君の努力と幸福な未来

やっぱりすごい人なんだなぁと改めて思う。
同時に自分の平凡さも思い知らされてひどく悲しくなった。
迷惑をかけたくないのに。重荷になりたくないのに。
相応しくありたいと願っているのに、どうしてこうなってしまうんだろう。

目立った成績もなく、だからといって追い出されるほど落ちぶれてもいない、まさしく平均的な位置にいる花咲はそうやっていつも自分なんかとは比べものにもならない、優れた彼のことを尊敬する。
だからこそ彼の恋人に自分が選ばれた理由が未だによくわからないが、それでも隣に立って恥ずかしくない存在になろうと決意した。

月島と恋仲になれた次の日から花咲は前よりも訓練や雑務に精を出した。
決してそれが突然強くなったり、頭がよくなるといった効果のあるものでなかったとしても彼なりに努力をしていけば軍曹の隣に立つに相応しい、芯の強い男になれると信じて。

それからロシア語の勉強を始めた。
異国の言葉というのは目にする機会もなかなかないのでいくら教本を読んでも頭に入ってこなくて困ったが、こんなところで諦めては自分を受け入れてくれた彼に顔向けできないとひたすら教本を読み漁った。

あまりに夢中で勉学に励むものだから行動を共にしていた宇佐美と尾形は苦笑する。
あんなに自分はできない奴だとへこんでいたのに、次にはできる男になりたいと無我夢中だ。
そんな彼のわかりやすい行動を二人は羨ましがるとともに密かに応援した。

今の自分はできる人たちから見たら滑稽だろう。
効率なんて考える頭がないから一本道で進んでいる。自分を平凡だと呼んだ人たちは頑張った分だけ報われるはずもないと思われているかも。
それでもいい。周りにどう思われようとあの人のために頑張る自分を、少しずつ好きになれている。
全部、あの人のおかげだ。
はやく成長してあの人の隣に立てる男にならなくては。

そう思っていたのに。

「花咲、聞いてるか」
「あっ、はい」

本当にどうしてこうなるのだろう。

夜のわずかな自由時間。各々が責務から一時的に解放されて穏やかな時間を過ごす中で花咲は緊張で強張った体をびくりと震わせた。
目の前にいる大切な人、月島は教本とにらめっこしながら怪訝そうな顔をしている。

「疲れているなら今日はもうよそう」
「いえ、大丈夫です。続けてください」

花咲が促すと月島は机に広げた教本を指しながら、ここはこう書くんだとか発音が難しいから気をつけろとか為になることを言ってくれているのに、どうにも耳をすり抜けていってしまう。
二人きりになるのは初めてではないのにこんなにも苦しいのは彼の気を休める時間を奪ってしまっているからだろう。

花咲と月島が付き合いを始めてから三ヶ月が経った。
寒かった冬は終わり、春は一瞬で過ぎ去ると、夏が訪れる。そういっても北海道の夏はさほど暑くない。いつもより少し蒸すぐらいで熱中症で倒れる者も数名しか出ない。
夜になれば風は冷たく通って兵士たちの疲労した体を癒した。

夜風が吹き抜ける廊下の隅で二人はたまに落ち合った。
お互いの部屋に誘うことはなんだかこそばゆくてできなかったが、暗い廊下の端、月明りも通らない燭台だけが頼りのその場所はわずかな時間だけでも二人きりでいることを許してくれているようだった。

花咲は人目につかないよう周囲を気にしながら廊下を進む。逸る気持ちに合わせるように足取りも軽くなる。
時間が惜しい。あの人を待たせてしまう時間が。

「軍曹殿」

薄暗闇にも目が慣れてきた頃に彼の姿が見えてきて急ぐ。冷たい風が頬を撫でた。

「すみません、待ちましたか」
「いや、今出てきたところだ。気にしなくていい」

きっと待っていてくれたろうに。
ふと微笑む彼の前ではそれ以上言い返せず、中途半端に視線を逸らして「はい」とどうにか答えた。

月の明かりから隠れるみたいに、彼のいる場所には影がかかっている。そっとその影の中に足を踏み入れると、夜の一部になったみたいだ。

自分がずっと思っていた人と恋仲になるというのは不思議な感覚で、嬉しいのに恥ずかしくて、なんだか前より目を合わせずらくなった気がする。

それに訓練中はいつも通り接してくれている彼の、全てを受け入れて許してくれているような、こんな自分でもいいと背を支えてくれているような、そんな優しい笑顔を前にすると頭の芯まであたたかくなって、うまく口が回らなくなってしまう。

困った。花咲は月島とぽつぽつととりとめもない話を交わしながら、この幸福な時間をどう過ごせばいいのかわからない。
居ても立っても居られずに逃げ出してしまいたい自分と少しでも彼と共に居たい自分がいつも心の中で喧嘩して、ぐちゃぐちゃになってしまう。
片想いしていた時には感じなかった気持ちだ。
でもこれもきっと彼を好きだからだろう。好きすぎて、変なんだ。

