最遊記小説 | ナノ


sakura_rikka21/六花




それがいつからだったのかは、もう

今となっては思い出せないけれど。









「あれ?八戒メシ行かねーの?」

旅の途中で見付けた小さな村
夕方から突如降り出したスコールは、いつかのあの日に似ていて
幸いにも1人部屋を4つ取れた事に安堵した事実は、恐らく理由を知るあの2人は察してしまっているんだろう

窓に叩き付ける勢いで雨粒が荒れている
遠くの方では、雷の音が鳴り響いていた

「ええ、ちょっと食欲がなくて…皆さんで行ってきて下さい」
「…ふーん? そっか」

目の前でわざわざ僕の部屋まで声をかけに来てくれた彼は、その澄んだ眼をまん丸くしながらも見上げてくるから
この胸の奥底に淀んだままの思いまで見透かされてしまいそうで

「じゃあ八戒の分は持って帰ってくるな!そしたら腹が減った時に食えるしっ」
「…ありがとうございます、悟空」

常だったら心地好く感じるはずの彼からの視線まで、込み上げる罪悪感で直視する事が出来なくなってしまう
太陽に等しい彼の存在は…時に

闇を抱えた僕には眩しすぎるのだ

「じゃっ、俺ら行ってくるな!」
「はい。あの2人のこと、よろしくお願いしますね」
「まっかせて!」

元気一杯な笑顔を浮かべて遠ざかる背中を暫し見送り、軋む音を響かせながらゆっくりと扉を閉ざす



記憶の中で、視界の中で。

"あの人"がずっと…僕を見つめているような気がした



忘れたくない、忘れもしない。
身を引き裂くような痛みと突き破るような慟哭が、自由の象徴とも呼べる其処から襲って来る
手を伸ばしても届かなかった大切な人
生きていて欲しいと心から願い続けた、嘗て愛した自分の半身
向けた想いは、注いだ愛情は

唯一無二だと絶対の自信を持って言い切れたのに。



「…僕を、責めているんでしょうね…貴女は」



この身を覆う倦怠感と頭の痛みはもう慣れた
ずっと、何かを伝えたそうに僕を見続ける人
自分が自己都合で創り上げた過去の幻影
面影も声もぬくもりも
時を追うごとに薄れていく事実がとても気持ち悪いのに

掌から零れ落ちるそれを掴み留めておく事が出来ない

「…まいったなぁ…暫く動けそうにない、か…」

全身が鉛のように重い。幻影も頭痛も酷くなるばかりだ
こんな日は眠れば必ずあの日の夢を見る
奥底に流し込んだモノが消化し切れないまま沈むから、こびり付いて焼け付いて離れない

あの場で僕も連れて行ってくれたら、なんて

思ったことは何度だってあったんだ


―――…けれど。


「はっかい…前の名前より似合ってんな!」

「…」

"戒め"の名を持つ僕をみて、あの幼子はそう言ってくれたのだ

決して赦される筈のない罪を背負った僕をみて

いつも、いつも。

変わらぬ笑みと真っ直ぐな言葉で僕を繋ぎ止める


「…悟空」


この想いに気が付いたのは自分でも驚くほど早い段階だった気がする

「あはは…本当に…バカなのは僕の方だ」

沈み込むかのようにベッドに埋もれる
叩き付ける雨が煩い。不甲斐ない自分が創り出す幻影
物言いたげな眼差しは聞くのも見るのも怖いなんて
臆病者だと自嘲すれど、すべてを閉ざしてしまいたくて腕で目元を覆い隠す

たかが雨で情けないとは…誰も言わないから。

変なところで妙な優しさと遠慮を出すあの2人は、きっと今ごろ呆れてるに違いない。食欲すら失せる身体は淀んだ記憶に耐えきれず、このまま壊れる方が早いのかとすら思う

足元から何かが崩れ落ちるかのような錯覚に、目眩が酷くなる
立つことすら出来なければそれこそ足で纏いの何者でもないと言うのに

幻影が…幻聴に、変わる。

名前を、呼ばれた気さえした

「…っ」

暗い、冥いその場所で

呼吸することすら叶わない

肺が潰れるかのような痛みに、どこかが、何かが


壊れる音がする―――…刹那


「はっかーい、まだ起きてるー?」
「っ、?」
「…あれ、やっぱ寝ちまったかなぁ…」
「…悟空…?」
「あ。八戒まだ起きてた」


聞こえてきたのは、届いたのは
無意識の内にいつまでもと望んでしまった声だった
口から零れた言葉は笑えてしまうくらい掠れていて
重たい身体、痛む頭
叩き付ける雨がまるで責め立てるように鳴り響く中で、飛び込んできた姿に心のどこかが緩んだんです

