「それって、そんなに重要か?」
………は?
「え?」
びっくりして、俺は思わず顔を上げてしまった。俺もぽかんとした顔をしていたと思うけど、土方も負けず劣らずぽかんとした顔をしていた。
土方は続ける。
「だってよぉ。初めて会ってから数ヶ月しか経ってねぇだろ?なのに何でも知ってるわけねぇだろうが。知ってたら逆にこえーよ」
「あ…」
「けどよ、この数ヶ月でなんとなくてめぇの性格はわかってきたと思うぜ。いつもだったら人のこと適当にからかってくるくせに、今日はおとなしいから“お前らしくねぇ”って思ったんだよ」
「……」
ざぁざぁざぁと
耳に五月蝿かったはずの雨の音が気にならなくなった。
土方の、少し掠れた低めの声のみがやけにクリアに聞こえる。
「過去は今のお前を作り上げたもんだ。だから、過去を関係ないことだとは言わねぇ。けど、俺が出会ったのは“今のお前”だ」
綺麗な、藍色の瞳が俺を見ている。
柔らかい、優しい表情を俺に向けている。
ゆっくり、しっかりと、薄桃色の唇が言葉を紡いでいく。
「“今のお前”が俺の知ってるお前だ。のらりくらりしながらもどっか芯がまっすぐ通ってるのが、俺の知ってる“今のお前”だ。けど、今日は芯すら今にも曲がっちまいそうに傾いてるように見えるぜ。違うか?」
「……」
「何があったか知らねぇけど、“今のお前”が雨降ってんのに傘もさしてなくて、“今のお前”が泣きそうで、“今のお前”が曲がりそうになってんなら」
「“今”俺の傘に入れてやって、“今”ハンカチでもくれてやって、“今”支えてやることが、大事なんじゃね―の?お前の過去とか全部知ってることは重要じゃねぇと思うんだけどな…。んなのこれからいくらだって知れるだろ?」
「…ひ、じかた…」
土方の言葉が、俺の心の深いところまで染み渡っていくようだった。
“今”を、土方は“今”を見てくれてるんだ…。
相手をすべて知ることが重要じゃない。
“今”何ができるか。“今”何をして欲しいのか。
“今”のことを考えることが大事なんだって……。
俺も“今”を見てていい?“今”土方が好きだっていうこの感情を抱き続けてもいい?お前の言葉を借りれば、“今の土方”は過去も内包して“今の土方”だから。“今の土方”を好きになることは“過去の土方”まで好きになったってことだよな?例え過去を知らなくてもさ。
…土方。
お前、すごい。
俺の気持ち、一気に軽くなった。
「…まだ、曲がりそうか?……俺にできることあるか?」
「…」
まだ心配げに俺の顔を覗き込む土方に、軽めに笑ってやった。そして「肩貸して」と言って、土方の薄めの左肩にぽてんと頭をのっけて。
「じゃあ…支えてて……。“今”、俺のこと支えてて…。……もう、曲がりそう…」
そう、土方に言った。
俺の声がいつもの調子を取り戻しつつあるのに気づいたんだろう。土方はほっとしたように小さく息を吐いて、呆れたように、でもすっげぇ柔らかい声音で「しょうがねぇな」と言ってくれた。
隊服が濡れるのにも構わず、土方の右腕が俺の背中に回るのを感じた。ぽんぽんと宥めるように背中を叩かれ、雨で濡れた頭を撫でられた。
まるで、子どもにするような扱い。でも、ちっとも嫌じゃなくて。…むしろ心地よくて。
やっぱり土方は母親っぽい。母親なんて俺はよく知らねぇけど。
…あ―…、気持ちいい。
好きだ。土方が好きだ。
ゴリラが何だ、真選組が何だ、誕生日が何だ!
土方が好きだって気持ちなら、絶対に誰にも負けない。
だって…。こんなに愛しい……。
俺は。
どうしても土方が愛しくて仕方なくて、ついに土方の細い体にしがみついてしまった。
土方は驚いて、左手に持っていた黒い傘を離してしまった。途端に雨が俺たちを包み込む。
「っ、万事屋?」
驚いた土方の声がしたけど、俺は聞こえない振りをした。頼む。今だけ、こうしてて…。拒まないで……。
「…クリーニング代、請求するからな」
そんなことをぼそっと言って。
土方は今度は両腕を俺の背中にまわして、背中をさすり、頭を撫でてくれる。
雨は止め処なく降ってるのに、律儀に俺を支え続けてくれる土方。
ああ、もう、
…だいすきだよ。
雨が 気にならない。
雨のニオイも
雨に濡れて纏わりつく髪の毛も着流しも
雨の音も
土方の煙草のニオイと仄かに香るコロンのニオイが
着流しの上から感じる土方の手の平が
とくんとくん…と規則正しく鳴るお互いの鼓動の音が
俺を安心させてくれて
長年嫌いだった雨すら土方と一緒なら嫌いじゃない
無力な“昔の俺”じゃなくて過去を経た“今の俺”を見てくれる土方が一緒なら
雨だって 好きになれそうだ
なぁ、土方
俺、進むことにしたわ
亀の歩みかもしれねぇけど、やめないことにしたから
また出直して、今度は格好よくしてさ
お前に猛烈アタックしてくから
覚悟しとけよな
とりあえず、今日のところは。
「好き」の言葉はまた次にとっておくとして。
「ありがとう」を君に。
続