Reversi小説 | ナノ



7-3

 光一とヒカルもイリアを追いかけ、数分ほど階段を下った。単調な景色が続き目が回りそうだと光一が思い始めたとき、建物内にふわりと柔らかい風が発生した。同時に、花のような嗅ぎ慣れない香りがほんの少し漂う。またイリアが魔法でも使ったのかと思ったが、彼女の表情を見るにそういうわけでもないらしい。

 それらが 織原 おりはら カナタのものであることは、彼女の姿が目の前に現れてから気付いた。

「いらっしゃい」

 肩のあたりまで丸みを帯びたシルエットで切りそろえられた紫紺の髪が、風を受けて穏やかに揺れている。歓迎の言葉を発した声の主であり突如吹いた風の発生源、織原カナタは音もなくその場に現れた。

 光一にとっては人情深い性格の教師。それと同じ顔が、光の宿らない瞳で光一を見る。複雑な思いで光一もにらみ返した。

「数日ぶりだなカナタ。邪魔するぞ」

 イリアが自然な声色で挨拶を投げかけると、カナタは口の端を上げた。

「本当の意味で邪魔しに来たわけだな。べつに私が何をしようとお前には関係ないだろうに」
「ないわけあるか莫迦者。お前がいろいろ弄ったせいで鏡界と人間界の間に歪みが出来ているんだ。そういう綻びを治すのが私の仕事だ」
「……ふぅん。世界の調律師気取りか。優秀な人間は責任が大きくて大変だな」

 カナタはやれやれ、と芝居がかった表情で首をかたむけ手を振った。幾度かまばたきをしてから、彼女は流れるように視線を光一へとうつす。一瞬たじろぎそうになる光一だったが、表情には出ないよう奥歯に力を込めてその視線を受けた。

「やぁ、人間界からのお客人。君の友人にはとても感謝しているよ。彼が偶然こちらに来てくれなかったら、私の研究は文字通り机上の空論でしかなかった。証明できない理論ほど無価値で愚かなものは無い。彼が私の研究に価値を与えてくれた。いくら礼をしてもし足りないよ」
「何言っとるか全然わからん。賢斗はどこや」
「あぁ……人を見た目で判断するなと言うが、君はその見た目通り思考が単純そうだな。幸福度が高そうで羨ましい」

 いちいち回りくどくて嫌味なカナタの言い方に、光一は眉間のシワを深める。光一の知る彼女はもっと快活で、言動もストレートだった。もし出会った時の彼女がこんな物言いであったのなら、学校生活はもっと違うものになっていたかもしれない。

 しかし今はカナタ、もとい現実世界での織原を気にしている場合ではない。もはや懐かしいと思える学校へと飛びそうになった意識を、光一は再び異世界へと戻す。

「正直、ここまで来るとは思わなかったよ。友達想いなんだね、君は」

 カナタのその言葉は煽るようなものではなく、純粋に驚いているように感じた。しかし焦りをつのらせる光一に、悠長に答えている気持ちの余裕はない。カナタと対峙してからというもの、光一の背中はじりじりと火が燃えるような感覚に追われていた。

「賢斗は無事なんか!?」
「無事……というのが、取り立てて変化がないという意味なら無事ではない、と答えるな。もちろん命に別状はないよ、今のところは」
 回りくどい言い方に、光一の焦燥感と苛々が増長される。
「今のところは、って……お前は何がしたい!? オレらの世界にドラゴンを連れてきたんはお前なんか!?」
「口が悪い上に質問が多いな。君の友人はそんなに取り乱したりしなかったよ」

 声を出すことしかできない光一は感情をカナタにぶつける。対するカナタは、わざと話を進めないようもったいぶっているようにも思えた。

「ふふ、私の方はいくらでも君に付き合ってあげられるよ。今は機嫌がいいしね。順番にいくとしようか」

 カナタは歌うような調子で光一に応えた。しかしカナタが上機嫌であればあるほど、光一の中で説明のつかない不安が暴れていた。

「ひとつめの質問は私が何をしたいか、だったな。これはシンプルだ。私は、私の仮説が正しかったのかどうか、それを証明したい」

 シンプル、と言われても、光一は彼女の言葉が答えになるとは思えなかった。理科の授業を受けている時のような苦い顔を作ると、そうなることが見えていたかのようにカナタは説明を付け加えた。

