持ってんの、この西方軍じゃ輝だけだからね絶対
そんな「分からないの?」みたいな顔で見つめないで欲しい。当の本人は私たちの会話なんて気にも留めていないような顔で資料見つめてるし

「お前たちにしては実にシンプルな作戦だな」
「苦渋の決断だって事をもっと理解して欲しいね。あの人数でとこまで通じることか」

半眼で見遣る輝の言葉に一つ頷いて、竜王殿は問題ないと言い切った
…何をどう考えたら問題ないに繋がるのか。
極々平凡な脳みそを持つ私にはこの人の真意までは読み取れない。案の定、輝が思いっきりその端正な顔を歪めては呆れ返ったような顔をしていた。

「何が問題ないよ。部下を無駄死にさせるつもり」
「此度の遠征には私と、兄である敖広も同行する」
「!、ああ…そういう事」
「対象が10を超える任務を1つの編成で送り出すほど、私も愚かではない」
「敖潤が同行するのは分かるけど。よくあの人が承諾したね」
「東方軍を束ねる兄は、元より下界に対する関心が高いからな」
「関心というか、単なる興味本位でしょ」
『ん?敖広って確か…東海竜王敖広?』
「そう。四海竜王が全員兄弟なのは黎明も知ってるよね」
『あー…噂では聞いたことあるけど、実際に会う機会なんて無いからなあ』
「東方軍とは宿舎も活動範囲も異なる。無理も無いだろう」

そうか。竜王が二人か。確かに戦力が膨大に跳ね上がるのは嬉しいが…
何というか。色んな意味で疲れそうだ。
敖潤の兄ということは似たような性格をしているんだろう。それに加えて捲簾が元いた古巣だ
彼の心底嫌そうな顔が容易に想像出来る。頑張れ捲簾。私は極力関わらないようにするしなんなら輝に丸投げする気満々だ。
竜王の扱いに関しては大ベテランだからね、輝は

『えーっと、他にも南海竜王と北海竜王が、それぞれ南方軍と北方軍を取り纏めてるんだっけ?』
「そういう事。東の敖広、西の敖潤、南の敖鉄、北の敖炎…兄弟揃って頭が固い事で有名じゃない」
「…」
『あ。今のこの表情は私でも分かる。苦虫を噛み潰したような顔だわ』
「正解」
『輝は他の竜王とも面識あるんだっけ?』
「私も頻繁に顔を合わせる訳ではないよ。月に一度の天竜会で話すだけ」
『ああ。あの四海竜王が集まってやる全体軍議か』
「ん。すごく疲れる」
『オツカレサマデス』

総指揮官である竜王の補佐となれば、そう言った政の場にも参加しなくちゃならなくなる。よく神経持つよなあと感心するよね
私だったら逃げ出しそうだ、そんな軍議。全力で遠慮したい。
天蓬なんて月イチの全元帥の招集軍議に参加するたびにヒヒ共の戯言にうんざりして帰って来るって言うのに。そしてその日から数日間は下界にストレス発散とかで現実逃避しに行っていたりする
…竜王殿の前では口が裂けても言えないけれど。

「まあ二人が参加するなら問題ないね。でももっと早い段階で言って欲しかった」
「初めから私たちが参加すると知ったら、ここまで鋭利で的確な作戦は立てられないだろう」
『あー…何たって"死なないこと"しか条件に組み込んでませんからね、今回の』
「退路確保も下界での拠点地確保も、いっさい切り捨てたよね」
『アリはアリらしく働かなきゃ的な?』
「…天上の蟻、か」
『そうらしいですよ。私たち』
「誰が言い出したんだろうね、それ」
『さあ?大方、どっかのヒヒ共でしょ』
「兎も角。これより先の詳細に関しては我々が采配を降す…お前達は休んでおくといい」
「基礎だけ固めさせて後はそっちでとか…腑に落ちないんだけど」
「…なるべくこの作戦の趣旨は取り入れるつもりだが」
「天蓬も、捲簾も、黎明も、この為に不眠不休で考えたんだ。私が納得いかなければ万が一黎明達が否と答えても説得しないから」
「…」
『(あ。竜王も流石に輝には弱いんだ。やっぱ見てて楽しいわこの二人)』
「黎明、楽しんでる場合じゃないよ」
『うおっとバレてら。…だって夫婦漫才みたいで』
「旦那にするならもっと融通の利く男を選ぶわ」
『またまた。』
「気功で吹き飛ばすよ」
『申し訳ございませんでした補佐官殿』

