Reversi小説 | ナノ



1-8

 ドラゴンの攻撃が放たれるのと光一の剣が振り下ろされたのはほぼ同時だった。すさまじい風と共に鋭い氷が襲いかかろうと飛んでくるが、それらが光一の元に届くことはなかった。光一の魔力である炎が、全てを呑み込み跡形もなく溶かしてしまったからだ。

 地面を這うように、斬撃の軌道に合わせ炎が激しく燃え上がる。その勢いはドラゴンが放った氷の刃を溶かしつくしたあとも弱まることを知らず、そのままドラゴンの巨体さえも包み込んだ。
 光一は地面についた剣先を持ち上げドラゴンに向けると、ドラゴンを鋭く睨みつけた。

「見たか! 好き勝手やってくれおって……オレの友達にケガさせた落とし前はキッチリつけさせてもらうからな!」

 ミチルは光一を見て 茫然 ぼうぜん と立ち尽くしていたが、やがて短く息を吐き自らの短剣を構えた。
 荒れ狂う炎に身を焼かれたドラゴンは必死に手足をばたつかせるが、炎が消える気配はない。

 ドラゴンの前に立ったミチルは、ゆるやかな動きで剣を振った。数秒の後ドラゴンの動きがぴたりと止まる。

 再びわずかな間があり、やがてドラゴンの額に埋まっていた 濃紺 のうこん 色の宝石にヒビが入った。ピシ、と飴玉のようにそれが砕け散ると、ドラゴンの身体は光を帯び始めた。

 光が全身に行き渡ると、周りにまとっていた炎が消えた。ドラゴンの身体は光の塊になり、端の方からはらはらと大気中へと溶けていった。最後に残った光の粒が空気に吸い込まれたのを見届けると、ミチルは剣をリングに戻した。
 くるりと光一に向き直ったミチルが、申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「まさか再び襲ってくるなんて……やはり最初からこうしておけば良かったな。私の判断ミスで君達を危険にさらしてしまった。……すまない」

 光一は周りの炎が消えたのと同時に再び両腕に襲ってくる重量感でバランスを崩し、前のめりになった。剣先を地面で支え、ミチルに笑顔を見せる。

「何言うとんねん、どーせこれからもっとヤバいとこに行くんやろ?」

 全く気にしていない光一に、ミチルの表情も和らいだ。

「そう……だったな。本当にありがとう、光一」
「まぁこの剣の使い方も分かったし、これからも色々よろしくな、ミチル!」
「あぁ、私に出来る事なら全力で協力するよ」

 二人の間に穏やかな空気が流れる。光一が改めて、ミチルのリングをまじまじと見つめた。

「にしてもホンマ驚いたで、ミチルって強いんやな!」
「え、いやそんなことは……副管理人としてそれなりの戦闘力は当然求められる能力だし、第一私なんてまだ全然……」

 光一の言葉に、ミチルはほんのり赤く染めた右頬を掻く。光一はなおも真剣な表情で続けた。

「いやすごいで! 女でそこまで戦えるなんてびっくりやわ!」
「……は?」

 瞬間、周りの空気が急速に冷えた気がした。光一はまたドラゴンか、と一瞬身構えたが、どうもそうではないらしい。たった今までニコニコしていたミチルは、突然うつむき黙りこくってしまった。不思議に思い問いかけようとする光一を遮り、ミチルは低い声で呟く。

「……今、なんて言った?」
「へ? 女やのにそない戦えるんすごいて……」

 急変したミチルの様子に、光一はなにがなんだか分からずたじろぐ。
 ミチルはプルプルと震える拳を握りしめ、紅潮させた顔を勢いよく上げた。その目にはわずかに涙が浮かんでいる。赤みがかった頬は、もはや褒められたことによる気恥ずかしさによるものではなくなっていた。

 ミチルはわなわなと、振り絞るように声を上げる。

「わっ……僕はっ…………僕は男だぁぁぁぁあああ!!」



 高い空から、白い結晶が降り注ぎ始める。ちらちらと舞い落ちてきたそれは、光一の頬についてすぐに消えてしまった。今年最初の、この町に降る雪だった。
 どこまでも澄み渡った空気に、ミチルの叫び声はよく響いた。



「なぁ悪かったって、キゲン治せや。強かったんはホンマやで?」
「うるさい、僕に話しかけるな」

 ぴしゃりと言いきり前を歩くミチルに、光一も少しムキになって対抗する。

「根に持つなやー! だいたい自分のこと『私』とかゆうから、余計にややこしくなるんやんか」
「かしこまった場では男女共通、一人称は私だろうが。もういい、君みたいな奴に少しでも敬意を払った僕が間違っていた」
「なんやねん気ィ悪いわホンマに」

 あのあと、やっと扉を通り鏡界にくることができた。今はこの世界の管理人でありミチルの上司である、イリアの所有する城の中を歩いている。賢斗は治療のため、違う部屋へと転送されたらしい。

 光一は歩きながら扉に入ったときのことを思い出し、込み上げる吐き気を抑えた。世界間で移動する際には時空の歪みを無理やり作り出し、それをたどって行くらしい。人によっては船酔いのような感覚に襲われるとミチルは言っていたが、そんな生半可なものではない、と光一はあとから抗議した。未だに不快な浮遊感が足元に残っていて、速足ですたすたと前を歩くミチルの背中を恨めしそうに見つめた。

 それにしても城とは言っていたが、いやに広い。薄暗い廊下は突きあたりが見えないほど長く、延々と石造りの壁が続いている。装飾は一切なく、シンプルな廊下にところどころ洋風な扉があるだけだった。