「私の仮説は『本体とリバーシが融合できる』という一点。その方法をずっと探してきた。そして今行っている実験こそ、最も正解に近いと考える、私の中での本命だ」
「実験……?」
「この実験は理論上成功すると解ってはいても、それを試す術がなくてね。本体である君の友人がこちらの世界に来てくれた時は、やっと神に見つけてもらえたんだと歓喜したんだよ」

 まぁ、私は無神論者だけれど、とおどけたようにカナタは加えた。しかしいくら説明を足されても、彼女の言葉は右から左へと抜けていくように、いまいち光一の脳まで届いてこなかった。

「……融合の研究、やはりまだ進めていたんだな」

 しばらく口を閉ざしていたイリアが、落ち着いた口調でそう言った。それが聞こえたのか、早口で延々と続いていた独り言がぴたりと止まった。少しの静寂がフロアを満たす。

「……まだってなんだよ」

 ぽつりと、カナタの声が床に落ちた。

「お前にとっては取るに足らない下らない事実かもしれない。なにせ世界同士のバランスを取るのに大忙しのお偉いさんだからな。私ごとき平民が考えた戯言のような仮説に付き合っている暇なんて一秒だってないだろうさ」

 ふたたびカナタの口が回り始めた。低く落ち着いた声色ながらもまくしたてるような剣幕を孕んだカナタの言葉に、イリアはため息で返す。

「誰もそんなこと言ってないだろう。お前は昔から、一人で結論を急ぎすぎだ」
「黙れ。やっと見つけたんだ、なんでも知ってるお前が知らないことを。これだけは渡さない、私のものだ!」
「私にだって、知らないことはたくさんあるんだがな」

 そうつぶやいたイリアの顔には、どうしたものか、と思いあぐねるような表情がにじんでいた。ここまで困っているイリアを見るのは珍しいかもしれない。

 そんな問答を見て次に口を開いたのは意外にも、隣で押し黙っていたヒカルだった。

「随分と固執してるみたいだけどさ。《融合》って、そんなにすごいことなの?」

 それまでイリアへ向けられていたカナタの視線が、そこで初めてヒカルへと向いた。しかしそれは一瞬のことで、視線はすぐに興味なさげに外された。

「……固執、ね。まぁそうだな、知識のない子供にとってみたらよくわからないことに長年執着しているだけに見えるのかもしれないさ。」

 自嘲混じりの笑みでカナタはつぶやく。

「価値のわからない奴に説明する気はないよ。そんな言葉、今までも散々聞いてきた。別に理解なんてされなくてもいいんだ、私は正しかった、ただそれを私の中で証明できさえすれば……」
「いや、そうじゃなくてさ」

 またどこまでも行ってしまいそうなカナタの語りに、ヒカルが声を挟んで遮る。カナタは自分の言葉を途中で切られ、少し苛立たしさを滲ませた目でヒカルをにらんだ。

 ヒカルが何を考えているのか、光一にはわからない。もう一人の自分であるはずなのに、光一にはヒカルが何を考えているのか、何がしたいのか、わかることなんてひとつもなかった。ヒカルは、自分のリバーシであるはずなのに。

 そこでふと、光一はとあることに気付いた。

「あ……れ、そういえば」

 ヒカルとカナタの顔を交互に見たあと、イリアに向かって問いかける。

「リバーシと本体を《融合》させるって話なら、オレらが一緒におるのもヤバイんちゃうの」

 イリアが口を開くより先に、目ざとく反応したのはカナタだった。

「あぁ、もちろん君も『実験対象』としてちゃんと見ているとも。まさか貴重な《本体》が、揃って二人も来てくれるなんてね。私は最高に運がいいよ」

 実験に失敗は付き物だから、とカナタは当たり前のように続ける。光一は嫌悪感を前面に押し出した表情でカナタを見た。

「失敗って…………」
「それもわざわざ私の実験場までご丁寧に足を運んでくれて、本当にありがとう」

 どこまでも都合の良いことばかりすべるように出てくるカナタの口に、光一は心底怒りを覚えた。

「勝手なことばっか抜かしおってええ加減にせぇよ! オレらがこの世界に来たのはお前のようわからん実験に付き合うためちゃう、賢斗のケガを治したかったからや!」
「怪我……あぁ、魔傷のことか」

