「がああぁぁぁぁぁ!!!」
土方からは見えないが、女の叫びが響いてきた。そのせいで聞き取りにくいが、土方に背中を向けている男が何か話しているのが聞こえてくる。その声は確かに先ほど聞いた狐の声。
「…低俗な悪霊が俺のものに気安く触るんじゃねぇよ。せめてもの情けだ、…安らかに成仏しやがれ」
「いやぁぁぁぁああああ!!!私はぁぁぁ、わたしわぁぁぁああああ!!!」
「…っ」
悲痛な声に、土方は思わず耳を塞いだ。そっと立ちあがって横側から覗き込むと。
女の顔がぞっとするような恨みのこもった顔から、安らかな微笑みに徐々に変わっていく。
「もう休むがいい」
男は、まるで父親が子どもに厳しく愛情を込めて諭すような、強さのある声を女にかける。
「……私は…もう天国には行けないわね」
哀しげに微笑む女は、独り言のように呟いた。そこには先ほどまでの恐ろしさはない。
「殺しすぎたからな。安心しろ、今は地獄もこの世もあまり変わらねェよ。償えば報われる分、地獄の方がマシだ」
「そう…それなら早く地獄に行けばよかった」
寂しそうに笑う女は、ゆっくりと消えていった。
「終わったぜ」
呆然としていた土方はその声にようやく我に返った。声の主を見れば、土方より少し背の低い男で。
黒地に艶やかな赤い蝶の着流し、紫がかった黒髪は左目を隠していて見えるのは鋭い右目―あの動物と同じ金色の目―のみ、それが土方をじっと見つめている。
「あんたは…いったい…」
何が何だったのか、土方はすべて把握できてない。とにかく危機は去った、ぐらいしかわからなかった。
まず一番よくわからないのは、なぜ目の前の男とあの狐のような動物の声が同じだったのか、ということ。
土方はじっと男に注目する。男は口元を緩めた。
「俺は、神だ」
「…あ、俺用事があるんでここで」
関わりたくない!と土方は強く思い逃げようとしたが、まあ男が土方を逃がすわけもなく行く手を阻まれた。男は頭をがしがしと掻きながらため息交じりで話を続けた。
「正確には頭に元がつくがな。…おい、その目やめろ。お前も見てただろうが、俺が狐から人間に変わるところを」
「いや、眩しくてよくわからなかったんですけど…ほんとにあんた、あの狐なのか?っていうか、神って…」
「そのままの意味だ。このままあの地の守り神として縛られたまんまなんざまっぴらだと思ってな。自らその座を降りた。だから元神。はぐれ神とも言う」
「…はぁ…」
駄目だ、ついていけない。この男が悪霊…悪スタンドから救ってくれたのは確かだが、頭がイっちゃってるとしか考えられない。土方はどうやって話を切り上げようか考え始める。
「神だった頃はその土地を守る代わりに土地から力を得ていたんだが、それをやめて自由になる代わりに力を得ることができなくなってな。しばらく動物の姿でいた。霊力の強い人間と契約できたおかげでようやく実体も人間の姿もとれるようになった。礼を言うぜ」
「ソウデスカ…。あ、俺も…その、助けてくれてありがとうございました」
「ふん。まぁ、お互い様ってことだ。これからもよろしく頼む」
「え?」
話半分で聞きつつとりあえずお礼を言った土方だったが、男からの『これからも〜』発言に思いっきり顔をしかめる。そんな土方の顔を見て、あぁ、と男が納得したように声をあげた。
「そういえば、契約の内容について何も話していなかったな?」
「!そうだ、あれはなんの契約だった…んですか?」
契約を結ぶ、と言ってしたことといえばお互いの名前をフルネームで呼び合っただけだ。一体何の意味があったのか。そもそもあの契約でなにがどう変わったのか。…仮に男の話が本当だとして、土方と結んだ契約でなぜ狐から人間に姿を変えることができたのかがまったくわからない。
考えが回り出す土方の視界に、すっと何かが映る。
「屋根のあるところで話そう。この天気では風邪をひく」
それは、男の手だった。その手が土方に伸び、小雨ですっかり濡れてしまった土方の髪を梳いた。かけられた声があまりに穏やかで、男の手がとても優しくて、気付けば土方はそのまま男を自分のアパートへと連れ帰っていた。
…アパートのドアをガチャンと閉めたところで土方は我に返り、激しく後悔したのを付け加えておこう。