最遊記小説 | ナノ



ふとした瞬間、夢に看る

それは決まって…漆の海に輝くあの光が

常以上に眩く感じる夜のこと―――…









静寂が支配する宿の奥
何となく胸騒ぎにも似た不快感を覚え、目が覚めた夜半過ぎ
響き渡る梟の鳴き声が木霊するのは、宿の裏手に広がる雑木林のせいだ

そして頭上には嘗て己が酷く痛みを覚えた柔らかな光
煌々と照らし出すそれに何もかも見透かされているようで
安堵と焦燥の矛盾を抱え、思い切り吸い込んだ息を吐き出した

「三蔵?どうしたんですか、こんな夜遅くに」
「…お前こそなんで起きてんだ」
「僕は寝苦しくて水を飲みに行ってたんですよ。…夜の散歩ですか」
「…ああ」
「…あまり遠くまで行き過ぎないでくださいね」

進行方向から歩いてきた八戒とすれ違う
背中合わせで離れゆく距離の中…最後に落とされたその一言はとても小さくて
けれどもその答えを音にすることはなく、三蔵はそっと紫暗の双眸を閉じては物言わぬ扉の外へと足を踏み出していた


想う資格も、想われる資格も。

今の己にはどちらも持ち合わせてはいないモノ

それでもと浅ましい欲に駆られる心は、十中八九煩悩に塗れている

…フン。あいつが見たらなんと言うんだかな

鬱蒼と生い茂るこの雑木林は…何故か。
この胸に懐かしさと痛みを齎すから
当ても無く歩き続けて進んでいれば、何かに惹かれるかのように視線を動かした先。そこだけぽっかりと穴があいたかのように切り取られた空間は、切り株に降り注ぐ月の光で満ちている

「…」

"あの日"の夜と似ていたんだ
不気味なまでに静まり返った所だとか、その静寂を打ち破るかのように木霊する鳴き声だとか
ぼんやりと其処だけを眺め看て近くの幹に背を預ける
そして、誤魔化すかのように袂から取り出したマルボロに火をつけた


"もっと別の物に見える"のだと。

まだガキだった頃の俺を見て唯一一人、他者とは違う触れ方をしたヤツがいた
当時師範代を務めていたソイツは…他の連中に畏怖され疎まれたこの俺に対しても、臆することも無く触れてきた
こっちが拍子抜けするほどの呑気さで話しかけてきやがったんだ

まるで修羅か羅刹のようだと影で囁かれていた中で、あいつだけはそれ以外の何かに見えるのだと言っていた

その言葉がずっと 胸の奥底に沈殿したままの記憶となって残り続けている

「……最期に聞いておくんだったな」

苦味と痛みが交錯する胸の中。らしくねぇなと舌打ちをすれども疼くそれは消せなくて
初めてだったんだ。あの人以外で人として接してくれたのは
興味も眼中にも無かった有象無象の中で、初めて手を伸ばしてくれた存在
ガキだった俺に屈託なく笑ったお人好し
…救われていたのは事実だったから

気分転換だ何だと、坊主らしからぬ大雑把な性格のわりには宿す力に偽りはなくて。お師匠様に秘密でこっそり2人で出かけた数は、恐らく両手では数え切れないだろう

そして…そう、そして。

自分の胸の内に知らぬ間に降り積もった言の葉が、朱泱からの想いが

気がついた時にはこの身を満たしてしまっていた


―――けれど


お師匠様の死を突きつけられ寺から降りたあの日の夜。
禁忌を犯し逃亡を計った朱泱の行方も、その事実でさえも…俺は知る事が出来なかった。だからこそ今になっても記憶に纏わりついているんだろう
埋めたハズの痛みも想いも、ふとした拍子にこみ上げる、から

短銃を突きつけた先

最期に浮かべた微笑みも、音にならずに霧散した唇の動きも

「地獄に行ったら聞き出すのも悪くねェ…か」

消えない、消せない。
命を奪ったのも原因を招いたのも己自身
向こうにいっても顔向けできるかどうかも危ういなと。
自嘲と共に吸い込んだ煙


噎せ返ることは…なかったんだ。


広がる静寂と照らす月光に耐え切れず、双眸を細めて僅かに視線を大地へ落とした


「デカくなっても変わらねぇんだなあ、お前さんは」
「!!」


不意に飛んできた音、僅かに宿される追憶の色


煙が…昇る。


大地に向けたままの視線とほぼ正面から伸びてきた笑う声

緩慢な動作で持ち上げた先に映ったその姿に、呼吸を忘れた数秒間


「お前…」
「よっ、江流。相変わらず仏頂面」
「…」
「? おーい。まさか忘れたなんて言うんじゃねえだろうな」
「……、地獄から遠足でもしてんのか」
「はははッ まあ、そんなところだな」


出会った頃と変わらない姿のままで、朱泱が切り株の上に片胡坐のまま笑っていた。


話し方もその声も…俺を映すその瞳でさえも。
六道としてではなくあの寺で過ごした朱泱という存在のまま
膝に頬杖ついて眺めるそいつは、何が楽しいのか
口元に薄っすらと笑みを乗せたままの姿に無意識に寄った眉間の皺
変わらねェのはどっちだと言葉を落とした

