Reversi小説 | ナノ



8-3

 握った拳には、最早どちらのものかわからない血がついていた。握る力も、最初ほどはなくなっている。小指側は打撲か骨折か定かではないが痛みと共に腫れ、指の付け根にある関節部分は皮膚が裂けている。

 そんな状態にあってもなお、光一は賢斗への攻撃を辞めようとはしなかった。
 血だらけの拳を振るってくる光一に、賢斗は少し熱のこもった瞳を向ける。

「ってーな……殴るしかできねーのかよ、頭悪すぎだろ」
「そんなん言われんでもわかっとるわ! でもお前とケンカすんのに、剣も魔法もいらんやろ!」

 素早く返された光一のその言葉に、賢斗は何かを思ったようにわずかに目を見開いた。

 しかしそう言った直後にまた光一の拳が飛んできたため、その仕草も一瞬だ。賢斗は攻撃を避け、自身から伸びたドラゴンの尾を、光一たちをなぎ払うように器用に振り回した。

 それに対してはヒカルが前に出て、剣で弾く。
 賢斗(もとい賢斗のドラゴン部分)から発せられる闇の魔力はたしかに強力なものだが、一部分のみに集中すればヒカルの持つ光の魔力でも同等程度の出力はできる。
 この攻防の中ヒカルは賢斗の攻撃による闇の魔力量を見極め、ドラゴンの鱗と剣の刃が触れる瞬間に相殺できるように調整することを覚えたらしい。

 賢斗が面白くなさそうな顔でヒカルを見る。

「二対一ってさ、ヒキョーじゃね?」

 そうぼやく賢斗に、すかさず光一が反応した。

「お前かて今自分とドラゴンの二人みたいなモンやん。二対二やろ」
「んー……、たしかに?」

 光一の言い分に賢斗はゆるりと首をかしげる。こんな時でも緊張感の無い彼の態度に調子が狂いそうになるが、光一の怒りもおさまったわけではない。

 魔力による攻撃が効かなくても、人間部分を直接殴ることでダメージは与えられる。
 これは怒りに身を任せて殴ってしまってから後付けで光一が考えたことだが、どうやら解決法としては存外間違いでもないらしい。現に賢斗の体力は明らかに消耗している様子で、攻撃にも最初ほどの勢いはない。

 光一と賢斗の、攻防というにはあまりに無秩序なやりとりが始まってどのくらいの時間が経ったのか。正確に把握している者はこの場にいなかった。
 それぞれが緊迫した精神を保っていたために感覚が普段と違っていたのもあっただろうし、セレナが部屋全体に流れる時間を緩やかにする魔法をかけたというのも手伝った。
 彼女いわく、時間を完全に止めることはできないが賢斗のドラゴン化進行を少しでも遅延させることができるらしい。それを聞いた光一はまたとんでもないことを言い出したな、とは思ったものの、セレナの突飛な言動にも耐性がついたようでさほど驚きはなかった。

 賢斗は魔力で練り上げた氷の刃を飛ばしてきたりはするものの、基本的にはそこまで積極的に攻撃をしてくるわけではない。反発はあるが本気で光一たちに対して殺意を抱いているわけではなさそうだ。

「……なぁ、帰る気ィなったか?」
「ならねーって」

 目を細めて尋ねる光一に、賢斗はバッサリと否定を口にする。続けて呆れたように大きなため息をひとつついた。

「マジでお前さぁ……何? もういいじゃんほっといてくれれば。俺がどんな思いでこれまで生きてきて、今の状況が俺にとってどんなに自由か、お前にはわかんねーだろ?」
「わからんからずっと聞いとるやん。何考えてんねんて」
「いや、だからさぁ……」

 賢斗の方はもはや話し合う気すら起きないといった様子で、その場に座り込んでしまった。顔色も悪い。
 そんな状態になってもなお正面から本音を話したがらない友人を前に、光一の口からもため息がもれ出た。

「なんやねんお前ホンマに。何きいても逃げてばっかやん。話にならんわ」
「だから俺は最初から、お前と話すことなんかねーって」

 目線すら合わせず賢斗が吐き捨てる。光一がにらみつけると、賢斗はその視線から逃れるように宙を仰いだ。

「あーしつこい。マジで」
「先にしつこくしてきたんそっちやからな」

 言葉の意味がわからなかったようで、賢斗は光一を見てわずかに首をかしげた。しかしゆっくり話をしている時間はもう残されていない。このままのらりくらりと時間稼ぎをされてしまえば、賢斗は本当にドラゴンに呑み込まれてしまう。
 鱗の含有量が少しづつ増えていく親友の体を見て、光一は必死に頭を動かしていた。