 吐き気も収まってきた光一は、ため息を吐くと頭の後ろで腕を組みやる気のない声を出した。

「なぁいつまで歩くん? 広すぎて飽きてきたんやけど」
「もうすぐ見える大きな扉が、大広間になっている。まずはそこで今後の方針について話し合おう」

 光一はもう一度深いため息をつき、視線をミチルの背中から左の壁に移した。
 すると、その先にあった一枚の扉が開いていた。ここまで十分ほど歩き通しただろうか、その間いくつもの扉を通り過ぎてきたが、開いている扉を見たのはここにきて初めてだった。

 単調な廊下に飽き飽きしていた光一は、二ヤリと悪戯めいた笑みを浮かべる。扉の前で立ち止まりミチルの様子をうかがうが、振り返ることなくミチルは黙々と前に進んで行く。

「ちょっと寄り道するくらいええやろ」

 光一はそっと、開きかけている扉に手をかけ中を覗いた。部屋の中もやはりシンプルで、コンクリートともレンガともつかないオリーブ色の壁と床に囲まれた空間が目の前に広がった。石造りなのだろうか、全体的にどこかひんやりと冷たさを感じさせた。オレンジ色の薄暗い光が、部屋の中を照らしていた。入ってすぐ、細い廊下のようになっている。光一は入口の段差を踏み越え、何故か音をたてないようにそろりと奥へ進んだ。

 しばらく進むと右側の壁が終わり、光一が住むワンルームの倍ほどある部屋が現れた。全体に深緑のカーペットが敷かれ、中央に低めのテーブルが置いてある。その奥にはソファーがあるのだが、光一はそこまで見渡してドキリとした。革張りの、高級そうな真っ赤なソファー。そこにはひとりの少年が、いや、光一のよく知る人物が座っていたのだ。

 人がいたのかと一瞬心臓が跳ねたが、光一は座っている人物が誰だかわかると安心し、笑顔で話しかけた。

「賢斗! お前ケガ大丈夫なん? ミチルが別室に運んだ言うとったから、もっと重症なんかと思ってたわ」

 ソファーに腰掛けるその少年は、まぎれもなく賢斗だった。ねむっていたのだろうか、彼は腕を組み目を閉じていたが、光一の声を聞き目を開けた。しかし、その瞬間光一は強烈な違和感を覚える。

 顔はたしかに、毎日のように見ていた賢斗そのものだ。だが、目の前の少年が放つ雰囲気はなんとなく、光一のよく知る彼とは違った。

 賢斗は光一を見るや否や、険しい顔を向けた。部屋全体を照らすオレンジの光のせいで気付きにくかったが、よく見ると彼の髪は賢斗のよりも明るいライトブラウンだった。着ている服も灰桐中学校指定の学ランではなく、進学校を思わせる新緑のブレザーだ。その上から、豪華なファーのついた赤いマントを羽織っていた。しかしそれらを除けば、背格好や顔のつくりはやはり、間違いなく賢斗そのものだった。他人の空似で、ここまで同じ顔の人間がいるだろうか。

 しばらくお互い黙っていたが、やがて賢斗がソファーのひじ掛けに肘をつき、その手で頬杖をついた。
 そしてニヤリと、意地の悪い笑みを浮かべる。

「……あぁなるほど、そういうことか」

 彼が発した声も、光一の知る賢斗そのものだった。しかし、彼ならこんな表情はしない。
 少しの間をおき、光一も再び声を発する。

「お前……賢斗ちゃうんか?」

 光一がそう言った瞬間、賢斗は眉間を寄せ不機嫌そうな声で呟いた。

「てめぇ誰に向かって口きいてんのかわかってんのか? この世界で、その名を呼ぶことがどういうことか、どうやらわかってないらしいなぁ?」

 その言葉を聞き、光一は凍り付く。やはり、目の前の少年は賢斗ではない。
 そのとき、勢いよく扉が開く音がした。

「バカ、なにやってる光一!」

 現れたのは、ドラゴンに襲われた時よりも焦った表情のミチルだった。息を切らして入ってくるミチルを横目で一瞥すると、ソファーに座っていた少年はゆっくりと立ち上がった。そして右手首を前へ突き出すとくるりと一回転させた。彼の手首についている黒い装飾品が、わずかに青白く発光する。

「光一……てことはやっぱりてめぇが管理人の言ってた、光の剣士のリバーシだな。ハッ、本気でこんな弱そうな奴に頼むのかよ」

 彼が回転させた手首から、音もなく手斧が現れる。それと同時に、輝いていた装飾品も消えた。おそらくミチルの双剣と同じ原理なのだろう。
 光一は彼が発した「リバーシ」という単語から、ミチルの言葉を思い出した。

「ま、まさかお前……!」
「光一、避けろ!」

 ミチルが叫ぶが、その声が光一に届く前に斧が少年の手から消えた。光一は右に鋭い風を感じ、反射的に首をずらす。数秒の のち 右頬にぷつりと痛みを感じ、右耳付近の髪の毛が二、三本はらりと床に舞い落ちた。後ろの壁に、斧の刃が刺さる音が聞こえた。彼は目で追えないほどの速さで、光一に向かって斧を投げたのだ。

 頬を押さえ、光一は少年を見る。そうか、彼は賢斗であって賢斗ではない。
 堂々とした姿勢で目の前に立つ、賢斗そっくりな少年は得意げに吐き捨てた。

「頭が高いぞ、愚民風情が。俺様は鏡界の首都、グラス・ミロワールの第一皇子……ヒモリケント様だ!!」

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