吹き流れていた風が息を潜め、真っ直ぐに昇る白煙が目指す光

「ほら、そんな所で突っ立ってねぇでコッチ来いって」
「…なんで俺がお前の言う事を聞かなきゃならねえんだよ」
「いやあ。約束しちまったからな、俺」
「…あ?」
「動いていいのはこの中だけ、って」
「―――…」

だれに、とは…聞かなかった

いや、違うか

聞けなかったって方が正しいのかも知れんな。


月光が照らす切り株の上
そこに座ったまま動かない朱泱
手招く様子も、声も、視線も

俺が最期に見た六道とは似ても似つかないほどに穏やかな色

「いっちょ前にタバコなんか吸いやがって」
「うるせぇよ。」
「かろうじてあった可愛げも消えちまってんじゃねえか。あれからどんな生活してたんだよ」
「…」
「江流?」

背中合わせになるように座り込んだ切り株の上。届くその問いに言葉が詰まったのは、俺が朱泱の最期に触れていたからだろうか
恨まれてもおかしくないはずなのに
ヤツの様子から見るとそんな気配は何一つ感じ取る事が出来ない

「なんだよ。久々に会えたってのに、冷たいやつだな」
「…もう突っ込む気にもならねェよ」
「お盆だろ、今の時期」
「…それが何だ」
「久しぶりに会いてえなと思ってたら、見慣れた金糸が靡いててな」
「…」
「ついつい会いに来ちまったんだよ」
「………バカだろ、お前」
「ははっ、江流ならそう言うと思ったぜ」
「…」


タバコの灰が、長くなる。


先ほどまでは煩いくらい鳴いていた声も風の音すらない無音の世界
久しぶりに聞いた、久しぶりにその名を呼ばれた

はじめて…会えない距離に苦しさを覚えた。

俺だけだったって言うんなら、問答無用でブン殴ってやる


「…朱泱」
「!、なんだ?」
「…恨んでんだろ、俺の事」
「生憎俺は恨んでるやつに会いに来るほどお人好しじゃねーよ」
「…」
「伝えておきたい事があったから、半ば無理やり会いに来たんだ」
「……そうかよ」

胸の奥に沈殿したままの慟哭
忘れる事はなかったんだ。お師匠様の死と結びついてしまってるから
引き金を引いたのも自分自身だったから

それでも、そんな俺に最期をと望んだあの時の六道は…朱泱は

何を想ってあの時手を伸ばしたのだろう。

「そーやって眉間にシワ寄せるのは、ガキの頃から変わってねェよな」
「!」

背中合わせに座る俺の髪を、無コツな指先がそっと揺らした

ふわり、ふわりと

まるでこの身に降り注ぐ光のように

慈しむかのような手付きが、不器用にぎこちなくも金糸を滑る

俯いて 嗤うしか 出来なくて

「お前がいなけりゃ…もっと早くに狂えたのに」
「ッ」
「なーんて思ったりもしたんだがな。無愛想なガキがいっちょ前にプレゼントなんかしやがるから、タイミング逃したんだよ」
「…はッ…ざまあねェな」
「言ってくれんじゃねーの金髪美人。だからこそ、最期はお前に託したかった」
「…」
「あのまま自我が崩壊して暴走するくらいなら、お前に責任とらせてやろうってな」
「…迷惑なんだよ。勝手に巻き込むな」
「それでもお前は選んでくれただろ。ま、意外ではあったけどな」

懐かしいその声も、この髪を撫でる無コツな指先も
ガキの頃何度も触れた。何度も伸ばされた

それを今さら惜しんでしまうこの感情は

この燻ったままの想い、は

「…うる…せェよ」
「…」
「勝手に禁忌に手ぇ出しやがって…てめぇならもっと上手い策考えられただろうが…っ」
「…そーだな」


燃え尽きた分だけ、灰が落ちた。


視線は合わない

ただ交わるのはかわせずに消え失せたままだった言の葉と、

三蔵の髪を撫でる朱泱の指先の熱…そして


「仮にも師範代だろうが…ヘマしてんじゃねえよ」
「!」


白く細長い指先が掴んだ、朱泱の袖

甘やかされるのも甘やかすのも厭う彼がとる

精一杯の伝え方


お師匠様以外で、たくさんの初めてを教わった

はじめてを手渡した存在。


「…今は玄奘三蔵だったな」
「…」
「お前さんも出世したな。アッチに行っても鼻が高いぜ」
「…」
「玄奘、俺の生命を背負うなよ。沈殿したままの"濁り"はいつかお前の枷になる」
「……あぁ」
「惑うなよ。お前はしっかり前見て歩け」


光が翳る、煙が揺らぎ出す


朱泱は…まだ、其処にいる。


「―――…これでもケッコーお前のこと気に入ってたんだぜ?」
「…フン」
「だから」


ふわり ふわり ゆらり


「―――…"雨"を乗り越えろ。お前ならできる」
「…っ」


悪戯に、一瞬だけ。

俺の背に体重をかけて寄りかかった朱泱が、笑った気がした





神々しいまでの金糸の髪、深い紫暗の瞳

満月はさながらお前を照らす後光



「生き抜けよ、玄奘」



それは―――…きっと。

神か仏か見まごうほどの神秘的ななにか。







「…うるせぇんだよ…大きなお世話だ…っ」



灯した熱が消え失せ、昇る最後の煙が再び吹き抜けた風に掻き消される

照らしていたはずの光が…掴んでいた袖が






消えていた。





遺されたのは、耳元で落とされた誰かの願い。
















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