8-4
振動が体の芯まで伝わるほどの暴風。
人間の耳で受け止めきれないほどの轟音が暴れるなか、二人の女性だけが凛と立っていた。
一人は、腰まで伸びた銀髪を後頭部でひとくくりにしている青瞳の女性。砂埃が立ち込めるなかで、彼女の髪は輝きを失うことなくきらめいている。
もう一人は、暗い紫の髪を肩にかからない程度の長さで切りそろえている女性だ。うなじから前にいくにつれて長くなるようカットされており、そのすべての毛先が内側に向かって几帳面に巻かれている。いくら強風にあおられても、髪自体が意思を持つかのように定められた角度へきちんと戻っていく。
お互い少しのあいだにらみあっていたが、やがて紫髪の方が口を開いた。
「なぁ、イリア。昔のよしみでここは見逃してくれないか? 大丈夫、これくらいで世界がどうこう変わったりしないさ。ただ実験をしたいだけだよ。わかるだろう?」
イリアは少し目を細めた。
「……お前も、勘違いしているのか」ため息まじりに吐き捨て、目線を外した。「私がここに来たのは、私がこの世界の総管理人だからではない。お前が……カナタが、私の友人だからだ」
理解できない、と言いたげにカナタは顔をゆがめた。
「何をくだらないことを……いったい何年前の話をしている」
「問題なのは時間の経過じゃない。旧友が目の前で道を踏み外そうとしているのを見逃すのは、私の知っている正しさに反する」
「道を! 踏み外すだと!! 違う。わかっていないなイリア。私は誰も踏んだことのない道を、今まさに創っているんだよ!」
「多くの犠牲者を敷きつめてできた道を、か?」
イリアの言葉を受け、カナタは一度ゆっくりと呼吸した。その目に先ほどまでの熱に浮かされた様子はなく、彼女の精神は存外まともに見えた。
「……なぁイリア。私にもわかっているさ。この道が健全なものとは言えないことくらい。けれどもう、ここまでやってきてしまったんだ。今更辞められない。終わってからであれば、罰はいくらだって受けよう。処刑だって喜んで受け入れるさ。本当だ。ただこれだけ、最後のこの実験だけ、完璧に実行したいんだ。失敗ならあきらめる。私にできることをなんだってして償おう。だから頼む。これだけ……許してほしい」
「その最後の実験、というのは……」
「本体とリバーシの、融合」
イリアは口もとに手を当てて思案した。
リバーシとは、本体、つまり人間からうまれるものである。
人間が外に出さない感情や想い、こうありたいという理想、そういった目に見えないすべてを総括させ人の形を成したもの。本体からしてみれば分身のようなものだが、本体側はその存在を認知していない。
なぜなら、外に出さない感情たちは「隠したい」ものだから。自分でも見えない意識の内側に押しのけ、最初から無かったものとして生活していく。また理想というのは、今の自分にないから憧れるのであって、自分の中にあるものならばそれは理想とは呼ばない。
ゆえに、本体から切り離された存在であるリバーシが、その本体と融合することはありえない。存在意義の否定になってしまう。
だが理論上、もともとひとつだったものをまた合わせるだけの話だ。可能性だけの話をするならば、可能、なのかもしれない。
ただし可逆性は証明されていない。融合するメリットも見当たらない。リバーシは、本体の中にあると不都合だから、切り離されたのだ。
その切り離された感情たちが暴走しないよう監視・管理するのが、イリアの「管理人」としての仕事だった。
「ひとつ聞きたいんだが、目的はなんだ? 私には必要性が見当たらないのだが」
「あぁイリア。わからないよな貴様には。融合する目的をききたいなら、そんなものはないさ」
「……ない、だと?」
「そう。融合すること自体が目的だから。私はそれが可能だということを、証明したいだけ。ほかの誰でもない、この私が」
「なるほど。たしかにわからんな」
カナタの感情に寄り添えない以上、話し合いは平行線だとイリアは悟った。
その時イリアは、自分の中に冷たいものを感じた。初めての感覚だった。
「……水」
イリアの、彼女らしくない小さな声に、カナタはいぶかしげに首をかしげた。
「うん。すこし雪交じりの水だ。感情でたとえるなら、悲しみと、少しの寂しさ」
「何の話だ」
「今私の中に感じる魔力」