「そういえば最近はどうしたんだ」
「最近ですか?」
「なんだか、頑張っているみたいだったから。俺の手伝いにもよく来てくれる」
「ああ、それは……」

少しでもお役に立ちたくて。言おうとしてはっと口を噤んだ。
彼にそう伝えればきっと「もう充分役立ってくれている」と言ってくれるだろう。お世辞ではなく、本心からそう言ってくれる。

でも、と花咲は逡巡する。
ここで優しくされたらきっと甘えてしまう。そんな弱い自分はいらないんだ。
彼の隣にいられるのは、彼と同じぐらい強い人だけ。

「……あの、別にそうでもないです。いつも通り、自分なりにやっているだけですよ」
「そうか?」
「はい」

嘘をついたわけじゃないとずきりと傷んだ胸を押さえながら笑う。
このぐらい頑張って当然だから、と付け加えると頭にぽんと彼の手が乗った。それからぎこちない動きで撫でられる。慣れていないとすぐにわかった。

ちらと彼のほうを見るとさっと視線を逸らされてしまった。
燭台のわずかな明かりでも彼の頬が染まっているのがわかる。同じように顔に集まってきた熱を感じながらも、嬉しくてつい笑ってしまう。

彼はいつも自分を律して周りをひっぱる頼りがいのある人だ。
そんな彼をかわいいと思ってしまうことを、今この時だけは許してほしい。
自分だけの月島軍曹殿。
そう思うことも、どうかこの夜だけは。

「あ、もう時間ですね」
「ああ、そろそろ戻らないとな」

二人きりの時間はすぐに過ぎ去ってしまう。
部屋に戻ろうと言ったもののお互いに動けず、その場に立ち尽くす。
時間が惜しい。明日まで彼に会えない。話もできない。それがこんなに辛いことなんて。

「じゃぁ、また明日」

きっと彼のほうから別れを言い出しづらいだろうと思って、花咲は一歩引いて月明りの元に戻るとぎゅっと強く目を瞑ってから無理に笑ってみせた。
彼の前で弱い自分は見せたくない。もう少し一緒にいたいなんてわがままが口から出てしまう前に部屋に戻ろう。
そう思って踵を返そうとし。

「花咲」

不意に手を引かれて、花咲は月島の元に引き戻される。
軽い衝撃に目を閉じると背中に腕が回る感触がある。心音が聞こえるほど月島の体が密着し、その新緑の瞳が間近にあって花咲は息を飲んだ。
抱きしめられている。
そう思うと一気に体中が熱くなって、耐えきれない。

月島から告白を受けたあの日に接吻を交わしてから、まだ一度もこうして互いの体温を感じるほどの行為をしたことがない。
免疫がなさすぎると月島は笑うが、花咲にはそういった経験がまったくないのだから当たり前だ。慌てて彼の肩を押す。

「あ、あの、待…っ」

体が離れた瞬間、ゴトッと床になにかが落ちた。
二人で視線を落とすと、それは花咲の読んでいるロシア語の教本だ。

「これは……」
「あ、いえ、あの…違うです……」
「ロシア語を学んでいるのか?」
「いえ、あの…は、はい……」

目の前に教本があっては嘘はつけない。
大人しく頷くと月島はそれを拾って頁を捲った。中にはびっしりと文字が書き足されている。
どうにも勉学の才がないので、そうして別の本から得た補足も入れておかないと覚えられないのだ。
最後まで頁を捲り終えると月島は本を閉じた。そして花咲をまっすぐに見やる。
その瞳はすでにいつもの軍曹の色を取り戻している。

「よし。なら俺が教える」
「えっ」
「明日から俺の部屋に来てくれ。この時間を使えば効率的に学べるはずだ」

彼に相応しい男になるために、彼の時間を奪う。花咲はそれが嫌だった。
役に立ちたくて頑張っていたのに、迷惑をかけることになるなんて。
けれど月島の意思は固いらしく、どこからやろうかと独り言を言いながら明日の計画を立てている。
花咲はもう泣きたい気分になりながら自棄になって頷いた。

そうして月島との幸せな時間が勉学の時間に変わってしまってから数週間が経過した。
彼の言う通り、人に教わるというのはただ文字を目で追っていた頃に比べれば何倍も分かりやすく、あまり頭のいい方ではない花咲でもなんとか覚えられるようになってきた。
それは嬉しい。彼の役に立つ自分に一歩近付いた気分だ。

けれど問題もある。それは月島の心を休める時間が減るということだ。
前のように二人きりで会ってはいるが、その内容が勉学ではどうしても軍曹と上等兵という立場を崩せず、彼も前のように優しく笑うことがなくなってしまった。
もちろん事がうまく進んだときは褒めてくれるが、それは他の者にもそうしているような、特別なものじゃない。