 正直、賢斗がここまで強情だとは光一も思っていなかった。今までも、一緒に過ごしてきた中で軽い言い合いになることなら何度かあった。しかしそのたびに、意固地になる光一に折れてくれていたのは賢斗の方ばかりだった。

 折れてくれないというならもう仕方がない。一度賢斗を気絶でもなんでもさせてしまって、まずは抵抗を辞めてもらわなくてはならない。
 光一はうしろのヒカルとセレナに呼びかける。

「こうなったらブッ飛ばして連れ帰る。ドラゴンのことはそっから考えるわ。アイツの動き止めるの、手伝ってくれるか?」

 ヒカルはこくりとうなずき、セレナも「わかりましたー」とゆるやかな返事を返した。それと同時に彼女のステッキが光り輝き、その光はステッキを離れ賢斗の四肢へとまっすぐ向かっていった。拘束の効果があるらしく、賢斗はその場から動けなくなる。

 すかさずヒカルが飛びかかり剣を振る。まばゆい剣撃が賢斗に向かって飛んでいき、それを防御するためにドラゴンの尾が前に出る。
 そのタイミングで光一も賢斗の部分である左頬に一発、思いきり右拳を打ち込んだ。

「……っ!」
「もう一発!」

 光一はそのままの勢いで左拳も突き出したが、今度は賢斗の手で受け流されてしまった。
 抵抗し続ける賢斗に、光一はもどかしいような苦い気持ちを抱く。ふとお互いの視線が合うと、賢斗の瞳には強い怒りが映っているように見えた。

「マジでさ……なんでもキレて力づくで押し通せると思うなよ!?」

 賢斗が強い怒りを込めてそう言うと、彼の体から黒い靄が勢い良く噴出した。
 それを見たセレナが表情をかたくする。

「……! 時間遅延の魔法が解けました」

 賢斗から発生した黒い霧はみるみるまわりを飲み込み、やがて視界が閉ざされた。

「セレナ、ヒカル!」

 あわてて光一が仲間たちの名前を叫ぶが返事はなかった。
 やがてぷつりという、起動していたゲーム機の電源を切ったときのような音を最後に光一の視覚と聴覚は遮断された。
 この感覚は光一の記憶に新しい。嫌な汗が首筋を伝う。光一は再び、闇の中に閉じ込められた。



 闇の中では時間の感覚が狂う。
 おそらく数秒しか経っていないはずだが、光一にはそれがとてつもなく長く感じられた。
 闇から抜け出したくて手足をもがいてみるが、肝心の手足が意思通り動かせているのかもよくわからない。見えないと自分自身の身体のことすら把握できない。光一はパニックになりそうだった。

「……光一、いるのか?」

 ふいに、声をかけられた。賢斗の声だ。あちらも状況を把握しきれていないのか、いぶかしげな、少し不安の滲んだ声に思えた。
 自分以外の存在に安心して、光一は急いで返事をする。

「お、おう。おるけど、なんも見えんし動けん」
「こっちも。てか見えなすぎて自分が動けてるかどうかわかんねー」
「せやな。オレもそんな感じ」

 ついさっきまで殴り合いまでする険悪な状況だったのに、まるでいつものように会話してしまっている。突然の出来事に混乱しているからなのだろうか。
 数瞬遅れて、光一はその事実がなんだかおかしく思えた。賢斗に対して本気で怒っていたはずなのに、その気持ちも萎えてしまう。

 光一は少し冷静さを取り戻す。暗闇の中にいると普段より脳が活性化する気がする。
 この状況はおそらく、先ほどカナタにかけられた闇魔法と同じようなものだろう、と光一は予想した。ほぼ全ての感覚がなくなったことと、誰か一人の声だけがきこえること。類似点が多い。
 しかしカナタは自らの意思で光一を「閉じ込めた」ようだったが、声をきいたかぎり賢斗にそのつもりはなかったらしい。

「……さっきのさ」

 暗闇の中、しばらくの沈黙のあと賢斗が落ち着いた声をあげた。

「あん?」
「なんか、言ってたじゃん。先にしつこくしてきたのは俺の方みたいなやつ。あれなんの話?」
「あー」

 光一は少し前にかわした会話を思い出し、顔と耳が熱くなるのを感じた。このときばかりは、ここが暗闇であることに感謝する。
 「しつこい」と言われたからつい勢いで言い返してしまったが、本当はそんなことを言うつもりはなかった。賢斗に拒絶されたことがあまりに予想外で、動揺してつい本音が出てしまったのだ。
 ふいに口をついてしまった言葉だが、光一の中でそれは事実ではあった。