「悟空…どうしたんですか…?」
「あ、具合悪いなら起きなくていーって!八戒のメシは宿のおばちゃんに頼んであっからさ!」
「え…?」
「悟浄がさ、八戒は雨が嫌いだから、降ると具合悪くなるんだって」
「…」
「だからメシはやめとけって、三蔵にも言われた!ごめんな、俺ぜんっぜん気付かなくて!」
「いいえ、気にしないで下さい。僕なら大丈夫です」

申し訳なさそうに両手を合わせて近寄ってくる悟空を見上げながら、せっかくだからと身体を起こす。肌に纒わり付くかのような空気が、思考が
彼が現れた事によって少しだけなめらかなものへ変わったような気がした

「んー。でもやっぱ顔色悪い?」
「…そうでもありませんよ。大丈夫です」
「あ、うん。八戒の大丈夫は大丈夫じゃないってのは俺でも分かる」
「…、」
「おーっ、雨めっちゃくちゃ降ってんじゃん。夜には止むといいけどなあー」

とてとてと窓際に駆け寄って見上げる横顔
ああそういえば…彼が部屋に入ってから、雨音が…あの声が
小さくなっている気がした
…我ながら単純になったものだと小さく自嘲する

「八戒は、さ」
「はい?」
「雨…嫌いなんだよな」
「…」
「俺が雪を怖く思ってたのと、ちょっと似てんのかなとか思ってた」
「…懐かしいですね」
「うん。でも今はこうして皆が居るから怖くなくなったけど、八戒はまだ違うんだなあって」

窓枠に頬杖ついて鉛の空を見上げる姿が、妙に男らしくて
普段のそれとは違う側面を見付ける事が多くなった気さえする
人の感情の揺れというものを…彼は恐ろしく鋭い直感と肌で感じ取るから

「悟空には適いませんね、本当に」
「んー…八戒はすき焼きじゃねえしなぁ」
「…?」
「酒でもねぇし、タバコも吸わねえし…んー」
「悟空?どうしたんですか、そんな顔して」
「うーん…んー…うん〜〜〜」
「あ、あの…?」

つい先程まで浮かべていた精悍な顔つきは隠され、腕を組んで眉間にシワまで寄せて。悟空はジッと降り続く雨を凝視している
何か気に障るような発言をしてしまっただろうかと、返答のない様子にいつになく焦る心の奥深く
近付く事も出来ずに、僅かに伸ばした手は空を切るだけ

なにも言えずに何度かそれを繰り返す僕に気付いてか、或いは気付かずしてか。くるりと向き直った途端にその澄んだ眼に自分が映し出される
まん丸とした、綺麗な金晴眼
思わず息を呑んでしまった事は…どうか気付かないでほしい

「よしっ!八戒俺と遊ぼ!!」
「…、はい?」
「うりゃーっ!」
「あっ、悟空!?」
「あははっ!すっげー雨!ほらほら、八戒もこっち来てみろよ!」
「え。外にですか…?」
「そーそ。ほら、此処って森が目の前じゃん?すげー緑いっぱいだしさ。なんか八戒がいっぱい居るなあって」
「…」
「あっ、カタツムリ発見!って事はこの花がアジサイとかいうやつ?」
「…、ええ…確かにその花は紫陽花ですけど…」
「ふーん。じゃ、こいつも雨に惹かれてウチから出てきたんかな?」

部屋の窓を勢い良く開け放って、足をかけて飛び出した背中
バシャバシャと降り注ぐシャワーになんの躊躇いも無くその身を晒す姿を…呆然と見つめていた
咲き誇る花に目を輝かせたり、生い茂る樹木の葉を見上げては嬉しそうに笑ったり

木の根本に落ちる葉を1枚広いあげては、これまた嬉しそうに破顔しながら駆け戻ってきた

「八戒の色みっけ!」
「…」
「三蔵がさ、昔言ってたんだ。雨は若葉の色を濃くするんだって」
「…」
「三蔵も昔から雨とか嫌いでさ。俺にはなんで三蔵が"ああなる"のか分かんなかったけど、毎日雨の中遊びまくってたら…そのうち三蔵も窓から俺のこと眺めるようになったんだよな」
「…、それは…」

