最遊記小説 | ナノ



いつもと違う雰囲気、いつもと違う風景

認めるのも癪に障るが…存外。


影響というものもバカに出来ないらしい










「ハァ?猿が風邪ひいた?」
「ええ。いつも一番に起きる悟空がなかなか起きてこなかったでしょう?不思議に思って部屋に行ったら、結構高い熱があったんです」
「どーせまた腹出して寝てたんだろ。飯食って大人しくしてりゃ、夜には治ってんじゃねーの」
「それがですね。あ、ここ重要なんで三蔵もちゃんと聞いてて下さい」
「…」

どうりで。いつもいつも朝から煩い程に響くあの声が聞こえないと思えば
どうやらバカでもそれなりに風邪はひくらしい
…こんなことは初めてだがな
読んでいた新聞から仕方なく上げた視線の先
訝しむ河童の視線と俺の視線を受けて、八戒は真剣な表情で悟空の部屋を見つめていた

「だいぶ辛そうでしたので、お粥かなにか作りますかって聞いたんですよ。薬を飲むにしても何かしらは胃に入れないとダメですし」
「んで?お粥じゃなくて肉でも食わせろってか?」
「いいえ。食欲ないから薬だけで良いって言うんです」
「「…。」」
「あの悟空がですよ?食欲ないって言ったんです」
「「……。」」

ポトリ、と
河童が咥えていた煙草がテーブルへと落ちる
宿先で火事は勘弁して下さいとそれを灰皿へと拾いすてる様子をガン見して
言われた言葉を何度か反芻したのちに吐き出したため息

悟空の胃袋の異常さは俺らが1番良く知っている。そして食に対する貪欲さも、今までの旅路の中で嫌という程目にしてきた。それを考えれば確かに、アイツに食欲がないという事態はどう考えても異常だろう

「オイオイ…あの悟空がかよ」
「僕もびっくりして思わず2回聞いちゃいました」
「たかが風邪だろ?そんなんであいつの暴力的な食欲が無くなンのか」
「けれど実際に熱もかなり高いんですよ。人1倍体力のある悟空があれだけ辛そうなんです…変な病気じゃなければいいんですけど…」
「…」
「そーいや、猿が風邪ひくなんざ初めてじゃね?」
「だろうな。ガキの頃は一切引いたことはねェ」
「つーことは初体験ってヤツか」
「どうして悟浄が言うと妖しい言葉に聞こえるんでしょうかねぇ」
「お前ね、俺をなんだと思ってんのよ」

声が、聞こえない。たったそれだけのことなのに

気が付けば灰皿には山のように積み上げられた吸い殻
無意識に刻んでいた眉間の皺に気づいた八戒が苦笑する
…なんだ。その笑みは。

「大丈夫ですか、三蔵」
「意味がわからんな。何の問いだそれは」
「いえ。大丈夫ならいいんです」
「…フン」
「三蔵サマのそーんな表情見られンのも貴重な体験ってやつ?」
「その空っぽな脳みそに風穴あけてやろうか」
「へーへー。んなことしたら悟空が起きちまうだろ」
「…」
「僕らは何か食べやすいものを買ってきます。三蔵、悟空のこと頼んでもいいですか?」
「…行くならさっさと行ってこい」
「一応薬は置いてありますから、お昼すぎたら飲ませてくださいね」
「あぁ」
「無抵抗だからって、手ェだしたりすんなよー」
「節操なしのテメェと一緒にすんじゃねえ」

このクソ河童。いつか絶対に殺ス。
隣室で寝てるだろう悟空が脳裏を掠め、愛銃に伸ばした手を辛うじて理性で押さえ込んだ。ったく。バカ騒ぎが取り得なんだ、珍しいことしてんじゃねえよバカ猿が
心の深い場所に広がる妙な焦燥感に盛大に舌打ちをかましながら、2人が出ていった室内で火を灯す
やや乱暴に吐き出した煙は…静まり返る其処へと揺蕩ったのちに消えていく

「…」

再度、盛大な舌打ちと共につけたばかりのソレを揉み潰した
苛立ちと妙な焦燥感のまま乱雑に足音を鳴らして向かった先には、見たこともない程に情ねえツラで眠る悟空
暫し佇んだまま見下ろしていれば…腹立たしいことに。

苛立ちも焦燥感も全て消え失せる自分が最大の謎だ

「…」

声が聞こえない

たったそれだけのことなのに

どうしたって無意識のうちに影響されるのは…もう。


「…ぅ…っ」
「…」


あいつらには言ったことはなかった。

ガキのころから時々…こいつは寝ながら泣いていることがある

なんの夢を看てんのかなんざこれっぽっちも興味はねえ―――…それでも。


夢現の中で口を動かしているのに、誰かの名を呼んでいるハズなのに

いつもそれが音になることはなくて


弱々しい嗚咽だけが、いつも

月明かりが照らす部屋の中に響いていた。


呼べない名前を、ずっと呼び続けている

それがあの500年という気が遠くなるほどの地獄と関係しているのかは、知らねえがな


「…バカ猿」

返答はもちろんない。
目尻から流れる透明な糸、うっすらと刻まれる眉間の皺
誰かを…そして何かを掴もうと微かに動くその手のひらも…
ガキのころから変わっちゃいない

「オイ このバカ猿。お前が風邪なんざひいてんじゃねえよ」

思い出せないその記憶の中に、呼べない名前を探し続けているのなら

見えないその手をずっと

追い求めているのだとしたら。


…気にいらねぇ


「―――…悟空」
「…っ、   」
「悟空」
「   」
「…悟空」

唯一残されていたものが己の名前だけなのだと言うのなら

呼べない名前を追い続けるよりも、看えない誰かの面影を

追い求め続けるくらいなら


「…名前ならあの時教えただろうが。テメェが言ったんだ…今度は声に出してちゃんと呼ぶから、ってな」

呼ぶべき名は、その手を伸ばすその先は

もう決まっているだろ。


「…」


投げ出された手、今もなお流れ落ちる雫。ベッドの淵に腰掛けて見下ろせば、いつも輝かんばかりの太陽は閉ざされたまま
太陽みたいだと、常に思う
よくコイツは俺を見て月に似ていると言うが…知ってんのかよ
月は太陽の光がなければ輝くことも、その存在を魅せることすらも出来ないということを
俺以外の"誰か"を求めるな