頭を撫でたり、抱きしめてくれたあの時とは全く違う、いつもの月島軍曹だ。自分だけの彼ではない。

「それは嫌じゃないんだ。俺なんかの面倒みてくれて嬉しい。うれしい…のに……」

嬉しいのに、どうしても恋人同士の関係とは違うような気がしてしまう。
わがままだ。わかっているのに。

はぁと大きな溜め息をついた花咲を隣で見ていた宇佐美が嫌そうに眉を寄せた。

「ちょっと酒保にいるのにそんな暗い顔しないでよ」
「うまいもんもまずくなる」

ついでと言わんばかりに金を酒保長に渡している尾形が追撃してくる。
うっと口元を押さえて花咲はようやく下げていた頭を上げて彼らを見やった。

「ごめん、二人とも……」
「まぁ、花咲のそれには慣れてるけどね」
「最近みなかったのに、また再発してやがったのか」
「そんな病気みたいな言い方……」
「いや、病気でしょ。自分のこと責めすぎて頭おかしくなってるんじゃないの」
「糖分が足りてねぇんだ」

おらと乱雑に投げられたあんぱんをどうにか受け取って封を切る。
隣の二人も同じものを食べながらめんどくさいと言いたげにしていたが、だからといって話を強引に終わらせることもなく、花咲が話し始めるのを静かに待っている。
二人とも優しいなぁとしみじみ思いながらあんぱんをかじった。

「俺が悪いんだ。教本を落としてしまったから。でもまさか教えてくれるなんて思ってなかった……」

こっそり勉強してこっそり習得して驚かせたかった。
驚いて目を見張った後にきっと彼なら嬉しそうに笑って頭を撫でてくれる。
そのあたたかな手を感じながら、また一歩彼に相応しい自分になれたことを誇らしく思う。
……そうなれると思っていたのに。

「でも軍曹から言ってきたんでしょ? なら甘えちゃってさっさと覚えれば?」
「それができたらいいけど…俺は頭の出来がよくないから、覚えるのにも時間がかかるんだ」
「それで最近遅くまでなんかやってたのか」

尾形の言葉にぎくりとする。
彼の言う通り、月島との勉強会が終わった後も花咲はこっそり床を抜け出して、蝋を使ってしまうのも悪い気がして月明りを頼りに勉学に励んでいる。
そうでもしないと覚えられそうもなかった。自分の覚えが悪いとまた彼の時間を浪費してしまう。
構ってもらえて嬉しい反面、それが辛い。

「遅くまで起きてるのはいいけど、最近ちょっと頑張り過ぎてるよね。少し休んだら?」
「でも…俺はまだ……」
「宇佐美が他人を心配するなんて滅多にないことだ。素直に受け入れておけよ」

とんと肩で小突かれて花咲ははっとして頷いた。
たしかに宇佐美が自分にそう言うことを言ってくれるのは珍しい。
なんだか嬉しくて彼のほうを見ると「もう戻るよ」とそっぽ向かれてしまった。

「あ、尾形、金は」
「いい。貸し一つな」

あんぱん分の金を出そうとする花咲を制止して、尾形は楽しそうに笑みを浮かべた。
「ありがとう」と返すとひらりと手を振った。

酒保を出て行く二人の背を追いながら花咲はあたたかい気持ちになっていた。
二人と出会えてよかったといつも思っているけれど、今日は本当に感謝を伝えても伝えきれない。自分の重くなりすぎた心を救ってくれるのは彼らだ。さりげなく支えて、見返りもいらないと言う。

後で二人になにか買ってこようかな。
そんなことを思いながら廊下を進んでいると、休憩中なのか、数人が廊下の隅に集まって談笑している。
体をどうにか小さくしてその集団を避けながら横を通り抜けようとしが、飛び込んできた言葉に思わず足を止めた。

「あの凡人がお気に入りとは、軍曹殿の趣味は測り兼ねるな」
「そもそもどうしてあんな奴が月島軍曹殿に気に入られているんだ?」
「なんの取柄もない、つまらない男だろうに。なにがいいんだか」
「さあな。さっぱり分からん」

自分のことだ。直感的にそう思った。

まだ話を続けようとする彼らから逃げるように廊下を歩く。
どうか気付かれませんようにと祈りながら階段を駆け下りて、下の階に着く前に足から崩れ落ちた。突然の衝撃に目が眩む。どこかで打ったのか、わき腹がじんと痛んだ。

静かな昼の光を受ける踊り場で花咲は体を抱えながらじっと彼らの声が止むのを待つ。
強く、つよく目を瞑って、耳を塞ぐ。
こんなことをしている自分が惨めで、ひどく悲しかった。

数分経つと声は遠くへ消えていった。
止まっていた呼吸を再開する。肺に吸い込んだ空気が妙に冷たく感じた。

「夏なのに、変だな……」

言葉と共に涙が溢れた。軍服の袖を当てて声を隠す。
情けない。日本男児がこんなことですぐに泣くなんて。心の中でいくら自分を罵倒してもぼろぼろ流れてくる涙は止まらず、木目調の踊り場に染みを作る。