「ええやろ、その話は別に」
「いや気になるから聞いたんだけど」

 お互いの顔が見えないためか、先ほどより気張らずに話せる。今なら、もう少し落ち着いて会話ができるかもしれない。

「お前はさ、」

 光一がぽつりと賢斗に対して言葉を投げる。数秒待っても明確な返事はないが、おそらくきこえていると思う。光一は続ける。

「オレと違って、あんま怒らん奴なんやと思っとった。オレは思ったことすぐ口にも態度にも出てまうし、我慢とかようできひん。せやから、そーゆうの表に出さん奴がホンマは何思っとんのかとか、考えたことなかった。なんも言わんかったらなんも思っとらんって思っとった。ん? ……なんかややこなってきたな。あー、なんて言ったらええのかわからんねやけど」
「言いたいことはわかる」

 光一はめずらしく慎重に考えながら、ひとつひとつの言葉を目の前に並べるように口に出していく。慣れないことをしているせいなのか口と思考がこんがらかってきたところで、賢斗が小さく相槌を入れた。彼の相槌はいつも差し込むタイミングがよかった。だから話すのが苦手な光一も、比較的言葉を出しやすかった。きっといつもそうだった。

「オレこっちでな、ずっとお前のリバーシと一緒におってん。リバーシってわかるか?」
「カナティーから少しきいた」
「誰やねんカナティー」
「おりぴーのリバーシ」
「あぁ……」

 賢斗の言う「カナティー」に関しても聞きたい部分はあるのだが、今は一度飲み込むことにした。

「まぁ、ほんで、なんやったっけ。お前のリバーシな。顔とかはお前やねんけど、性格全然ちゃうやんな。びびったわ」
「はは、最悪。マジで」
「腹立つねん、ホンマに。むっちゃケンカしたわ」
「……だろうな」

 でも、と光一が続けようとしたところで、先に賢斗が言葉を重ねた。

「俺はずっとさぁ」

 小さく息を吸う音がきこえる。

「……誰といても正直しんどかった。本当の俺が何を思ってるかなんて、当然俺が一番わかってる。だから取り繕って、好かれるように振舞ってた。お前が俺のこと友達だと思ってたのだって、俺が気遣って優しくしてやってたからじゃん。そりゃ楽だろうよお前らは。快適に過ごせてるのは、誰かが我慢して接待してやってるからだろ。なんも考えずバカ正直に過ごしてるから気付いてないかもしんねーけどさ」

 光一はなにか返そうとしたのだが、言葉が出てこなかった。賢斗の言っていることはある意味では正解だと思ったし、ある意味で間違っているとも思った。しかしそれをうまく伝えられる自信はなかった。

 なにか、自分が言いたいことと賢斗の言っていることは根本的にズレている気がする。それがなんなのか光一につかめない。もどかしい気持ちで押し黙る。

「まぁ、もうわかっただろ。俺は別に、お前の理想のオトモダチじゃねーよ。自分より下だと思ったヤツを傍に置いて、優越感が欲しかっただけ。……自分で言っててもくだらねーって思うけど。でも多分そういうこと」
「ホンマにくだらんな」
「だろ。だから俺にこだわる意味ないって言ってんの。別に俺の代わりなんてたくさんいんだろ」

 賢斗の代わり。
 そのワードで、光一は見えていなかったなにかを掴みかけた。

 この世界に来てから何度か聞かれた。
 「なぜそこまでして友達を助けたいのか?」
 その本当の答えが、今自分の中で見えた気がする。

「お前、「イイ奴」なんだからさ」

 勝ち誇ったような、それでいて諦めたような賢斗の声色にまた少し腹が立つ。反撃するような気持ちで、光一も言い返すことにした。

「せやな。お前よりええ奴なんてなんぼでもおるわな。いっつも自分の言ってることが正しいと思っとるもんな、お前」
「……は?」

 賢斗の声に明らかな苛立ちの色が混じる。

「しかも口上手いからオレも反論できひんしな。イヤなタイプやんな」
「口上手いとかじゃなくて、事実俺が正しいからだろ」
「そーゆうとこやんな!」

 口論で勝てないのはわかりきっている。それでも光一の中で、会話する事しかできないこの暗闇で、だんだんと伝えたかったことが明確になってきた。
 思うままに言葉を吐き出す。

