―それは、いつものように宮殿内を散歩している途中、偶然会ったジャーファル様と挨拶を交わしている時のことだった。
「君は…!」
ジャーファル様に用事があったらしく駆け寄ってきた文官さんが私を見て目を見開いた。
「知り合いですか?」
ジャーファル様が首を傾げて私達を交互に見る。
「すずりだろう?クプのとこの!」
「……あっ!」
クプ、というのは私を拾ってくれた商人さんの愛称。 そしてこの人は、私がこの世界に来たばかりの頃、初めて貿易について行った先で出会ったクプさんの昔馴染みのお兄さんだ。
「ターヤさん!」
「ああ、やっぱり!奴隷商人に浚われて何処かの国で匿われているらしいとは聞いていたがまさか此処にいたとは!」
いやいや本当に良かった!いい国だろうここは!しかしなんでそんな格好…せっかく若いんだからもっと女の子らしい服装をだな…それから…
こちらが口を挟む暇もなく喋り続けるターヤさんに相変わらずだなぁ、と苦笑する。
ジャーファル様も呆れたように頭を抱えているし。
「ところでだ、すずり」
「はい、なんでしょうか」
「同僚が一人酷い鼻炎に悩まされていて困ってるんだ。それから夜も眠れてないようでな…そうだ、すぐに連れてくるからちょっと待っててくれ!」
失礼しますっ、とジャーファル様に頭を下げて去っていくターヤさんをポカンと見送る私とジャーファル様。
「…何一つ返事をしていないのに何か話が勝手に進んでいたような気が…」
「…彼は優秀なのですが人の話を聞かないという短所がありまして」
「ああ…ええ、そうでしたね」
はあ、と息を吐いて空を見上げる。
あ、あの子この間の黒鳥だ。
「それより、ターヤとはどういう…?」
キョトり、と不思議そうな顔で問いかけるジャーファル様に私を拾ってくれた商人さんの知り合いなのだと説明すれば成る程、どひとまず納得してもらえた。
「では、鼻炎とあなたがなんの関係が?」
「関係、と言うか…」
なんて説明しようかな、と悩みながら口を開くとターヤさんが一人の青年の手をつかんで走ってくるのが見えて、私は静かにその口を閉じた。
―鼻炎と不眠で悩んでいる人間を走らせるとか鬼かなにかか?
「こら、廊下は走らない!」
「すみません!すずり、こいつなんだが」
ジャーファル様の言葉にピシッと姿勢を正して謝るターヤさんはすぐにその姿勢を崩し息を切らせている青年を私の前に差し出す。反省してないな、この人。
「え、っと?」
「彼の知人のすずりと申します。鼻炎と不眠に悩まされていると聞いたのですが…」
「は、はいっ。鼻が苦しくてなかなか寝れなくて…」
「…そんな人を走らせちゃ駄目じゃないですか、ターヤさん」
呆れるようにターヤさんを見れば後頭部を掻きながら目を反らされた。まったく、子供か。
「そ、それよりだリズク。すずりはマッサージが得意でな、体のツボに詳しいんだ。確か鼻炎を治すツボも知っていた筈だから押してもらったらどうかと思ってだな?」
「ほ、本当ですか!?」
誤魔化すようにわざとらしく話題をかえるターヤさんにそれを胡散臭い目で見るわけでなくパッと顔を明るくさせる彼は恐らく純粋な人なのだろうと思う。
「効果は人によって違いますし効いても一時的な物ですがそれでもいいですか?」
はい!と頷くリズクと呼ばれた青年…いや、少年、だろうか。よく見れば若々しい顔つきをしていた。
不眠による隈のせいでわからなかったけども私より若いはずだ。
「それではどこか部屋に…」
「ああ。何か必要なものはあるか?」
「出来れば布を一枚。後は椅子があればどこでも大丈夫」
―さあ、久しぶりのお仕事だ。
▽
椅子に座ったリズクさんの足元に座り、椅子よりやや低い高さの台に乗せられた足の裏を前に元の世界から持ってきてあった木の棒…ツボ押しを握りしめる。
「痛かったらすぐに言って下さい」
そう言いながら足裏にあるツボを刺激していけばすぐにあがる悲鳴。ここは…肝臓か。
「い、いた…っ、いたいです!」
「うーん…お酒はよく飲みますか?」
「の、飲めません…」
「では過労や栄養不足が原因…まあ、後者ですね。しっかり休めないと病の原因になりますよ?」
そう言いながらも足の指…鼻のツボをマッサージしていく。悲鳴を我慢している様子が痛々しいけれど我慢してもらうしかない。
自分も足裏マッサージを経験したことがあるターヤさんは笑いながら、見学を申し出たジャーファル様は不思議そうにそんなリズクさんを見ている。
「さてと…鼻は、どうですか?」
「え…?」
暫くマッサージをした後にリズクさんを見上げればキョトンとしながらこちらを見た後にハッと目を見開いた。
「苦しくない!」
「ならよかった…先ほども言いましたが一時的なものなので、また苦しくなったら言って下さいね」
それから…と立ち上がって自分の顔に指を当てる。
ここと、ここと、ここ。
そう言いながら幾つかの箇所を指で押せばサイブさんも同じように自分の顔に手を当て私が示した場所に触れる。
それが少しだけ間抜けで小さく笑ってしまった。
「鼻づまりによく効くツボです。
あまり酷くないようならこれで対処出来ると思います」
「あ、ありがとうございました!」
バッと立ち上がって頭を下げるリズクさんの頭をターヤさんに頭をガシガシと撫でまわし、良かったな、と笑う。
人の話を聞かないという短所があるものの、ターヤさんは基本的に兄貴肌で人に好かれる質だと聞いたし、確かにそうだとも思う。
仕事がある、と去っていく2人を見送りながら、私はさてどうしたものかとジャーファル様と部屋に2人きり、という今の状況に頭を悩ませるのだった。
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