結局、自分は弱いままじゃないか。
彼を思って、彼の隣に立つためになんて仰々しい理由を掲げてみせても、同じじゃないか。

何事も平均的。とりわけ目立った所のない、気弱な自分。
そんな自分を好きだと言ってくれた彼のために、たくさん努力した。彼の大切な時間をもらってまで、頑張った。
それなのに、関係ない第三者からの言葉でこんなに揺らいでいる。
元の気弱で内気な自分が顔を出してきて、やっぱり無理じゃないかと囁いてくる。

無理じゃないか。彼の隣に立つなんて、相応しい芯のある男なんて、無理じゃないか。
最初から分不相応だったんだ。わかっていただろうに。
他人から批判されようと堂々としていればいいのに、できないじゃないか。
そんな弱い男が彼に相応しいはずがない。
泣き虫な自分のことなんてきっと呆れて捨ててしまう。
いつまでも涙を拭いてもらう関係なんて、恋仲とは言わないんだ。

俺はこんなにもよわい。

必死に努力して忘れようとしていた気持ちが溢れてきて、小さな嗚咽と共に涙を流した。

▽▲▽

なんだか変だ、と思う。

月島はいつも通り花咲にロシア語を教える為に自室の机に教本を開いて待っていた。
けれどいくら待ってみても彼は現れない。はぁ、と短いため息を漏らす。こんなことがもう何日も続いていた。

始めに違和感を感じたのは梅雨が明けて夏の日差しに輝きが増したあの日だ。
彼は約束通りに自分の部屋に来たが、どこか態度がよそよそしくて変だった。それを遠回しに指摘してみても「そんなことないです」と目も合わせずにか細い声で答えるだけだ。

この頃の彼は本当に頑張っていると思う。
自分のことだけでなく、月島が困っているとすぐに気付いて、どんな雑用でも手伝ってくれる。彼が自分を想ってくれていた頃からそうだったが、この頃はどんな小さな機微も見逃さないし、誰もやりたがらないような業務も受け持ってくれている。

それに加えてロシア語の勉強も始めた。
まだ覚えていないことを恥じてか、月島には隠していたようだけれど、それもこの間、彼との別れがどうにも惜しくて咄嗟に抱きしめてしまった時に判明した。
床に落ちた教本を見たときは自分の知識を活用して花咲の役に立てるじゃないかと嬉しくなったのを覚えている。
そんな熱意に気付いてなのか、彼も月島の期待に応えるように日に日に異国の言葉に馴染んでいっている。そんな成長を傍でみることができて喜ばしかった。それなのに。

「なにかあったんだろうか……」

机に広げた教本たちを片付けながら呟く。
誠実な彼が自分との約束を断りもなしに無下にするとは思えない。
もしなにかあったとしたらあの日だと月島は彼の揺れる瞳を思い出す。

彼を指導してきた身として、最近の彼は少し頑張り過ぎている気がする。体力だってそこまであるほうではないはずだ。訓練で精いっぱい実力を出そうとするのはいいことだが、それ以外の部分も彼はかなり負担を負っている気がする。
体力的にも精神的にも限界が近いのではないかと思うものの、それを本人に伝えて少しでも休むよう言おうとすると彼はさっと月島の前からいなくなってしまう。
業務の手伝いの話題以外で最近は言葉さえ交わしていないと気が付いて月島はまた溜め息をつきたくなった。

避けられている。
理由はわからないが、なにか気に障るようなことを自分はしてしまったかもしれない。
思い当たるものとしては、急に抱きしめてしまったことだろうか。奥手な彼にはきっと急すぎたんだ。
だが月島も自分がそんなことをするとは思ってもいなかった。ただ寂しげに微笑んで去ろうとする彼を引き留めたかった。あともう少しだけお互いを感じていたかった。
その結果がこれとは。こめかみに指を押し付ける。今度こそ溜め息をはく。一人きりの部屋に重く響いた。

もしもう二度と前のように密かに会うことさえできなくなって、ろくに話さえ交わさなくなってしまったら。
そう思うと胸が痛む。そしてこんなにも相手を思っている自分に改めて気付かされる。

「……寂しい、のか……」

ベッドに横になりながら自分の胸にそっと手を当ててみる。
こんな気持ちがまだ自分の中に残っていたなんて知らなかった。いや、きっと隠していたんだ。ずっとずっと忘れたふりをしてきた、心の中に残るわだかまりのようなこの気持ちを。

花咲を好きになった。恋をして、思い合って、次には避けられることを寂しく思って。

自分はこんなにも感情豊かだったろうか。彼との関係が少しずつ忘れかけていた自分を引き出していってくれているんだろうか。それなら嬉しい。
内気な彼が思いを打ち明けてくれたように、自分も良い方へ変化していっているなら。

明日、きちんと話し合ってみよう。

彼の気持ちも分からないまま、離れていってしまうなんて嫌だ。
お互いに意識して変化していったこの関係が、悪いものなんかじゃないと。少なくとも自分は望んでいるのだと彼に伝えなくては。そして彼がどう思っているのかも、聞かなくては。