ダイモンドダストが吹き荒れそうだからこのくらいにしておこう
実際のところはどうなんだろうか。この二人。
私から言わせれば息もピッタリだし安定感あると思うんだけどなあ
まあ私も輝も軍人である以上、女官たちが話しているような色恋沙汰には縁がないからね

だってきっと。誰か一人を決めてしまったら、女は弱くなるから

「…肝に銘じておこう」
『竜王殿って意外と素直ですよね』
「?」
『まあでも、そっちで決めてもらえるなら私たちも荷が降りるので宜しくです』
「ああ。決定次第、報告しよう」
『お願いしまーす。んじゃ、行こう輝』
「ん。」
「輝」
「なあに、敖潤」
「きちんと身体は休めておくように」
「…」

書類に目を通しながら、視線は合わさない。
けれどもその言葉に込められた労りは、想いは
常の硬い声音からは想像も出来ないほど柔らかだったんだ
数回瞳を瞬かせて竜王を見つめる輝が、ふっとその瞳を和らげて微笑む

それは、私だけが知っている

この2人が築き上げてきた絆のカタチ

「ありがとう」
「…ああ」

終わりが約束されていないこの世界で、

それは優しく降り積もる

「黎明、眠気は」
『ぜーんぜん。バリンバリンに脳みそ覚醒してる』
「普段から珈琲飲むのによく効いたね」
『カフェイン効果は絶大的な?』
「うん。気の持ちようもあるんだろうけど」
『自己暗示の1種みたいなとこもある』
「なら少し付き合ってよ」
『ん?』

敬礼を済ませ後にした竜王の部屋
各自が持つそれはかたちも色も異なるもの
けれど、無くてはならない大切なもの
普遍を約束されたこの世界では、大切なものがなんなのか
時には忘れてしまいそうになるから

歩き出す背中を見つめながらどこへ行くのかと問うても「行けば分かるよ」とのお返事。輝の事だから考えあっての行動である事は承知済みだけど…
さて。この方角は。

『御挨拶ですか補佐官殿』
「私に彼ら二人を丸投げされないように、先手を打つんだよ隊長殿」
『わあ。思考回路読まれてるー』
「敖広は割と話しやすい方だと思う」
『それって輝限定じゃなくてか』
「確かめてみなよ。捲簾が元いた古巣の竜を」
『…仮に罵られたらその場で悪態つきそう何だけど私』
「それも一興」
『おーい』

確か上官の妻を寝取って左遷、だったっけか。
あの人は理由もなしに人のものに手を出す何て事はしない
その上官とやらが暴力に手を出すクズだったのだろうか。事の詳細を聞いたわけじゃないし、捲簾も敢えて話すつもりもないんだろう
けどなんとなく…捲簾は"そういう人"何だろうなと。例え自分の立場が悪くなると分かっていても、ほっとけないし、ほっとかない

自ら進んで貧乏くじを引くような男だ。

だからこそ、見えない実態を見ようともしない連中にとやかく言われたらうっかり手と足と口が出てしまいそうだなと自覚はしている。私はあの第一小隊が大好きなんだ。これでもね。本人はこれっぽっちも意に介していない事も知ってるんだけどさ
なんというか…私がイヤなんだよ

