その背中を見たとき。
サンジは息も止まるほどの衝撃を受けた。
勝ち目のない戦い。敗北は必至。万に一つの可能性もない、負け戦。
それでも、その男は決して背を向けなかった。
それどころか。
自ら死を選んでいったようにも見えて。
(なんでだよ…!)
死んだら、何もならない。
生きればもう一度、夢を追っていけるのに。また腕を磨いて再戦することだってできるというのに。
どうしてこの男は……!!
サンジは理解不可能だと思った。
けれど。
その背中は、サンジの目に焼きついて、ずっと離れなくて。
この矛盾した状態は、サンジを少し苛つかせていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アーロンパークが陥落した。
圧政から解き放たれた住民たちは、狂喜乱舞した。
宴が昼夜問わず繰り広げられる。
そんな、夜。
満月に程近い月が、静かに柔らかな明かりを注いでいる、そんな夜。
宴の席から少し離れた療養所を、サンジはスープと薬を持って訪れる。
ドアを開けて奥の部屋に行くと、窓際の一番奥のベッドに横になっている男が一人。
いびきをかいて寝ている、緑髪の男の名はロロノア・ゾロ。
捲くれてしまった毛布の隙間から見える白い包帯に、サンジは思わず顔を歪める。
(ほんと…馬鹿じゃねぇの?こいつ…)
全治2年の怪我で、あんな無茶な戦いをやって。
あとで聞いた話じゃ、あの時は自分で縫い合わせたそうじゃないか。
馬鹿にもほどがある…と、サンジは苛々していた。
コツ、と近づくと。
先ほどまでいびきをかいて熟睡していたはずのゾロが、不意に目を覚ましてこちらを睨みつけてきた。
サンジはその眼光の鋭さにますます顔を歪める。
(…人の気配に敏感、ってか。お前は獣か)
対してゾロは、サンジの姿を確認すると少し表情を緩めた。
それにサンジは少し瞠目する。
(…俺だってわかって、ちょっと安心でもしたのか?)
それがなんだか警戒を少し解いた野良犬のような顔で。サンジは不覚にもちょっとかわいいかも、と思ってしまう。
「…なんだ?それ…」
ゾロがぽつんと尋ねる。
サンジは先ほどの考えを慌てて霧散させて、ふうっと溜め息をついてから盆にのっているスープを見せた。
「サンジ様特性スープ。わざわざ作ってやったんだ、感謝しろよ」
「…別に頼んでねーぞ」
「かわいくねーなー。いいから食えっての。いらねぇっつっても無理やり押し込むからな」
「…いらねぇとは言ってねぇ」
どっちだよ、と悪態をつきつつ、サンジはゾロに近づいた。
ゾロが痛そうに顔を歪めながら体を起こそうとするから、サンジは盆をベッド脇の小さな棚に置いてから手助けをしてやる。
「…すまねぇ」
「あ?…あー…別に…」
すまなそうに謝るゾロに、サンジは少し戸惑う。
(意外に…礼儀正しいのかもしれない)
サンジは自分が抱いていた“海賊狩りのゾロ”のイメージと現実のゾロとのギャップに、明らかに戸惑っていた。
それでもなんとか答えて、サンジはベッドの横に置いてある丸椅子に座りながら脇に置いていたスープをゾロの前に差し出した。
ほかほかと湯気をたてるそれをゾロは受け取り、スプーンですくって口に運ぶ。
と。
「!あっち…っ!」
「えっ?お前、いきなり口に運ぶ奴があるかよ!」
たった今取り分けて持ってきたばかりだったのだ。熱くて当然だ。
急いで棚に置いてあったピッチャーからコップに水を汲んで手渡す。ゾロはコップを受け取ると一口水を含んだ。
「…うー…」
「…お前、ひょっとして猫舌?」
「……少し…」
「……そ…。つ、次から俺もちょっと気をつけるわ…」
恥ずかしいのだろう。ゾロの顔はほんのり赤くなっている。それに、舌を火傷したショックで多少涙目だ。
コップをサンジに突き返し、再びスープを飲み始める。今度は殊更にふーふーと冷まして飲んでいる。
そんなゾロの姿に、とうとうサンジは噴出した。
「ぷ、ははは」
「!わ、笑うな!!」
「だってよ…ぷくく…、あの非道な賞金稼ぎの“海賊狩りのゾロ”が猫舌なんて…。あははっ」
「〜〜〜〜〜!!ちょっとだけだ!」
そもそも俺は、賞金稼ぎだなんて名乗った覚えはねぇ!と、ゾロは怒鳴る。
「へぇ?違うのか?」
ひたすら笑ったサンジは漸く笑いを引っ込めて、ゾロに尋ねた。
ゾロはムスッとしながらも、その質問に律儀に答える。
「…そうだ。生活費を稼ぐのと剣の腕を磨くのを同時にできるから、そうしてただけだ」
「……そういうのを賞金稼ぎっていうんじゃねぇの?」
「違う。動機が違うから違うんだ」
「へえ。そういうもんかねぇ…」
正直サンジにはよくわからなかったが、この男なりのこだわりなんだろう。それ以上突っ込むのは平行線になるだけだろうと考え、何も言わなかった。