イリアは悲しんでいた。友人として話ができないというのなら、管理人としてカナタを始末するしか道はない。
できるならば、その選択は取りたくなかった。だからここまで直接出向いてきたのだった。
しかし、どうやら駄目らしい。
イリアは目を閉じ、ため息をひとつつく。己の中で渦巻く無力感を、息とともに吐きだす。
目を開け、カナタを見据える。やるしかない。覚悟を決めて魔力を練りだした。
その時、緊張感のない声がするりと入り込んできた。
「お、イリアとカナタ見っけ」
二人の間に突如現れた、緑髪で長身の男性。カナタが目を見開いた。
「トキヤ……ッ!」
「ひさしぶりー。もう二人とも、俺のために争うのは辞めてよねっ」
「お前の名は一度も口にしていないが」
イリアが冷たくあしらうが、トキヤは意に介さない様子でイリアに向き直った。
「あぁ悲しまないでイリア。みーんなの願いが叶う方法がちゃんとあるよ」
「なんだそのうさんくさい言い回しは」
「いやぁ、ちょっと考えたんだけどね。試してみようと思ってさ」
「何をだ」
「融合」
あっさりと言ってのけたトキヤに、今度こそイリアも驚きを顔に出した。
トキヤはイリアと同じく、リバーシと本体のバランスを調整する役割を与えられている存在だ。イリアはリバーシのいる鏡界側、トキヤは本体のいる人間界側から同時に監視している。同じ立場にいるトキヤがそれを言ってしまってよいものだろうか。
しかしイリアの逡巡は一瞬で終わった。
残された時間はほぼない。イリアとしては、融合の可否にはさして興味がない。しかしそれが現状起こっているトラブルを収める可能性だというなら。それを同じ立場のトキヤの口からも出るというなら、やってから考えるのは悪い考えではないように思えた。
いや、悪い考えでないと思いたかっただけかもしれない。できることなら友人を手にかけたくないという思いが、思考に偏りを作っている可能性は十二分にある。たどり着きたい事実のために逆算して行動を選ぶなど、自分らしくもないなとイリアは少しだけ口の端をゆるめた。
「思ったよりドラゴンの力も強まっちゃってるみたいだし、このままじゃ俺の管理する人間界にも影響ありそうだからね」
「それで珍しく首を突っ込みに来たわけか」
「うんまぁ、それ半分」
トキヤはひらりと軽やかにターンし、イリアとカナタの顔を見比べた。そして軽薄な笑みを浮かべる。
「このメンツなら面白いことできるんじゃないかなーってのがもう半分!」
イリアとカナタは怪訝な表情でお互い顔を見合わせる。それなりに付き合いの長いイリアにも、トキヤの真意はわからなかった。
***
「で、こっからどーやって帰んの?」
暗闇の中、気楽な調子で賢斗がつぶやく。相変わらず姿が見えるわけではない。声のみが空間に存在していた。
まずはこの状況から脱出しないことには話が進まない。光一はカナタとのやりとりを思い出していく。
「オレ多分、さっきもおんなじのやったんよな」
「え、これって光一がやったの?」
「ちゃうわ。さっきはアレや……カナティーがやった。今回のは多分お前」
「あは、やっぱ俺かー」
賢斗のほうも予想はしていたらしい。いたずらがバレた子供のような口調で少し笑った。
「てことは闇魔法? 関係なんだろうなとは思う。でも意図的にやったわけじゃないから俺も戻し方わかんねーよ」
「んーいや、さっきもムリヤリ出た。からなんとかなるやろ」
光一は先ほどカナタの闇魔法に囚われた時同様に、胸に感じるあたたかな感触を探した。首に下げたペンダントトップの形を具体的に、可能なかぎり繊細に思い描く。
闇の中で、わずかに光が生まれた。
「こーやって、炎をイメージすると出てくんねん! あ、炎ちゃうか、光の魔力って言っとったな、ヒカルが」
「あー、闇の反対だからってことね」
光一の雑な説明に、賢斗は納得したように相槌を打つ。
会話によって脳が刺激されたのか、光一の中にひとつの考えが生まれた。
「せや! お前ん中で闇の魔力出とんねやったら、光も出して相殺したらええんちゃうの?」
「で、それをどうやって出すわけ」
「いや知らん。ノリ」
「ノリでできるか。感覚的すぎ」
提案はあえなく却下されてしまった。そうは言っても実際、光一本人も感覚でやっているのだからそれ以上に説明のしようがない。