「黎明」
『!、ん?』
「そんなに考え込まなくても平気。最終的に左遷を決めたのはあの人じゃないし、あの人自体はそんな事気に留めてないから」
『それもどーなの上官として』
「そういう人たちでしょう。竜王は」
『あー…性格は細かいクセして内情には細かくないと』
「ん」
『まあ…女が軍人に居れる時点でそうなんだろうね』
「良くも悪くも、竜王たちは主だった事を各隊の元帥や大将に一任してるから」
『納得』

各宿舎を繋ぐ渡り廊下を東へと進む
作りはどこも同じはずなのに、やっぱりそこに宿る雰囲気や色は違うからものすごく違和感。殆ど関わりがないだけあって同じ軍隊でも通りすがる者達から飛んでくる視線はどれも余所者に向けるものと似ている

『すんごい目立ってね?私たち』
「私も黎明も色んな意味で名が広がってるからじゃない」
『こーんなに慎まやかで大人しいのに』
「…それは何のジョークなの」
『はっはっは』
「それより…ほら、着いたよ。ここが東海竜王の執務室」
『めっちゃ緑。目には優しいね。下界の黒板みたいだ』
「当の本人も緑一色だから」
『それって眼だけは紅いよってパターン』
「そういうこと」
『てか、アポなしで来ちゃって良かったの?』
「いいんじゃない」

いいんですか。普通こういうのって事前に手順を踏んでからじゃないと会えないんじゃないのか。況してや相手はあの竜王だ。それを意図も簡単にすっ飛ばす輝も、何というか…やっぱり西方軍の人間だよなあとつくづく思う
自由奔放過ぎるのだ。良くも悪くも。
…もちろん私自身も含めてだけど

目の前に鎮座する緑の扉
失礼しますと押し開ける輝に妙な緊張感を抱えつつも覗いてみれば…

「なんだ。珍しいな、お前から会いに来るなんて」
「暇つぶしがてらにと」
「ほォ。俺たち竜王を暇つぶしに使う者など、この広い天界軍の中でもお前だけだろうな」
「大丈夫。慣れたら黎明が確実にやる」
『ちょっと待てなんで今そこで私のこと巻き込んだ!』
「やるでしょう。黎明なら」
『やりそうだけども!そうだけども!』
「輝」
「なに」
「暇ならついでに茶でもいれてくれ。お前達も飲んでいくといい」
「自分だって暇だったんじゃない」

机に積まれた書類タワーの先、全身緑の鱗に覆われた竜がいた。…ほんっとに緑一色だわこの人。森の中にいたら見つけるのが大変そう
唯一兄弟と判断出来る基準と言えば、赤茶の色素の中に浮かぶ金色の眼だろうか。竜王はみんなこうなのかな

「一通り書類に目は通し終えたからな。久しぶりにお前が淹れた茶が飲みたい」
「…渋めでいいんでしょ」
「ああ」
『(輝ってもしかして、一人ひとりの好み把握してんのか…)』
「淹れてくるから少し待ってて。黎明も渋めでいいんだよね」
『あ、うん。ありがとう』
「敖広の相手よろしく」
『…よろしくされました』
「確か…西方軍第一小隊隊長、だったか」
『名高い竜王の記憶に残れていたとは、光栄です』
「この天界軍で知らない者などいないだろう。軍人の中で女はお前と輝しか認められていないからな」
『ほんっと。今思えばよく受かったなあと』
「西方軍に身を置いたのは、やはり下界に興味惹かれたからか」

背もたれに体を預けた敖広の眼が興味深そうに細められる
問われた言葉に、ああ切欠はなんだったかなと思考を巡らせた
特別強い理由はなかった気がする。
ただ、持て余した膨大な時間の中
自分が生きているのか死んでいるのかも分からなくなるような…あの感覚が非常に不愉快に思えて仕方がなかったあの頃
なんでもいい。誰でもいい。
私は生きているのだと、そう強く実感させてくれる何かが欲しかった