「あとテンション上がったらノリで無茶振りすんのウザい」
「……は? 急に何……」
「ほんでそのまま投げっぱなしもやめろ。振ったんならウケるように最後まで責任もてや」
「芸人指導?」
「あと笑い声ホンマにうるさい。耳キーンなるから近くで笑うのやめろ」
「いやそれはお前が面白いからだろ」
「お前のツボがおかしいだけや」
「じゃあお前もすぐキレんのやめろよ。物に当たんな、殴んな。デカい声出すな」
「それができたら苦労せんねんボケ!」
「はいキレたー。俺だって直せませーん。ホラ、俺の方が正しいですぅー」
「ホンマに腹立ってきた。こっから出たら絶対殴る」どこにあるのかも定かじゃない自分の拳に力を込め、光一は続ける。「けどやっぱり、お前の代わりはおらんよ。腹立つけどな」

 最後は誤魔化すような口調で、小さい声でぶっきらぼうに言い捨てた。賢斗から返ってくる言葉はない。

「別にな、お前がええ奴かそうでないかはどうでもよかってん」

 言いながら、光一は自分の言葉に納得していた。やっとわかった、根本的な自分の気持ちが。

「……なんやろな、泊まりで朝までホラゲーしたりとか、近所のムカつくおっちゃん家の郵便受けにデカい虫入れたりとか、真冬におりぴーと花火したりとか。そーゆう下らんお前との思い出は、お前としかわかれへんワケやん。別にそれはお前とでなくてもよかったけども、でも実際お前とやってきたわけやろ。なんかそーゆうことを、オレは言いたいねんけど。オレやっぱ話すん苦手やからうまいこと伝わらんかったらアレなんやけど、けどな!」
「……うん」

 歪に浮かんでくる言葉を必死に紡ぐ。けしてスムーズとは言えない光一の言葉たちに、賢斗は小さく返事した。

「初めて会った日、しつッこく話しかけてきたんは他でもない、お前やろ!?」
「……だからそれは、お前のことバカだと思ったからだって。現にバカだったし」
「おいバカは辞めろや!!」
「だってバカじゃん!! バーカ!!」

 いつも言えなかったけれど本当は言いたかったことが、たくさんあった。
 それは賢斗もそうだったんだと、光一は思った。

「オレは何回も絡むのやめろ言うたよ、学校なんか行く気ィなかったからな。あん時はホンマにうっとおしかったしな!」
「嫌がってんのわかっててやってたんだよ! お前に好かれようなんて思ってなかったし! 変な奴見っけたから遊んでただけじゃん!」
「ホンマに迷惑やったわ! けどなァ!!」

 内容も思い出せないような下らない話なら毎日していたのに。
 いつも深いところに踏み込めなかった。自分の深いところに、踏み込ませなかった。
 怖かった。知るのも、知られるのも。失いたくないものほど、慎重になる。

 だけど今、どのみち失いそうな状況なら。
 怖がる意味はもうない。

「ホンマに腹立つけど! お前だけやったんよ、オレに話しかけてくれたんは!!」
「……ッ」
「お前にとってはなんでもないことだったかもしれへんし、嫌がらせのつもりやったかもしれへん。けど、オレにとっては多分、あん時ああやって話しかけてくれる奴が必要やってんな!」
「いやでもお前、そもそも毎日学校来てたじゃん! ……そんなん、知らねーし」
「言っとらんからな! お前にドラハンの話されんかったらオレは学校なんか行っとらんし、誰とも喋らんと家から出んで生きとったよ。せやから勝手に感謝しとんねん、しとったんや、この二年間ずっと!!」
「……なんだよ、それ」

 光一と賢斗が出会ってから初めて、お互いが本音で話そうとしていた。

 この世界に来てから何度か聞かれた「なぜそこまでして友達を助けたいのか?」という問い。
 その「友達」に、光一と賢斗は今やっと本当の意味でなれた。光一はそう思った。

「せやからオレもしつこい言うてんねん、インガオーホーやんな! ちゃうか、ジゴージトク? なんかそんなかんじのアレやで、わかったかこのハゲ!!」
「ハゲてねーよバカ」
「オレは、お前がいない世界はつまらんからイヤやねん。ただそんだけやねん。ホンマに」
「…………マジでバカじゃん……お前」

 再会してからずっと、張り詰めたようだった賢斗の声が少しやわらかくなった気がした。つい勢いづいて頭に浮かんだことをすべて言ってしまったが、光一の方も開き直ったのかすっきりした気持ちだった。

「しんどいんやったら無理せんでええやん。お前は考えすぎやねんうっとおしい」
「言い過ぎてない? 悪いとこ出てるって」

 少しの沈黙。その後聞こえたのは賢斗のため息。
 それは今までのどこかあきらめたようなものではなく、ひと息ついて落ち着いたような印象を受けた。

「なーんか……どーでもよくなっちゃった。くだらね」
「せやろ。くだらんこと言っとらんと帰るで」
「お母さんかよ」

 何もないはずの空間に、風が吹いた気がした。



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