爽やかな海風は、肌に心地よい。
ビビは、全身に風を感じて、非常に気持ちがよかった。
先ほどまで、ゾロが刀を手入れしているのをビビは邪魔にならないよう息を詰めて見つめていた。一緒にいるカルーも同じく。
そんな1人と1匹の無言のプレッシャーを浴びながらもゾロは丁寧に刀を手入れして。3本ともなんとか無事に終わった。少しだけ疲れたゾロは、「寝る」と一言告げてその場で眠ってしまった。カルーも甲板に寝転んだゾロに倣うように彼の横に座り込み、寝始める。ビビはその様子をほほえましく思って、笑った。
しばらくは1人水平線の向こうに目をやってさまざまな想いを巡らせていたビビだったが。目線がふとゾロの若草色の頭に移り、思考がゾロに集中した。ビビはゾロの顔の近くにしゃがみこんで、寝息をたてるゾロの顔をまじまじと見つめる。
「…不思議な人…」
ほとんど無意識に、ビビは呟く。
Mr.ブシドーと自分は勝手に呼んでいるが、それに異を唱えることもなく受け入れているゾロ。普段の日常の中の彼は静かで、穏やかだ。
ところが、戦闘ではどうだ。あの、鬼気迫る凄まじい気迫と、恐ろしいほどの戦いのセンス。そして、何より彼は戦いを楽しんでいた。敵が強ければ強いほど、ゾロは嬉々として立ち向かっていくだろう。
ビビの中でそれがどちらも1人の人物が持ち合わせるものだということが、なんだかしっくりこなくて。ずっとゾロは不思議な人のままだ。
でも、何かに似てる。なんだろう…と悩みつつ、ビビはゾロの頭に手を伸ばす。
「ビビちゃん」
もう少しで届く、そんなところで。ビビは名前を呼ばれ、ハッとして手を引っこめた。反射的に声のしたほうを向けば、煙草を吸いながら階段を上ってくるサンジが見えた。
「サンジさん」
にっこりと微笑んで、サンジはビビに恭しくお辞儀して見せた。
「プリンセス、おやつの時間です。そんなマリモに放って、どうぞティータイムになさってください」
「あ、はい。ありがとうございます…」
何故だろう?彼は笑っているのに、言葉も優しいものなのに、何だが有無を言わせぬ強さがそこにはあった。
「カルー、カルー、起きて。おやつですって。行きましょう」
「!クエッ!」
おやつ、という単語を聞いた途端に飛び起きるカルー。現金な彼に苦笑しながら、ビビはその場を離れた。
階段を降りると、ゆったりとお茶を飲むナミを見つける。ビビはそちらへ足を進め、寸でのところで「あ」と大きく声を上げた。
「何?どうしたの、ビビ?」
「クエ〜?」
ナミとカルーが不思議そうにビビを見る中、ビビは頭に思いついたことを口にした。
「Mr.ブシドーって、猫に似てませんか?」
ナミが盛大に吹いたのは言うまでもない。
さて、後方の甲板に残ったサンジと相変わらず寝ているゾロ。サンジはビビがそうしていたように、ゾロの顔の横にしゃがみこんだ。
波風はゾロの短い髪も遊ぶように撫でていく。閉じられた翡翠の瞳が残念だが、穏やかな寝顔はサンジの心も穏やかにさせて。さっきまでのもやもや・ムカムカが沈静化していくのを感じた。
でも、とサンジは思う。
そっと手を伸ばしながら、サンジは思う。いや、もう勝手に思いが口からこぼれていた。
「…簡単に、触らせんなよな…」
サンジの伸ばした手は、ゾロの頭に乗せられた。先ほどビビが触ろうとしていた、ゾロの頭に。
偶然を装ってビビがゾロの頭に触れる前に、サンジは彼女に声をかけて止めた。最近、ゾロがクルーに触られるのもサンジはいい気持ちがしないくらいだから。船に乗ったばかりの、しかもあんな美女に…。ゾロがそういうことに興味を示さない硬派だとわかってても、嫌なものは嫌だった。
サンジの心が暗い色に染まる。どろどろ、独占欲まみれで、サンジはひっそり自嘲した。手の平のゾロの髪の毛の感触が柔らかく、サンジはゆっくりゆっくり何度も撫でた。
と、
「……ば、かコック…」
「!」
眠っているとばかり思っていたゾロの口が緩慢に開いて。
ゆるり、と翡翠色の瞳がサンジに向いて。
視線が、絡む。
寝起きのため掠れたゾロの声と溶け出しそうなほど潤んだ瞳。まるで時間が止まったように感じるほど、サンジはゾロに見入った。
そのゾロがまた緩慢に口を動かして。
「…だったら…」
ゆっくり紡ぐ言葉は。
「……ちゃ、ん…と」
ひどく。
「…お…れを、…見てれば……い…ぃ…」
甘くて。
サンジは知らないが、ゾロもまたもやもやを感じていたのだ。
ビビが嫌なわけじゃない、むしろその勇ましさは好感が持てた。ただ、サンジがビビにデレデレする様は少し嫌だと思った。…否、嫌だった。
俺の方を見てりゃいいのに…と思ってしまって、ゾロは一人で盛大に顔を真っ赤にしていた。
そんなことは知らないサンジが呆けていると、またゾロは夢の住人となってしまったようだ。穏やかな寝息を立て始めるゾロ。サンジは止めていた息をゆるゆると吐き出し、忘れていたがくわえ続けていた煙草を甲板でもみ消した。
「あ〜あ」
ゴロン、と横になったサンジは大きく伸びる。人の気も知らず寝続けるゾロをジト目で見…ようとして失敗し、だらしなく頬を緩ませた。
「…お前、結構俺のこと、許してくれてんの?」
独占したいっていう感情、許してくれてるわけ?
もう答えは返ってこないとわかりつつも、サンジは嬉しそうだ。
太陽の匂いがするゾロの頭を抱えるように胸に抱きしめて、その若草色の髪に頬ずりした。
その折り、ゾロがふんわり笑みを浮かべていた。サンジからは生憎見えなかったようだったが。
「サンジく〜ん!お茶、おかわり〜!」
「サンジーっ!クッキー足りねぇっっ!!!」
「はぁ〜い、ナミさん!ただいま〜!クッキーはそれで終わりだ、クソ野郎!」
船は、今日も順調に進んでいる。
続
'11.1.25