強い決意と共に目を閉じる。
きっと明日にはいつもの優しい笑顔をみせてくれると信じて。

次の日、北海道にしては蒸し暑い朝だった。
じわりと滲む汗の感触を煩わしく思いながら花咲の姿を探して廊下を進むが、なかなか出会えない。
いつもならこの辺りにいる時間なのにと不思議に思っていると宇佐美と尾形の姿が見えて足を止めた。彼らなら居場所を知っているかもしれない。

「二人とも、少しいいか」

こちらに振り返った二人に花咲のことを聞いてみる。すると互いに目を合わせてから気まずそうに首を振った。
仲のいい二人でも知らないとなると、本当に見当がつかないなと肩を落とすとおもむろに宇佐美が手を上げる。

「軍曹殿、頼みがあります」
「ああ、なんだ」
「花咲のことなのですが、少し休むように軍曹殿から言ってもらえませんか」

珍しく、彼は頼りなげな表情でそう言って小さく溜め息をついた。
自分たちが何度言っても聞かないんですと付け足すと尾形も身を乗り出してくる。

「あなたが強く言えば花咲も聞くかもしれません」

彼らのこんな顔を見るのは初めてかもしれない。純粋に、心配している顔だ。
月島は少なからず驚いていた。
三人はたしかに仲がよく、恋愛相談をするような親しんだ関係だ。しかしまさかこの二人が自分に他人のことで頼みごとをするなんて。

「ああ、わかった。あいつのことは任せてくれ」

頷いて廊下を後にする。

あいつのことは任せてくれ。
もう一度自分に言い聞かせるみたいに心中で呟く。
きっと彼のことを支えられるのも、彼が安心してその身を預けてくれるのも自分しかいない。
だからこそ、話をしなくては。彼の口から彼の言葉で聞かなくては。

渡り廊下に出ると太陽の光が眩しいぐらいに照って、つい目を細める。手を顔の上にかざしながら日を見上げていると、向かいの戸口から足音が聞こえてきて視線を降ろした。
はっとする。花咲だ。
強い光で揺らめく蜃気楼の向こう側から花咲が歩いてきている。
その腕の中で山積みになった書類に視界を奪われているのか、こちらには気付いていない。
ぐっとつばを飲み込んでから歩み寄った。

「花咲、手伝おうか」

どうせまた誰かの手伝いをしていたのだろう。
その書類の半分を手にして運びながら話をすればいい。
そう思ったが、彼は立ち止まらずふらふらした足取りで目の前を過ぎていってしまう。咄嗟にその肩に手をかけた。

「待ってくれ。俺はただ話を……。花咲?」

肩を掴んでまで話しかけたのに花咲はこちらに振り向かない。
どこか様子が変だ。いくら距離を置きたいと思っているからといって人を無視できるほど冷たい奴じゃないはずだ。
思わず、もう一度名を呼ぶと、彼はゆっくりと振り返った。その顔色は驚くほど青白く、一瞬でいつもの彼とは様子が違っていると分かる。突然、体がぐらりと揺れた。

「花咲!」

倒れ込むその背を咄嗟に受け止める。書類が風に舞って地面に落ちていく。
花咲は月島の腕の中でぐったりと身を預け、気を失ってしまっていた。暗く窪んだ目元から原因は明白だ。
彼の身を慎重に抱え上げると、月島は傍にいた兵士に医務室に行くと伝え、その場を去った。

医務室に向けて廊下を進みながらも、心臓がばくばくと音を立てて落ち着かない。
自分の腕の中にはまだ眠ったままの花咲がいる。

このまま話もしないうちに別れるなんて。
いや、ただの過労だ。いつかは目覚める。
こんなことになる前に俺が。そもそも普段からもっと傍で。

色白の彼からより人間的な色味がなくなって、黙ったまま目を閉じている姿を見るだけで、いつもはうるさくない脳内がぐちゃぐちゃになってうまく思考がまとまらなくなる。

焦るな。花咲はきっと大丈夫だ。落ち着け。
何度も自分に言い聞かせながら月島は医務室の扉を開けた。

▽▲▽

気が付けば、医務室のベッドの上にいた。
少し前まで書類を運んでいたことは覚えているが、その後のことがすっぽりと頭から抜けてしまっている。
なにか、声をかけてもらった気がする。誰かが必死に自分を呼んでいた気がする。あれは誰だったろうか。

ゆっくり上体を起こす。窓の外はすでに暗くなり始めていた。ちょうど食事時なのか、自分以外には誰も部屋にいない。ほっと息をはいて壁にもたれる。
最近あまり睡眠の時間をとれていなかったので、ゆっくり眠ったのは久しぶりだ。
けれどどうして医務室で寝ているんだろうか。首を捻ると同時に扉が開かれた。

