ゾロは、もう一度体をまっすぐにさせた。そして目を閉じて、静かに話し始める。
「死んでもいいたぁ、思ってねぇよ。けどな、正直死んでも、しょうがねぇって思った」
「全然歯がたたねぇんだもんよ…駄目だって、思った…」
「世界がこんなに遠いなんざ、夢にも思っちゃいなかった…。結局自惚れてたんだろうな」
淡々と語られる、ゾロの言葉。
サンジの心の中に、苛々の感情が再び巻き起こってくる。
とうとうサンジは、ゾロを怒鳴りつけた。
「他人事みてぇに言ってんじゃねーぞ!!」
「!」
「一旦退いて、もう一度修行でも何でもして腕磨いて、また戦えばいいじゃねぇかよ!死んだらなんもなくなっちまうんだぞ!?そこで終わりなんだぞ!?」
「…」
「俺には…てめぇが命を粗末にしてるようにしか見えねぇんだよ…!!」
「…」
サンジがここまで“生”にこだわるのは、あの経験があることと自身がコックであることが理由であった。
人に生かされた自分。そして、人を生かす自分の仕事。それに感謝と誇りを持っているからだ。
だから命を粗末にするような人間を、サンジはどうしても許せなかった。
ゾロの顔を睨みつけながら、サンジは自己嫌悪に陥ってくる。これでは自分の考えを押し付けているようで、本当に大人気ない。しかし、馬の合いそうのないこの男でも一応“仲間”で、これから共に旅をする船員だ。“仲間”であるならばその安否を気遣うのは当然だろう。
(俺の目の前で、命を粗末にさせるような真似はさせねぇ!)
そんな使命感にも似た思いが、サンジの頭の中を占めていた。
ゾロは、小さく溜め息をついて。
閉じていた目をゆっくりと開き、瞬かせて。
サンジのほうをまっすぐ見つめてきた。
その目の色は、澄んだ翡翠色。
月明かりに照らされたそれは、息をするのを忘れてしまうくらい、美しい色で。
サンジは思わず、見惚れる。
ゾロが、またゆっくりと話し出した。
言葉を選びながら、静かに、しかししっかりとした口調で。
「あの場で退いたら、その時点で俺は死ぬんだ」
「!」
「肉体は確かに生きるかもしれねぇ。けど、ここは死ぬ」
そう言って、ゾロは自分の胸の辺りを拳で軽く叩いた。
「ここが死んだら…野望も何も、俺の大事なモノみんな無くなっていくんだよ…」
「…」
「それは、“死”と同じだ。俺にとってはな。命を粗末にしてるつもりはねぇ。けど、ただ“生”にだけかじりついても俺のここは納得しねぇ。そんだけだ」
「…お前…」
サンジは言葉が詰まった。
それは気高く、強く、どこまでもまっすぐな想い。
それでいて、孤独で、いつポキッと折れてもおかしくない脆さも併せもつ想い。
他人なんて入り込めない、ゾロだけが知る決意の重さがそこにはあった。
サンジは、思う。やはりこいつとは馬が合いそうにない、と。
しかし、それと同時にゾロのまっすぐな魂は嫌いではない、と思う。
(理解はできねぇけど、認めてはやるよ…。お前の生き方を、よ…)
ゾロの翡翠の瞳は、サンジを見ているようでどこか遠くを見つめている。
自分の野望以外、目に映っていないようなその姿。それがなんだか悔しくて、その綺麗な瞳を自分に向けて欲しくて。
サンジはその思いの理由すらわからないまま、衝動的にゾロの体を抱きしめていた。
「いてっ……な、何…」
「…知るか、くそ…。てめぇが悪ィんだ」
サンジがゾロの体を更に強く抱き込めば、ゾロは支えを求めて慌ててサンジの背中のシャツを掴む。
ゾロの体が強張っていて、彼の混乱がサンジに伝わる。サンジ自身も、自分のとった行動の意味がわからず、混乱していた。
どくんどくんどくん…、2人とも心臓の音が大きく響いて、耳が痛い。
「な…、なんで俺が悪いんだよ?」
「お前が、…俺を見ないからだ」
「は、あ?」
「お、俺は。俺はもう」
お前の“仲間”なんだぞ?
我ながら意味のわからないことを言っている、という自覚はサンジにはあった。
けれど、それがさっきまでの苛々の理由に、一番しっくりくるような気がした。
(てめぇの野望とかそういうのばかり見つめやがって…。たまにはこっちも見ろっての)
そっと、腕の力を緩めると、ゾロの困惑しきった顔が見える。赤く染まって、翡翠の瞳は少し潤んでいた。…いや、翡翠ではない。うっすら金色に染まっている。
サンジはルフィが得意げに言っていた、ゾロの特殊な目の構造を思い出す(これにもサンジは腹が立った)。ゾロの感情を自分が乱したという事実に、サンジは言いようのない高揚感を覚えた。
「…目、金になりかかってるぞ?」
「!んで、知って…」
「ルフィから聞いた。…あー、やっとお前、俺のほう見たな」
翠と金が混じる美しい瞳に映った自分の姿に、サンジは満足そうに微笑む。
綺麗だ、とサンジは心から思う。よく見れば、ゾロは整った顔をしているのだ。
体の割りに小作りな顔。いつも鋭く相手を見据える瞳は今はなく、年相応、いや年下に思えるくらい戸惑って揺れている。すぅっと通った鼻筋や薄い色の唇、褐色の肌もゾロという男を美しく見せている。
(まいったな…。俺、こいつのこと案外好きかもしれねぇ…)
男相手に、しかも自分とはまったく相容れないような男なのに。いや、だからだろうか?サンジはゾロが気に入ってしまったようだ。
ゾロのその容姿もその性格も、綺麗だから。サンジは自分が面食いであることはしっかり自覚していた。
考え方は全く違うから、喧嘩はするかもしれない。けれど、“仲間”としてやっていけるような気はした。
サンジはにやり、と人の悪い笑みを見せながら、ゾロの耳元に唇を寄せる。
「野望もいいけどな、ちゃんとてめぇの周りも見とけよ。…不意をつかれて襲われちまうぞ?」
からかわれた、とカチンときたゾロはサンジの腕を抓り。
あまりの痛さに、サンジも、やりすぎだ!と怒鳴り。
結局そのまま喧嘩になった。
喧嘩しつつも、その楽しさにサンジは知らず頬を緩ませていて。
ゾロも満更でもなさそうに口の端を持ち上げていて。
その様子を見ながら。
(やっぱ、背中より、真正面から見ていてぇな…)
やはりその想いの理由はわからないままだったが、サンジはそう思う。ゾロの投げる枕を器用にかわしていきながら、サンジも負けじと傍にあった枕を投げる。
宴とは全く別の場所で、2人だけのじゃれあいがいつまでも続くのだった。
サンジが、そうしたゾロへの想いの理由に気付くのは、もう少し先の話。
END