落胆ののち、今度は違う考えが浮かんできた。イリアに渡されたビンの存在を思い出したのだ。闇の中でズボンのポケットあたりを探ると、冷たい硬い感触があった。
「もしかして、そのためのコレか……?」
「コレって?」
「光ドラゴンのウロコをな、ここ来てすぐ取ってきたんよ。それこそお前のリバーシと」
「……へー」
ケントの話は、賢斗からするとばつが悪いらしい。明らかに声のトーンが下がった。
表情も仕草も見えないのに、今は賢斗の考えていることがほんの少しだけわかる気がした。
それは今まで光一が意識して見てこなかったからなのか、賢斗の方がふっきれて感情を隠さないようになったのか。細かい理由はわからない。ただの気のせいなのかもしれない。
「アレやで、リバーシの方のケントは腹立つけど、悪い奴ちゃうよ」
「うわ、やめろ。気を遣うな。あいつを受け入れられない俺がまるで心狭い奴みたいじゃん」
「ひねくれすぎやろ。めんどくさ」
フォローするのもアホらしくなり、それ以上は触れないことにする。
どうせ戻れば嫌でも顔を合わせることになるだろう。
光一はビンを取り出し、蓋をはずす。
中には薄白く発光する液体が入っている。香りはしない。
このビンを渡されたとき、イリアは「飲ませるか傷口に塗るか、とにかく体内に入れろ」と言っていた。この空間は賢斗の体内と言えるのか。実体ではなく概念的なものに感じるが、どうなのだろうか。
どうしたものか少しの間思案するが、答えは出なさそうだった。光一はビンを逆さにし、中身の液体をその場にこぼしてみる。
こぼれた液体の周辺が一瞬、ひときわ強く輝いたが、すぐに元の暗闇に飲み込まれてしまった。
「……どうや?」
「……どうもないけど」
「……まぁ、せやんな」
ダメ元での行動だったので期待はしていなかったが、特に効果は見られないようだ。
あわよくばこれで賢斗の中にいる闇の魔力を消すことができればよかったのだが、さすがにそう簡単にはいかないらしい。
「とにかく、闇と光で相殺したらええらしいからな。お前もがんばって光の魔力出そうとしといてや」
「マジでお前、人に教えんの下手すぎ。なんもわからん」
「しゃーないやろ。……てかお前が助かるために言うてんねやけどな!」
「アリガトウゴザイマース」
心のこもっていない礼にため息で返し、光一は再び、自分が抜け出すための魔力を練ることにした。
光を思い描く。コツはなんとなくつかんだので、うまれた光を慎重に大きくしていく。
光一の願うとおりに光は輪郭を広げていき、優しい熱を発する。いける、と光一は思った。
「……光一、ごめん」
ぽつり、と賢斗の声が聞こえた。
「なにが?」
もう光は充分大きくなり、最初ほど集中しなくても大丈夫そうだ。
流れに身を任せるように魔力を練りながら賢斗に疑問を返した。
「わざとひどいこと言った。ごめん。あと、助けようとしてくれてありがとう」
光が大きくなるのを感じるたび、賢斗の声は徐々に遠ざかる。やはりカナタの時と同じく、光一の魔力によりこの空間から抜けかけているようだ。
頭も少しぼんやりしてきた。眠る直前、夢と現実の狭間でただよっているときの感覚に近い。
「あー、おう。…………まぁオレも殴ったし……」
改めて素直な謝罪と感謝を述べられ、途端に恥ずかしさを感じた光一は自身の行動も謝ろうとする。
しかしふと、賢斗の言葉に違和感を覚える。
"助けようとしてくれて"なんて、少しおかしい。
それじゃあまるで……。
「さっきはいろいろ言ったけどさ。俺も、光一には死んでほしくない」
光一は言葉を返そうとしたが、声が出ない。
かすかな賢斗の声のみが一方的に聞こえる。
「だからさぁ、この闇を抜けたら」
光と熱が強くなる。
「すぐ俺のこと殺せよ」
真っ暗だった視界が、すべて白に変わった。
最初に感じたのは足にかかる重力。
左右の手、指先がぴくりと動く。
頬をこする粗い風。
ゆっくりと目を開けると瞳孔が光を吸い込む。
ぼやけた視界に黒い塊。
徐々にそれらの解像度が上がり、黒い塊は巨大なドラゴンであることに気付く。
地面には数多の氷塊。そして悠然と広がる空。
「……空?」
「光一さん!」
すべてを遮り、眼前に紫色の大きな瞳が現れた。
光一はとっさのことで声も出せず、反射であとずさる。驚きで早まった鼓動が、全身に素早く血液を送っていた。
「……ッッくりした、セレナ……」
「はい、セレナです! おかえりなさい光一さん!」