「花咲」

月島の声が聞こえて花咲は背筋を伸ばした。
すぐに彼は自分の元までやってくると硬くなっていた相貌を崩す。

「よかった、起きたのか」
「軍曹殿、あの、自分は……」
「ああ、朝方、急に倒れてな。今まで一度も起きずに寝ていたものだから、心配した」

安堵に肩を落としながら彼は傍の椅子に腰を下ろしてこちらの顔色を窺うように見つめてくる。
その瞳が本当にこちらを案じる様子なので、花咲は申し訳なくなって毛布の上に置いた自身の手に視線を落とす。ぎゅっと拳を握った。

「すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いや、いいんだ。元はといえば俺が悪かった」
「え?」
「お前にもっとはやく休むよう言うべきだった。無理をしていると知っていたのに、倒れるまで気付いてやれなくて悪い」
「いえ、そんなこと……! 悪いのは全部自分ですから!」

まるで自分が身を傷めたように眉をひそめて頭を下げた月島を花咲は慌てて制した。

自分の限界も知らずに馬鹿なことをしたのはこちらなのにどうして彼が謝っているのか。
訳が分からないが、自分なんかのために彼に頭を下げられると申し訳ない気持ちで消えたくなる。
そうじゃなくても最近避けていた相手が自分を心配して心を痛めてくれただけで心苦しくて仕方ないのに。
そういえば彼とこうして二人きりで話をするのは久しぶりだ。
前は夜になったら会うこともあったが、最近は周りに人がいる時に業務のことを聞くだけで他の話はほとんどしていなかった。

そう思うと余計に緊張して体に力が入る。
握った拳に爪が食いこんでしまうほど強張った姿に気付いてか、月島はそっと花咲の手に自身の手を重ねた。急なことに瞠目する。
こんな風に触れられたのはいつ以来だろう。
あの夜の日に感じた彼の体温を思い出すだけでまた涙が滲んできそうだった。

「正直に言うと、俺はお前の考えていることがよく分からない」
「え?」
「この間まで傍に居たがっていたのに急に距離を置いただろう」

まっすぐな言葉に思わず口を紡ぐと、彼はそれを肯定と取ったようだった。
一瞬、切なげな視線が逸らされたが、すぐにまた花咲を映した。真摯な眼差しに動けなくなる。

「俺のことを嫌になったか」
「そんなことありえません」
「なら、どうして」

薄く開いた窓から隙間風が通って夜気を運んでくる。冷たい風を背に受けながら、必死に言葉を探した。
彼に見放されない、つよい言葉だ。呆れられたり、馬鹿にされたりしない、そんな言葉を探して。けれど結局なにも見つからなくて、ただ俯くしかなかった。

「俺はお前と付き合えてよかったと思っている」

真っ白なシーツの上で固まった拳を彼の手が包み、優しく握られる。

「お前が傍に居てくれたおかげで思い出せた。俺の中にも誰かを好きになったり、傍に居たいと思う気持ちが残ってたってことを」

彼の声は夜を照らす月のように優しくて、花咲は伏せていた目をそっと向けた。
こんな自分に彼がどんな顔を向けているのか、怖かった。
けれど不思議と久しぶりの彼のあたたかな声音に誘われて、気付けば顔を上げていた。

「お前が俺を好きになってくれてよかった。俺がお前を好きになれて、よかった」

笑っている。あの、自分の大好きな優しい微笑みを向けてくれている。
ぱた、とシーツに丸いシミができた。気が付けばそれは雨のように降り注いで、次々に模様を増やしていく。
ああ、また泣いてしまった。弱い自分をみせないようにと気を張っているつもりだったのに。

「どうした、大丈夫か」

驚いて目を丸くしながらも月島はベッドの上に身を乗り出して、花咲の背を撫でてくれる。
その手の動きにさえ涙腺を刺激されて、花咲は思わず両手で顔を隠すように押さえた。

「軍曹殿、は…悪くないんです。俺が悪いんだ……。俺が弱いから…なにもできない奴だから……」

きつく目を瞑ってみても涙はその隙間から押し出されていくように止まらない。
手の内を伝ってシーツの上へ落ちていく様が自分の惨めな姿と重なっているようで嫌だった。

「俺は…相応しくなんだ……今のままじゃ、あなたの隣にいられない……」

震える喉の奥からどうにか言葉を絞り出す。
本当はこんな自分を見てほしくなかった。
いつの日かもっと立派な男になったときにこそ、彼の傍に戻りたかった。
そうしてもう周りからなにを言われようと崩れない自分になりたかった。

そう思っていたのに、なぜか自分は今ベッドの上にいて、彼に心配されている。
望んでいた未来とは全く違う結末に情けない気持ちが湧いてきて止まらない。このまま消えてしまいたい。
けれど背に回る彼の手の温度に、あの日の夜自分を抱きしめてくれた時と同じ熱を感じて、どうしても動けなかった。このままずっとこうしていられたらいいのにと、あの時と同じことを思う。
このままの自分ではいけないのに。それでも変わらずこの人は優しいから。優しくてあたたかくて涙が出るんだ。