音に出来ない名前も、思い出せない面影も

いまのお前にはも…必要ねえだろうが


「…チャンスは一度きりだ」


微かに開かれたままのソコへ挑むように想いを重ねては、強くその手を握り締めた


陰ることなど、許さない。

俺がこのつまらねえ世界で唯一見つけた、その輝きも

知らずのうちに宿されていたこの不可解な想いも

すべての始まりは悟空―――てめぇのせいだ












雪か、はなびらか。

よく看えはしなかったけど、それでも

なにかが視界いっぱいに舞っていたことだけは分かったんだ

真っ白な光の世界にいるような…そんな錯覚を覚えるその場所で

その光の中で…誰かがずっと佇んでいた



「   」


…だれ


「   」


その人がずっと、何かを言っているのに

俺の耳には届いてこないんだ

でも、なんでだろう

胸の中がぎゅって痛くなる

悲しくて、辛くて…寂しくて


知っている気がするのに、俺はその人のことを思い出すことはできないんだ


手を伸ばし続けても届かなくて

声も、届かない


「   」

視界を覆うほどに巻き上がる何かは、雪かはなびらか。

すべてをかき消してしまうようなそれに思わず腕を翳して眼を閉じた刹那




―――…悟空




「…さん、ぞ…?」





伸ばし続けていた手が、ぬくもりを掴んでいた。











「―――…ぁ」
「…やっと目覚めやがったか」
「…あ、れ…なんで、おれ」
「フン。熱でとうとう頭までヤられたか」
「あー…そっか。俺いま熱あるんだっけ」
「バカでも風邪はひけたんだな」
「おれバカじゃねーもん…」
「そう思うンならとっとと食うモン食って治しやがれ」
「…さんぞー、なんか今日は良く喋る」
「ブッ叩かれてえのかテメェは」
「へへ…だってなんか、嬉しくて」
「…」
「夢の中でさ、おれ…ずっと誰かの声を聞いてたんだ…って言っても、声も顔も分からなかったケドさ」
「…」


恐らくまだ少し意識がぼんやりとしてるんだろう。

そっと眼を閉じながらポツポツと語られるその夢物語

今度はちゃんと、繋がった手は握り返されていた



「…だれ、だったのかな…」
「俺が知るか。」
「ずっと…呼ばれていた気がするのに、思い出せないから」
「じゃあ大した事でもねえんだろ。いつまでもガキみてぇに夢に縋ってどうする」
「…うん」
「二つに一つだ」
「さんぞう…?」
「呼べない名前に縋りつくか―――…"呼べる名前"を声に出すか」
「!」
「あの日お前が言ったこと、忘れたとは言わせねえぞ」
「…今度はちゃんと、声に出して呼ぶから…」
「迷惑なんだよ。声じゃねえコエで騒がれンのもな。…次はあんな山のてっぺんまで迎えに行ってやらねェぞ」
「…ん」


呼べない名前は、俺にも在る。

埋葬したはずの記憶は自分が覚えているからこそ出来ることだ

名前以外の全てを無くしたこいつには…それが出来ない、から


「誰かを呼びたいんだったら、俺を呼べ」
「…」
「声に出してきちんと呼びやがれ。…俺はウソは嫌いだ」
「さんぞ…」
「…」
「さん、そう」
「…フン」
「三蔵」
「うるせぇんだよ、このバカ猿」


つよく、強く握り返された手。
開かれたその眼は空に輝く光の色
その中に映し出された己の姿に安堵している自分がいる
…認めたくはねえがな。


「俺、最期に呼ぶのはゼッタイ…三蔵がいい」
「…」
「そん時はいいやって、俺はいいやって言ったけど…それだけはずっと思ってる」
「…熱で思考がぶっ壊れてんだろ、お前」
「へへへ…そうかも」
「はぁ…もういい。薬飲んでとっとと寝やがれ」
「ねつ、さがるんかな?」
「さァな。俺に聞くな」
「…粉薬はイヤだ」
「てめぇはどこのガキだ。薬なんざ粉に決まってンだろうが」
「だってソレ苦いんだもん」
「安心しろ。無理やりにでも飲ましてやるよ」
「えっ、ちょ、三蔵それはズリィってば…っ」
「うるせえ」


不確かな記憶に呑まれるくらいなら

思い出せない記憶の向こう側を求め続けるくらいなら



「大人しく観念しやがれ」
「…っ、イケメンの無駄遣いって言うんだぞソレっ」


この自由なようで不自由なつまらねえ世界に、俺の手の届く範囲の内に

縛って縫い留めることくらいは…許されるだろうから





コップの水に溶かし混ぜたそれを含んで、熱で潤む視線のまま睨み上げる悟空の顎を掴みあげて

生意気にも反論するそこへと噛み付いた











今も昔も、お前の中に在るのは俺だけでいい


そう―――…例えば、いつか。


看えない夢の続きを思い出してしまう時がきたとしても


掴んだこの手は、もう二度と離さないと誓う。















〜完〜




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