2−1





「あー、今日は遅くなっちまったな」

すっかり暗くなった街の中、土方は家路を急ぐ。バイトだったのだが、土方の終わりの時間になっても交代が来ず、仕方なく代わりにいたから遅くなってしまった。小雨も降り始め、傘のない土方は学ランを濡らしながら小走りで、少し人通りの少ないビル街の道ををわき目も振らず急ぐ。



不意に。

生ぬるい感覚が土方の左頬を掠った。ぞく…として思わず土方の足が止まる。幾度となく経験したスタンドと接触する前の胸騒ぎと悪寒。しかし、今日のそれはいつものより…。



(…なんだ、これ…)

身体に纏わりつくような生温かい不気味な空気がいつもより濃いように土方は感じた。それにその空気は離れていくことなくずっと土方の周りに留まったままで、土方の腕に鳥肌が立ち始める。土方はいつでも札が出せるよう、ズボンの右ポケットに手を忍ばせた。心臓が早鐘を打ち、額にも手にも汗がじんわり滲んでくる。

土方は生唾を飲み込んで、止めていた足をゆっくりと動かす。周りを見渡しながらそろそろとその場を離れようとした。



そのときだった。





「…今朝はずいぶんなご挨拶だったわね…」

「!!!」

耳元で囁かれた温度の通っていない氷のような声音に、土方は条件反射でその場から飛び退いた。離れながら振り向いたそこには、腰のあたりまで髪の伸びたガリガリの女が立っていた。前髪が長いせいで鼻から上が見えないが、青白い顔色は生気があるとは到底思えず、紫色の唇は弧を描いていた。
スタンドに話しかけられるのは久しぶりで、土方は絞り出すように声を出した。まず、なぜ今土方がこのスタンドの女に話しかけられているのか、その理由がわからない。


「…、あ、朝…?」

「…やだ、有無を言わさず追い出したの、忘れたの?……悪い子ね」


…朝土方の家の洗濯機の傍に佇んでいた女のスタンドだ。土方は漸く合点がいき、次いでさーっと血の気が引いて行くのがわかった。一度払ったスタンドがわざわざ土方に会いに来るなど、今までなかったことだったから対処方法がわからない。もう一度払えばいいのだろうか…?土方は目の前のスタンドの出方を窺いながら右ポケットに突っこんだままの右手で札を掴んだ。


「そのお札はやめてくれない?結構痛いのよ?」

「!」

「それに…それでまた私を払っても何も解決しないわ。…私が欲しいのは、坊やだから」

ふわふわと白のワンピースを靡かせながら近づいてくる女に、土方は後ずさる。最悪の展開だ。女はただのスタンドではない………いわゆる悪スタンド…悪霊だった。



「お…俺をどうするつもりだ…」

「ふふふ…。君の瑞々しくて強い精気をもらえれば、私の力はもっと大きくなるわ…。ねぇ、ちょうだい?吸いつくしたいの」

(冗談じゃねぇ…!)

精気は生命の根源の力だ。吸いつくしたい=食い殺したい、だ。ニヤ〜と笑いながらじりじりと近づく女をどうにかして振りきって逃げなくては。土方は女に隙ができるのを辛抱強く待つ。女はもう土方を追い詰め自分の欲求が叶うことを確信していたため、ちらちらと油断が見えた。ポケットから出した右手にある札を握りしめ、その機会を土方は見逃さぬよう女を見据える。だがその間にも女に追い込まれ、土方は後退りで路地に入り込んでいった。あまり奥に追い込まれては逃げることが難しくなる。土方は焦り、どうするか必死に考える、そんなところに。


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