きっとそれだけ

私にとってはそれが西方軍第一小隊という存在

死という明確な終わりと直面して、初めて。

ああ私は生きているのかと強く実感できた

『まあそれもあるんですけど。理由の大半は"生きてる実感が欲しかったから"…ですかね』
「成程。噂通り変わったヤツであることに間違いはないらしいな」
『ウチが変わり者の巣窟っていう噂は聞き飽きました』
「否定しないからだろう。輝もお前も」
「まあ事実、否定はできないからね。はいお茶、熱いよ」
「ああ、すまない」
『わーい。ありがとう』
「でも私も黎明の理由は初めて聞いた」
『あれ。そうだっけか』
「黎明らしいと思う」
『金蝉が言ってたんだよ。ここは脳みそが常温で溶けていく、ってね』
「ほォ…あの金蝉童子がか。面白い解釈の仕方だな」
「そういえば…いつも退屈そうな顔で座ってるよね、あの人」
『暇なら外にでも散歩すればいいのに。物臭だからインドア派なんだよ』

高そうなソファに腰を沈めて見上げた天井
煌びやかな装飾と共に描かれているのは一体の緑竜。そういえば敖潤の部屋の天井にも白竜が描かれていたっけ
もしかして本来の姿はこんなにも優雅なものなのだろうか、彼らは
だとすれば一度くらいはこの目で見てみたい

こんなくすんだ色をした空ではなくて

下界のあの空のように、透き通るような浅葱色の中で泳ぐ姿を

「それで。俺のもとへ暇つぶしに来たのは分かったが、念を押したかったのは遠征のことじゃないのか」
「そう。今回の下界遠征には敖広が同行するって聞いたから。敖潤が持っている作戦は、私たちが不眠不休で考え出したものだ。作戦の意図を組まない指示は聞かないよ…ってね」
「仮にも総司令官である竜に牽制をかけるのは、この全軍でもお前だけだろうな」
「権力や力でもみ消されるのが一番嫌いだから」
「俺や敖潤がそれをやるとでも」
「念の為の牽制。2人がそこまで愚行に走るとは思ってないけど」
「フン。お前にかかれば竜も形無しといったところか」
「私は正論しか言わないよ」
「ああ。知っている」

いつもの事だと不遜に笑うこの人に、やっぱり竜の相手は輝に押し付けようと心に決めた。やりにくいんだよものすごく。あのヒヒ共のように脳みそが腐りきってる訳じゃないけど、なんというか
纏うオーラがそもそも違いすぎる
なんで輝はこうも平然と会話が続けられるのか、割と人生最大の謎だ

「黎明、と言ったか」
『あ、はい』
「捲簾大将は馴染んでいるのか。西方軍に」
『あー…まああの人の性格からして問題無く』
「そうか」
『左遷を決めたのは貴方ではないと聞いたんですが』
「当時はまだ東角という男が上官を務めていたからな。独自の判断のみでの行動だ」
「当時は、ってことは…その東角は今どうしてるの」
「独断での左遷強行は規律に反する。門兵として一からやり直せと降格処分だ」
『うわあ。元帥が門兵に降格ですか。えげつなーい』
「いいんじゃない。噂じゃロクな話し聞かなかったし」
『上の連中って腐りきってる奴らばかりなの?ケガだって、膿は出さないと完治すんのに時間かかるって言うのに』
「いっそのこと溜まりまくった膿を切除出来たら手っ取り早いんだけどね」
『どーかん』

天に聞かれるぞと苦笑する敖広に揃って寄せた眉間の皺
別に聞かれたって構うものか。私たちは正論と事実しか口にしない
第一その"天"とやらがお飾りであり腐っているのだ。今更その存在の無意味さを口にしたところで、一部の重鎮ですら賛同しそうだって言うのに
勅を受ける竜は違うのだろうか。従うに値するような人物でないことくらい、賢い彼らにはわかっていると思うのに
命令は絶対と固定概念が強ければまあ無理だろうけどね