「俺はお前が相応しくないとは思っていない。それに、そう感じている奴と付き合ってやるほど優しくもない」
「けど、俺は…あなたの負担になりたくないんです…。もっとお役に立ちたい…。それができないから…迷惑ばかりかけて……」

次々に隠していた気持ちが溢れる度、細くなった体が震えた。
負の感情ばかりが増え続けて、またそれを吐き出そうとした花咲の唇にふと月島の指が置かれる。思わず口を噤むと指が離れ、代わりに薄い唇がその輪郭をなぞるように優しく、触れた。

「もう黙れ」

言葉とは裏腹に彼の表情は柔らかくて、花咲の言葉を聞いて彼の内向的すぎる面を怒るでも蔑むでもなく、告白を受け入れた時と変わらない、穏やかな表情だった。
慈しみさえその瞳の奥にはあるように思えて、花咲は咄嗟に顔を背けようとしたが流れるようにベッドに押し戻されて、それどころではなくなった。
横になった自分の上に彼がいる。
状況がいまいち飲みこめないうちに彼の手がシャツの下を這い、その間に何度も口付けてくるものだから息をするのも困難だった。
戸惑っている間にも彼の手は鎖骨から腹を下り、腰へ落ちた。自身の傍を撫でられただけで体がびくつく。

彼が、あの軍曹殿が、自分に触れている。
それだけでも頭がどうにかなりそうだ。
先程までのぐちゃぐちゃした思考はどこかに飛んでしまったが、次に来た刺激はあまりにも強すぎて引いていた涙の波がまた押し寄せてくる。ぐにゃりと歪んだ視界に彼が映っている。

「嫌か」

目の縁に溜まった雫が彼の指に掬われる。
違うと答えようにもうまく息継ぎができず、もどかしくて彼の背に自分の腕を回した。ぎゅっと強く抱きしめると、頬に唇を寄せられる。

「辛かったらすぐ言うんだぞ」

月島の指が花咲の中に入りこんでくる。ぐっと息が詰まって腕に力をこめると、宥めるように涙で湿った塩辛い唇を彼の舌で舐め取られる。

接吻を交わしている間にも自身の腹の奥の方でうごめく圧を感じて勝手に眉が歪む。
その度に労わるような口付けが降ってきて、花咲は自分が感じている熱が彼のものか自身のものなのか、次第に曖昧になっていく。

舌が離れる。互いを繋ぐ糸が月明りに光っている。その先を辿れば、翡翠色の瞳と目が合った。その奥に劣情が見え隠れして花咲はまた体が熱くなるのを感じる。

「軍曹、殿…もう……平気ですから……」

耐えきれなくなって花咲は自分から月島に口付けた。
彼のものはすでに服を押し上げるほどに高まっている。それなら自分が役に立てるはずだ。それに自分も彼を感じたい。
そう思っていることに驚いた。少し前まで自分は相応しくないと嘆いていたのに。
どうしてだろうと考えていたが、突然内臓を圧迫されるほどの熱の塊が自身を押し上げて思考が散った。

「ッ……!」
「花咲、大丈夫か。一度抜こうか」
「へい、き…ですから……そのまま……」

好きに動いてほしい。あなたが心地いいように。
そう思っているのに月島は慣れない感覚に体を硬くする花咲の頬を撫でながらじっとしている。
懸命にこちらの名を呼びながら時折触れるだけの接吻をする彼の姿に胸を突き上げるような気持ちが溢れて涙になる。

きっと彼がこんな風に体を合わせたいと思っているのは自分だけで、こんな風に感じてくれるのも自分だけで、どんなにダメな自分でも手を伸ばしてくれるのも、心からの優しさで包みこんでくれるのも彼だけだ。
俺が彼を思うように、彼も俺を思ってくれている。こんなにも愛してくれている。
どうして忘れていたんだろう。嫌われないように必死になりすぎて気付けなかったけれど、彼は最初から自分のことを大切に思ってくれていたのに。

「つき、しま…っ、ぐんそ、……っ」
「花咲…っ」

随分長い間慣らしていたからか、それほど痛みもなく彼の動きに合わせて甘い衝動が駆け上り、花咲は嗚咽を漏らしながらもどうにか彼の背を抱いていた。
自分の中で感じている彼を見るのが幸せで、他の誰にも見せない彼をこんなにも傍で見ることができるのは自分だけなんだと思うと胸がいっぱいになる。

「すき、です…っ…あなたが好きです……っ」
「ああ…俺もお前が好きだ。お前だけを……」

汗ばむ互いの体を強く抱きしめながら、同時に熱い精を吐き出して二人はもう一度口付け合った。その甘い余韻に浸る暇もなく、花咲はそのまま眠りについた。

目を覚めすともう辺りは真っ暗になっていた。
もしかしたらそろそろ朝が来てしまうかもしれない。
ぐったりとだるい体をどうにか起こすと、ちょうど月島が部屋に入ってきたところだった。