きっと、それは。

己の中に抱えたままの痛みが…慟哭が

優しく雨を吸い込む大地のようなこの命に…その存在に

救われたからではないのか。


何を聞くわけでもなく、敢えて傍に寄り添い続ける訳でもなく

ただひたすらに、真っ直ぐに

自分が思う感情を素直に言葉に出来る彼だからこそ


「…悟空だから出来るんですよ」
「ん?」
「きっとあなたが"悟空"と言う存在だから…僕は、いえ。…僕らは…救われているんです」
「八戒?」

淀みとなって痛みしか残せなかった記憶がある
それはもちろん、招いた結果の過程に自分という存在が大きく関わってしまっていたから。自己嫌悪の渦、突き刺さる痛み
雨が降る度にそこは沈殿を繰り返してきた、から

大地を照らすあの光が…ぐちゃぐちゃのまま固まらない傷口を癒してくれたのだろう。三蔵もまた、僕と同じ雨という鎖に縛られた人だから

「…悟空は、本当に…凄いですね」
「んー? あっ、ちょっと止んできたっぽい」
「…」
「デッカイ葉っぱとか生えてねーかなー?アレさ、1回試してみたいんだよな俺!」
「試す…?」
「葉っぱ傘!」
「ああ…なるほど」
「どっかに生えてねーかなぁ」
「…」

雪が怖いのだと、震えていた。
耳を劈くような静かさが嫌なのだと、見るのも拒んでいたあの時の小さな命
すき焼きに釣られて飛び出した…大きな一歩
ああそうか。だから、さっき

「…僕にとってはすき焼きでしょうか」
「あーっ、やっぱ探しても見つかんねえ!なあなあ八戒!あれってどの辺に生えて」
「悟空」
「るか知って…ん?」
「今度は悟空が、僕の"すき焼き"になってくれますか?」

食べたことがないのだと。そう言っていた
独りで過ごす雪が恐ろしいのだと
そんな彼を見守ったのは、当時の僕たちだった

誰よりも長い孤独と痛みを知っている悟空が、もう

その痛みに心を蝕まれる事がないように

そう願って…そう望んで

すき焼きに付加価値をつけたのだ


「…! もっちろんっ」
「…」

踏み出す事だけなら容易に出来る
ただ、其処に行き着く迄にとても大きな何かが要るだけ
踏み出した先の世界では…きっと
独りで立ち続ける事など出来やしないから。

「俺っ、食べる専門だけどな!」
「ええ…分かってますよ。今度は僕の分のお肉もあげます」
「えっマジで!?」
「ですから…悟空。其処に居てください」
「ん!」
「動かないで、待っていてくださいね」
「おっけー!」

その腕をいっぱいに広げて、この天気には少しだけ勿体ないくらいの笑顔を浮かべて。悟空がおいでと言外に伝えてくるんだ
そんな彼に少しだけ眼を細めて…息を吸い込む
呼吸を整えてから窓枠に足をかけて、降り続く雨の中へと飛び込んだ


「…悟空はすごいです」
「ん。八戒もすげーよ!ちゃんと出てこれたじゃん」
「…悟空がすき焼きだからですよ、きっと」
「ええー、んじゃあ俺食われんの?」
「はい。僕に食べられます」
「マジか!俺食べる専門なのに!」
「大丈夫ですよ。問題ありませんから」

シトシトと、音がする。
広げられた其処に年甲斐もなく素直に飛び込めば、優しく回された腕が抱きしめてくれた。まるでクズつく子供をあやすかのような手の動きに、想いに
雨と一緒に大地へ還った雫は…どうやら気付かれずに済んだよう
じんわりと広がる熱が、乾くことを知らない傷口を照らしてくれる
そうして、また

僕は前を向ける気がしたんです

「…八戒はさ。きっと、楽しかった雨の思い出とかもいっぱいあったんだと思う」
「…はい」
「そういうのもさ、全部悲しかった事にしちまうのって…勿体ねーかなって思ったんだ」
「…」
「俺よりたくさんの事知ってる八戒にはさ、やっぱ笑ってて欲しいなあとか思う」

泥まみれになろうと、雑巾になろうと
僕らはきっと…そうして進むことしか出来ないだろうから

そして、ふと立ち止まった時
泥を…そして染み込んだ水を乾かしてくれるこの存在に気が付くのだ
痛みも怒りも悲しみも、分け隔て無く受け入れてくれた…
この大地のような命に

「…僕も、同じですよ」
「…ん!」
「だから…もう少しだけ、このままでいさせて下さい」
「いーよ。後でいっぱい遊ぼうな」
「…はい…っ」



鉛色の空から、大地を求めて降るそれは

案外。自分と似ていたのかもしれない、と


見下ろした先に咲いた笑顔を見て

ふと…そんな事を思ってしまったんだ。




雨は若葉の色を濃くするのなら、

流す泪は…抱く愛おしさを深く染めていくのだろう


















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