 カナタは再び口元に笑みをたたえて、目を閉じた。

「君の質問に答えるのがまだ途中だったね。そうそう、君の友人に魔傷を負わせたドラゴン。人間界で君たちを襲った『アレ』は、別に私が仕向けたわけじゃあないよ」
「えっ、じゃあ誰が……」
「誰、ってことはないさ。たまたま境界が曖昧になったところにドラゴンが入りこんだ。ただそれだけだよ。私にとって都合の良い結果になったことは確かに事実だけれどね」

 カナタの言葉に少なからず衝撃を受けていたのはイリアだった。光一がこの世界に来て間もないころ、彼女からいくつか説明を受けた。その時の話ではあのドラゴンは『誰かが送りこんだ』という認識だったはずだ。

「私が見る限り、あのドラゴンには何者かの意思を感じた。たまたま、で誤魔化せる話じゃないぞ」

 そう言い放ちイリアがカナタを睨みつけると、カナタは首をかしげた。

「そこまでは本当に私も知らないし、興味もない。それこそ、それを調べるのがお前の仕事なんだろう、イリア。まぁでも、強いて言うなら」

 一度言葉を切ったカナタは、首の角度を戻して目線を光一に向けた。

「ドラゴンをあの場に引き寄せたのは、君の友人自身なんじゃないのかい?」
「……賢斗が? どういう……」
「彼自身のことはこの数日間しか見ていないからよく知らないけれど。人は感情で死ねる、ということさ。内に秘めた大きな感情は生きるパワーにもなるが、その逆も然り。行き場のない感情は徐々にその人を内側から蝕み、気づいた時には手遅れ。そんなことも少なくない。そういうことだよ、わかるかな? 少年」

 カナタと対峙してからもう何度目になるかわからないしかめ面で、光一は返した。彼女の言葉は光一にとって、答えになっていないことの方が多い。

 これ以上話を続けるのは無意味だと判断しかけた時、突如地響きのような大きな音と揺れにより思考を遮られた。カナタも予想外の現象だったらしく、辺りを探るようにきょろきょろと目を動かした。

「上だな」

 イリアがそうつぶやいたので光一も彼女の目線を追うと、もう一度衝撃音が響く。先ほどは音が大きすぎてわからなかったが、今回はたしかに上の方でなにか大きな生物が暴れているような振動を感じた。カナタが何かに気付いたのか、内側から滲み出るような嬉しそうな笑みを口からこぼした。

「あぁ……もうすぐだな」

 それを聞いた瞬間、光一は弾けるようにその場から飛び出し階段を駆け上がった。カナタの反応を見るに、賢斗に何かあったのだろう。きっと彼女はこれを待っていたのだ。だからわざと時間を稼ぐようにだらだらと会話を長引かせていたのかもしれない。

 とにかく音の発生源へ近づこうと、光一は階段を数段飛ばしで必死に上っていく。カナタが追いかけてくる様子はなかった。

 元いた場所から二十段ほど上に来た時だろうか。光一の視界に、薄暗いもやがかかり始めた。初めは気のせいかと思ったが、それは徐々に濃く、広くなっていく。気のせいではない。光一がそう気付いた時にはすでに手遅れだった。

 視界だけに留まらず、聴覚もみるみる遠のいていく。景色がぐにゃりと歪んで、重力を感じなくなる。自分が今立っているのか倒れているのかそれすらもわからない。

「もう少しだけ、邪魔をせずに待っていてくれないかな」

 カナタの声がやけに耳元で聞こえたのを最後に、光一は一度世界から遮断された。

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