「えと……」
急激に大量の情報を得られた光一の脳は混乱し、動きがにぶる。
どうやら無事に帰ってこられたらしいが、状況は先ほどと変わっていた。
塔の最上階にいたはずだ。しかし部屋を覆う壁や天井といったものはほとんどなくなっていた。それらは巨大なものによって壊され、氷漬けの床のみが残されている。もともと光一たちがいた部屋は、開放感のある屋上へと変わっていた。
振り返ると、見覚えのある顔がたくさん並んでいる。
「よ、よかったーーーー!! ホントに戻ってきた!!」
「おししょーさまの言ったとおりでしたね!」
「へぇー、《コンフィーネ》から抜け出せるんだ。やるじゃん光一」
「ニーナ、マロン……トキヤ!?」
この塔に来る途中で別れた仲間たちと、この場に来ていないはずのトキヤまでもが何故かそろって立っていた。
「おつかれー。楽しそうなことになってきたから来ちゃった。ついでだし、お休み中だったみんなも連れてきたよん」
「お休み中だったみんな」というのは、ヒカルが言っていたニーナとマロン、そしてケントのことだろう。
ブイサインを出すゆるい雰囲気のトキヤを押しのけ、イリアが前に出てきた。
「よくやった。だが時間がない。手短に説明するぞ」
一体自分がいない間になにが起こったというのか。光一はイリアの言葉を待った。
「奴はもう暴走状態だ。意思はほぼ残っていないだろう」
「ヤツって……賢斗か? でもオレさっき……!」
「話してきたんだろう、わかっている。さっきまでお前がいたのは闇魔法《コンフィーネ》で作られた空間だ。魔法使用者の内側、精神世界のようなものに閉じ込められる。だから使用者とのみ、意思で会話することが可能なんだ」
なんとなくそんな気がしていた光一は、軽い相槌を打つのみで先を促す。
「本来自力で抜け出すことはほぼ不可能な魔法だ。お前が抜け出せたのは、光魔法を使えるからだろうな。あの中で何をしてきた?」
「なにって……なんかイロイロ……話して……、炎出すときとおんなじ感じでブワーってやって……」
光一の声を遮り、ドラゴンが巨躯を震わせて咆哮する。
それだけで大気は揺れ、瓦礫が放射線状に飛び散った。
イリアたちの言う《コンフィーネ》に入るまでは、賢斗は人間にドラゴンの羽と尾が生えたような姿だった。しかし目の前で吼えるドラゴンに、最早親友の部分は残っていない。
その体躯はゆうに5メートルは超えるだろう。ドラゴン、と、この世界で使い慣れた名称で呼びこそするが、それはこれまで戦ってきたようなトカゲに近い形のものではなかった。
細く長い胴体を、まばらに鱗が覆う。蛇に4本の脚と羽根、頭部には巨大な角が生えたような形状だ。どの部位も歪で、荒々しい突起が外に向かっている。昏く紅い瞳が、鋭くこちらを見据えている。その目を見た途端、光一は身体の芯から温度が消え去るのを感じた。
その目が映すのは感情ではない。ただ純粋で、壮絶な敵意。それのみだった。
目の前の敵を認識してしまい立ち尽くす光一の肩に、誰かがうしろから軽く触れた。
「とにかく今は、ドラゴンの沈静化が最優先だ」
「……! お前は……!」
肩の衝撃で正気に戻った光一が振り向くと、そこに居たのは賢斗が「カナティー」と呼ぶ人物。先程光一自身も話を交わし、そして決裂したカナタだった。
「カナティーお前、どのツラ下げて……!」
「……十数分のうちに随分と親しみを込めて呼んでくれるようになったものだ。彼と会話できたというのは本当みたいだな」
「おかげさまでもうムリそうやけどな!」
「まぁそう突っかかるな」と、カナタは落ち着いた対応で光一の怒りを受け流す。「この段階に来て、私と君たちの目的は交わった」
相変わらず直接的ではない表現のカナタに、光一は鋭い目線で返した。
「わたしの目的は、わたし自身の仮説が正しかったことを証明すること。君の目的は、友人を助けること。そうだろう?」
「…………オレは、そうや」
「そのふたつを達成するために、すべきことはひとつ」
カナタの言葉に続いた声は、彼女のものではなかった。
「俺様と、本体であるあいつを融合させることだ」
いつも余裕な態度をひけらかす彼に似合わない、苦悶の表情を滲ませたケントだった。
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