「ああ、花咲。起きたのか」
「軍曹殿……」

ぼうっとする頭でそちらを見れば部屋から持ってきたのか、彼の手にはシャツが乗っている。あれは自分のだ。
どうしてと思っているうちに先ほどの記憶が戻ってきて花咲は慌ててかかっていた毛布を引っ張った。そうして顔まで埋めてしまわないと恥ずかしくて穴にでも埋まってしまいたい気分だった。

「体の調子はどうだ」
「……平気です」
「着替えを持ってきた。シーツは洗っておいたし、点呼にはいけないと伝えておいたから気にするな」
「……はい、ありがとうございます」

シャツを受け取りながらも俯いたまま視線を合わせられないでいる花咲の顔色を窺うように月島が身を屈めて覗きこんでくる。
慌てて顔を上げると、彼は不安そうに眉をひそめた。

「俺を嫌いになったか」
「え、どうしてですか?」
「前にお前を抱きしめた時も、今日も、急にいろいろとしてしまったから。俺がそんなに自制が効かない奴だと思っていなかっただろ。だから呆れたかと思って」

月島はバツが悪そうに手を首に回しながらそう言うが、花咲からしてみればどれも嬉しいことだ。自分と離れたくないから抱きしめてくれて、自分を愛したいと思ったから手を出してくれたんだ。それはこの体が痛いほどわかっている。

「俺はどんなあなたでも好きです」

改めて言うと数時間前の自分を思い出してしまって、照れくさくて窓の外の月を見上げていると少しの間の後に大きな溜め息が聞こえてきた。同時にベッドが揺れる。
思わず視線をやると、傍に立っていたはずの月島がシーツの上に深く腰掛けていた。

「そうか…安心した……」

自身の胸に手を当ててもう一度大きく息をはくと、彼は心底安堵しきった表情をして笑った。つられて花咲も笑みを浮かべる。

「どうしてそんな心配してたんですか…?」
「いや、ここに来る前に別れ話でもされるかもしれないと覚悟していたから。そういうことはなさそうで、安心したんだ」
「変です、それ…。好きだとは言ったけど…別れようなんて、言ってないのに……」
「ああ、たしかに……。お前のこととなると、早とちりしがちなんだ、きっと」

そう言って苦笑する月島の姿が愛おしくて微笑むと、そっと口付けられる。
毛布を掴んでいた手を握られて、肩が上下した。

「お前も早とちりしすぎだ。俺だってどんなお前でも好きなのに、今のままじゃいけないと躍起になったりして」
「すみません……」
「俺のために自分を磨こうとしてくれたことは嬉しく思う。けどな、倒れてしまうほど頑張りすぎるのはよくない。お互いのためにも」
「お互いの?」

握っていた手を引かれて花咲は毛布を離して導かれるままに彼の左胸の上に手を置いた。
胸の上で、もう離さないというように強く手が繋がる。

「お前が倒れたとき、酷く胸が痛んだ。このまま起きなかったらと思うと辛かったんだ。だからもう無茶なことはしないでくれ。それがお互いのためだ。そうだろう?」

自分が倒れたときのことを思い出したのか、悲しそうにする彼に何度も頷き返す。彼が悲しむようなことはしたくない。
そこで月島はようやく肩の力が抜けたという風に力なく手を離すと、花咲の胸に雪崩れこんだ。
慌てて受け止めると、月島は首筋に一度だけすり寄った。

「今度から無茶をしていると思ったらすぐに声をかけるからな。お前も素直に休むように」
「はい、お手数おかけします」
「ああ、好きなだけ俺に迷惑をかけろ。好きなだけ甘えろ。それが恋人というものだろう」

彼の言葉につんと目頭が熱くなるが、どうにか堪えて代わりに彼を抱きしめ返した。「はい」と答えた声は震えていなかったろうか。

やっぱりすごい人なんだ。
俺の悩みなんてすぐに吹き飛ばしてくれて、前へ向くようにと言ってくれる。
些細な事ばかり気にせずに甘えていいと抱きしめてくれる。
不安な夜には好きだと言って口付けてくれる。
なんていい人なんだろう。
わかっていたけれど、こんなにも思ってくれているなんて、俺が思いを伝えなければ気付けなかった。
俺の告白をこの人が受け入れてくれなかったら、俺はこの人がこんな風に優しく笑うことを知らないままだったんだ。

「軍曹殿」
「どうした?」
「俺はやっぱりあなたが好きです」
「俺もお前が好きだ」
「俺を好きになってくれてありがとうございます」
「お前こそ、俺に恋してくれてありがとうな」

どちらからともなく口付けて笑い合う。

今日のことは二人には話せない。
俺と月島軍曹殿の秘密だ。
これからもたくさん二人きりの秘密は増えていく。きっとそれは幸せなことだ。

月が薄明りの中に消え、太陽が昇り始めている。
この幸福な時間がずっと続くようにと祈りながら、二人で朝日が昇る空を見上げていた。




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