あー今すっごくタバコが吸いたい。

でもここは竜の部屋
況してやその竜の前で平然と吸えるほど、私も神経図太くはないから。

さて。あとは任せた補佐官殿

『んーし、私そろそろ行くわ。輝もせめて少しは寝なよ』
「ああ、戻るの」
『そー。ニコチン切れたし、ついでだから自主練してから寝るわ』
「肺癌で死んでも知らないよ」
『なにそれ素敵な死因』
「…はぁ」
『それでは竜王殿、私はこれで失礼します』
「下界の嗜好品はお気に入りか」
『人間ストレス発散も必要なんですよ』
「ほォ。どれ、俺にも一本置いていけ」
『おやこれは意外な…火元はあります?』
「蝋燭がな」
『じゃあ一本』
「敖広がタバコに手を出すなんて意外だね」
「敖潤から聞いただろう。俺は元から下界に興味があるとてな」
『エリート様が手を出す嗜好品にしては、品がない物だとは思いますけど』
「嗜好品に品も何も関係あるまい。己に合うか合わないか、求めるか求めないかのどちらかだ」
『気に入ったら今度の遠征で一緒に買いに行きますか』
「考えておこう」
「黎明、私も行く」
『ん』

立ち上がって、ノアールを一本机上に置く。喫煙者が増えそうだと苦笑する輝の言葉には、後ろ手をヒラつかせながら"気にするな"と応えておいた。我らが竜王敖潤殿がこの事実を知ったら…いったいどんな顔をするんだろう
その時の表情はさすがに私でも分かりそうな気がした
敬礼をして部屋をあとにする
東方軍は別に毛嫌いしている訳じゃないけどやっぱり空気が馴染めない
軍服のポケットに両手を突っ込んで、とりあえず西方軍の宿舎まではお供も我慢しておこうか

緩やかな春風に靡く髪

早い時間なだけあって、聞こえてくる声も疎らだ

「どうだった。印象は」
『思ったよりも普通』
「それは何より」
『兄っていうからもっとガッチガチなのを想像してたんだよね』
「まぁ敖潤よりかは融通きかないね」
『あ、やっぱり』
「ついでに言うと敖炎が一番めんどくさい」
『えーっと…誰だっけ』
「北海竜王敖炎」
『ああ。北方軍』
「敖潤と仲悪いんだ。だから余計にやりにくい」
『なるほど。兄弟でも相性ってあるからねー』
「万が一見かけたら隠れる事をお勧めする」
『そんなにか』
「西方軍ってだけでイイ顔はしないね」
『うわあめんどくさい』
「だから言ったでしょう」
『因みに南海竜王は?』
「…」
『え、なにその沈黙と眉間のシワ』
「…上官としては文句ないよ。難なのは主に性格」
『一番頭が固いとか?』
「手が早い。」
『…おお…』
「女を侍らすのが好きんだよ。仕事は出来るんだけどね」
『…。』
「さっきの沈黙の理由、今の黎明と同じ」

それは非常に面倒くさそうだ。あれか、下界で言う所の吉原に通い詰めるような男か。そうか。よし。絶対に近寄らない
見かけでもしたら即Uターンだ。英雄色を好むという事なんだろう
竜王にしては意外な一面を持つ者も居るってことか

『アレだね』
「ん」
『南方軍とは今後も疎遠な感じで生きていきたい』
「軍に女は私たちだけだから、色んな意味で目立ちやすい」
『お呼ばれしたら竜王殿に告げ口しなきゃ』
「その前に天蓬と捲簾が出張って来そうな気もする」
『そうなったら余計に事が大きくなるわ』
「同感」
『ま、その時はその時で何とかするかね』
「黎明も気を付けて」
『輝もね』

この広い天界軍を統べる4人の竜王
共通してるのは度合いは違えど、頭の固さと融通のきかなさ
それに加え下2人は違うベクトルでめんどくさい
それを考えるとやはり白き竜が何だかんだと一番馴染み易いんだなと

改めて納得のいく答えに辿り着けた、そんなとある一日の始まり



いつもと同じ花、いつもと同じ空

変わらない事実が当たり前なこの世界で

また一つ 知らない事実が広がったような気がした














← | →
 
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -